(内陸部・水源)


数日かけて川沿いに標高を上げてきた一行は、徐々に険しい地形に立ちはだかれるようになってきた。


すでにその両岸は高さを増して『川岸』というよりは『峡谷』になりつつあった。

この峡谷もムーンベイから内陸に入った高原地帯の峡谷と同じような、赤っぽい岩と白っぽい岩が何重にもミルフィーユのように折り重なった地層でできていた。


「懐かしい気分になれる風景だ」 とオマルが言う。


ワイトがこの先のルートを簡単に説明した。


「この先は峡谷が深くなり、二手に分かれる。右手の水量の多いほうを行けば、道は悪いが平地も少なく、メイルやエイムの生息数も少ないと予想される。

左手を行くと、やがて水が枯れてさらに標高を上げ、峠を越えるルートになる。その先は人類の古い都市遺跡だ。そのほとんどが砂に埋もれていて周辺も砂漠だ。

どちらも私には土壌の様子がわからない」


「砂漠はやっかいね」


「ただの乾燥地ならいいが、本当に砂に埋もれるような砂漠だった場合、歩行速度にもかなり影響を与える可能性はある」


「ムーンベイの砂浜のような感じかな?」


「あれの百倍ひどいくらいだと思うわ。そこをどれくらいの距離進まなければいけないか、にもよるけど」


「ムーンベイのビーチでも乾燥してる砂の部分は結構歩きにくかったからね。あれを50マイル進めと言われると、ちょっとためらうな」


自重が重く、足にかかる接地荷重が高いメイルたちには切実な問題だ。人間ならスタスタ歩ける場所でも足を取られやすい。


「では右の峡谷ルートの方がいいかもしれない。ただ、どちらのルートを通っても、どこかで一度はリエゾンの主要補給ルートを横断することになる。その近辺では警戒が必要だろう」


「わかった。足場の悪い場所での偵察はエミリンのドローンが頼りだ。

僕らも咄嗟に動けないかもしれないし、ここから先はドローンに誘導弾を装備させておいた方がいいかもしれない。まずは一機だけでいいと思うけど」


「オッケー。ブラボーに誘導弾をセットして、いま飛ばしてるアルファと交代させるわ」


誘導弾を抱かせていると、逆にドローンを発見される率が上がるかもしれないという危惧で、これまでも差し迫った危険の少なそうな箇所は爆装なしで飛ばしていた。


「そうしてくれ。オマルはルートの安全確認を頼む。これだけのキャラバンが通ったら、地盤の柔らかな場所は危ないからね」


「うむ。少し先行させてもらおう」


そう言ってオマルは歩き出したが、30ヤードほど進んだところで立ち止まり、ひょいと首を向けてアクラに言った。


「アクラ、なにか機械的なものが見えたら、まず撃ってから名前を聞いてくれ」


オマルが下手なジョークを言うが、『いいから行って』と、ジャンヌにあしらわれた。


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峡谷はワイトの話どおり、進むにつれてさらに崖上と水面の高低差を増していく。

少し進むと、川の両脇に瓦礫の山が積み上がっているような場所に出くわした。


最初は、岩山が崩れた跡かと思ったが、なんとなく違和感がある。

一箇所に瓦礫が集中しているし、瓦礫のサイズもバラバラ過ぎる。どうやら、天然の岩ではなく、人工物の破片のようだった。

そうだとすると、この辺りにはかなり巨大な建造物がそびえ立っていたことになる。


「あれはなんだったのかしら?」 


平地育ちのエミリンには見当もつかない。


「恐らくだけど、決壊したダムの遺跡だと思うわ」

「ダム?」


「川をせき止めて水をためる設備よ。大きな川の場合、一つの峡谷全体をせき止めて人工的に巨大な池を作るようなこともやっていたらしいわ。

いまのセルにはそこまでの規模のものはないけれど、セルシティには、いくつかダムのある場所があるわよ。乾燥地帯での農業には欠かせないものね」


「へぇー、川そのものを貯水池にしちゃうわけね」

「それが崩れた跡でしょう。壊れたのか壊したのかはわからないけど」


確かに千年以上前の建造物とはいえ、これほど巨大なものがそうそう崩れ落ちるとはエミリンにも不思議だった。

いまはムニンの背中に乗っているから良いようなものの、生身の徒歩だったらここを越えていくのは一苦労だろう。


一同が、その巨大な岩山を避けて左岸を高巻くルートに進み始めた時、帰還中のドローン、アルファが警告を送ってきた。

移動体、金属集積反応、エネルギー反応、電磁空間ノイズ...メイルだ。


エミリンはすぐにみんなに警報を出し、頭の中で作戦を練る。


「オマル、いまどこ?」 ヘッドセットトーキーに話かけた。

「巨大な瓦礫の山を越えた向こう側だ、水面近くに降りてみているところだ」


「2マイル先の高台の上にメイルがいるの。峡谷側に向かっているわ。向こうはまだこっちに気がついていないと思うから、そのままじっとしてて。できれば上から覗きこんだときに見えない位置にいるとベスト!」


「了解だエミリン」


ドローンの索敵能力の方が平均的なメイルより優れているのが幸いだ。

エミリンは相手に気付かれる前にアルファの高度を落とし、探知を失わないギリギリの距離まで下がらせて着地させた。

このまま相手がどこかへ行ってくれるのならば、ここで息を潜めて待っているのが最善策だ。


位置の離れているオマルは別として、隊列の先頭はワイト。エイトレッグの行列を間に挟んで、ムニンに乗ったエミリン、フギンに乗ったジャンヌと続き、最後尾にアクラがいる。

いまアクラがフルスピードで瓦礫の山を駆け上がると、むしろ隊列が大量の落石に巻き込まれてしまう心配があった。


着地させているドローンは誘導弾を装備していないので、奇襲に使うには心許ない。

アルファが戻ってきたら交代させるつもりだったブラボーには誘導弾をセットしてあるが、ここから飛び立たせれば、すぐにあのメイルに位置を察知されてしまうだろう。


誰も動かずにそのまま待ち続ける。

アクラが出動するのは、向こうがこちらに気づいてからでもいい。


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そのメイルは峡谷の縁ギリギリまで真っ直ぐ突き進んできて、その付近で停まったらしい。

アクラも相手の位置を大まかに検知したが、こちらの標高が相手より低すぎて、崖上のどのあたりにいるのか正確に絞り込めないようだ。


ただ、停まったのはいいが、いつまで経っても、そのまま動かない。

崖から身を乗り出して眼下を探った形跡は無いから、こちらを警戒しているわけではなさそうだ。...しかし、成り行きとは言え、位置的に上のポジションを取っているのは向こうなので、迂闊に動くことはできない。


それでも最初のうちは、しばらくの我慢だと思っていた。

数分じっとしていれば...せいぜい十分かそこらもすれば、どこかへ行ってしまうだろうと誰もが内心で思っていたはずだ。


だが、すでに一時間が過ぎているのに、メイルは、停止した峡谷の縁から微動だにしない。


少しずつエミリンの心にも焦りが生まれてきた。

アクラやオマルたちと違って、人間であるジャンヌとエミリンは長期間じっとしていると言うことができない。

もちろん、生身の人間は探知される可能性も少ないし、いまは二人ともベイムズの上に座っているので、その上でなら少しくらい体を動かして筋肉をほぐすことくらいできるし、座ったまま眠ることもできるだろう。


だが仮に、あのメイルがこのまま何日も動かないでいたとしたら、キャラバンはその間、ずっと足止めだ。


それは困る。

できるだけ戦闘は避けたいが、向こうが数時間で動くのか、数日で動くのか、それとも一週間以上も動かないのか、こちらには予測する手立てがない。


『やっぱり戦うしかないかな?』 とエミリンが思い始めたとき、ジャンヌがトーキーを切って、小さな声で思いがけないことを言った。


「エミリン、服を脱ぎましょう」


「へっ?」


「以前にワイトは、金属を身につけてない人間は野生動物と見なされるかもしれないって言ってたわ」


二人の服やブーツには様々な金属製品が付属している。ボタン、ジッパー、フック、etc...。


「ああ、そう言えば...でも、裸で何するの?」


「私たちが金属製品を身につけていなければ、あのメイルに探知される可能性は低いはずね。だから、二人でこの谷の脇から崖の上に登って、動かないメイルの位置を確認するの。ベイムズには無理だけど人間ならよじ登れるわ。

それに、仮に探知されても十分な距離があるから、そのときはアクラになんとかしてもらえるでしょう」


「でも、私たちが位置を確認しても、トーキーなしで、どうやってアクラやオマルに敵の位置を知らせるの? って言うか、知らせてどうするの?」


「メイル同士の戦闘は基本的に目視よ。アクラだけは有線誘導弾でアウトレンジ攻撃ができるけど、いま使うには大げさすぎる。

あのメイルは、きっと崖っぷちのどこかにいるわ。ここからは見えない位置だけど、たぶん、ギリギリまで崖に寄っているんじゃないかと思うの」


「うーん、確かにドローンからの情報でもそんな気がする。エコーが、ほぼメイルのいたっぽい位置で途絶えてたのは、そこで地面が途切れてるからだと思うなあ」


「だったら、アクラのレイルガンで崖そのものを攻撃したら、足場を崩せるんじゃないかしら? 

この前の川岸で、石造りの建物に潜んでいたメイルを、アクラがレイルガンで倒したでしょ。あの威力だったら、ここの脆い地層は粉々にできそうな気がするの」


「なるほどー。でも道具なしで、どうやって位置を測定して、それをアクラに知らせるの?」


「道具は使うわよ、金属でなければ大丈夫でしょ。崖の上に登った私たちが2マイル先にいるメイルの位置を目視で確認して、そこの崖...崖の真下に鏡で光を当てるのよ。アクラが、それを目印にレイルガンを打ち込めば、相手を崖下にたたき落とせるかもしれないわ」


それまで二人の会話を黙って聞いていたアクラが、そっと口を挟んだ。


「ジャンヌ、そのプランは分かるけど、最初から僕が崖の上に上がって攻撃するか、エミリンのドローンを飛び立たせた方が確実じゃないかな?」


「ええ、だけどこの作戦を試したい理由は二つあるのよ。

まず、アクラが奇襲をかけるためにこのガレ場を駆け上がると、エイトレッグが落石でダメージを受けるかもしれないし、ドローンをこの位置から発進させても、すぐに探知されてしまうと思うの。

それにメイルの方が遙かに高い位置にいるんだから、上昇してくるドローンを撃墜するのは難しくないわ。

できれば、いまはドローンもエイトレッグも失いたくない。

そして、もう一つの理由は、メイルが本当に金属を持たない人間を野生動物と見なすかどうかを知りたいの」


だが、アクラは気乗りしない様子だ。


「一つ目の理由はわかるけど、二つ目は危険すぎるよ。もし、野生動物だと見なされなかったら、メイルに攻撃を受けるかもしれないんだよ」


「だから二人で行くのよ。崖の縁沿いに移動して、メイルのいる方向を慎重に観察しながら位置を探る。

そしてメイルを見つけたら、私がその崖に鏡で光を当てて知らせるわ。太陽はちょうどメイルの方向にあるから難しくないでしょう。

そしてエミリンは、上からアクラが見える位置を探して、同じように攻撃開始の合図をアクラに鏡で送るの。

もし、メイルが私たちに反応するそぶりを見せたら、ダッシュで駆け下りるから援護して頂戴。その時はエイトレッグが落石に巻き込まれても仕方ないわね」


エミリンは、ジャンヌのアイデアがわかった。


ここの崖はくねくねと曲がり、深い切れ込みをいくつも抱えている。

もしも探知されても、メイルが二人を直線的に迫ってくることは不可能だ。

崖の縁に沿ってクネクネと進んでくるしかないし、二人はそういう崖の切れ込みの隙間から谷底へ向けてすぐに降りていくことができる。


対して、ボディの重いメイルにそんなことはできない。

崖下に降りた二人を追うためには、いま、一行が登ってきているガレ場のような緩斜面を探して降りてくるしかないだろう。

そして、そこにはアクラが待っている。


「やっぱり危険だよジャンヌ。僕がステルスでゆっくり登っていけば...そりゃ動きが出るし音や振動で気づかれるだろうけど、でも、向こうもすぐには僕の正体が掴めないだろうから、十分に先手を打って攻撃できるよ?」


「ええ、そうだけど私たちも、自分の『ステルス』を試してみたいのよ。

生身の人間がメイルに対して、どの程度ステルスなのかをね。

ここでじっとしていることもできるけど時間がもったいないし、いまはそれほどクリティカルな状況じゃないわ。

まずくなっても逃げられる距離も隠れる場所もあるし、いざとなったら、すぐにアクラに決着をつけてもらえる余裕もある。だからこそ、いまのうちに試してみたいのよ」


「レイルガンの射程は問題ないけど、 2マイルも離れているのに光が届くかなあ?...それに、相手のいる崖の縁がここから見えない場所だったら、結局、僕が上がっていかないと攻撃できないかもしれないよ」


「位置的に駄目そうだったら、悪あがきせずに、すぐにアクラに助けを求めるわ。だから行かせて頂戴」


ようやく、アクラは渋々という感じで承諾した。


「わかった。僕はここでステルスをオンにして動かずに待っている。

エイトレッグの後ろに向かって鏡で太陽光を反射させてくれれば、僕には見えるはずだ。

いったんエミリンから攻撃開始の合図を貰ったら行動を止めない。

仮にジャンヌの合図でメイルの位置が確認できなくても、そのまま上がっていって迎撃するからね。

もちろん、位置が分かれば崖側にレイルガンの質量弾を撃ち込んで、足下を切り崩せるかやって見よう」


「念のために目立つ色のバンダナを持って行きましょう。いざとなったらそれを振って合図する方法もとれるわ」


ジャンヌはそう言うと、ジャケットを脱ぎ始めたので、エミリンも慌てて服を脱いでいく。


「合成繊維は量が少なければ大丈夫かしら? エミリン、下着に金属パーツはある?」


「えっと...ないと思う...うん、いま着けてるのにはないわ、大丈夫」


「きっと下着くらいは大丈夫でしょう。でもジャケットもパンツも上の服は駄目だわ、どこかしらに金属がついてるもの。あと、ブーツは脱がなきゃいけないけど、ソックスは履いておきましょう。こんなところで足を怪我したら大変よ」


ジャンヌとエミリンはてきぱきと服を脱ぐと、畳んでベイムズのシートの上に置き、そっと地面に降り立った。

ソックスはいったん脱いでから、ブーツから抜き出した中敷きを内側に入れて履き直した。これなら岩場のゴツゴツ感も、それほど苦にならないですみそうだ。


持って行く唯一の道具である軽量ミラーは、いつもは二人ともジャケットの胸ポケットに収めているのだが、下着姿ではポケットがない。

どうしようかとエミリンが思案していると、器用なジャンヌが小袋と細紐を使ってあっという間に首からペンダントのようにかけられるようにしてくれた。


「どう、アクラ? 私たちは野生動物に見えるかしら?」


「正直、なんとも言えないなあ。何かが動いているのは分かっても、距離が遠ければ気にはしないかも。ただ、すでに人間を知っているメイルなら光学的に判断するかもしれない」


「そこは試してみないと分からないわ。じゃあ行きましょう。お願いねアクラ」


「うん。もし、あのメイルが立ち去る方向ではなくて、僕らを探す方向に動き始めたら、合図がなくても迎撃に向かうからね」


冒険するつもりはないと言いつつ、生身の体のステルス性を試してみたいと強行に言い張ったジャンヌだが、さすがに少し緊張している様子が声からうかがえる。


下着の上下と靴下だけという奇妙な出で立ちで赤いバンダナを腰に挟んだ二人は、ガレ場の斜面から崖の上に伸びる切れ込みの一つを、ゆっくりと登っていく。

登ると言っても、足を踏み外しても落ちて怪我をするような急斜面ではない。ただ、狭くて地面が柔らかいので、メイルの体重で登ることは不可能だろう。


先を登るのはエミリンだ。

機械の操作でなくとも、やはりこういう物理的な行動はエミリンの方が得意だし、上りやすいルートを見つけると言った、直感と状況判断力の合わさったようなことには、パイロットの方が向いている。


だいぶ標高をあげてきたとはいえ、服を脱いでも寒いと言うよりも、むしろ日差しが直接肌に当たって熱を感じる。

二人はできるだけ石を落としたりして音を立てないように、そろそろと崖の上に向かって進んでいった。


二人が崖の上にたどり着くまでには、二十分以上がかかったが、アクラに動きはない。

ということは、メイルも動いていないと言うことだ。


ジャンヌは崖の上の平らな地面に腹ばいになると、目をこらして遙か彼方にいるはずのメイルの姿を探した。

本当なら双眼鏡を持ってきたいところだったが仕方がない。


とりあえず、この位置からでは見えないようだと諦めて、メイルがいるはずの方向に向けて、崖沿いをゆっくりと進んでいく。

岩も多いし、あちらこちらに谷底に向けて崩れた切り込みが散在しているから、もしもメイルと鉢合わせても、咄嗟に逃げ込める場所は多い。


それでも二人は用心しながら、時々立ち止まって目をこらしながら進んでいく。


縁に沿ってジグザグに歩きながら、かれこれ2マイル以上は進んだところで、ジャンヌが立ち止まって地面に伏せた。

すぐ後ろをついていたエミリンも、併せて姿勢を低くし、ジャンヌの横で腹ばいになる。


「あれ、メイルじゃないかしら? まっすぐ先の深い切れ込みの先端にある黒い影よ」


「あ、きっとそうね。メイルが足を折ってしゃがんでいる姿だと思う」


「オマルも時々あんな姿勢で本を読んでたわよね? あんな開けたところで待ち伏せってこともなさそうだから、当面は動く気がないってことかしら?」


「この様子だと、いなくなるのを待ってても無駄だったかも」


ジャンヌは、そのまましばらく動かないメイルを観察していたが、意を決したように言った。


「じゃあ、プラン通りにやってみましょう。エミリンはここでスタンバイしていてね。私が赤いバンダナを振ったら、アクラに合図を送って頂戴」


「ジャンヌ、一人で行くの?」


「だって、あのメイルの足下に光を当てられる角度に移動すると、逆にアクラが見ない位置になると思うわ。ここでエミリンに中継して貰う方が確実よ」


「うー、わかったわ。でもジャンヌ、お願いだから無理はしないでね!」


「大丈夫よ。無傷のメイルを徒歩で見に行ったあなたほどの無茶はしないわ」


「そ・れ・は・言・わ・な・い・で...」


ジャンヌはクスッと笑うとエミリンの肩をたたき、そっと腰を上げた。


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ジャンヌは最初のうちは、腰をかがめ気味に姿勢を低くして歩いていたが、やがて度胸を決めて普通通りに歩き始めた。


メイルの位置をなるべく見失わないようにルートを選んで近寄っているが、一向に向こうが動く気配はない。

すでに自分とメイルの位置関係は、直線距離で1マイルを切っていると思える。

普通なら探知されないはずがない距離感だ。


これなら、ワイトの言っていた『金属反応がゼロの人間は野生動物として認識される可能性がある』というのは本当だったと考えていいだろう。

ジャンヌは、始めてアクラと対峙したときよりも遙かにリラックスした気持ちで、向こうのメイルが陣取っている崖の、側面がよく見える位置を探して進んだ。


こちらの方が、向こうよりも突き出した位置関係にいる方が、光が当てやすい。

しばらく進んだ後、大きな切れ込みの手前で、理想的な位置を発見した。

途中、何度も後ろを振り返りながら確認していたが、残してきたエミリンの姿もちゃんと見えている。


ギリギリまで崖っぷちに這い寄ったジャンヌは、首に提げた小袋からミラーを取り出し、慎重に太陽光を反射させた。

左手を前に突き出し、人差し指と中指でVサインを作ると、それを照準の代わりにして反射位置を調整する。

最初はメイルに気がつかれることのないように、崖の下の方を狙って、光を当ててみた。


かすかではあるが、太陽から陰になっている岩場に明るい光の面が見える。

この方式で上手くやれそうだ。


内心では、鏡のフィルムに使われている僅かなアルミニウムの成分に反応されることを少しだけ恐れていたのだが杞憂だったようだ。

フィルムが透明な有機樹脂でサンドイッチされていることも功を奏しているのかもしれない。


ジャンヌはいったん鏡の照準を外すと、赤いバンダナをエミリンの方に向けて振った。

すぐにエミリンも小さくバンダナを振って返事をしてくる。


それを確認した上で、もう一度鏡の光を、メイルのいる崖の下に当てていく。


少しずつ照準を上に上げていき、メイルの居場所のすぐ真下まで、ゆっくりと光の輪を移動させた。

そのまま、手を動かさないように我慢しながらじっと待つ。


だんだんと筋肉が悲鳴を上げてくるが、ここが我慢のしどころだ。暑さで目に汗が流れ込んできて沁みるが、動くわけにはいかない。

そろそろ限界だと感じ始めた頃、谷のどこかでかすかな炸裂音が響くと同時に、狙っていた崖の縁がもうもうたる土煙で包まれた。


一拍のあと、轟音が聞こえてくるとともに崖が崩れ、谷底に向かって大量の土砂が崩落していく。

土煙の中に黒い塊も見える。メイルを崖下に落とすことに成功したようだ。

いかに頑丈なメイルといえど、この高さから落ちて無事だとは思えない。


ジャンヌは引きつり始めた腕の筋肉をさすりながらゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向いた。

小さく見えるエミリンが、両手を頭の上に上げて、大きな丸を作っている。

成功した、という意味だろう。


ジャンヌは大きく背伸びをしてから、体中についた土埃を払った。

全身が土にまみれて、下着の中まで乾いた土の粉が入り込んでいるが、それがいかにも野生動物らしいと思って一人で笑う。


『金属反応がなければ、人間はメイルに襲われないかもしれない』


この事実は、今後のための大きな知見になるような気がする。

もちろん、メイルの目の前に立てば話は別かもしれないし、その時には人命が失われる可能性もあるが、とりあえずは収穫だ。


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ジャンヌと一緒に崖下に戻ったエミリンは、ドローンを再び離陸させて周囲の警戒を再開した。


「僕よりも先にエミリンが気づいてくれたから上手くいったね。やはりこういう込み入った地形では、エミリンのドローンが頼りになるよ」 と、アクラ。


エミリンはそう言われてちょっと嬉しかった。

実はドローンを持っていったらどうだろうと提案したのも、ただアクラの世話になっているだけでなく、なにか自分にもできること、みんなの役に立てることがないかと悩んだ上のことだったからだった。


「峡谷好きだった私が言うのもなんだが、こんなところにもメイルがいるとは、本当に油断できんな」 


警報解除で再び動き出したオマルがトーキーを通じて言う。


「ひょっとしたら、あれはワンダラーじゃないかなって気がするんだ。自分でちゃんと分析してないから断言はできないけど」 とアクラが答えた。


「ああ、そうかもしれん。それなら納得がいく」


ワイトが意外な説明をしてくれた。


「ワンダラーというのは広域移動メイルで、初期のプランでは『パトロール』と呼ばれていたものだ。メイルが人類の陸地への進出を物理的に防ぐものとして配置され始めた時、内陸部での配備数を効率化するために、広範囲に動き回るよう意識下に仕組まれたメイルが一定数いた。

その後、沿岸への配備数が十分になり内陸部のメイルの数にも余裕が出始めた時点から、対人類用のパトロール個体ではなく、単にメイルのテリトリーが固定化するのをシャッフルするためのイレギュラーな存在として送り込まれていたはずだ」


「うん。それは僕らの経験と一致するな。でも、なぜワンダラーというかパトロールにはエイムがいないんだい?」


「エイム社会には必要ないからだ。エイムならいつでもM.A.I.N.の意思一つで、好きな個体の行動を変化させられる。メイルのように、それをあらかじめ個性として与えておく必要はない」


「なんだか殺伐とした話だ。かと言ってワンダラーを歓迎するわけでもないけどね」


赤っぽい岩肌の周囲とは異質な質感の灰色をした瓦礫の岩山を登りながら、アクラの感想はもっともだとエミリンは思った。

ほんの数ヶ月前までは同じものだと思っていたのに、エイムの実態を知ったいまでは、メイルとエイムはまったく違うものに思える。


メイルはいまは敵かもしれないが、いつかわかり合える日が来るような気もする。しかし、恐らくエイムはそうではない。


それは、フギンとムニンが大好きなエミリンにとって、何とも複雑な感情を呼び起こす事実だった。


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