PART-3:分水嶺

セルシティ / 歴史



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PART-3:分水嶺

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(ダーゥインシティ・情報科学研究所)


ミシェルが、リン・ワイナー主任から、もう一度情報科学研究所に来て貰えないかという連絡を受け取ったのは、前回の訪問でファラハン文書の『百科事典』とライブラリーの知識との比較を相談してから、しばらく経ってのことだった。


約束した時間に、玄関で出迎えてくれたリンと一緒にオフィスに入ると、彼女は世間話もそこそこに本題に入った。

今日も彼女の服装は前回と似たり寄ったりだが、態度の方は前回と違って、あきらかに落ち着きのなさがあるのが気にかかる。


「馬鹿なことだと思われるかも知れませんが、まずは聞いて下さい」 


研究室の片隅の小さなテーブルに着いたリンは開口一番そう言うと、堰を切ったように話し始めた。


ミシェルにお茶を出すのも忘れるほど動転している、とも言える。


「先日、ミシェルからライブラリーに所蔵されている知識が偏っているのではないか? という疑問を提示されて、私は、それを確認する方法を探してみました。まず手始めに、ファラハン文書の百科事典に含まれている内容を、ライブラリーデータのタグ付け基準に沿って整理し直してみたんです」


ミシェルは軽く頷いて、話を続けるように促した。


「そうすると、いくつかの分野において、ファラハン文書には詳細な説明が含まれているのに、私たちのライブラリーには、その関連情報が全く含まれていない、という分野がいくつか出てきました」


「やっぱり...」


「ええ。そもそも、私たちの概念や常識に当てはまらないものも多いので説明が難しいのですが、大きくは三つの分野です。

政治体制、経済システム、それに、ご想像通り技術情報ですね」


「後期都市遺跡時代の技術のほとんどは私たちに受け継がれていないでしょうから、そこはなんとも言えないわね」


「そうですが、ちょっと興味を引いたのが、炭素14という放射性同位体、えっと、つまり、私たちの身近にある元素で、ごく弱い放射能を持っているバージョン、と考えて下さい...それを使った年代測定の技術です」


「年代測定というと、なにかが、どれくらい古いものか調べることができるとか、そういう技術なの?」


「まさにそうです。それで、この炭素14測定技術自体の有用性はともかく、それがヒントになって...それで、私たちは、過去を調べる技術の情報をほとんど全く持っていないことに気がつきました」


つまりミシェルの疑問は、実に正当だったわけだ。


「言い訳がましくなってしまいますが、セルの科学研究においても、過去そのものを調べる分野はありません。

私たちのように『現代社会で役に立つ過去の情報』を解析するチームはいますが、毒にも薬にもならない、という言い方は悪いですが、単なる興味の対象として、過去の出来事を丹念に調べる職種も学問も存在しません」


先日のリンとのディスカッションで、自分がぼんやりと思い浮かべていたことがミシェルの脳裏によみがえる。

いま、リンが言っていることもそれとほとんど同じだ。


ミシェルは軽く頷いた。


「先日、ミシェルから言われたことについて検討する中で、改めて考えてみると、私たちは、過去を検証する意欲や技術をほとんど持っていなかったこと...いえ、正確に言うと、それを知りたいという欲求自体もほとんど持っていなかった、ということを実感しました」


「それは欲求なの?」


「欲求です。何かを知りたいという『意図』ですよ。つまり、得られる情報にしか興味が向いていなかったんです。

先日、ミシェルが『疑問を持たない自分自身が一番不思議だった』ということを仰ったでしょう? それと同じです」


「ああ、なるほど」


「そして、大慌てでライブラリーの技術文献を検索しましたが、有用な情報はほとんど出てきませんでした。

現代の技術解説はもちろんですが、都市遺跡時代の書籍においても、過去を知る方法、年代測定に関する技術や方法論を解説した情報が、まるで見当たらなかったのです」


「参考になる情報が過去にもないのね」


「それで、別の方面から情報を探してみたんです」


「別の方面?」


「はい。年代測定や過去の探索や歴史分析とか、直接そういうタグを検索するのではなく、都市遺跡時代の文学表現を探しました」


「文学って言うのは、つまり技術情報や史実を探すのではなくっていうことかしら?」


「まさにそうです。もちろん人間が読んでいるといつまでも終わりませんから、単純に全文検索のキーワードとして月日の流れとか、時を知るとか、そういう情緒的な表現を沢山交えてコンピュータで検索したのです。

ちなみに、この全文検索プログラムは、先日のファラハン文書の解析で使ったもののベースになっているプログラムで、もちろん近年になって開発されたものです」


「それで何らかの結果があって、私に連絡してきたわけね」


「まぁ、ご想像通り楽しい話ではありませんよ、ミシェル」


「リンに連絡を貰ったときからそれは覚悟しているわ。教えて頂戴」


リンは軽く頷くと話を続けた。


「そこで、フィクションの分類から検索したいくつかの書籍の中には、太古に滅んだ生物についてわざわざ論じた『考古学』という奇妙な生物論の本も見つかりました。現在の所蔵分類は『文芸作品』としてでしたが」


「考古学?」 ミシェルは初めて聞く言葉だった。


「絶滅した生き物や滅んだ文明など、その時点でこの世にないものを研究することです」


「それは、何の意味が?」


「わかりません。昔は何か認められた意味か価値があったのだと思います。

太古の人間は、とうの昔にいなくなっている生き物や人々について思索を重ねていたんです。架空の物語としてではなく、役立つ技術や知識と同じようにです」


「不思議ね」


「セルの一般市民が人類の過去に興味を持たないのは当然だと思います。しかし、昔の人はそうではなかったように思えます」


「そうでなければ、その『考古学』? なんていう取組は存在しなかったはずだと?」


「ええ。私達のように、過去の記録を仕事として扱う人間でも、貴重品として発掘された書籍に興味を持つことはあっても、興味の本質は、そこにある情報を読み取って現代社会に役立てることです。過去を知ることそのものではなかったのだと、いまは思います」


リンの話の行き着く先が見えた。

これも、争乱の時代の記録と同じ出来事だと考える以外に、辻褄の合う答えはない気がする。


「そうね。争乱の時代の酷い出来事や、内陸部の地理情報と同じように、百年前までは、誰かがそれを注意深く排除してきたんだわ。

年代測定の技術を隠すと同時に、セル市民が『過去』というものに興味を持たないように、その思想や倫理感も同時に誘導しながら...」


ミシェルは、自分でもゾッとすることを喋りながら、しかしそれを当たり前のことのように受け止めている自分に驚いてもいた。

『美と愛と善意』に満ちたはずのセル社会で、恐らく数百年にも渡ってセントラルライブラリーの情報の改ざんや隠蔽が行われてきたとなれば、現実から目をそらすのは無意味だ。


「なぜ、百年前を境にして改ざんが止まったのかは相変わらず謎ですけど。新しい資料があまり出てこなかったから、というだけなのかどうかはわかりません」


「そうね、そこは保留だわ」


「私たちに欠けている技術の話はほかにも沢山あるのですが、それは置いておくとして、オマル・ファラハンは政治と経済にも、かなりのボリュームを割いて知識を残しています」


「政治と経済って、つまり社会の運営方法のことよね? 私たちはセル体制で安定した社会を営んでいると思うけれど、争乱の時代に突き進んでしまった過去の政治体制が未来の人にとって参考になると、彼は考えていたのかしら?」


「だからこそ、かもしれませんね...これも彼の聡明さを示していると思います。文明には、技術だけでなく、社会を安定化させるための努力が必要であることを理解していたわけですから」


「リン、恥ずかしいけれど、正直に言ってピンとこないわ」


「いえ、本当のことを言うと、私たちも改めて検証するまでは過去の事例として斜め読みしていました。それにライブラリーの情報というか、セル社会にはそもそも政治体制のバリエーションという概念がありません。

それは、固定的な普遍のもの、という前提があったっからだと思います」


「言われてみれば、そうね...いまの社会の仕組み以外に、なにかいいやり方があるなんて、これまで考えたこともなかったわ」


「そうですよね。私も同じです。例えば選挙とか」


「選挙? それはなに?」


「政治を主導する人物を、一般市民がみんなで選ぶんです」


「えっ、普通の市民が? なにも知識のない人たちが、どうやって政治指導者を選ぶの?」


「セル社会では、省庁や中央政府の管理者や政治主導者は、相互の推薦によって選ばれていますが、その候補者は、すでに何かの役職に就いている人によって、適格者がピックアップされていますよね。

まあ、各自の持っている職業の範疇で、才能が目に留まった人が選ばれるわけですが」


ミシェルは、そう言われて自分がジャンヌをピックアップし、そのジャンヌがエミリンをピックアップしたことを思い浮かべた。

そして、そういう自分自身も、カエラ・マッカラン局長に推薦されて統括部長の職に就いている。


「ですので、各省庁や行政府は人間同士の結びつきが非常に強い代わりに、組織を超えた横のつながりが、ほとんどありません。

でも、都市遺跡時代の政治体制では、市民が自分たちの代表を選んで、その代表者が意思決定を行うことが普通だったようです」


「それはわかるけど、だから、あんな悲惨な歴史になったんじゃないかしら? 

どんな分野にしろ、知識や経験の全くない市民が意思決定者を選んでいたら、きちんとしたプランに基づいた運営なんて出来るはずないもの。きっと、経済企画省や食料生産省なんてすぐに崩壊するわ」


「そうなんですけど、システムや体制を変える必要がない、っていうことと、変える方法がない、っていうことは別だと思うんです...」


「つまり?」


「えっと、ミシェル。仮の話として、いまのセル体制より優れた社会運営の方法が発見か発明かされたとして、どうすれば、その体制に変更できると思いますか?」


「中央政府の政治指導者たちが、それを実行するだけね。優れているなら、むしろ変えない理由はないでしょう?」


「じゃあ、もしも彼女たちがそれを拒んだら?」


「そんな理由は...」


「理由は何でもいいんです。もし、そんなことが起きたらという仮の話です。

中央政府の指導者たちが、何一つ変えないと決定したら、それを受け入れる以外の方法はありますか?」


「そうね...新しい仕組みの良さを理解している人たちに、指導者のポジションを担って貰うしかないわね」


「どうやって?」


「つまり、その人たちを推薦する...」


そこでミシェルは、リンの言いたいことが分かった。


そうだ...。


リンの言うとおり、その時点で責任を負っている意思決定者が何かを決めたら、それを受け入れる以外に市民のとれる行動はない。

そのポジションにいる人物たち自身の意思に反して、意思決定者を『取り替える』方法も存在しない。

新しいメンバーは、まさに、その中にいる人々からの推挙がなければ、チームに入っていくことはできないのだ。


これまで、その必要性も可能性も、頭に浮かんだことさえなかった。

ミシェルは、生まれて初めて『政治』という単語の意味を、踏み込んで考えたような気さえする。


「ねえリン、いまの体制に問題があるとは思わないけど、偏っている、あるいは方向が定められている、という可能性は理解できるわ。

そうだとすると、中央政府やセル行政府の仕組みや、経済企画省の決定さえ、特定の方向から逸れることはできない、という話なのね?」


「その通りです。これは、ベースクレジットを根底に据えたセルの経済システムも同様です。もちろん、それが悪いかどうかは別の問題ですけど、セル社会では、新しい体制が生まれる余地はほとんどありません」


「そこはどうかしら? 現に私たちの資源探査局は新しい組織よ。前身になる組織から考えても、まだ生まれて百年もたたないわ」


ワイナー主任は、そこでじっとミシェルの目をのぞき込むと、一語一語を区切るように、ゆっくりとしゃべった。


「つまり、資源探査局は、『生まれた組織』ですね?」


突然降ってきたワイナー主任の言葉に、ミシェルは背中から冷や水を浴びせられたような感じを覚えた。

思わずワイナー主任の顔をまじまじと見つめるが、ワイナー主任は硬い表情でミシェルの方を見たまま、次の言葉を発しない。


この会話の流れで、『資源探査局』と『改ざん』が、一つの文の中に登場するとは思ってもみなかった。

ミシェルは、急に心臓の鼓動が早まり、息が苦しくなったような気がしてくる。


「そうだけど...でも、それが...まさか?」


「ミシェル、私たちが今回、改めて気がついたことの一つは、セル社会は記録を残さないっていうことなんです。

人の気持ちとして過去を気にしないだけじゃなくて、情報として過去を参照することもしないんですね。

もちろん、大きな出来事や社会を円滑に動かすために必要なデータは記録されていますけど、細々とした、それこそ、オマル・ファラハンが残した当時の統計データのような情報は、ある程度の期間がたつと自動的に消えていきます」


「自動的に消えていく...」


「データストックの収容効率やタグ検索の精度とスピードを上げるためには、もう使われなくなった古いデータは消去してしまう方が効率的です。それ自体は不思議でも何でもないと思います。ただ...」


「ただ?」


「ただ、どういうトリガーでそういう情報が消えていくのか、保存期間が何十年であるとか、アクセス頻度がある閾値以下になったらとか、そういうデータ消去のポリシーは不明なんです」


「そういうパラメータは基本システムに設定されているんじゃないの?」


「もちろんそのはずなんですけど、かなり複雑な条件設定のように思います。

たとえば、文芸作品は何十年間もの間、誰にもアクセスされなくても、ほぼ消えることがないようです。

でも、市制をはじめとして、経済や資源に関するデータは数十年単位でサマリーだけが残されて、詳細は消えていきます」


「次の計画を立てるためには、ここ最近の動向さえ分かっていれば十分だし、まあ、何十年も昔の資源やクレジット配分の詳細を知っても何の役にも立たないのは確かだけど...担当の各省庁にも残っていないのかしら?」


「各省庁の情報システムがどのように動いているかは、確認のしようがないんですよ。いえ、それだけじゃなくて、ライブラリーの基本システムの動作も、実はよく分からないんです」


「リンたちでさえ、ライブラリーのシステムを理解していないって言うの?」


「もちろん、使い方は継承していますよ。プログラムの動かし方も分かるので、さっきお話しした全文検索プログラムのような新しい仕掛けを組み込むことも出来ます。

でも、根幹の基本システムのプログラムの内部は...その中身がどう動いているのかは、外からわからないんです。確認する方法があるのかさえ分かりません。

これも、私たちがこれまでは気にしていなかったことの一つです」


ミシェルは寒気がしてきた。


恐らくライブラリーのデータを改ざんしてきた存在は、その、基本システムの中身に自由にさわれていたのではないだろうか?

重大事件だと思っていた原本の喪失など、その存在にとっては、ほんのついでの作業に過ぎなかったとさえ思えてくる。


考えてみると、ライブラリーの基本システムの作り手は誰なのだろう?


ライブラリーだけではない。

例えば、レイバーマシンの動作プログラムを認証する、中央政府の検査システムは?

いや、そもそも最初のレイバーマシンは、いつ、誰が開発したのだろう?

ミシェル自身、これまで気にしたこともなかったが、そういう『開発者』の名前を目にしたこともない。


仮に、ドローンの戦術プログラムやヴァルハラ級を開発したジャンヌのような存在がいたのなら、少しは後世にその名前や功績が伝えられてもいいようなものだ。


「リン、そのライブラリーの基本システムを最初に開発したのは、いつの、誰だか分かるかしら?」


「伝えられていないと思います。それについて、これまでに目にしたことはありません。まあ、気にしたこともありませんでしたけど」


やはり、リンも同じだ。


「では、ライブラリーの記録で調べられないかしら? あと、レイバーマシンや、マシンの自立稼働プログラムを検査して認証するシステムを開発したのが、いつの誰か、調べることはできない?」


「やってみます、でも...」


「でも?」


「答えは出てこなさそうな予感がしています」


「私もよ、リン。あなたはさっき、資源探査局は改ざんが行われなくなってから出来た組織だと言ったわ。その通りよ。

きっと、すべては繋がっているのだと思うわ。

私たちが知らないでいること、不思議に思っていなかったこと、それが全部、改ざん者の存在から伸びている枝のような気がするの」


「そうですね...証拠はないんですけど本音を言うと、仮に百年前にァラハン文書が発見されていたとしても、改ざんを発見することはできなかったんじゃないかって思ってるんです」


「ええ、あなたの言いたいことは分かるわ。私もきっとそうだと思う。

理由は分からないけど、百年前に改ざんが止まって、ようやく色々なことが明るみに出始めたのね」


「こんなことをミシェルに聞くのも変に思われるかもしれませんが...私たちは、これからどうするべきなんでしょう? ミシェルはどう思いますか?」


「そうね...知らないままだったら気にしなかったことなんでしょうけど、気づいてしまった以上は間違いを正すしかないわ。

そのために、どうしていくのがいいかは、これから考えなくてはいけないけど...私も、自分なりに調べてみるわね。

それこそ、資源探査局のシステムはライブラリーよりずっと新しいんだから、なにかヒントが見つかるかもしれないわ」


「ええ。その、なんて言うか、ライブラリーのデータって、私たちにとっては自分の仕事の拠り所だったんです。

それが、こんなにもあやふやなもので、何が正しいのかさえ分からなくなってきて...私たち、自分がこれからどういう風に仕事に取り組んでいけばいいのか、分からなくなってきてるんです」


押し殺したように語るワイナー主任の声は、すこし震えているように思えた。


自分が全身全霊を傾けてきた仕事が、もしかしたら、何の意味もなかったかもしれないなどと考えてしまったら、本当に彼女は絶望するだろう。

人々のための貴重な資源だと信じて、丹念により分けて整理してきたものが、誰かに押しつけられた、ただのゴミの山だったと分かったら?


意図せずそのきっかけを作ってしまったのかもしれないミシェルは、思わず腰を浮かせると、テーブルの向かいに座るワイナー主任のほうへと体を傾け、両手を伸ばしてその手を優しくつかんだ。


「いいことリン、あなたたちの仕事が無駄になることなんて絶対にないわ。

すでにあなたは改ざんを見つけて、これからセルの人々が知るべきことが何かを見分けつつあるの。それだけでも、過去百年にない立派な功績なのよ?」


「はい...ありがとうございます」


「自信を持って頂戴ね。これは、力を合わせれば、きっと解決できる問題だと思うの」


そう言ってミシェルはにっこりと笑って見せた。

本当に解決できる問題なのかどうかは別として、そう思わなければ取り組む気力はわいてこないだろう。


資源探査だって同じだ。

どうせ見つからないかもしれないと考えつつ、探し続けることはできない。

いつかきっと見つけられると思うからこそ、探査局員は根気よく調査を続けていけるのだ。


資源だって真実だって、いつか必ず見つかる。

その思いに根拠など必要ではなかった。


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(ダーゥインシティ・資源探査局)


セントラルライブラリーの情報科学研究所を出て自分のオフィスに戻ったミシェルは、改めて考えを巡らせてみた。


特に明確な当てもなく、デスクの端末から探査局自身のデータストックを呼び出して、秘書のサリーンが入れてくれた美味しい紅茶を飲みつつ、つらつらと眺めてみる。

このお茶は柑橘系の香りがあるタイプで、いまの難解な気分をすっきりさせるには、とても合っていた。


ミシェルはこれまでも、お茶を飲みたくなるたびにサリーンの手を煩わせるのを避けるため、室内にティーディスペンサーを置こうと試みたことが一度ならずあるのだが、やんわりとしたサリーンの抵抗でいずれも挫折していた。


どうも、彼女にとってミシェルのお茶をサーブするのは、譲ることのできない自分の領分だと考えているらしいのだが、実際、彼女の入れる紅茶は本当に美味しいので、オートマチックティーディスペンサーに頼らなくてすむのなら、ミシェルにも異議はない。


出されるお茶の種類一つとっても、サリーンはこちらの気分を読み取って、それに合わせてくるのがとても上手だ。

確かに、こういう機微はティーディスペンサーには求めようがないわけで、サリーンのこだわりとプライドも宜なるかなと思う。


ともあれ、とてもいい香りのお茶を飲みながら、ミシェルは頭の中をもう一度整理してみた。


・ファラハン文書に記載されていた内容は、これまでの史実とは異なっている。

・争乱の時代の出来事は、これまで思われていた以上に悲惨だった可能性がある。

・それによると男性種は、すでに争乱の時代には絶滅寸前だった。

・それが事実であれば、原始農耕社会のはずの退行期にも、遺伝子操作技術で人類が生み出されていたかもしれない。

・セルで常識とされている史実は、百年以上前に改ざんされていた可能性がある。

・改ざんの証拠となり得る一次資料は、恐らく意図的に隠蔽・破棄されていた。

・未改ざんの資料はファラハン文書の記載が事実だと告げている。

・この百年ほどの間は、改ざんが行われていないらしい。


この改ざんと隠蔽について、『誰が・なぜ』ということに関する進展はいまのところ一切ない。


そして、最近判明した、もっと頭を悩ます事象が二つ。


・セル社会の知識や常識自体が、意図的に偏向させられたものかもしれない。

・セルの基盤となっている体制や各種の技術を生み出した存在と、改ざん・隠蔽を行った存在は繋がっている可能性がある。


この二つがどちらも正しいとすれば、百年前まで、セル社会を長年にわたって支えてきた存在自体が改ざん者そのものである、という憂鬱な可能性が浮かび上がってくる。


資源探査局をフルタイムの仕事として選んで以降、現代の最大の謎は『メイルと、その作り手』のことだと考えていたのに、ジャンヌの発掘した手記を発端にした今回の騒動の中で、いままでの人生で一度も考えることのなかった疑問を持った。

そして、その『問い』は、何十年も思い浮かべたことさえなかったくせに、いったん浮かんでからはずっと脳裏にまとわりつき、離れなくなってしまっている。


『私たちは、どれほどのことを知らないままで日々を生きているのか?』


事態はあっという間に、資源探査局の手には余る状況になったような気がしてきているし、正直なところ、『セル体制の欺瞞』なんて、どう扱って良いものやら見当すらつかない。


ミシェルは思わずため息をついた。


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