第9話 夢のあわい



——誰かが呼んでいる。



夢のなかで、

真雪は、八歳の童男おぐなだった。



辺りは霧がかったように真っ白で、一寸先も見渡すことができない。


方角を予測して、

真雪は歩きだした。


本当は駆け急ぎたいところだが、行く手を白いもやが阻んでいるため、早足で行くしかない。


途中、

つまずきそうになりながら、真雪は、声の主を見定めようとした。



——と。



白い靄のなかに、ひとつの人影を見つけて、真雪は今更、これは夢に違いないと思った。


その人は、

白と紅の、一重梅ひとえうめに重ねたあこめを着て、うずくまっている。


そのまわりに、

いくつもの透明な光が、舞うように飛んでいた。



真雪がひるんだのは、

彼女がとても幼く見えたからだ。



しかし、声の主は間違いなく彼女自身であり、透明な光も彼女に惹かれて集まったものだった。



——じゃあ、俺も、呼ばれたもののひとつか。



そう考えてみたが、それは違う気がした。


真雪は、彼女に呼ばれてなどいない。


でも、その声が、あまりにも行き場のない悲痛に満ちていて、それで無視することができなかったのだ。


膝を抱えてしゃがんでいる少女を前に、真雪はどうすることもできなかった。


声をかけていいかためらっていると、ハッとしたように、少女は顔を上げた。


たまった涙が、頰にこぼれ落ちる。

少女は目を見開き、真雪の出現に驚いたようだった。


丈の短い袙を着ていても、普通なら外に出られない身分なのだろう。




——でも、ここは現実じゃない場所だ。



それなら話すことも許される気がして、真雪は問いかけた。



「なぜ、泣いている。何か悲しいことがあったのか」



本当はもっと言葉を選ぶべきところだが、真雪は直截ちょくさいだった。


すると、

少女の目から、またみるみる涙があふれだし、真雪は内心とてもあわてたが、言葉を取り消すことはできなかった。



「間に合わなかった。私の力じゃ、母さまに届かなかった」



しゃくりあげ、嗚咽しながら、少女はそう言った。


真雪は、その意味するところは分からなかった。


でも、彼女がとてもかなしんでいること、それだけは明白だった。


真雪は、こんな風に打ち震えるほどの勢いで泣く人を、他に知らなかった。



透明な光が、虹色に散っている。



特異なものを見ていると分かったが、少しも怖くなかった。


真雪はためらいがちに、肩の辺りにそっと手を触れた。


夢のなかなのに、

血の通っていることが、はっきり分かる温かみがあった。



「母さまは行ってしまった。手の届かないところに。私が助けないといけなかったのに。そのためにある力だったのに」



繰り返し、

そう言いながらポロポロと涙をこぼす少女に、真雪はただ、手を添え続けた。


何を言っても、目の前の少女をなぐさめることはできない。


彼女はただ、無性に泣きたいだけなのだ。


その理由も、事情も、今あえて聞くことはできなかった。


少女はひとしきり泣くと、あどけない顔で真雪を見返した。

目は真っ赤に腫れあがっているが、少し落ち着きを取り戻した様子だった。



「あなたには、私の声が聞こえたのね。普通、人には聞こえないはずなのに」


「ここでいったい、何をしてたんだ」


「母さまを呼んでたの。でも、この光では、もう追えなかった」



真雪がまわりの光を見極めようとすると、少女は立ち上がり、どこか遠くを見つめたまま言った。



「もう行かなくちゃ。皆が心配する」


「もう、平気なのか」



思わず聞いたのは、

呼びとめたくなったからかもしれない。


少女は、まだ赤い目元を、わずかになごませた。



「来てくれてありがとう。ここに人が来るとは思わなかった。でも、もう会うことはかなわない」



どうして、

と言おうとして、真雪はそれが言葉にならないことに気づいた。


ふたたび辺りが白く塗りつぶされていく。


彼女の影が遠のく。


光の明滅が薄らぎ、すべてが見えなくなっていくのと同時に、真雪は、八歳の子供ではなくなっていた。



そして、

何かに導かれるように、

真雪は、ゆっくりと、そのまぶたを開いた。


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