第6話 社の影


結局、照臣の言うことを聞かざるを得ない状況に陥るのは癪に触ったが、真雪は、その神社にひとり足を運ぶことにした。


ちょうど紅葉が見頃の時季だったが、その場所は人里離れた山のなかにあり、人の行き交う景勝地からは大幅に外れている。


都からの大通りを抜けると、次第に人の姿は見えなくなった。

真雪は菅笠をはすに被り、薄青の目立たない狩衣においを背負っており、見ようによっては峰入りをする山伏に見えなくもない。


意識して身をやつしたつもりだが、そう映りがちな自分を、指摘されずとも真雪は自覚している。


世に浮き名を流してばかりいる照臣までとはいかずとも、それ相応に男女のやり取りをするのが宮人の嗜みであることも重々承知しながら、一方で真雪の心が安らぐのは、ひとりで弓を番える時なのだった。



——自分の腕を試してみたいとは思わないか。



そうささやいた照臣の言葉が、脳裏によみがえる。


普段、御所の警備を任されているとはいえ、一朝有事となることは少なかった。

それはそれで結構なことなのだが、物足りなさを感じる自分がいないわけでもない。


出すぎた思いだということは分かっている。

時は絢爛けんらん雅な平安の世の中であり、真雪のような愚直な人間は、あまり必要とされていないのだ。


——生まれる時代を間違えたのだろう。



そんな風に考えてもみるが、胸のなかに湧く空虚さは変わらなかった。

照臣の言葉に奇しくものったのも、どこかでそれを覆したかったのかもしれない。

自分のできることで気がまぎれるなら、それも悪くないと思ったのだ。





かちで行ったのと、時期的に日没が早いことも重なり、目的地に着いたのは、辺りが黄昏に染まる時間だった。

笠木を渡した鳥居があったからこそ見当がついたものの、そうでなければ見過ごすところだった。


ひっそりと佇む鳥居のまわりは木々で覆われており、昼間でも日が差し込むのか不明なほどだ。

果たしてここに、人がいるのかもあやしい。



一礼して、真雪は足を踏み入れた。


瞬間、

まわりの温度がスッと下がるような感覚におそわれる。

魑魅魍魎や、物の怪のたぐいが潜んでいるような。

そう思うと、木陰の闇がいっそう深まる気がした。


照臣は、

ここが亡くなった更衣ゆかりの場所だと、そう言っていた。


しかし更衣が御所で非業の死をとげたのは十年以上前の話であり、その在所が廃れていても不思議はない。


誰もいなければ、ここまで来たことすら、まったくの徒労に終わる恐れもあった。


その予感を察して、真雪は言いようもない虚脱を感じたが、まだ薄暗いうちに確かめなければ——紙燭もない場所だ、すべてが闇に沈んでしまうだろう。



そう思い、早足で奥の拝殿に向かうと、小さな社に祭壇がもうけられ、小さな白磁の椀に水がたたえられているのが目に留まった。


水面は澄んでいて、西に傾いた陽の光を透明に反射している。


すでに捨て置かれている社なら、椀の水などとうに乾いているか、腐っているはずだ。



——先に参詣した者が、おそらくいるのだろう。



その小さな椀のなかの光は、真雪を勇気づけた。



見ると、拝殿に隠れて気づかなかったが、奥に社務所のような建物がある。


人がいるとすれば、あの場所に違いない。




——と、


その時首筋に、突然痛みが走った。


真雪は傷をあらためる間もなく、その場で膝を折った。



——これは、吹き矢か。まさか。



昏倒する、

その意識のはざまで、

真雪は走り去っていく人の気配を感じた。



——あれは、「月読」か。




隠密がどういうものか真雪は知らなかったが、背後をとられるとは全くの不覚だった。


今の今まで気づかなかったのだ。

もちろん、相手も気配を断つ技には長けているだろう。

しかし、こうもあっさりやられるとは。

扼腕やくわんの思いで、真雪は唇を噛む。


誰もいないと決めてかかっていたことが、あだとなっていた。



目がかすんで、何も見えなくなる。

真雪はなすすべもなく、横ざまに倒れ——

やがて、その意識を失った。




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