#4

 それからというもの、立夢は学校にいるうちの多くを小春と一緒に過ごしていた。

 元々口数の少ない二人だったので最初の頃はそれほど会話らしい会話はなかったが、次第に小春が積極的に話題を見つけては立夢に持ちかけるようになり、一週間が経過する頃には、友達になる以前に漂っていた微妙なギクシャク感が跡形もなくなるほどに打ち解けていた。むしろ距離感が縮まりすぎたのか、小春は立夢の分の弁当まで作ってくるほどである。分量を間違えて作りすぎてしまったというのが小春の言い分だが、どう見ても意図的に二人分の量を作ってきており、立夢も流石にそこまでしてもらうわけにはいかないと断ろうとした。しかし、その弁当のあまりの美味しさに虜になってしまい、結局言い出せないままずっとご馳走になっているという始末。とりあえずどちらにも大きなデメリットは生じていないので、この案件については立夢の中では今のところ保留になっている。

 立夢が小春と付き合い始めてわかったことがあった。それは彼女が思ったより普通の女の子だったということだ。

 ここで言う普通とは、年相応の女の子らしい振る舞いをするという意味ではない。そもそもそんなものは立夢にもわからない。そうではなくて、人として非難、もしくは忌避されるような異常性はなかったということ。勿論、本来あっては困るものであり、基準も立夢の主観によるものでしかない。ただ、最初のやりとりからしてその辺りはやはり気になってしまうもので、始めの二、三日はそういった素振りがないか無意識のうちに注視していた。だが、言動や行動に多少の謎はあれど、立夢の主張を無視してでも無理矢理にああしたいこうしたいといったことは皆無だった。小春を少しでも疑っていた己の愚考を立夢は恥じる。

 ともあれ、立夢と小春の関係は良好で特に問題は無いように見えた。

 そして現在。二人が友人となってから二週間が経とうとしている。

 場所は学校の体育館。立夢たちのクラスは体育の授業でバドミントンをしていた。

「えいっ!」

 小春は手に持ったラケットで飛んできたシャトルを打ち返す。

 高く打ち上がったシャトルはネットを越え、すでに着弾地点へと移動していた立夢の頭上へ。

 落ちてくるシャトルの動きに合わせて立夢は大きくラケットを振りかぶり。

「よっ」

「ひっ!」

 力任せに振り下ろされたラケットに弾かれたシャトルが小春の足元に叩きつけられる。シャトルの勢いに驚いた小春は体を強ばらせてしまい、まったく動けずにいた。

「おっと。大丈夫?」

「あ、はい……立夢さんってバドミントン、お上手なんですね」

 シャトルを拾いつつ、小春はネット越しに賞賛の言葉を送る。

「いやいや。こんなの技術のぎの字もないただのパワープレイだから。体格の分、威力はあるかもしれないけど」

 小春から返されたシャトルを受け取り、立夢はサービスの構えを取る。

 立夢は息を整えて、シャトルを手放し、ラケットで弾こうとした矢先。

「う……?」

 強烈な目眩に突然襲われ、耐えられず立夢はその場に崩れ落ちる。

「り、立夢さん!?」

 いきなり倒れ込んだ立夢に驚いて、小春は駆け寄って名前を呼ぶ。しかし青白い顔をした立夢は呼吸をするのに精一杯で、小春の声に反応する余裕さえない。

 周囲の生徒も立夢の異常に気づいたらしく、徐々に体育館が不安げな声でざわめきたつ。

「先生」

 そんな中、それほど大きくはないのに不思議とよく通る声が響く。

 小春が振り返ると、いつの間にか一人の女生徒がそばに立っていた。

「有楽島さんの体調が悪いみたいなので、憂沢さんと一緒に保健室に連れて行きます」

 状況を把握する前に宣言されて体育教師は一瞬渋い表情を浮かべたが。

「まあ、倉崎くらざきなら大丈夫だろう」

 と、教師としてはやや無責任な発言を呟いて、その倉崎という名の生徒の要求を承諾した。

「さて、行きますわよ」

「え……あっ、はいっ」

 立夢に肩を貸す倉崎に促されて、小春も反対側で立夢を支える。立夢は辛うじて意識を繋ぎ留めながら、二人とともにゆっくりと体育館を後にした。

 静かなリノリウム張りの廊下をしばらく進み、三人は保健室の扉を開く。

「……どうやら今は誰もいないようですわね。とりあえず、空いているベッドを貸してもらいましょうか」

 倉崎は立夢を保健室に並ぶベッドまで連れてくると、そっと寝かせた。

「加減はいかがですか?」

「……目の前がぐらぐらする」

 移動している間に、なんとか周りに意識を向けられるほどには体調を持ち直した立夢。その顔は相変わらず血の気がなく、脂汗をいくつも滲ませていたが、聞こえてきた声に返答することはできた。

「そうですか。ここ最近は少し体調が優れないように見えましたが、何か心当たりはありますか?」

「え? そうだったんですか立夢さん!?」

 倉崎の言葉に真っ先に反応したのは小春だった。

「憂沢さん。貴女はこのところよく有楽島さんとご一緒していたようですけれど、彼女の変化にまったく気づかなかったのかしら? それとも、貴女が原因?」

「それは……」

「ちょっと待ってくれるかな……」

 小春に詰問する倉崎を立夢は呼び止める。

「交友もないのにわざわざ保健室まで連れてきてもらったのはありがたいけど、わたしの体調不良はわたし自身の体調管理の甘さが招いたことだから。だから、憂沢さんに強く当たるのはやめてもらえるかな」

「強く当たっていたつもりはありませんでしたが、そう聞こえたならお詫びいたしますわ。ごめんなさいね、憂沢さん」

「い、いえ……」

 倉崎の謝罪を受けても、小春の表情は暗いままだった。

「そ、そこまでお気を悪くさせてしまったかしら……?」

「あ、そうじゃないですっ……有楽島さんと一番仲が良いつもりでいたのに、弱っていることにも全然気がつけなかったのがとても情けなくて……」

「そんなに気にすることないと思うけどなぁ。わたしだって、今言われて初めて自分がずっと体調が悪かったのに気づいたし」

「それはそれで問題だと思いますけど。あとまだ顔色が悪いですし、ちゃんと寝ていなさいな」

 起こしていた上半身を倉崎に優しく倒される立夢。

「うん、ごめん。えっと……」

「倉崎です。フルネームは倉崎安来豆あらいずと申します」

「倉崎……アライさん?」

「安来豆です」

「あ、ごめん」

「クラスメイトなのに名前覚えてないんですの?」

「普段話したりしない人の名前を覚えるのはどうにも苦手でね。ところでもう一つ聞いといてもいいかな?」

「なんですか?」

「いつからわたしのこと見てたの?」

 立夢の質問に、それまで流暢に言葉を発していた倉崎の口が止まる。

「今まで話したこともない人間の体調変化がわかるってことは、相当長い時間見てたんじゃないかと思うんだけど。合ってる?」

「……ええ、その通りですわ」

 観念したように答える倉崎の声は重い。

「有楽島さんのことはひと月ほど前から見ていました。ですが、それは憂沢さんに関しても同様です」

「私もですか?」

 驚いた表情の小春に対して倉崎は頷く。

「その頃のお二人は誰とも会話をせず、失礼な言い方になりますが、クラスの中でも少し浮いていましたので」

(やっぱり浮いてたのか……)

 クラスにまだ友だちのいなかった頃を立夢は振り返る。今となってはかなり昔のことのように感じる。

「もしやわたくしのクラスでいじめでも起きているのかと不安になり、しばらく学校での様子を見させてもらいましたわ。どうやら杞憂のようでしたけれど……杞憂ですわよね?」

「私は特には……」

「わたしも思い当たる節はないかな」

「それなら安心しました。お二人とも仲良くやっていらっしゃるようですし、わたくしが心配するようなことはなさそうですわね」

 安堵する倉崎を見て、立夢はふと疑問に思うことがあった。

「倉崎さんって、なんでそこまでわたしたちのこと気にしてるの? ただのクラスメイトにしては、やけに踏み込んできてない?」

「……ご迷惑でしたか?」

 質問には答えず、逆に不安げな顔で尋ねる倉崎。

「わたしは別に迷惑ってほどじゃないけど」

 そう言って立夢は小春の方を見る。小春も同意見らしく、頷いている。

 二人の返答に倉崎はそうですか、とだけ言って、そこから先は何も語らなかった。立夢も気にはなったが、倉崎の話したくなさそうな雰囲気と、自身の体力の限界が近づいてきたために、それ以上の追求は諦めた。

 それからしばらくして、職員室から戻ってきた保健医に貧血と診断された立夢は、午後を保健室で寝て過ごした。目が覚めた時にはもう放課後で、立夢は一度教室に戻ると、待っていた小春と言葉少なに会話した後、気怠さの残る身体で帰途につく。

 自分のことでいっぱいいっぱいだった立夢はこの日、家にたどり着くと軽く体を洗い流して早々に就寝した。

 記憶の片隅に消え去ってしまった保健室での倉崎とのやりとりを思い出すのは、諸事情あってそれからしばらく先のこととなる。

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