中央平原


(山岳地帯・峠)


慎重に進んでいく一行が峠を越えるまでには、結局、四日半かかった。


エミリンとジャンヌは寒さでかなり参ってはいるが、まだ健康を損なうというほどでもない。

とは言え、ワイトの忠告に従ってスレイプニルから防寒装備を大量に持ち込んだから良かったものの、二人だけの判断で装備を選んでいたら危ないところだったろう。


峠に到達する少し前から、右手の方にぼんやりと赤茶けた地平線が見え始めてきた。

それは徐々に地平線のラインをはっきりと見せるようになり、彼方の青い空と薄赤い大地をきっぱりとわける境界となった。


風は相変わらず冷たく吹きつけていたが、峠を越えて向こう側に数百フィート降りただけで、すっと荒々しさを納め、エミリンとジャンヌの髪を後ろから軽く巻き上げる程度に弱まった。


日差しは明るく、空には地平線のあたりまでほとんど雲が見えない。

風が納まってみると、空気の冷たさも何故か辛いと言うよりは清涼な感じを与え始める。透き通るように青い空と冷たく薄い空気が、一行をまるで旅の修道僧のような雰囲気に変えていた。


峠から一段降りて、急斜面が始まる手前の少し広い場所に立ち止まったワイトが、先に見えているものを説明した。


「ここからは手前の低い山脈の陰になって直接見えないが、あの地平線のあたりがM.A.I.N.基地のある中央平原だ。この先にはもう高い山を越える箇所はない」


「あとは下るだけか。だが斜面は登るよりも降りるほうが難しい。しばらくは要注意だな」


「峡谷みたいにオマルが先に行って、通りやすいルートを探してもらいながらの方がいいかな?」


「いや、ここでアクラが最後尾だとみんなの行列に向けて岩を落とす危険がある。君はみんなより重たいからな」


「ああ、否定はしないよ。...じゃあ僕が先頭を行こう」


「うむ、そうしてくれ。いいかい、できるだけ中央の高いところをルートに選んで降りていくんだ。左右の低いほうへ流れないように気をつけてな」


「オーケー。努力するよ」


ワイトが提案した。


「では、オマルにはルート確認のために二番目を歩いてもらって、私が最後尾を行こう。ここで後ろからの追撃を心配する必要はないだろう」


「そうだな。この急斜面を下りきるまでは、その体制で行こう。私はアクラの少し後ろを歩く」


「みんな安心してくれ、仮に滑り落ちても僕一人でみんなを巻き添えにはしないよ」


「逆だよアクラ。誰かが滑り落ちても君なら止められるからな」

「そうか、そういうことだね」


アクラは、なぜかオマルのその一言で少し元気を取り戻したように歩き始めた。

確かにオマルの言うように、乱暴に足を運ぶと岩を蹴り落としかねない急斜面だ。一つ岩を落とすと、それが次の岩に当たって連鎖反応のように次々と雪崩が拡大していく。


いまのところはそういう岩の雪崩が起きても数ヤード先で自然に停まるレベルだったが、本格的に大きな岩が崩れていったら、メイルでさえも足下をすくわれかねない。


慎重に一歩ずつ地面を踏みしめて歩くアクラと、その少し後ろを歩くオマルが、ある意味では落ちそうな岩を事前に落として踏み固めているような感じでもあり、残りの一同は前を歩く二人ほどには岩を蹴散らさなくてすんでいた。


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


ワイトは大事を取って、エイトレッグとの間に十分な距離を開けていた。


もしも自分が足を滑らせてエイトレッグにぶつかっていったら、とっさの判断ができないエイトレッグは脇に避けるなどと言うこともできず、そのまま滑り落ちてしまうだろう。

数台のエイトレッグがまとめて上からぶつかってきたら、ジャンヌたちが乗るフギンとムニンも危ない。


先頭のアクラもみんなと歩調を合わせて慎重に降りていくが、本当はアクラ一人ならこの斜面を一気に駆け降りることもできなくはないだろう。

もっとも、それをやったらひどい土砂崩れを起こしてしまうかもしれないが。


いまのワイトの位置からは斜面を慎重に下っていく一行の全体が見下ろせる。

一行は、ちょうど尾根筋が傘のように広がって斜面の角度が切り替わる箇所にさしかかっていた。そこから先はさらに急斜面になっていて、ワイトの位置からは地面が見えない。


アクラの背中が斜面の向こうに消え、続いてオマルも降りていった。

そこでフギンが奇妙な動作をした。


まっすぐに下に向かっていくのではなく、ボディを斜めに、足を横に滑らせるように地面をつかみ、まるで蟹の横歩きのような動作で斜面の切り替わりを越えていく。


『脚部に問題があるのか?』 ワイトは一瞬そう思ったが、すぐに理由に思い至った。


まっすぐに下を向いたままで切り替わりを乗り越えていったら、背中の高い位置に座っているジャンヌにとっては、まるでイスに座ったまま頭から谷底へ向き合うような感じの激しいモーメントになるだろう。

フギンはそれを避けるために、体を斜めにして、ジャンヌの姿勢を穏やかに保てるように工夫していたのだ。


ワイトには聞こえない声でジャンヌがフギンに指示を出していたのだろうか...いや、フギンが自分で考えて行動したように思える。

後ろのムニンも続けて同じ動作をするのを見て、ワイトはそれを確信した。


その時、下を見ていたワイトの踏んだ礫が、ざざっと大きく崩れた。


思わず姿勢がよろめいた瞬間、ボディの真横を上方から撃たれたレーザーがかすって斜面に着弾した。


「っ!」


驚いてとっさに意識と視界の中心を後方にフォーカスすると、斜面のはるか上の方に一体のメイルがいた。


崩れた斜面に踏みとどまろうとしたその動作で、さらにワイトの姿勢が乱れて、ボディが斜面を斜めに滑り落ちはじめる。それがいくつかの落石を引き起こしたが、みんなに向かってではなく、谷へ向かって横に落ちていったのが幸いだ。


再びレーザーが照射されたが、ワイトが大きく位置を滑らせ続けているせいで当たらない。ワイトはそのまま半ば滑り落ちるようにして、尾根の横腹に突き出ている大きな岩の陰に隠れた。


ちょうど斜面の切り替わりを越えようとしていたエミリンがその音に振り向き、ワイトが攻撃を受けていることに気がついた。


「ワイトが撃たれてる!」 と、大声で叫ぶ。


一行が歩みを停めた。

いまのアクラとオマルの位置からは、ワイト自身も、撃ってきたメイルも急斜面の影になって見えない。オマルとアクラは急いでその場で向きを展開しようとしたが、急な動作に足下の岩が崩れて姿勢がぐらつく。


ワイトがその気配を感じて叫んだ。

「構うな。行くんだ!」


アクラとオマルが一瞬、動きを停める。

ワイトが言った。


「いいからそのまま行くんだ。いま私は岩陰にいて直接撃たれる心配はない。攻撃してきた奴は、私が非武装であることを知らない。私がここに隠れている限りは反撃されることを警戒して降りてこれないから、必ず業を煮やして破砕弾で攻撃してくるだろう。ここで破砕弾を撃たれたら、大規模な落石になりかねない。その前にできるだけ早く斜面を降りるんだ!」


「この位置からは見えない。そっちへ上がる!」 アクラが叫ぶ。


だが狭い尾根筋でアクラが駆け上がれば、一行を滑落させてしまうかもしれない。アクラも躊躇した。


「駄目だ! 奴が躊躇しているこの隙を利用して、早く下へ行けと言っているのだ。アクラ、平原に降りたらリエゾンを探すんだ」


とっさにエミリンは、自分には見えない位置に隠れているワイトを援護するためにドローンを急発進させていた。本当はもう少し下まで降りたところで飛ばすつもりだった哨戒機だ。

いまは一機でも、とりあえずメイルの気をワイトからそらすことができればチャンスは生まれる。そう考えた。


「エミリン無駄だ。攻撃で落石に巻き込まれる。早く下へ降りるんだ!」


ワイトがエミリンを説得しようとするが、エミリンは聞かなかった。

エミリンの位置から敵のメイルは直接目視できないが、そんなのはいつものことだ。

たとえポータブルコンソールしかなくても、ドローンのカメラとセンサーを頼りに、まるで自分がドローンに乗り込んでいるかのように操縦できるはずだ。

いつものように...。


いきなり岩陰から舞い上がってきたドローンに、敵のメイルが動揺している様子がわかる。

風がきつい。

エミリンは強風に煽られるドローンを上空で大きく旋回させ、斜め後からレーザーを放った。

とにかく、ワイトと一行のいる斜面下に攻撃を向けさせないことと、破砕弾を撃たせないことが大切だ。


メイルがドローンを迎撃しようとレーザーを放つ。


エミリンはそれを反射的に避けながらメイルの姿勢を変えさせようと誘導した。

そのメイルは自分の周囲を木の葉のようにひらひらと舞い飛びながら攻撃してくるドローンにいらついてきたのか、射線を向けやすいように姿勢を変えてくる。


罠にかかった。


ドローンに引きずられるように斜面の上を向いたメイルの背中に向けて、エミリンは片手で二機目のドローンをムニンの背中から発進させる。


高度はいらない。

そのまま斜面を這うようにドローンを駆け上がらせながら、無防備になっているメイルの脚部に下からレーザーを浴びせかけた。


エミリン得意技のドローン二丁拳銃だが、いま装備しているレーザー砲は連射能力がないので弾幕を張るというわけにはいかないし、強い乱気流のせいで命中精度が著しく悪い。


メイルが二番機に反応し、頭を振り向けようとするが、その隙を一番機からのレーザーが穿ってなんとか牽制する。


フルパワーでメイルの胴体下に突っ込んでいくドローンのカメラが、メイルの脚部をディスプレイに写し出している。

そのジョイント部に向けてレーザーの照準を合わせたドローンが接近し、メイルの姿が急速に画面いっぱいに大きくなっていく。

エミリンは以前に似たようなシーンを経験したことがある、と言うデジャブを感じていた。


思い出した。

エリア5078の泥にまみれた不思議なメイルとの戦闘だ。


「いっけぇーっ!」 


エリア5078のフラッシュバックに気持ちの高ぶったエミリンは、あの時と全く同じ言葉を無意識に叫びながら二機目のドローンをメイルの足下に突っ込ませていった。


誘導弾は持たせていないので仮に撃破されても爆発する心配はない。

極度に集中した精神の中で、メイルの脚部がスローモーションで大写しになっていくように感じる。

胴体のシャシーから突き出たジョイント部。

関節。

超至近距離で浴びせるレーザーの煌めきが画面を覆い尽くす。


そして次の瞬間、画面全体が黒く覆われたかと思うと、二番機のカメラ映像はノイズに切り替わった。


上空を旋回させている一番機は健在だ。

そちらのカメラには、足下にドローンの突撃を受けて大きく姿勢を崩したメイルの姿が映っていた。


ボディを傾け、稜線から斜めに滑り落ち始めている。

足を踏ん張って姿勢を直そうとしているが、二番機に後ろの脚部を破壊されたらしく、ボディを水平に保てない。


ずるっと、また滑り落ちた。


前脚を展開して付近の岩をつかもうとしているらしいが、そのせいで余計にバランスを崩してしまう。


「もう一押しっ!」 


エミリンはそこに重ねてレーザーを浴びせた。

命中し、メイルの前脚が破壊される。


頭を振り向けてドローンを迎撃しようとするその行為が、さらにメイルのバランスを崩させ、もう一段、ずるりと滑り落ちる。


エミリンは、メイルの周囲をぐるりと回るようにドローンをドリフトさせながらレーザーのチャージを待ち、次弾をその足下へ照射した。


やがて、これこそ本当のスローモーションで、ぐらりと大きくメイルのボディが傾き、谷底へ向けて真横に滑り始めた。

いったん滑り始めると、止めるものは何もない。

ドローンのカメラには、徐々に速度を付けて落下していくメイルのボディが映っている。


そしてついに激しい土ぼこりを巻き上げて、轟音とともにメイルは谷底へと真っ逆さまに落ちていった。


ワイトは途中から様子に気がつき、岩陰から首を出して、そのメイルが谷底へと落ちていく様子を見ていた。


「撃退できたようだ。君のおかげで助かったエミリン。お礼を言う」 と、相変わらず冷静なワイト。


「ふーっ、どういたしまして」 と、エミリン。


「やっぱりあなたは最高のパイロットね!」 と、ジャンヌが感に堪えぬ様子で言ってくれる。


アクラとオマルは半分振り返りかけた姿勢のまま、エミリンが奮闘している様子を肩越しに覗き込んでいた。

アクラは空間電磁ノイズの反応で、ドローンやメイルの動きを立体的につかんではいたが、一か八かで動き出す判断をする前に勝負が付いて、心の中でほっと息をついた。


「エミリンがいなかったら危なかったね、ありがとう。それにしてもあのメイルはワンダラーかな? よくわからなかったが。一体全体、なんでこんなところにまでいるんだ?」


アクラにとっても、まさかこんな場所でメイルに追撃されるとは予想外だった。


「きっと途中から私たちを追跡してきていたんだろうな」 と、オマルが答える。


「なぜ? メイルがなんでそんなことを?」


「それはわからんな。だが彼なりの理由か興味があったのだろうさ。ドローンも飛ばしてなかったし地形のせいもあっただろうが、ずっとアクラが気付かないほど距離を置いていたんだぞ。慎重に間隔を空けて稜線の陰に隠れながら、私たちの通った痕跡をたどってきたのだとしか思えない。私らが尾根を超えて向こう側に消えたので急にスピードを上げたんだろうがね」


『興味・理由』、よく考えてみれば、どちらもこれまでのメイルの活動には不要だったものだ。

だがオマルはあのメイルの行動を説明するものとして、ごく自然にその二つの言葉を口に出していた。


「憂鬱だけどM.A.I.N.に派遣された可能性も考えなければいけないかもしれないな」


だがそれはワイトが否定した。


「いや、M.A.I.N.が斥候に出すならエイムを使う。いまのはメイルだったから彼自身の意思による単独行動だった可能性が高いと思う。行動した理由が分からないのが不気味ではあるが」


「戦術というよりも戦略を使うメイルか...」


「なあに、私が峡谷の陰に隠れていたのだって一種の戦略だ。メイルの知性回路に、そういうイレギュラー性が生じるかどうかは、環境というか、外部要因次第なんだろうな。そういう行動は、ただの破壊衝動では説明がつかん」


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


(中央平原・丘陵地帯)


尾根筋の斜面を無事に降りきった一行は、またしても赤茶けた大地に立った。


しかし、こちら側の山裾の様子がいままでと違うのは、平坦な場所は見渡す限りの土漠で、潅木の一本すらも生えていないと言うことだ。

そこかしこにある丘陵の上の方は、乾いた草で覆われているものの、なぜか平地には緑がまったくない。

地面の赤味も、これまでよりもきつく感じる。

山脈の反対側、一行が登ってきた側では岩と氷の世界になるギリギリまで緑が豊富だったことを考えると、そのコントラストが激しい。


ジャンヌは、自分たちが越えてきた高い山脈が、海からの湿った空気の流れを遮断しているのだろうと推測した。


赤茶けた大地には幾本もの筋が刻まれている。

乾燥地帯の常として、雨が一年中まったく降らないか、降るときはまとめて降るかのどちらかだが、このあたりはどうやら後者らしい。

雨期にだけ水が流れる痕跡だ。


「ここから先はM.A.I.N.の本拠地だ。とは言っても大陸のすべてがそうなのだから、どこでもあまり変わらないという見方もあるかも知れないが」


「うっかり近づけば、これまでにない防御システムが現れるのだろうな。ワイトだって、それを前提にアクラを設計したんだろう?」


「そうだ。誘導弾も全方位に向けられているし、エイムも多数配備されている。ただ、実際にはこれまでに一度も攻撃や侵入を受けたことはないが」


「僕らが、その名誉ある第一号ってわけだ。どんな歓迎を受けるやら」


ワイトが提案する。


「エイトレッグはここの丘陵の影にまとめて置いていこう。パワーを完全に切って電磁ノイズが出ないようにしておけば、メイルやエイムも興味を示さないだろう。この先は時間が重要だ。ジャンヌとエミリンの水と食料さえ少しあればいい」


「どのみちM.A.I.N.基地に入ったら、それ以上が必要になることはないってわけだね」


「そうだ。すぐに出てこれるか、永久に出てこれないか、そのどちらかになる」


わかりやすいと言えばわかりやすい説明だ。


ワイトがジャンヌとエミリンにたとえ話を持ち出した。


「M.A.I.N.は用心深くドアにも窓にも鍵をかけ、番人も沢山置いている。だが、ドアに郵便物の届くポストの穴は開いているし、番人は郵便配達を撃たない。君たちは郵便配達のかばんに忍び込んで、誰にも知られずにドアポストの穴から室内に入り込んだ小さな生き物だ。

だが、その小さな生き物が高い知能を持ち、道具を使えるとしたら、その家に対してどれほどの破壊行為ができると思う? 

君たちはまさにそういう存在だ。そして、M.A.I.N.は『自分と同じ知能を持った小さな生き物』などと言う存在は想定していない。いや、彼の性質からして想定できない」


「そっと入って、そっと出てくるわけね!」 と、エミリン。


「いや。入る時はそっとだが、出るときには基地中が大騒ぎだろう。ドアを蹴破って飛び出すことになるかもしれない」


「まったく心浮き立つ話だわ...」 


ジャンヌの口ぶりはすでに達観しているかのようだ。


一行はその近くで荷物をまとめ直し、最低限必要なものだけを持つことにした。

結局、アクラもオマルも破砕弾を消費していないので、大した補給物資は必要ない。アクラは誘導弾の1セットだけを背負うことにしたが、他はワイトが突入に欠かせないと指示した装備以外は、ジャンヌとエミリンの体調を維持できる物品にステルスシートといくつかの工具だけあれば十分だった。


荷物を下ろすついでに休憩を取り、ジャンヌとエミリンが最後の『温かい食事』を堪能する。


その間にワイトが『全てを記憶しておく』ことができない種族である二人に、M.A.I.N.基地でのコア停止の段取りを再度詳細に説明した。

いったん動き出してしまえば、冷却水路の破壊活動については二人が頼りで、アクラもオマルも間接的にバックアップすることしかできない。


「冷却水路は七重のバックアップがされている。一系統でも生きていればM.A.I.N.中枢の冷却は用が足りる。ただし、工場の熱交換塔を通常操業のレベルで冷却するには、あと二系統が必要だ。それでも合計三系統あればいい。

50パーセント以上がダメージを受けても問題ないと言うわけだ。最悪は七分の一があれば、復旧まで熱交換塔を引き上げて工場を一時停止させれば済む」


「だから、むしろ溢れさせる方が簡単っていう話よね」’


「そうだ。しかし、当たり前のことだがM.A.I.N.は同じように何重にも防護措置をとって、機械的なトラブルがあったとしても、溢れた水が直接、熱交換塔やM.A.I.N.中枢フロアに入り込まないように手を打ってある。

密閉構造の仕切りが組み合わされていて、万が一にパイプの破裂などで水が流れ出しても、そのすべての水を地下の予備タンクに流し込めるようにしてある。この予備タンクは地底湖といっていい規模だ」


「だから、私たちがそれを回避させると」


「普通に考えれば、水は低い方に流れる。勝手に壁を這い上がっていく水はいない。もちろんM.A.I.N.も、溢れた水をいかにスムーズに流すかと言う視点で防護壁を設計してある。そこが盲点だ」


「そのために私たちが配管工事をするわけよね...水の逃げ場をふさいで溢れさせると」


「その通り。だが事故であればそういう出来事は起こらない。パイプの一本だって、勝手に首をもたげて自分を高いところに接続し直したりはしない。私が狙っている冷却水路の分岐部分は、メイルもエイムも入ってこれない狭いスペースの先で、通常は小さなメンテナンスマシンが行き来するだけだ。だが、ジャンヌとエミリンならそこに入ることができる」


「小さな知的生物のならではの役目ってわけね」


「そうだ。一ヶ所、M.A.I.N.中枢の排気ダクトが冷却水路と交差している場所がある。そこに入り込んで作業を行う。水路は『事故』や『破壊』に対しては万全の対策がとられているが、『加工』されることは考慮されていない」


「その場所を見つけて、M.A.I.N.に事故が起きたと勘違いさせるのよね」


「そこに着いたら水路のパイプの一つにスピーカーを押し当て、超音波のエコーを発信する。冷却水路の制御ソフトウェアは、この超音波エコーをパイプの異常か水流のエラーとして検知し、一時的にだが水流を止めるだろう。

その間にレーザーカッターで給水パイプと排気ダクトに穴を空け、その間を『ショート』させる」


「ショートさせる距離はどれくらいだったかしら?」


「約二フィートだ。排気ダクトは、冷却水の誘導パイプと数ヤードほど平行に走っている。そこで両方のパイプの向き合っている面を大きくカットしたのち、まとめて周囲をファイバーシートで囲み、補修用の整形樹脂を流し込む。ファイバーシートに染み込んだ樹脂は約五分で固まり、実用的な強度を持つ。これで、誘導パイプと排気ダクトは一体化する」


「つまり....その作業をやり終わるまでにエラーが修正されたら、私たちはアウトだよね?」


「そうだ。溢れた水の表面に浮いて、そのまま予備タンクまで流されていくだろう。窒息する可能性は高い」


「まあ、難しい作業なのはムーンベイで作業の段取りを聞いた時からわかってたわよ。とにかくM.A.I.N.を止めるためにはその交差点に飛び込むしかないってことね」


「そうだ。君たちが給水路に飛び降りる以外には、確実にM.A.I.N.を止める方法はない」


「エラーが修正されて水流が復帰したら、猛烈な勢いで水が誘導パイプに流れ込んでくる。普通ならそのまま流れていくわけだが、二人がつないだ部分が、その水の一部を排気ダクトへ流し込み続ける。

余剰水を一時的に溜めるタンクは空のままなので、水が溢れていると言う警報は出ない。見かけ上、水路自体はどれも正常だ」


「ねぇ、そう言えば排気ダクトだったら、途中に防炎シャッターとかついてるんじゃないかな? 火事のときに延焼しないように」


「だから、まずは少ない水量で防炎シャッターを閉めさせるのが狙いって話だったでしょ?」


「そうだっけ?」


「そうだ。排気ダクトに水が流れ込むと、ダクトのセンサーは異常を検知して防炎シャッターを閉める。そうすると、逆にダクトの中に水が少しづつ溜まり続けていくだろう」


「思い出した」


「防炎シャッターの手前には緊急排気口が付いていて、通常はそこから火災の熱を上に逃がす。だが、今回の場合はそこにどんどん水が溜まっていく。この緊急排熱ルートは50フィートほど上で、各室に通った排気ダクトから伸びている他の緊急排熱ルートと集合して地表の排熱塔へ伸びている。

つまり、逆に上から見れば一つの木の根のように分岐して各部屋に緊急排熱ルートが降りていると言ってもいい。炎や熱は下がらずに上がるものだし、物理的にはそこを通って侵入できない構造だから、普通はそれで問題ない」


「それはネズミだって通れないわけね?」


「途中は導熱用のヒートパイプがびっしり詰まっているので、実質的に密閉されていると思っていい。熱はヒートパイプを伝わるが、塵より大きな物質は通り抜けられない」


「上は行き止まりね」


「各所の防炎シャッターが閉まることによって一種の容器となった緊急排熱ルートには水が溜まり続ける。防炎シャッターの異常と給水路の一時的なエラーは全く無関係なものだ。見かけ上は給水路は溢れていないので、予備タンクへの緊急放水バルブはいつまでたっても作動しない。

防炎シャッターからさらに登っていった水は50フィート上で排熱ルートの本管と合流し、今度はそこから分岐したすべての排熱ルートを通して、溢れた水を随所に流し込んでいくことになる。

排熱ダクトも集合管から上はヒートパイプでふさがれているから水の逃げ場がなく、いったん水位が排熱ルートの集合点よりも上になったら、各部屋のダクトに付いてる防炎シャッターは、その水圧に耐えられない」


「私たちの持ち時間は?」


「恐らく満水から十五分以内に、M.A.I.N.中枢のあらゆる部屋の排気ダクトからスプリンクラーのように大量の水が撒かれるだろう。もちろんナトリウム反応炉の作動室にも」


「それまでに脱出しないと終わりね」


「難点は、ナトリウム反応炉が、どの程度の水量で危険な状態に陥るかがはっきり推測できないことだ。どれか一つでも破壊が始まったら、その先は爆発的にすべて吹き飛んでいくだろうが...」


「ま、逃げるときにあれこれ考えてる暇はなさそうよ?」


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


丘陵の影にエイトレッグを置いて身軽になった一行は、自然と歩行スピードが速まった。


進むにつれて周囲の景色から徐々に凹凸が減っていき、やがて丘陵と呼べるものは数えるほどになってきた。ここから先は平原地帯だ。

最後の目立つ丘陵脇を通り過ぎたところで、その広い合間を縫うようにして幾筋ものわだちが現れた。

これは水の流れた跡とは違う。タイヤの跡だ。


「リエゾンの通勤コースだな。方々に散っていく前に通る場所だから密度が高いのだろう」


オマルの言葉に呼応するように、彼方に土煙が見えた。リエゾンがこちらに向かってくるのだ。


「ここで戦闘になるとかなり目立つんじゃないのかな?」


「そうだ。あまりうろうろしているのは得策ではないだろう。ここから先はM.A.I.N.基地まで紛れ込む遮蔽物となるものもないし、防衛部隊に検知される可能性もある」


「で、ここから先はどうやって近づいていく?」


ワイトはすぐに答えずに、リエゾンの『幹線道路』に向けてすたすたと歩いていくと、その真ん中で立ち止まった。


向こうからは猛烈な勢いでリエゾンがやってくる。


だがワイトはリエゾンに背を向けたまま動こうとしない。

アクラがしびれを切らして立ち上がろうとしたとき、リエゾンが減速し始めるのがわかった。

そのままリエゾンは減速しながらワイトのすぐ脇までゆっくりと進んできて、そこでぴたりと停車する。


「バスで行こう。ここからはスピードが勝負だ」


ワイトがそう言うと、リエゾンのウィングドアがゆっくりと開いた。


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る