5-3: 合意

 文部省、天下り教官との何回めかの会合になった。これまでに、「委譲」という文言を取り消すことについては合意ができていた。

「では、委譲という文言の取り消しについての詳細に入りましょうか」弁護士が話し始めた。「こちらとしては、公開されている資料の文言を書き換えるだけでは不充分と考えています。公に謝罪を含めての訂正の公開を条件にしたいと考えています」

 天下り教官側の参加者は声を潜めて二言、三言話した。

「その条件も飲みましょう」

 相手の弁護士が答えた。

「あぁ、言い忘れていましたが」弁護士が付け足した。「官報でこっそり訂正記事を掲載するとか、サイトでどこにあるのかわからないような場所に謝罪を掲載するというのは、こちらとしては認められません」

「その言い方はちょっと」

 相手の弁護士が応えた。

「では、条件を明確にしましょう。全国紙レベルの新聞に、一面を使って謝罪と訂正広告を出すこと。それを条件にしたいと考えています」

 黒田も助教授も、その条件を出すことは聞いていなかった。弁護士がそう言ったことで、二人ともすくなからず驚いた。だが、意図はすぐにわかった。相手にもわかったことだろう。

「文部省が官報で出したことですから、官報において訂正をする。これは、こちらももちろん考えています。また、文部省のホームページにおいても掲載したことですから、そこにも謝罪と訂正を入れることにも異議はありません。しかし、全国紙の一面を使ってというのは…… 問題の大きさに比べて大袈裟すぎませんか?」

「ということは、『委譲された』と公開したことは、些細な問題だと?」

 相手の弁護士の言葉を受け、情報処理研究所側の弁護士が応えた。

「いや、些細なとは言いませんが」

「そうですね、些細な問題ではありません。その点についても了解が得られましたね。では、どの規模での謝罪と訂正をするのかを詰めましょう」

 弁護士が畳みかけた。

 天下り教官がそちらの弁護士の腕を突きつつき、小声でなにごとかを囁いた。相手の弁護士もそれになにかを応えた。天下り教官はそれにうなずいて答えた。

「申し出があったのですが。こちらの先生の方で、まずは worm についての書籍を出す予定があるそうです。また、それ以後にもワールド・ワイド・ウェブの新しいサービスについての書籍も出す予定があるそうです。それも基盤としては worm の技術を用いているそうです。そこで、それらの書籍の巻頭辞に謝罪と訂正を書くということではどうでしょうか?」

「それらの巻頭辞での謝罪と訂正は受け入れますが、それはすでになされた告知や報道に比べると、広く公知されるとは言えませんね。些細な問題ではないという点はすでに双方了解したことがらですので、すでになされた告知や報道とバランスが取れた謝罪と訂正がなされることを要望します」

「ちょっと」助教授が弁護士に小声で話しかけた。「どのあたりを見込んでいますか?」

「失礼、すこし打ち合わせをしますので」

 そう言い、弁護士は席を立ち、黒田と助教授を部屋の隅に呼んだ。

「そうですね。あちらが書籍を出す予定があることはわかりました。その巻頭辞での謝罪と訂正は悪くない条件だと思います。出す書籍の、巻頭辞を含めた全文を事前に確認でき、またこちらからの修正の要求に応えること。あとは、新聞の新刊案内がありますよね。あのサイズの謝罪と訂正を全国紙で。あとは……」

 弁護士はしばらく考えた。

「コンソーシアムで技術書を出すことも可能ということだったと思いますが。それをぶつけることは可能ですか?」

「いや、あれは出版社からの出版ではなく。ネット上での公開なんですが」

 弁護士はまたしばらく考えた。

「次期バージョンの話がありましたが、それはすぐに原稿に反映できますか?」

「できるだろうと思いますが。しかし、あれは “Black Worm” も含んだもので……」

「詳細はわかりませんが。そのブラック・ワームは、あちらの技術に言及、それに法的あるいは倫理的な面での問題を突くつくことにはなりませんか?」

「黒田くん、なるかな?」

「“Black” のコラムで関連しそうな事柄は言及されていますし、さらに言及が追加されるかもしれません。それもですが、次期バージョンの情報が出るのはいい手になるかもしれません」

「よし、じゃぁその方向で試してみましょう」

 弁護士はうなずいた。

 三人は席に戻った。

「今、条件を相談したのですが。そちらが出される、 worm に多少なりとも関係する書籍の、巻頭辞も含めた出版直前の原稿をこちらでも確認させていただくということを追加させていただきたいと思います。もちろん、その確認にあたっては、こちらからの修正の要求に応えていただくという条件が含まれますが。その点についてはどうでしょうか?」

 弁護士が訊ねた。

 天下り教官はうなずいていた。

「では、より広く公知するという条件についてですが。全国紙の一面を使っての広告という要望は撤回します。ですが、公知という面から、その条件をすべて撤回することは考えられません。全国紙の広告欄の一つ、たとえば新刊案内の一枠程度での謝罪と訂正ではどうでしょうか?」

 今度は、文部省の人間と弁護士がなにごとかを囁いた。

「了解しました」天下り教官側の弁護士が答えた。「では、あとの実務はこちらのそれぞれの方が行なうとして、双方の合意は取れたということでよろしいでしょうか?」

 そこにいた全員がうなずいた。

「では、取り纏めの文面は一先ずこちらが作成しますが、よろしいですか?」

 助教授の横の弁護士が言った。

「えぇ。もちろん」

 相手の弁護士は立ち上がり、手を伸ばしてきた。助教授の横の弁護士も立ち上がり、握手に応えた。

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