第12話 まぼろしの君
夜明け前に真雪は退出し、自邸に戻ってしばらく休んでいた。
そのままゆっくりすることもできたのだが、辺りが明るくなると、直衣に着替えて出仕することにした。
ひとり、考え事をする時は、弓を放つのが一番いいと思ったのだ。
弓場殿へと歩いている途中、誰かに呼びとめられ、振りむくと、濃い紅の直衣を着た照臣が立っていた。
「その様子だと、朝霧には会えたみたいだな」
あの女房から話を聞けたのも、照臣の手引きがあったからだった。
そう考えると、事後報告をする義理もあるのだろう。
礼を言おうと口を開いたところへ、照臣は切り返した。
「それで、歌はむこうに届けたのか」
思わぬことを聞かれ、真雪は虚を衝かれた。
「べつに逢瀬を重ねたわけじゃない」
そう言うと、照臣は呆れたようだった。
「でも一応、歌を送るのが宮人の嗜みだろう。日が高く昇る前に送った方がいい」
「じゃあお前が代筆しておいてくれ。私の従者を使って、それが家人にばれたら面倒なことになる」
ただでさえ、あまりに恋をしない真雪は、家の者に心配されているのだ。
それが父親の耳にでも入ろうものなら、どの家に歌を送ったのかと騒動になり、あらぬ誤解を招くことになる。
そう思って真雪は言ったのだが、照臣はますます呆れたようだった。
「お前は、どこの深窓の姫君なんだ。年端のゆかぬ子供じゃあるまいに。それに、私が書いたら手で分かってしまう。もっと失礼になるぞ」
その言い合いの末、
結局真雪は、照臣の屋敷にまたふたたび上がりこむことになった。
用意されたのは切箔をあしらった厚手の
硯箱ののった文台の前で真雪は正座すると、迷った末、筆先を墨にひたした。
真雪は普段、和歌を詠むことはない。
元来、歌を詠むのは苦手だった。
そのため、引用した歌をそのまま書き連ねるか、一部を改ざんして書くことが多いのだが、今回は、自然と思うままにまかせた。
いったん書き始めると、のびの良さから、その紙が本当に上質のものだと分かる。
真雪は、
“ ひさかたの 夢のあいまに見る影の
月にあまぎる まぼろしの君 ”
とだけ書くと、筆をおいた。
墨が乾くのを待って手渡すと、照臣はそれを一瞥して言った。
「お前はもっと歌を詠んだ方がいいな。今時、
「ほっとけ。歌詠みは苦手だ」
真雪がふてくされると、照臣はおかしそうに笑った。
「まあとにかく、これを送っておく。私の従者を使えば、昼前にはあちらに届くだろう」
***
礼を言って屋敷を退出すると、すでに日は高く昇っている。
もし朝霧が
照臣に指摘されて気づくのが、真雪の世相に疎いところだった。
真雪は無意識に、先ほど詠んだ歌を脳裏で反芻する。
——月にあまぎる まぼろしの君
彼女を探しだしたいと、真雪は思った。
夢のなかで彼女が語った、その言葉の意味を知りたい、と。
弓場殿には、足は向かなかった。
真雪は自邸の方へ歩きながら、それとは別のことを考えていた。
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