#3

 勢いを増した雨のような、細かくタイルを打つ水音。

 肌を伝って床に流れ落ちた湯水は一所を目指し、たどり着くと溜まらずにより深きに消えていく。

 朦々と立ち込める湯気の中。

 学校を終えて自宅に帰宅した立夢は、汗を洗い流すために浴室でシャワーを浴びていた。

 手早く髪を洗い、体の汚れも落とし終えるとシャワーを止めて、お湯で満ちた湯船に足を入れる。湯加減は良さそうだ。

 熱が体の奥まで染み込んでいくのを感じながら、立夢はゆっくりとその身を沈めていく。内容量が増えたことで、浴槽からお湯が溢れ出た。

「ふう……」

 肩まで湯船に浸かった立夢は、体内から絞り出すように空気を吐き出す。肺から押し出された空気と一緒に、一日の疲れが霧散していくような気がした。

 背中を浴槽に預けて何の気なしに天井を見る。冷えた湯気が水滴となって幾つも垂れ下がり、投下の時を今か今かと待っていた。

 その中でも先陣を切って落ちてきそうな雫を見つめながら、立夢は今日の出来事を振り返る。

 いつもは学校の授業内容が主に回想の中心だが、今日はそれに加えて新たな交友関係を結んだ彼女のことも考えていた。

 小春に対して立夢が持つ印象はこうして時間がたった今になっても相変わらず、良くも悪くも変わった娘であったが、それなりに付き合いやすそうにも立夢には思えた。少なくとも、あまり感情を表に出そうとしない自分よりは。

 情緒不安定だと思う反面、あんなに感情豊かな動きができる小春のことを、立夢は羨ましく感じる。いつからか、目に見える感情表現を無意識に抑えるようになったせいで、なかなか相手に理解されないことで苦労してきた経験があるからだ。できるなら彼女の表現力を半分くらい分けてほしい、と立夢は半ば切実に願う。

(分けると言えば……)

 立夢は脳裏に小春の立ち姿を思い浮かべた。自分よりやや小柄な身長。肩の下まで伸びる長い髪。眼鏡と毒気の無い、よく見れば愛嬌のある顔。

 そして、一際目を引く豊満な胸。

 立夢は己の胸部に手を持っていく。同年代の女子の平均値より少し小ぶりなサイズ。擦れたり肩が凝ったりと大きくてもデメリットが多いとは聞くが、それでもせめて一般的な大きさは目指したいというのが立夢の自身の胸に対する希望である。それがあんなたわわなものを見せつけられては多少、分配を要求しても無理からぬことだ、と立夢は虚空に向かって弁明した。

(わたしの場合はたぶん、身長に栄養のほとんどを持っていかれてるんだろうな)

 今の立夢の身長は同年代の男子の平均値ほど。しかも僅かにではあるが、未だに伸び続けている。

 この身長と控えめな胸囲、さらに普段着は飾り気のないジャージときたものだから、立夢を初めて見たときに男だと思った人も少なくない。立夢が胸に若干のコンプレックスを抱く原因の一つもそこにあった。

(……なんか切なくなるから胸のこと考えるのは止めよう)

 別のこと別のこと、と思考を努めて切り替えようとする立夢。

(そういえば、あのストラップ……)

 そこで小春からプレゼントされた猿のストラップのことを思い出す。ストラップの猿は座禅を組んでおり、神妙な顔で黙していた。意外と丁寧な作りをしていたが可愛らしさは皆無で、ストラップとしてはなんというか、少なくとも女子向けではない。せっかくもらったものなので一応、スマホに結びつけてはあるが。

(憂沢さんの趣味なんだろうか……明日聞いてみよう)

 一つ明日の予定が決まって立夢は気づく。

(友だちが一人できただけで色々と変わるものなんだなー……)

 小春と友達になってからまだ一日と経っていないが、立夢はすでに日常に変化が生じていることを実感する。今までと比べて生活がより色づいたような、立夢にはそんな気がしていた。

(……ちょっと嬉しいかも)

 なんだかふわふわとした気分になってくる立夢。このまま頭まで湯船に溶け込んでしまいそうだ――。

 そこに天井の水滴が顔に落ちてきたことで立夢は我に返る。

(物思いにふけすぎて長湯してしまったな)

 湯船から立ち上がると虚脱感と目眩が立夢を襲った。ふわふわしてきた辺りからもしやとは思ったが、やはりのぼせたらしい。

 熱冷ましにアイス食べよう――そんなことを考えながら、立夢はふらふらとした足取りで風呂からあがるのだった。

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