第8話 18年前の告白

天気予報通り雨の日が続いてテレビはすっかり紅葉のニュースを取り上げなくなった。


駅から警視庁まで歩いているとき業者が手分けしてイルミネーションの飾りをつける準備をしているのが目に入った。


今年はクリスマスを誰と過ごすのだろうか、そんなことがふと朝日の頭の中に浮かんだ。


順調にいけばこのまま楓さんと一緒に過ごすのだろうか。


それとも予想外な出来事が起きて別の誰かと過ごすことになるのだろうか。


そんな妄想を膨らませながらこの殺風景な道を跡にした。





職場ではピリッとした空気が数日前から張りつめていた。


仁志さんは竜千秋が生きてるという情報は掴めているものの全く行方が掴めていないことに苛立っていた。


僕は対照的に今日の楓さんとのデートをどこか心待ちにしていた。


「何か浮足立っているようだな。」


ふと声のする方を見ると仁志さんが僕のデスクに頬杖をついてじっと僕の方を見ていた。


「うわっびっくりした。」


「びっくりしたじゃないよ、朝日君。君の名探偵ぶりをもう一度発揮してくれよ。」


「そう言われても…。」


「期待させといてそりゃないだろ。死んだ赤ん坊を生き返らせたのは君なんだから。俺の中でもそいつを重要参考人にしているわけだし。頼むよ、なあ。」


先入観の強い仁志さんに今竜千秋のことを話せばすぐに確保にかかるのは目に見えていた。


もしかしたら竜千秋は今回の爆発テロの犯人は知っているだけで何も関わっていないかもしれないのに。


ただ戸崎の可能性の話で行くと竜千秋はただ単に爆弾を作っていただけで運び屋がいてそいつが首謀者じゃないのかというのが今の見解だ。


どっちにしろそれは未成年の少女の動機にはなり得ないということだ。


戸崎の話を信用しているくせに彩花を間接的に殺した竜千秋になぜか殺意が沸いてこないのは不思議だった。


「朝日君、聞いてる?」


仁志さんはまだ僕のデスクに居座っていたらしい。


「だから無理ですって。」


朝日は仁志さんを騙して申し訳ないとは思ってはいるが、事件解決のためには絶対に仁志さんに漏らしてはいけない。









勤務時間が終わりスマホを確認して待ち合わせの場所まで向かおうとすると、相澤さんが背の高い男と何やら話していた。


丁度僕が行きたい方向で立ち止まっていたのでその横を通るのは気まずく、しばらく様子を窺って去るのを待っていた。


「もう会わないでくださいって言いましたよね。」


「どうして由美ちゃん?」


どうやら相澤さんはその背の高い男に絡まれているらしい。


そしてその男は相澤さんと顔見知りらしかった。


「軽々しく下の名前で呼ぶのはやめてください。もう2度と顔を見たくないです。」


相澤さんが男をはねのけて早足で歩き始めた時、男が相澤さんをバックハグした。


「離して。離してください。」


僕はどうするか迷う前に相澤さんの傍まで行き、男を跳ね除け相澤さんを自分の胸に抱き寄せていた。


「誰だ?お前は。」


男はこちらを睨みつけ、まるで鬼のような形相をしていた。


「そ、そっちこそ何をしてるんですか。……僕の彼女に。」


「彼女だと…。」


僕は彼氏がいると思わせたら自然と男の気も引くのではないかと思い切った嘘をついた。


男は相澤さんを覗き込むように見て尋ねた。


「お前彼氏がいたのか?」


相澤さんは顔にかかった髪を耳にかけた。


「ええ、最近アメリカから戻ってきたの。だからもう2度と私に関わらないで。」


僕らは男に背を向け、しばらくその状態で歩いた。


「絶対振り向かないでくださいね。」


相澤さんは頷いた。


久しぶりの感覚だった。


彩花を失ってから女性を抱くというのはこれが初めてだった。


朝日は後ろを振り返って男がいないのを確認して言った。


「もう大丈夫です。」


「ありがとう…。」


相澤はそう言うと朝日から離れて、しばらくお互い気まずかったのか何も言葉を交わさなかった。


その時メールの着信音が鳴った。


楓さんからだった。


「今日は体調不良のため行けなくなりました。ごめんなさい。」


楓さんのメールは2文で終わっていて非常に簡潔だった。


よっぽど体調が悪いのだろう。


「ねえ、どこかに食べに行かない?さっきのお礼も兼ねて。」


僕は楓さんのデートがドタキャンになって時間が空いたので了承した。


「どこに食べに行きます?」


「私の行きつけのビールが飲み放題の所があるの。そこでもいい?」


僕は頷いた。


しばらく無言のまま歩いていたが相澤さんが


「さっきはありがとね。」


とボソッと言った。


「いえ。」


僕と相澤さんはさっきのが気まずいというのもあり人1人通れるぐらいのスペースが空いていた。


またしばらく無言になり相澤さんは白い溜息を吐かせて言った。


「さっきの私の元上司なの。すごくいい上司だと思ってたけどね。でもある日からセクハラがひどくなって。ずっと苦しんでたんだけどなかなか職場の人にも言いづらくて。」


「そうなんですか。家族とかは…相澤さんを迎えに来たりとかは?」


相澤さんはふと立ち止まり僕の方をじっと見た。


「あれ、あなたに私の名前話したっけ?」


「いえ仁志さんから聞きました。すみません。軽々しく呼んだりして。」


相澤さんは首を横に振った。


「ううん。いいわよ、その呼び方で。朝日君だっけ?」


「はい。別に呼び捨てでも構いません。」


「いいわ。仁志課長のもしかしたら逆鱗に触れるかもしれないから。さあ着いたわよ。」


立ち止まった横を見ると店の黄色い看板にはパブ・ザ・キッチンと赤い塗料で塗ってあったが対照的に壁は落ち着いた色で上さえ見なければ誰でも気軽に入れる店かもしれない。


店の前では黒ひげ危機一髪に似た海賊が出迎えてくれていた。


「あの…パブって何ですか?」


「知らない?イギリスで発達した酒場のことよ。ここビールが飲み放題なのよ。」


「へえ、そうなんですか。」


店の中に入るとさっきのマスコットとよく似た店員が人数確認を取りに来た。


「いらっしゃいませ。あれお客さん、男の人と来たの?」


「ええ、そうよ。」


どうやら相澤さんはここの店員と親しいらしい。


「彼氏?」


「違う、私の部下。今回はカウンターじゃなくてテーブル席がいいんだけど。」


「分かりました。どうぞ。」


僕らは店の入り口から最も遠くトイレに近い4人掛けのソファー付きのテーブル席に通された。


「じゃあ注文が決まりましたら声をおかけください。」


「いやもう大丈夫。ビールの飲み放題2人分とポークマッシュディッシュ2個で。」


黒ひげ店員は僕の方を気の毒そうに見つめて


「お客さんよろしいですか?」


と尋ねた。


「大丈夫…です。」


黒ひげ店員は愛想笑いをして陽気な掛け声をして厨房に戻った。


「実はあなたと前から話したかったの。」


「え?」


その時黒ひげ店員は満面の笑みを浮かべてビールを2人分持ってきた。


「はい、お待ち。おかわりが必要な時はいつでもお声掛けください。」


僕はビールが届くや否やジョッキの半分ぐらいビールを飲んだ。


もしかして相澤さんが僕に恋愛感情を持ってくれてるのか。


「ねえ私の顔に何かついてる?」


「いえ別に。」


またしばらく沈黙になった。


そして黒ひげ店員が頼んだ料理を持ってテーブルに来た。


「おまちどおさまです。ポークマッシュディッシュです。ビールのお替りいかがですか?」


「お願いします。」


黒ひげ店員は領収書をテーブルに置き僕のジョッキを持って去った。


「美味そう。」


ソーセージがプレートからはみ出すほど豪快に3本乗っていてその残りのスペースに3本の小ぶりのマッシュポテトが窮屈そうにせめぎ合って乗っていた。


「冷めないうちに食べましょうか。」


ソーセージを一口かじる度肉汁が溢れ出てきた。


「美味いですね、これ。」


ビールを持って戻ってきたさっきの店員が


「これ一番人気。」


と言って僕の発言を聞いて嬉しそうに言って僕の前にビールを置いた。


「へえ。」


「安くてビールに合うからね。」


再び黒ひげ店員がその場を去った後、相澤さんが


「実はお礼も兼ねてって言ったけど…あなたとずっと18年前のことについて話がしたかったの。」


と真面目な顔つきになって言った。


今回の爆発テロについてじゃないのか。


朝日は疑問に思いながら再び熱々のソーセージを今度はナイフで切って口に運んだ。


相澤は続けて言った。


「あなたって白神病院の生存者なのよね?」


朝日はソーセージをちゃんと飲みこんでから相澤の目を覗き込むようにして


「そうです。」


と言って発言の真意を汲み取ろうとしていた。


「やっぱりそうなのね。」


相澤は泡の切れかけたビールを2口運んだ。


「僕に白神病院について何か聞きたいことでも?」


相澤は首を横に振りフォークとナイフを置いて


「私もね、あなたと同じ18年前の白神病院の被害者なの。」


と言った。


思わぬ告白に口の中でまだ噛み切れていなかったソーセージが喉の奥に無理やり押し流された。


「あの爆発で私は弟とお母さんを亡くしたの。お父さんは元々他界してたから母方の祖母に預けられた。でも祖母は昨年亡くなった。」


悲しい話に喉に食事が通らなくなったので朝日はナイフとフォークをテーブルに置いて言った。


「僕もあの爆発で両親を亡くしました。あと母親のおなかの中にいた生まれるはずだった自分の兄弟を。その後お父さんの同僚の人に預けられました。」


「じゃああなたは養子縁組を結んだの?」


「そうです。産みの父は馬場なので。」


「あなたはつらくなかったの?ご両親と兄弟を亡くされて。」


「僕爆発に遭ってからそれよりも前の記憶がないんです。だからご両親が亡くなったことを告げられた時もつらい気持ちも全然沸き立ってこなくて。」


「それって今も?」


「そうです。」


「大変ね。」


「いえ。返ってよかったと思います。新しい家族にもすんなりと身を置くこともできましたし。」


「ならよかった。」


相澤さんはビールを口に運んだ。


「ところでどうして分かったの?18年前の爆発テロを起こした日向優の娘が生きてたって。」


「それは……」


ビールを飲みながらその間に返答を考えていたが相澤さんが


「もしかして…あなたの影武者がいたりして。」


と再び猫のような大きな目で僕を見て言った。


「あなたしょっちゅう席を外していることが多いのに捜査はお得意のようだから。」


どうやら竜千秋の存在はバレていないらしい。


「それはだって僕FBIの在籍経験があるんですよ。そりゃ得意方面に決まってるじゃないですか。」


「そうかしら。あなたの不祥事の話の方がよく耳に入るんだけど。」


「じゃあ言ってみてくださいよ。」


「そうね。クリスマスイブの事件とか。」


それを聞くと変な汗が背中から出てきたのを感じた。


「やっぱり当たりみたいね。」


相澤はジョッキに残っていたビールを飲み干し、おかわりと大声で言ってジョッキを掲げた。


店員にジョッキを回収してもらった後、相澤さんが


「その影武者さん、連れてきてくれる?」


と言った。


僕は席を立とうとしたが相澤さんが左腕を掴んで


「離さないからね。」


と言った。


「分かりました。ちょっと待っててください。」


相澤さんに竜千秋の存在をバレていないだけでまだましだと朝日は思った。


朝日はこんな時間に申し訳ないと思いながらも戸崎に電話を掛けた。


「何?」


戸崎は不機嫌そうに電話に出た。


「ごめん、こんな時間に。今来れるか?」


「もう寝ようと思ってたところなんだけど。」


「そこを頼むよ。」


朝日は戸崎に今の現状を伝えた。


「…分かった。その代わり僕の交通料と食事代払ってくれよ。本来行く気はなかったんだから。」


「ありがとう。」


10数分ぐらいして戸崎がやってきた。


「おう、戸崎。」


「ねえ、あなたが影武者君?」


戸崎は相澤さんを見ると時が止まったように体が微動だに動かなかった。


「おーい、そうなの?」


「ああ、はいそうです。」


そう言って戸崎は僕の隣に座った。


「でどこの部署?」


「せ、生活安全課です。」


「生活安全課か…。ねえ何頼む?」


「そ、そうですね…。」


戸崎はメニューを手に取りしばらく見て、僕らの食べ残した料理の方を見て


「同じもので。」


と言った。


普段アルコールだとレモンチューハイばっかり頼んでる戸崎がビールを頼むのは新鮮だった。


「ねえねえ影武者君。どうして日向優の娘が生きてたって分かったの?」


「それは……。」


戸崎は朝日と一瞬顔を見合わせたが相澤の目をしっかりと見て


「コンビニですかね。」


と自分の髪を少々触って言った。


よくよく考えたらあれはマスターのプロファイリングで分かったことなのに戸崎は悪びれる様子もなく自分の手柄にしようとしていた。


だがそれは僕も同じだ。


「コンビニ?」


「はい。亡くなった戸崎のお姉さんはコンビニで赤ん坊のおむつを替えていたみたいなんです。それで今からその赤ん坊と無理心中するなんて到底思えなくて。それにその赤ん坊ぐらいしか今回の爆発テロの犯人として思い浮かばないし。」


「ねえ待って。今更だけどその赤ん坊、今18になるのよね。」


「そうですね。17か18。」


「でもどこで学ぶ技術があったのかしら?だって今まで仁志さんの話によると恐らく12まで養護施設にいたんでしょ。」


「それは…その協力者が爆弾を作れる能力を持っていたとか。」


「協力者?」


「あっ。」


「ねえ協力者ってどういうこと?」


「それは…。」


戸崎の方を見ると手を頭に当て


「仕方ない。話そう。」


と言って僕の肩に手を置いた。


「でも………。」


戸崎は相澤さんに聞こえないように耳打ちして言った。


「仁志さんみたいにベラベラ話す人間じゃないだろ?恐らく。それに頭が切れそうなのも確かだ。」


「まあ。」


戸崎は相澤さんに竜千秋の存在と爆弾事件の関連性を伝えた。


「どうしてそれをこっちに回してくれなかったの?」


「それは口の軽い仁志さんがいるから。」


「まあそれほど朝日君が信用できたのね。影武者君には。」


戸崎は照れ臭そうにまあと言って後頭部を掻いた。


「その竜千秋は何も話してくれないの?」


「ええ全く。あ、ただ朝日が来たときは…。」


「はい。名前と年齢だけ。」


「そう。もうちょっと聞き出せないの?」


「無理です。全く口を開いてくれないというか。」


「じゃあなんであなただけには話したんでしょうね。もしかして18年前の被害者であることを知ってるんじゃない?朝日君が。まあ西の唯一の生還者で結構取り上げられていたからね。」


「じゃあ18年前の関連性を訴えたかったんでしょうか?」


「いやそれはないんじゃない?テレビであんだけ言ってて。まあでも拘留されててテレビ見れてないのかも。いつ捕まったの?」


「もう2週間ぐらい。もうちょっとで保釈されます。」


「そう。」


朝日は泡の切れたビールを2口飲んだ。


「ところでどうして協力者説が浮上したの?」


「それは…フランスの時に竜千秋は拘留されてたから。」


「じゃあ協力者っていうよりまあ運び屋じゃない?」


「そうですね。」


黒ひげ店員が僕たちのデスクにやって来た。


「あのすみません、もうすぐ閉店時間なんですが。」


気が付くとあのコミカルな音楽の中に溶け込んでいた笑い声はすっかり消えてなくなっていた。


会計は相澤さんが全部支払ってくれた。


時計を見ると夜十二時過ぎぐらいだった。


「あ、そうだ。交通費。」


交通費を渡そうとすると戸崎が僕の手を押し返した。


「え、いらないのかよ?」


「ああ。やっぱりいい。朝日、相澤さんを支えててくれ。」


「ああ。」


戸崎は大通りの方に行って恐らくタクシーを探しに行ったのだろう。


その間僕はふらついた相澤さんをしっかり支えていた。


相澤さんは何か言っているようだったが呂律が回っていない状態でよく聞き取れなかった。


しばらくして戸崎が白いタクシーに乗って戻って来た。


そして戸崎は一旦タクシーから降りて僕と戸崎で相澤さんの型を支えて後部座席に座らせた。


戸崎は助手席に乗り込む前にじゃあなと言って車の中に入って去っていった。


僕も正直乗せてもらって割り勘にしてほしかったのだが…。


仕方なく別のタクシーを捕まえて家に戻った。





家に戻り寝る前に楓さんの体調を心配するメールを送った。


朝日はベッドに仰向けになり、相澤さんを抱きしめた時のあの感覚が鮮明に蘇ってきていた。


そしてその感覚の裏で何かもやもやしたものを感じた。


僕はその正体を突き止めることなく目を瞑って過ぎ去るのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る