工作


(M.A.I.N.基地・地下通路) 


作業メイルの一段とすれ違ったあと、三人が主通路をさらに進んだところでワイトが立ち止まった。壁の両側にはいくつかの起伏があり、その奥に通路がつながっているらしい様子が見える。


「ここからは、少し特殊なルートを行く。このまま進めば生産工場まで降りていけるが、工場に近づくにつれて遭遇する作業メイルやエイムの数も増えるし位置も下過ぎる。メンテナンス用の通路を使って脇にそれよう」


「考えてみれば、ここではメイルもエイムも仲良く一緒にいるのね」


「仲良くと言う表現は適切ではないだろう。旧型の作業用メイルも、遠隔制御状態にあるエイムも、どちらも自意識のない存在だと言っていい。自我のない働き蟻と兵隊アリが巣の中にいるようなものだ」


ワイトがそう言って通路脇のシャッターを開けた。特に何かを操作した様子はないが、シャッターはするすると上がっていく。


「セキュリティに問題のない場所は作業マシン共通のキーコードで開くだろう。それで開かないドアは、逆に静かにこっそりとは通れない場所だ」


「ねえワイト、もしも私たちがこの作戦に参加せず、アクラが最初のあなたのプラン通りに、武器と装甲を頼りに突っ込んでいく方法を取ってたとしたら、あなたは、アクラがM.A.I.N.を停止させた上で無事に脱出できる可能性はどのくらいだと考えていたの?」


「停止を成功させた後、さらにアクラ自身も無事に脱出できる可能性で言えば、16パーセントから28パーセントの間だ。ただし計算の根拠はきわめて希薄だが」


「それは希望的観測っていう意味かしら?」


「そうとも言える。良い方でも悪い方でも、現実は何が起こるかわからない。単に数字だけで言えば、このゲートに配備されている守備用のエイムを全部並べたら、アクラがまったく反撃を受けずに一体に一撃ずつレーザーを照射していったとしても、 半分も倒さないうちに体内のエネルギーが尽きる。

ただしアクラのボディと装甲は非常に丈夫だし、この通路と資材置き場の環境を上手く使って戦えば、相手にするエイムの数はぐっと少なくなる算段だった」


メンテナンス通路の中に踏み込むと、そこには環境光がないようだった。表の通路からかすかに照らされている入り口以外、奥の方は真っ暗だ。


「真っ暗ね」


「メンテナンスマシンは、そもそも照明のあるような環境で活動しないから、こういう場所には環境光が用意されていないところも多い。正確に言うと、ここはもう通路ではなくて配管設備の一部なのだ」


「エミリン、ここからは暗視装置を使いましょう。ライトで照らすより、その方がイザと言うときに良さそうだわ」


ジャンヌとエミリンは、首から下げていたゴーグルを頭に被って進み始めた。

もちろんフギンとムニン、ワイトにはそんなものは必要ない。

一度だけ、小動物のような大きさのメンテナンスマシンが通りすぎたが、大きなものには何一つ出会わないまま進んでいった。


沢山の交差点と曲がり角を過ぎて、ワイトがどんどん進んでいく。

最初のうちはジャンヌも道を覚えておこうと努力していたが、半マイルも進まないうちに諦めた。

上陸調査用の慣性航法レコーダーを持っていても、帰り道をワイトなしで迷わずに出ることは難しそうだ。


そうして、おおよそ1マイル近くを進んだころに、エミリンがゴーグルを通して遠くにぼんやりと見える起伏のようなものを指さした。


「あれは?」


「あれがM.A.I.N.中枢の置かれたフロアまでの通信ケーブルや冷却水路が通っているコアだ。私たちはすでに、M.A.I.N.中枢の置かれた大空洞の範囲に入り込んでいるので、ここからのルートは割と直線的だ。逆に言うと逃げ場もないが、あの中に入れれば主要な関門は突破だ」


そこから三人はさらに400ヤード進んで脇道へ入った。


ワイトがシャッターを一つ開けて、あまり広くない空間に入り込む。

何のための部屋かはわからないが、機械室の類いであることだけはわかる。

ワイトは部屋の壁の一角に近づくと、マニピュレーターを出して壁面に埋め込まれていたハッチを開いた。

ハッチは二人が並んで中腰で潜り込めるぐらいのサイズがあるが、奥にはさらに大きな空間が広がっていた。


「これも、この部屋に置かれている補機類に火災が発生したときのための排気ダクトの一部だ。ここから入り、ダクトの中を進んで『木の根』の集合部までたどり着けば、そこから別のルートへ降りることができる。

ただ、ダクトの内部にはステップや梯子に相当するものは何もないので、下までの50フィート程の距離を飛び降りなければならない」


「さすがに50フィート落ちたら死ぬわね」


「私やベイムズは、ここで待っているしかない。この先はジャンヌとエミリンが頼りだ。打合せ通りに頼む」


「わかってるわ。フギン、ムニン、ここで大人しく待ってるのよ?」


ジャンヌにそう言われたフギンとムニンが、気のせいか、かすかに体を動かしたように思えた。これも、うなずくという動作の一つなのだろうか?


ワイトが念を押す。


「君たちの活動が始まれば、異変を検知したM.A.I.N.が、この通路へ武装したエイムたちを送り込んでくる可能性もある。私もベイムズも反撃は不可能だから、エイムたちが押し寄せてくる前にアクラが救援に来てくれなかったら、そこで終わりだ。どうであれ、君たちが上がってくるまで私はここにいる」


「ワイト、一つお願いがあるの。そんなことができるかどうかはわからないけど」 とジャンヌが急に静かに言った。


「なんだろうか?」


「もしも、私たちが二度と戻ってこれないだろうとはっきりしたら、なんとかフギンとムニンがアクラやオマルと一緒に逃げられるように図ってあげて」


この二人に関しては、ジャンヌもアクラと同じように、自分たちが本人たちの意志に関係なく引っ張り込んでしまったという感覚を持っていた。

M.A.I.N.基地に侵入した一行の中で、『自分の意志』でここへ来たと言えないのは、この二人だけだ。


「わかった。約束はできないが努力する。滑って転ばないように気をつけてくれ。排気ダクトの内側は全体がフッ素系樹脂で耐熱コーティングされている」


「ありがとう。その話を前提に選んだブーツだから大丈夫よ」


「じゃ、フギン、ムニン、行ってくるね!」 エミリンがそう言って二体の頭部に代わる代わる抱きついた。


ワイトの前腕を足場にして、二人が順に排気ダクトに入り込んだ。

ワイトが装備を入れた二人のバックパックをダクトに入れ、ジャンヌとエミリンが腰に付けたハーネスにロープの先端をフックした。

ロープの反対側の末端は、いざというときは引っ張れるようにフギンの作業腕に固定してある。

ロープはきわめて軽い高分子製だが、それでも全長500ヤードのロープは50ポンド近い重量になる。

体格のいいジャンヌでもさすがに担いで歩くにはこたえる重量だった。


「行きがけは、装備の重量で足下をふらつかせないように。特にロープに足を引っ掛けないよう注意してくれ」


「荷物が重いのはほんの数百ヤードよ。たいしたことないわ。じゃ、行ってくるわね」


「頼んだ」


二人を排気ダクト内に送り込んだワイトは、後ろを振り返った。フギンとムニンはそのままの位置で大人しく止まっている。


「君たちも二人が心配だろうが、私も同様だ。ここで良い知らせを待つための準備をしておこう」


そう言って、マニピュレーターでムニンのシートからエミリンのドローン制御用ポータブルコンソールを持ち上げた。


「さあ、練習通りに上手く飛ばせると良いのだが...」


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(M.A.I.N.基地・排気ダクト)


ジャンヌとエミリンは低く腰をかがめて真っ暗な排気ダクトの中を進み、最初の集合管の分岐点まで来ていた。


足下に真っ暗な大きな口が開いている。

この『根』は、まだ違う。


ワイトに教えてもらったルートをたどり、三つの開口部を通り抜けた先の突き当たりに、目的の『根』があるはずだ。

ジャンヌは屈みこむと慎重にパイプを開口部の上に渡した。三本のパイプを樹脂製ジョイントで平行につないであり、桁のような構造にしてある。


パイプの長さは対角線分あるので、開口部にまっすぐ渡せば落とさずに済む。

ジャンヌはそれを開口部の上に渡して即席の橋を造り、床に置いたパイプの端がずれないように、吸着テープで軽く仮止めする。


「さあ、渡るわよ」


ジャンヌが先に渡り始めた。


エミリンは後ろでパイプを抑えて揺れを防ぐ。暗視装置のゴーグルがなければ一発で踏み外すだろうが、そもそも真っ暗で下が見えにくいのは幸いだ。

これを踏み外したら50フィート下まで真っ逆さまだ。五階建てのビルの上から落ちたら、さすがにただでは済まない。


ジョイント部分を慎重に踏んでいく。ジャンヌが渡り終えて向こう側でパイプを抑える。次はエミリンの番だ。


「落ち着いて、エミリン。ジョイントを一定のペースで踏んでいくのよ」


そろりそろりと渡り始めたエミリンも最初の数歩はおっかなびっくりだったが、無事に渡り終えた。ジャンヌがパイプの端を握って強く引っ張ると、吸着テープが剥がれてパイプを回収できた。


二人が使っている吸着テープは、シティの公園でよく見かけるヤモリの足の構造を模したようなナノスケールの吸着ブラシが一面に埋め込まれた固定用のテープだった。

粘着剤や接着剤ではなく、構造自体が持つ分子間力を主体にして相手にくっつくので、このダクトのように粘着剤や吸盤が役に立たない場所でも、それなりの固定力を発揮することができる。


「オーケー、この調子で行きましょう」


エミリンが無事に渡り終えると、ジャンヌは壁にマーカーで開口部の位置をマークした。これは帰り道の目安だ。


足下の奈落に注意しながら残り二つの開口部を無事に通り抜け、突き当たりまで到達した。ここの開口部は通路全体が九十度に折れ曲がった構造で、向こう岸がない。


ジャンヌは開口部の間際に立ち、ここまで背負ってきたロープの残りをすべてダクトの中に落とし込んだ。

ロープがシュルシュルと音を立てて暗闇に飲み込まれていき、ジャンヌの手にロープの重さがかかる。


このロープの反対側はフギンの手に結んである。

振り向いて、床に伸びているロープの余長をすべて引っ張りきると、ロープが入口に向けてピンと張ったのがわかる。

二人が入ってきた入口は、遙か彼方でぼうっと光る白い点にしか見えない。


ジャンヌはロープに体重を掛けてみて、不意に伸びたりしないことを確認すると、降下速度を調整するためのクライミング用昇降機に、ハーネスからロープを通す。

ムーンベイで練習するときは、高いもみの木の上から降りたりもしたが、暗い穴蔵の底に降りるのは、物理的な高さとは関係ない怖さがある。


「エミリン、ゆっくり降りるわよ。ロープに手足を挟まれないように気をつけて」


「わかった」


エミリンがそっとロープから手を離して後ろに下がった。

ジャンヌはパイプ桁を背負うと穴の方に足を向けて床に腹ばいになり、少しずつロープを伸ばしていく。

やがて、ジャンヌの腰から下が縁からはみ出て、穴の中にぶら下がった。そのまま昇降機を操作して、ジャンヌは体を穴の中にゆっくりと落とし込んでいく。


「もう大丈夫、これで安全に降りられるわ」


エミリンが暗闇の中でふーっとため息をつく。ロープにぶら下がったジャンヌの姿は見えず、昇降機を操作して降りていくときの、かすかな音が聞こえてくるだけだ。

そのまま待っているとジャンヌが合図してきた。


「いいわよ、エミリン。あなたもロープにぶら下がって。さっき、私がやって見せたみたいに、ゆっくり慎重にね」


エミリンもいったんダクトの床にしゃがみ込んでハーネスと昇降機にロープを通すと、両手でぎゅっと昇降機を握ってからダクトの中に体を落とし込んだ。

エミリンがきちんとダクトの端からぶら下がったのを確認して、ジャンヌはロープの端に手をかける。


「最初はゆっくり、すこしずつよ」


「うん」


エミリンが昇降機のレバーを緩めると、ずるずるっと体が滑り落ちる。昇降機の中は一定以上の速度ではロープが動かないようになっているので、手放しになってもスピードが付いて落下する心配はない

エミリンが慎重にレバーを握って緩めて、を繰り返しているうちに、いきなり、トンっと床に足が付いた。ようやく50フィートを降りきったらしい。


「暗闇の中に降りていくのは気持ちのいいものじゃないわね、これは。ま、仕方ないけど」


「ちょっと、あの尾根のことを思い浮かべちゃった...」


「大丈夫よ。さ、行くわよ」


降りた場所も真っ暗だが、ここから両側にダクトが伸びていた。

排気ダクトM.A.I.N.中枢のさまざまなハードウェアが置かれている部屋へと伸びており、二人が下り立った場所から正確に56ヤード先で給水路と排気ダクトが平行に走る部分になっているはずだ。


ジャンヌはバックパックから細い巻き尺を取り出すと、その端を降りてきた垂直ダクトの縁の位置にあわせて吸着テープでしっかり留めた。

そのまま巻き尺を持って目的の方向へ慎重に進む。


巻き尺にたるみを作らないように注意しながら進んで、二人は56ヤードのところで止まった。


「ここね。...悩むよりさっさと、やってみましょう!」 


ジャンヌが切り取る範囲の目安をマーカーで線を引く。


エミリンがバックパックからレーザーカッターを取り出した。

小型で大した出力はないが、ワイトはこれでダクトと冷却水誘導路の金属板が問題なくカットできると判断していた。


レーザーカッターの出力を最大値にセットし、ジャンヌが引いた線を狙ってトリガーを引く。

青緑色をしたレーザーが照射され、そこが赤く変色した。

そのままレーザーを当て続けるとオレンジ色に変色した金属がまぶしく発光し、溶けたチーズのように盛り上がるが、いまは暗視装置のゴーグルが逆に目を守ってくれる。


エミリンはゆっくりとレーザーを動かして、ジャンヌの引いた線を慎重にトレースしていった。


五分ほどかけて人間一人が出入りできるほどの穴を綺麗に開けることができた。レーザーのパワーはまだ三分の二以上も残っている。

水筒の水を切り取った周囲に振りかけて少し温度を冷まし、ダクトの外を伺う。周囲はダクトの中に較べると、若干の環境光があるようだった。


ダクトの穴から地面まではたった3フィートほどだ。

二人の頭上には排気ダクトよりもはるかに細いパイプが並行して走っている。誘導水パイプと排気ダクトの距離は半ヤードもない。

これならワイトの話し通りに作業できそうだった。問題はこの系統の給水路をいったんストップさせないといけないことだ。


ジャンヌがバックパックからワイトの設計による超音波プローブを取り出した。基本はスピーカーと音響再生回路を組み合わせただけのシンプルな装置だが、可聴範囲をはるかに超える超音波エコーを出すことができる。


ジャンヌはこのスピーカー部分を誘導パイプの外側に吸着テープで貼り付けるとスイッチを入れた。

二人の耳にも、不快な響きが聞こえてくる。


微妙にパターンを変えながら、その不快な響きはパイプを共鳴させているようだったが、ジャンヌは我慢して誘導パイプに手を押し当て、誘導パイプ内の水の流れを感じ取ろうとしていた。


しばらくすると、ジャンヌが興奮した面持ちでエミリンに振り向いた。


「止まったわ! 本当に水が止まったわよ!」


「やった。すごい!」


「急ぎましょう。このエラーが誤診だとメンテナンスシステムが気付くまでに、どれほどの余裕があるかはわからないわ」


ここからは時間との勝負であると同時に、丁寧な作業も要求される。

まずは、誘導水のパイプをカットして穴を開ける必要がある。


エミリンは再びレーザーカッターを手に取り、水の止まった誘導水パイプに穴を開け始めた。誘導水パイプの方が金属が肉厚なようで、なかなか切り進めない。

ジャンヌもだんだん焦ってくるが、こればかりはどうしようもない。はらはらしながらエミリンの作業を待つばかりだ。


それでも、なんとか先ほどの五割増しほどの時間で穴を開けることができた。水筒の残りの水をありったけかけて切り口を冷まし、すぐに次の作業に取り掛かる。


ジャンヌは行きがけに『根』の穴を渡るのに使った樹脂製パイプの桁を、二つのパイプに開けた穴と穴の間に橋のように差し渡した。


エミリンはその上に四つんばいで乗り、濡れた誘導水パイプの中に潜り込む。そこでバックパックから取り出した筒状のファイバーシートを広げ、穴の周囲に吸着テープで丁寧に留めた。


綺麗にシートを広げながら、穴の周りをふさぐようにシートを広げていく。パイプの内面がびっしょりと水に濡れているせいで吸着テープが強力に吸い付き、むしろ作業がはかどるのが助かった。


隙間なくぴったりとシートを敷き詰めたことを確認すると、その上から速乾性の樹脂を塗り始めた。大きなチューブ型の容器から液状の樹脂を搾り出し、シートに染み込ませていく。

この樹脂はすぐに固まるので素早い作業が肝心だ。

エミリンはシートの縁にたっぷりと樹脂を振りかけ、穴を開けたパイプの内側に固定した。排気ダクトの中ではジャンヌもシートの反対側に同じ作業をしている。


エミリンは最初に塗った樹脂がおおよそ固まってきたことを確認し、誘導水パイプから撤退しつつ、ファイバーシートの内側全周に樹脂を丁寧に染み込ませていく。

六本分のチューブを消費しながら、数分がかりでエミリンが排気ダクトに撤退し終えたときには、誘導水パイプから排気ダクトへの急ごしらえの分水ルートが見事にでき上がっていた。


ファイバーシートに染み込んだ樹脂が完全に固まると、ボートの船体にしても差し支えないほどの強度が生まれる。

超高強度のパラアラミド繊維で織られたシート自体も縫い目のない筒状だし、下に敷いた高強度のパイプの桁が支えになって、かなりの高水圧にも耐えてくれるはずだ。


「これでいいわね。あとは....幸運を祈るしかないわ」


さすがのジャンヌの声にも緊張が感じ取れるが、何か一つでも計算違いがあれば即溺死なのだから無理もない。


「うん。きっと上手くいくよね」


「ええ大丈夫、私たちはこんなところで死んだりしないわよ。泣く子も黙るオーバーナインズなんですから!」


「うん、本当にジャンヌと一緒だと何でもできる。きっとこれからも」


「さ、行きましょう」


ふたりはバックパックを持ち上げると、足早に降りてきた場所まで戻った。降りてきたときに使ったロープに、再びハーネスのカラビナをセットする。


昇降機を使って50フィートを登ることもできない相談ではないのだが、これだけ滑りやすい内壁だと、壁に足を掛けながら登るというわけにはいかない。ほとんど手の力だけでロープを伝ってよじ登っていくことになってしまうから、訓練されたクライマーではない二人には難しい話だ。

時間も掛かるから、水流が復帰するまでに間に合わない可能性もある。


ジャンヌとエミリンの、というかワイトのプランはもっとシンプルだった。

二人は急いでスレイプニルの備品のライフジャケットを身に着けてガスを膨らませる。


「来たわ!」 ジャンヌが叫ぶ。


エミリンの耳にも、地響きのような地鳴りのような音が聞こえてきた。

超音波エコーが引き起こしたエラーが誤作動だったことに制御システムが気がついて、水流を復帰させたのだ。

コアの中を通る給水路に水が溢れ、それをM.A.I.N.ハードウェアの冷却システムに導く誘導水パイプにも流れ始める。


暗闇の中に立つ二人が見守る中で、56ヤード先のシートで固めた導水路にも水が流れ落ち始めた。やがて、見る間にその水の勢いが激しくなり、鉄砲水のように排気ダクトの中に吹き出し始める。すぐに足下にも水が流れ込んできた。


ジャンヌは自分の腰のハーネスに付けたロープの先のカラビナを、垂直なダクトの壁面のできるだけ高い位置に、吸着テープで頑丈に貼り付けた。

これで体重をぶら下げることは不可能だが、水に流されないように支えることぐらいはできるだろう。

ライフジャケットで浮かぶほどの水深が溜まる前に、水流に足元をすくわれて水平ダクトの彼方に流されてしまったら、そこでアウトだ。


その時、遠くで金属的な擦過音が響いた。異常を検知した防炎シャッターが閉じたのだ。


ジャンヌとエミリンは、その状態でしっかりと手を握りあってチャンスを待ちつづけた。


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(M.A.I.N.基地・機械室) 


ワイトは、器用にドローンを操って通路を逆戻りさせていた。


通路の中は真っ暗闇だが、ドローンはマイクロ波のレーダーと赤外線で周囲の状況をディスプレイに送ってくる。

しかし、ワイトにしてみれば自分が通ってきた場所の空間座標をミリ単位で把握しているので、ほぼ、それに沿って飛ばすだけで、なんなく主要通路へのシャッター裏までたどり着くことができた。


ワイトにしてみれば、ドローンが半自律制御で飛行姿勢を保ってくれることの方がありがたかった。これがなければ、きっと途中で一度や二度は床まで墜落させていたに違いない。


予定通りに水流が排気ダクトに入り込んで騒ぎになれば、このシャッターは間違いなく誰かが開けるはずだ。

ぎりぎり騒ぎになるまでは静かに目立たないよう行動し、いったん騒ぎになれば可能な限り迅速に...それがいまの行動規範だ。


シャッターの裏にドローンを着地させると、続けて二機目を発進させた。


二機目も同じように操って主通路の近くまで飛ばすが、そこからは逆方向にメンテナンス通路の再奥部へと向かわせる。

これは囮にするつもりで、ポータブルコンソールからのリモコン操作が届く範囲でできる限り遠くへ飛ばす。

ドローンが送ってくる映像がノイズだらけになって途切れそうになる前に、ワイトは二機目のドローンを着地させて、あえてパワーを切らずアクティブセンサーを稼働させておいた。


そのまま、ワイトはその時が訪れるのを待ち続ける。


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(M.A.I.N.基地・排気ダクト)


エミリンとジャンヌはロープを掴んだまま、徐々に増えてくる水かさに耐えていた。他に二人の体を支えるものは壁に貼り付けた吸着テープだけだ。


ダクトを満たしていく水の流れが激流となって足もとをすくおうとする。

二人のハーネスはロープに結びつけてあるから、仮に足元をすくわれても遙か彼方まで流されてしまう心配はない。

だが、この激流の中に倒れ込んだら、ライフジャケットを着けていても溺死する可能性はあるし、息が続くうちに水中でロープをたぐって再び立ち上がれるかは、かなり疑問だ。


すでにエミリンの腰を越え、ますますその勢いが上がってきているように感じる。もうまもなく胸まで達するだろう。

水の飛沫がゴーグルを覆って視界を悪くする。


遠くで金属を叩くような音が弱く断続的に聞こえてくるが、それが何なのか二人にはわからない。


とうとうエミリンの足が浮いた。


万一二人が衝撃で手を放しても離れ離れにならないように、エミリンのハーネスは、カラビナと確保用の短いロープでジャンヌのハーネスにつないである。

二人はライフジャケットの厚みを間に挟んで、できるだけしっかりとロープを掴んでおこうと手を動かす。


「怖い?」


「ジャンヌと一緒だから大丈夫。私たち、なにがあっても一緒なんだもの!」


「そうね。...あなたと出会ってスレイプニルで一緒に航海して...そしてアクラと出会い、オマルと出会い、とうとうワイトに出会って、こんなとんでもないところにまで来ちゃったわ。エミリン、私たちはこれからもずっと一緒よ?」


「うん。大好きよジャンヌ!」


「愛してるわエミリン」


ダクトの水平部分を完全に満たし終わった水は、垂直なダクトの中で爆発的な勢いで水位を上げ始めた。

あっという間にジャンヌの体も浮き上がり、渦巻く激流が二人の体を持ち上げていく。この水の表面に乗って上の階層まで上がるのが二人の帰還プランだ。


ライフジャケットで浮いているおかげで、二人の顔の高さが水平になった。普通なら、エミリンが踏み台にでも乗らないと、絶対に届かない位置だ。

二人の顔の位置が揃うのは、ジャグジーに入っている時かジャンヌが腰をかがめた時だけだった。

いまはジャグジーと言うには、少々乱暴な水流に揉まれすぎている。


ジャンヌは水圧がかかる前に、壁に貼り付けた吸着テープを外そうとした。だが外れない。

激流で大量のしぶきが吸着テープに降りかかり、そのわずかな水が吸着構造と壁面の隙間をさらにぴったり埋めて、吸着力を増大させていたのだ。

すでにその強度は吸着ではなく接着の域に達している。


ジャンヌは水に浮いた状態のまま両足を壁につき、それを支えに両手でロープを力任せに引っ張るが吸着テープはびくともしない。

その間に、水位は吸着テープの位置を超えた。水中でハーネスのバックルを外そうとするが、激流に揉まれているなかで上手くバックルの金具がつかめない。

もう、本来ならはるか上に浮き上がっている筈なのに、逆に吸着テープからロープが一直線に伸びて水中に引き込まれている状態だ。


ついに水位がジャンヌの頭を超えて、暗視ゴーグル越しの視界もほとんど奪われてしまう。

ジャンヌはとっさにエミリンの腰から伸びているロープをつかんだ。

そのまま手を自分の方に滑らせると、手がハーネスに行き当たる。

ぐずぐずしている暇はなかった。

エミリンから伸びているロープのカラビナを外す。


腰が引っ張られる抵抗がふっと消えて、エミリンの体が水面に浮き上がっていくのがわかった。


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