#6

 その日の夜。

 家に帰ってからいつもと同じように過ごして寝る準備を整えた立夢。その胸元には、夕方に会った不思議な男、猿渡から受け取った御札が貼られていた。

(肌身離さず持っていた方が良いなら直接肌に貼っても問題ないよね)

 猿渡の予想に反して、得体の知れない物でもためらいなく身に着ける立夢であった。

 立夢は姿見に映った自身の姿を見やる。

 寝間着への着替えに合わせて御札を胸に貼ってみたが、感じるのは紙の質感だけで他には特に変わった感じはしない。

(本当に効くのかな……まあ、ここまで来たらなるようになれ、か)

 寝間着の前を閉じ、ベッドに横たわる立夢。微かに聞こえる蛙の鳴き声を子守歌に、その瞼はゆっくりと閉じていった。

 やがて物音一つ無くなって、夜が静かに更けていく。

 草木も眠る丑三つ時。唯一の光源が街灯のみとなった住宅地を闊歩するものは何もいない。

 静寂の中、枕に頭を預ける立夢だったが、次第にその表情は苦悶に歪み、額には玉の汗がいくつも浮かび始めていた。

 息苦しい。

 気管を何かに絞められているかのような圧迫感があって、うまく肺に空気を取り込めない。

 体勢が悪いのかと思い、寝返りを打とうと試みるが、金縛りにでもかかったように身動ぎ一つできない。

 危機感を覚えて目を開ける。

 視界に入り込むのは、普段と変わらない自分の部屋の天井だ。首が動かせないので視線だけ動かしてざっと確認する形になったが、見える範囲で部屋の様子に異変は無い。しかし、異常を目視できないことが今は逆に不安を煽る。

 原因不明の奇病か、はたまた本当に悪霊の類いの仕業なのか。確かめる術を知らない立夢にはどうすることもできない。只々このまま無事に症状が治まることを祈るしかない。

 だがそれもむなしく、症状は悪化する。今度は背中に焼けるような熱さを感じる。肘や膝を擦りむいたときのような痛みが、背中全体を覆う。苦痛から滲み出る汗の量が増し、滝のように肌を流れ落ちていく。

 背中の熱に反比例するように、立夢は自身の体温が急激に下がっていくのを感じた。同時に、自分がこのまま死んでいくという予感も強まっていく。

(わたしはこのまま死ぬのか……短い人生だったなぁ)

 朦朧としていく意識の中、立夢の目の前には走馬灯のようにこれまで自分が歩んできた人生の情景が浮かび上がってきていた。

 小学生の頃からおとなしくて教室で一人でいたところを、同じクラスの女の子が一緒に遊びに誘ってくれている。この女の子とは互いにあだ名で呼び合うくらいに仲が良くて、中学校に進学してからもその関係は続いた。

 身長が急に伸びだしたのは、中学校に入って二年目が始まる辺りだったか。周りの女の子が着ていたような服は自分には似合わなくなってきて、私服が段々と大きめのジャージばかりになっていったのもこの時分からだった。家族が父一人という片親の家庭だったこともあって、なるべく金銭的な負担をかけないようにしようという考えもあったけれど。

 高校は推薦で入れたので早めに進学先は決まったが、小学校からの親友含め、仲の良い友人とは離れ離れになってしまった。そして、高校生になってからは昔のようにまた一人でいることが増えたけれど、化学室で共に作業していた少し変わった女の子と友達になることができた。これは最近の記憶だ。

 しかし、ここまで記憶を振り返った立夢の胸中に、地面に空いた穴のように存在感を主張するものが残る。

(何かを忘れてるような気がするけど……何だっけ?)

 こんな状況で気にすることではないのかもしれないが、とても大事なものがぽっかりと抜け落ちているような、そんな空虚感があった。

 足りないピースが何なのか思い出そうとする立夢。だが、脳に供給される酸素が不足しているせいで思考がまとまらない。

(駄目だ……もう、意識が……遠く……)

 そして、結局何も思い出せないまま、立夢の意識はそこで途切れてしまった。立夢がその手にスマホを、結び付けた小春からのプレゼントごと握りしめていたことに気づいたのは、意識が無くなる直前だった。

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