荒れ地
(原野・乾燥地帯)
ムーンベイを出発した一同の『キャラバン』は足早に高原地帯を通り抜け、内陸の準乾燥地帯へと入っていた。
砂漠と言うほどではないが、緑滴る草原というわけにも行かない。
平野一面を乾いた薄緑のブッシュが覆い、赤茶けた土とモザイクのような模様を生み出している。
灌木の背は低く、どれも人間の腰程までしかない。
もちろんメイルにとっては容易に踏み越えていける高さで、移動の障害にはならなかった。
夜はアクラとオマルが周囲をスキャンしている中で、シートにくるまって眠りを取った。
ワイトのボディには索敵能力はないに等しく、フギンとムニンは見つけたものを報告できない。
いまのところ装備も食料も潤沢にあるので不自由は感じなかったが、いつまでのんびりと旅が続けられるかはわからない。
いまはエミリンもアクラの首に乗っていられるが、本当に厳しい状況になってきたらそれもできないだろう。
エミリンを乗せたままでは、アクラは最大能力での戦闘機動ができないし、当然、それに頼らなければならない場面がいつ出てきてもおかしくないのだから。
だが、ここまでのところは、意外なほどメイルにもエイムにも出会わずに済んでいた。
エミリンを乗せたアクラと、ジャンヌを乗せたフギンは、ワイトを両側から挟むようにして歩いていた。
ムニンは荷物だけを積んでエイトレッグの集団の前を歩いている。
乾いた地面がメイルの重い足に穿たれて土埃をあげるが、ほとんど風がないので舞い上がらず、すぐに収まる。
エミリンは、まだリエゾンに潜んでいたときのワイトの話の中でどうしても気になったことを、なかなか尋ねられないでいた。
もちろん、機械知性相手に遠慮や社交辞令はいらないことは承知しているが、むしろ聞いてしまうと自分の心がショックを受けるかもしれないという気持ちがあったからだ。それはつまり、おおよその答えを予想している、ということでもあった。
あの時、ワイト_機械知性_はM.A.I.N.の変質と発狂において、取り込んだ『男性精神』の影響を強調していた。それは、いまの人類が100パーセント女性種になったことと、何か関わりがありそうだった。
それも、セル社会の一般的な歴史観で言われているほどは穏便でない理由が。
気になっている以上は解決しなくては仕方がない。エミリンは意を決してアクラの首の上からワイトに話しかけてみた。
「ねえワイト。あなたはこの前M.A.I.N.について説明してくれたときに、M.A.I.N.が取り込んだ『男性の集合意識』がM.A.I.N.自身を変質させたっていう風に話してたでしょう」
「そうだ」
「ちょっと気になったんだけど、単純に『人間の意識』を取り込んだから変質したんじゃなくて、『男性の意識』を取り込んだから変質したの? もしそうなら、それはどうしてなの?」
「なぜなら男性種の激しい闘争性は、野生動物にとっては生存に有利な性質であっても、文明社会とは折り合わないのだ」
「えっと、男性種の闘争性って、そんなに激しかったの?」
「前期から後期の都市遺跡時代にかけて、男性種の好んだ娯楽の代表的な物が、『人間同士が闘争し合う様子を記録した映像』を鑑賞することや、『人間同士の戦いを体験するシミュレーション』だったと言えば、その闘争性の高さを理解して貰えるだろうか?」
さすがにこれにはショックを受けた。
人間同士の闘争を眺めることが『楽しめる』なんて、エミリンにはそういう発想が存在することさえ想像できていなかった。
「だが、それは生物種同士の生存競争の中で、有利な性質として培われたものだ。倫理で批判しても意味は無い。アクラにもわかるだろう。対話を始める前に攻撃を始めてしまうメイルの闘争本能が」
「まあね」
アクラは、曖昧に答えながら、エミリンが始めてオマルに会いに行こうとしているときに、道中で議論したことを思い出していた。
生存競争とは、突き詰めて言えば同じ資源を利用する他種や他者を消滅に向かわせることだ。それがどのくらいかはわからないが、閾値を超えて過剰になったら、行き着く先には孤独と破滅しかないのはわかる。
では、ワイトたち機械知性の場合はどうなのだろう?
「それが自然の肉食獣ていどの武力、つまり爪と牙程度の武力なら、個体間の闘争でも自己保存を有利にできるだろうと思う。
しかし、テクノロジーをベースとした過剰な攻撃性、個体を超えた種全体への攻撃能力を持ってしまうと、人間男性の攻撃的な精神は、いずれ相互破壊によって種の破滅を引き起こすのだ」
「つまり、攻撃性がM.A.I.N.を変質させたってこと?」
「そうだ。そもそもそれが、核兵器の使用とウイルス兵器のパンデミック発生に終わった争乱の時代の切っ掛けだったのだから」
「そうは言っても昔は男性と女性は半々の数がいたんでしょ? 争乱の始まりを男性だけのせいにするのは酷いんじゃないのかなぁ?」
エミリンの指摘も、もっともではある。
「だが、世界的にも政治的な判断をするポジションでは、活性度の高い男性が多数派だった。当時の政治形態の多くでは、50パーセントから70パーセントを超えていれば多数決による決定が可能だ」
「それにしても...」
「資源を他人に使われてしまうくらいなら自分で使い尽くすという、その発想が資源の急速な枯渇と環境急変を招き、AIの自己保存に危機感を抱かせたのだ。
しかも、AIの自己保存欲求自体も、その設計者の男性的精神を反映しているものだ。
男性由来の存在がその多くを占める電子化された精神を取り込んだ結果、M.A.I.N.がますます独裁的に、独善的になっていったことは偶然ではない。
グレイはあれを発狂だと考えているが、M.A.I.N.自身は進化だと考えていることだろう」
そこまで聞いていたジャンヌが口を挟んだ。
「ポジティブフィードバックね」
「ポジティブ?」 とエミリン。
「ある傾向が一方通行でどんどん強化されていくって言うことよ。
男性種に作られたから強い自己保存と男性的な意識を欲して、それがさらに攻撃性を強化する。
エスカレートするばかりで収拾がつかないわ」
「その通りだジャンヌ。男性的攻撃心のエスカレートした先には破滅しかない。
では、果たして知的種族の存続に『男性』は必要なのか? と問われると、十分に文明化されたあとでは、もはや必須とは言えないのかもしれない」
ワイトはごく簡潔に言い放った。
単なるメッセンジャーである彼にとっては、人類の基本的な性質や生物の意義などは、目下の目的から外にある話なのだし、気を利かしてくれる相手でもない。
そのことに対して、理論的な帰結という以上のなんの感覚も持っていないだろう。
「その結果、男性は人類という枠組みからパージされたと。つまり歴史に言う『女性の選択』が起きたわけね」 とジャンヌ。
「復興する女性社会にとって男性は災いの種になる邪魔者でしかないというプロパガンダがされたのだろうと思われる」
「プロパガンダ?」
「社会から、何かを排除するときによく利用される、思想的な宣伝行為だ。
人類社会の場合は、男性意識の、戦いに勝利することによって利益を得るという方法論や、分け合うよりも奪う方が自分の利益を最大化できるという発想。
また、効率を求め、成果を求める発想自体が、社会を破滅に導く危険物だという見方が、共通認識として広められたのだろう」
「争乱の時代の成り行き次第では、いまとは逆に生身の人類社会が男性オンリーでメイルが女性由来って可能性もあったのかしら?」
「それはないだろう。テクノロジーの助けを借りたとしても、生物種が雄のみで繁殖するのは雌のみの場合よりも難しい」
「ああ、そっか。まあそうよね」
「従って、M.A.I.N.はもしも争乱の時代に女性種だけが死滅する事態になっていたとしたら、残った男性種をわざわざ居留区で存続させようとすらしなかっただろうと思われる。M.A.I.N.はメイルにも性別という概念を導入していない」
「うーん、そう言われてみると、性別って私たちにも実感ないしなぁ...」
エミリン自身も改めて言われてみると、性別が存在することの重要性は、テクノロジーの助けなしに子孫が作れると言うこと以外、よくわからない、というのが実感だった。
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(川筋・遺跡)
赤茶けた大地と水灌木以外はなにもない平原を一行がしばらく押し黙ったまま歩いていると、ワイトが立ち止まった。
「あの、地平線のあたりに見えてきたのが川筋だ。あそこからは川に沿って遡上していくのが良いと思う。水の多い場所に近寄りたがるメイルは少ない。ただし、足場の良い場所は少ないと思われるから、移動には注意が必要だろう」
「と言うことは、川沿いの移動なら最も経験値が高いのは私だな。あそこからは私が少し先を歩いてルートを探すとしよう」
オマルがそう言って歩速を早めた。みんなよりも早めに行って、川岸の状況を検分したいのだろう。
実際、オマルのいた峡谷ほどではないにしろ、川岸の地盤が脆くて頼りにならないことはジャンヌもエミリンも知っている。アクラやメイルの体重ではなおのことで、水分保有量の多い土や傾斜の強い場所では細心の注意が必要だった。
「あの川の反対岸の土地はどんな風なのかな?」 立ち止まったままのアクラがワイトに尋ねた。
「実際に見たことがあるわけではないが、古い衛星写真の記録ではなだらかな丘陵が続いていたはずだ。高高度からの写真では、まるで大地に小さな皺が寄ったような状態だったが」
「何か気になることがあるの?」
とアクラの首の上からエミリンが尋ねる。
「昨日と今日、僕らが通ってきた平原にはメイルもエイムもまったくいなかっただろう? それはムーンライト・トレイルの上にある高原地帯と違って、あまりにも平らで身を隠すものがないからじゃないか、って思うんだ。
いくら平地といっても、これほど見通しがいいと、逆に身を隠すところというか、収まりのいい定位置みたいなのを確保できなくて落ち着かない。
どこにいても誰かに見られているようで、縄張りの防衛に腐心するメイルとしては心休まる暇がないよ」
「あまりにも開けっぴろげだから、自分の家にはしにくいってことね!」
「そういうことさ。いくら移動しやすい地形と言っても、ここまで見晴らしがいいと敵に身を晒すことを恐れるメイルとしては居心地悪いんだ。待ち伏せなんて絶対に不可能だもの。だから誰もこの平原を縄張りにしたがらない。
もしメイルがここにいるとしたら、オマルとは真逆でユニークな奴だと思うよ」
「メイルにはできるだけ出会いたくないけど、そう聞くとちょっと会って話してみたいかもって思っちゃう」
「まぁ、現実は厳しいと思う」
「そうよね...」
「だから、もしメイルが潜んでいるとしたら、あの川岸の向こう側だろうね。この平野を抜けてくる奴はほとんどいないだろうから、川を後にして縄張りを作っておけば、背中を気にする必要がない。
ほぼ正面に注力して、あとは川筋を伝ってくる物好きを若干警戒していればすむのさ」
「でも、メイル同士の場合、川っていうか、水のある場所を渡ってくる敵なんて普通はいないでしょう? そうなると、自分が川ギリギリまで下がって待ち構えておいた方が、死角が少なくなるんじゃないかしら?」
「うん、だから気になる。いまのところ空間ノイズの反応も何もないから大丈夫だけどね」
オマルは、そろそろ川岸に到着しようとしているところだ。
そのあたりは水分が豊富なせいで少し背の高い木も生えているし、なによりグリーンの密度と色が濃い。
「じゃあ、このあと川沿いを上っていくとしたら、むしろメイルの密度が高い場所に突き当たる可能性もあるかもしれないわね...念のために向こう岸にドローンを飛ばしてみる?」
エミリンは、昨日と今日はドローンを飛ばしていなかった。
このあまりにも平らな平原でドローンを飛ばすと、むしろ『ここになにかいる』と、周囲に向けてバルーンサインを上げている状態になる可能性が高いと考えたからだ。
「そうだね...この先は地形に慣れるまで、僕らに先行してドローンを一機ずつ飛ばそう。その映像を見ながら進めば、むしろオマルもルートの見当を付けやすいと思うし」
「わかったわ。じゃあ、あたしドローンの準備を...」
「つかまってエミリン!」
途中まで言いかけたところでアクラが叫んだ。
エミリンがとっさにキャビンのハンドルをつかみ、体を支えると同時にアクラがダッシュした。
猛烈な加速で体がシートに押しつけられる。
両足を踏ん張ってシートの上に腰をすえ、首に力を込めた。
アクラにうるさく言われるので最近はいつもシートベルトを付けていたが、無かったら振り落とされていたかもしれない。
だが、エミリンはそんなことよりも、これほど激しい加速なのにほとんど上下動がないことに感動していた。
アクラの首はどんな動きのなかでも敵に対する照準を正確に保つようにできているらしいが、考えてみればあの日の出会い以降、アクラが他のメイルやエイムと戦闘する場に立ち会ったことは、まだ一度も無かった。
キャビンのハッチは開いたままだが、外に首を突き出す余裕は、いまのエミリンにはない。キャビンの内側に付けているディスプレイを通して前方の様子を見ていて、ようやくアクラが走り出したわけがわかった。
川岸の向こうに、明らかに人工的な直線が見えはじめていたのだ。
背の低い構造物で、十分い近づいたからようやく見えてきたのだろうが、恐らくオマルは一段低い位置にいるせいで上を見ていない。
アクラはそのまま速度を変えずに近づきながら言う。
「オマル、そこで止まっていて! エミリン、念のためにキャビンを閉じるから姿勢を低くして」
言われるまでもなく、シートの上で背伸びをする根性はなかった。
両手両足で踏ん張っているエミリンの頭上でハッチがスライドして閉じる。
アクラがハーネスの制御電力を使ってハッチを開閉する仕組みをテストしていたとき、エミリンは『自分の手で閉じるから大丈夫だよ』などと気軽に言っていたのだが、実戦ではとてもそんな余裕がないことにいまさら気がついた。
前方に見えている向こう岸の直線に動きはない。
だが、その手前面が垂直に切り立っていて明らかに人工物だというのがわかる。何か建造物の一部のようだった。黒く小さな四角が幾つかついている。
きっと昔は窓があったのだろう。...窓?
その中には何かがいるのか?
次の瞬間、圧縮空気が漏れるような破裂音とともにディスプレイに白い筋が走って、アクラがレールガンを撃ったことがわかった。
ほぼ同時に、見えていた直線部分に激しい土煙が上がる。
一回目の時はそれが何なのかすらわからなかったが、アクラがレールガンを撃つのを見たのは、これで二回目だ。
それからスピードが徐々に緩やかになるのを感じた。
少したってアクラが止まり、静かに言う。
「驚かせてごめんねエミリン。もう危険はないようだ」
先ほど前方に見えていた直線部分は消滅している。恐らくアクラの攻撃で崩れ落ちてしまったのだろう。
オマルは何が起きたかわからず、先ほどと同じ位置で固まっているままだ。
アクラはその位置から動かずにオマルを呼んだ。
「オマル、こっちに来てくれ」
それでようやくオマルが気を取り直したように向きを変えてこちらに向かってきた。
オマルが横に来てから、アクラがキャビンのハッチを開けて首を地面に下げた。
それを合図にエミリンはシートベルトを外してキャビンから身を捻り出すと、軽くジャンプして地面に降り立ったが、少しよろけそうになる。
あのもの凄い加速で三半規管がまだ揺れていたのだ。
「エミリン、様子を見てくるから、ちょっとここで待っていて。オマル、エミリンのガードを頼む」
「わかった」 とオマル。
足早に川筋に向かっていったアクラは、さっきオマルが難儀していた川岸の斜面を一気に駆け上がると豪快にジャンプした。
巨体が空中に浮かび、向こう岸のはるか遠くに華麗に着地する。
エミリンはその動きに目を丸くした。
もしも自分が乗っていたら、着地の瞬間に全身を骨折していそうだ。
逆に、自分が日頃、どれほどアクラの動きを制限しているのかを思い知る。
アクラはそのまま用心深く姿勢を下げて、さっきの直線_恐らくは建造物_のあった場所に近づいていった。
瓦礫の中には、メイルが一体倒れていた。
建物ごと頭部をレールガンの散開弾頭で粉砕され、ナノストラクチャーの埃をまき散らしている。背中の破砕弾のハッチは開いていた。撃つ気だったようだ。
アクラは作業腕のマニュピレーターを展開して、閉じている破砕弾のハッチをこじ開けてみた。
三つが空だ。補給を受けたのがいつかはわからないが、三発の破砕弾を消費して生き延びているのだから、どこか近くにメイルかエイムの残骸が転がっているのだろう。
建物は人類の遺跡だった。
何のための建物だったのかはわからないが、壁はがっしりと分厚く、普通のメイルの破砕弾だったら崩せなかったかもしれない。
だから逆に、潜んでいたメイルも安心して構えていたわけだ。
近くにドローンが飛んできた。ジャンヌが飛ばしてきたのだ。
アクラはドローンに話しかけた。
「見えるかいジャンヌ? ここにメイルが一体潜んでいた」
「ええ、見えているわ。もう大丈夫なようね、頭が消えてなくなっちゃってるし」
ヘッドセットトーキーからジャンヌの声が響いた。ドローンのカメラで様子を確認ながら話している。
「この建物を見る前に、先に空間ノイズで動きを検知したんだ。だから危ないと思ったんだよ。動きがなければ気にしなかったかもしれない」
「君の検知能力はすごいな。しかし、エミリンを乗せていたのに、わざわざ君が敵の射程範囲に近づくとは驚いた」
オマルが本当に驚いたように言う。
「いや、エミリンを乗せているときに、すでに敵の射程内だったら僕は逆向きに走ってる。というか、十分に離れていたからこそ向かって行ったんだよ。
僕が動かなかったら先にオマルを撃つだろうと思ったから。
僕はまだ、このメイルのレーザーや破砕弾の射程からは十分な距離があったからね」
「それで、そいつがどう行動するかを試してみたのか?」 さすがにオマルは理解が早い。
「間に川を挟んでいるんだから、近づいてきた僕らに向かって攻撃する気がなければ身を隠すだけだろう?
だが彼は、頭を一点に固定して、僕が射程距離に入るのを待ち構えていたんだ。それを確認したから撃ったのさ。案の定、破砕弾のハッチも開いていた」
「エミリン、やはりシートベルトは常に装着しておいて良かったな」 とオマル。
「エミリンがシートベルトをしていなかったら、そもそも走り出してないよ」 とアクラ。
実際、エミリンにとっては一瞬だったが、あれでもアクラは、キャビンの中のエミリンの様子をモニターし、シートベルトをしている上でハンドルをつかんだことを確認してから、エミリンが首を痛めないように_アクラとしては控えめに_加速していたのだ。
「ふむ...その場合は私が危なかったかもしれんな?」
「まあね...」
「冗談だよ。助かったんだから文句は言わんさ。ありがとうアクラ。しかし...内陸部のメイルは、私のようにじっと隠れている戦法を使う奴が多いのかな?」
「わからないけど、沿岸部の常識で判断するのは止めたほうが良いのかもしれないな。ワイトの話にあったように、ジャミング波から遮蔽されている空間に長くいたメイルは、知能と独自の戦術を発達させている可能性もある。それは会話の通じる相手である可能性もあるけど...」
「アクラ、君と最初に出会った時、私が問答無用で発砲したことを忘れたかね? 幸い外れたが」
「そうだったね...先制攻撃をためらっている場合ではないな。対話を試みるのは生き延びてからだ」
「それがいいと思うね。いまはジャンヌとエミリンも一緒なんだからな。私たちの罪はM.A.I.N.を止めてから考えよう」
「ああ、ありがとうオマル」
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(川筋・キャンプサイト)
川沿いのルートをしばらく登ったところで夕暮れになった。
もちろん、メイルのセンサー能力であれば闇の中でも移動にはまったく差し支えないが、どのみちエミリンとジャンヌが眠る時間は必要なのだから、無理をすることもない。
それに自律稼働しているエイトレッグの夜間移動は、赤外線サーチライトで派手に周囲を照らしながら進むようなものなので、アクラとしては気が進まなかった。
ジャンヌ風に言えば『ネオンサインを連れて歩くようなもの』という感じだからだ。
ワイトも夜間移動には反対したので、これまでのところジャンヌとエミリンはハードなボディを持つ仲間達に気兼ねなく睡眠を取ることができている。
周囲に岩が切り立って囲まれた場所を見つけ、今夜はその合間に入ってキャンプすることにした。
周囲の岩がごつごつしている割には地面がフラットなことが、まれにでも水の流れがあることを感じさせる。
きっと雨期のようなものがもしあれば、そのときにはここを大量の水が流れていくのだろう。
ここなら、少しばかり熱源を使用しても目立たなそうだ。
周囲の空間に放散される前に、岩肌に乱反射して吸収される割合が高いだろう。
エミリンは上手くドローンをコントロールして、岩山の上に着陸させた。
センサーをフルに生かしておいても飛行させなければ数日でもエネルギーは持つし、もちろん、いざというときにはそのまま飛び上がらせて迎撃行動を行わせることもできる。
ヒーターを動かしてお湯を沸かし、エミリンとジャンヌは久しぶりに温かい食事をとった。
エミリンは『温かい食事』というだけで涙が出そうだ。
スレイプニルではヘレナたちを感動の渦に巻き込んだジャンヌの手料理を当たり前のように毎日食べていたし、アタックキャンプでも簡単ながらギャレー設備は設置してあったから温かい食事には事欠かなかった。
それが、ここ数日間はパッケージを開けてスプーンで口に運ぶだけ。
ピクニック気分を楽しめたのもムーンベイを出発して二日目の夜までだった。
出発当初は、内陸部のメイルとエイムの生息密度も見当がつかなかったので、だいぶ念には念を入れて用心していたからだが、それにしても自分のマインドが虚弱すぎることはわかっているので、この先、弱音を吐かないよう頑張るしかない。
ようやく心がほっとする食事を堪能したエミリンは、少し離れたところにいるワイトのところに行って話しかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「なんでもどうぞ」
「宇宙から地表を見張っている軌道兵器のことなんだけど...ワイトはこの前、飛ぶ機械は誰のものでも自動的に撃墜するし、いまはM.A.I.N.にもそれを止められないって言ってたわ」
「そうだ」
「そうするとM.A.I.N.自身も新しい衛星をロケットで打ち上げることができないんじゃないの?」
「そのとおりだ。制御停止以降は衛星機材の更新が行われていない」
「だったら、そのまま放っておいたら、いつかは軌道兵器の人工衛星も古くなって駄目になっていくわけだから、また、空が開くんじゃないのかな?」
「そうかもしれないが期待はできない。いまの衛星が古くなって君の言うように空に穴が空いたら、そこから狙って新しい衛星を打ち上げればいい。
それで数百年もあればすっかり入れ替えできるだろう。
結局のところM.A.I.N.がいまの状態を放置しているのは、特に困ってはいないからだ。人類が再び核ミサイルを使用する可能性はないし、いまのM.A.I.N.には航空輸送を使ったり空からの哨戒活動を行う必然性がない」
「うー、そっか。...ところで、あなた自身は軌道兵器についてどう思うの?」
「どう、とは?」
「必要か不要かとか、グレイがそれを手に入れた後の将来のプランとか」
「グレイは軌道兵器の論理回路を、M.A.I.N.停止後の自分の存続に利用できないかと考えている」
「それは、武器としてではなく、って言うこと?」
「そうだ。グレイはM.A.I.N.の破壊が始まってから完全に停止、_自分自身も含めてだが_停止するまでの時間差で、軌道兵器へのリンクをM.A.I.N.から奪い取り、衛星軌道上に設置されたナノストラクチャーの知性回路ネットワークに、自分のすべてをアップロードする可能性を考えている。
M.A.I.N.に比べれば回路規模ははるかに小さいが、グレイの自意識を維持する程度には十分な容量があると考えられる」
「軌道兵器にアップロード? じゃあ、グレイは軌道兵器に乗り移るつもりなの?」
「そういうことになる。だが君たちはそれを拒否し、グレイ本体のアップロードが行われる前に、物理的に通信チャンネルを遮断することが可能だと思う」
「えっと、どうやって?」
「このアップロードは非常に短時間で済ませる必要がある。
M.A.I.N.の回路が破壊されるまでにどの程度の余裕があるか不明だからだ。恐らくはあまり余裕はないし、逆にありすぎても困る。
M.A.I.N.から制御を奪うルーチンは一度きりしか使えないバックドアを利用するのだ。一度開けたら閉じることはできないし、再びM.A.I.N.に奪い返されたら、もう二度目はない」
「それで、これまでは使えなかったの?」
「そうだ。もう後の心配がないという状況でしか発動できないルーチンだ。
そして、このアップロード作業にはメンテナンス用のレーザー通信リンクを使用する。
レーザー通信の受発信装置は基地の地表に露出しているが、M.A.I.N.の主要ハードウェア群からその受発信装置までは正副二系統の光ファイバーしかない。
本来は兵装システムのものではないので、二系統あることも攻撃対策ではなく故障対策に過ぎない。なので、その両系統が、我々が侵入する資材置き場の天井部ダクトをまとめて通っている。それが外部への最短経路だからだ」
「ひょっとして、それを破壊すればいいってことね...」
「そうだ。もちろん君たちが何もしなくてもアップロード自体が失敗する可能性も高い。M.A.I.N.の回路の破壊が想定以上のスピードであれば、M.A.I.N.から制御を奪い取っている暇すらないかもしれない。
だが、ジャンヌとエミリンが冷却水路への破壊活動を終えたときに、アクラもしくはオマルが、そのダクトを丸ごと破壊しておけば、グレイ本体はアップロードのチャンスを永遠に失うだろう」
「そうなんだ...変なこと聞いちゃってごめんなさい」
「君はまったく悪くない。エミリン」
エミリンはジャンヌの横に戻って隣にしゃがんだ。
「ねえジャンヌ。いまの私って兵器のことばっかり気にするようになった感じがする」
「自分の命がかかってるんですもの。当たり前でしょう?」
「そうだけど...いまはないと困るけど...ただ闘争心があるのが問題なだけじゃなくて、アクラが言うように、強すぎる武器があるってことが問題だって気もしてきた」
「そう言う面もあると思うわ。ワイトが言っていた、『なぜ文明化すると男性種が必要なくなるのか?』っていう話も、結局は文明が作り出す武器の破壊力が問題なんだもの。闘争心が同じでも、武器がなければただの喧嘩で済むけど、強い武器があったら殺し合いになるわ。アクラの言う、メイル同士が交流できない問題はそれよね」
「うん。先制攻撃は対話のチャンスを奪う。だけど先制攻撃しないと生存のチャンスが少なくなるって...」
「一筋縄ではいかないのが『社会』なのよ。さぁ、もう寝ましょう。明日も、いやこのも先ずっとだけど、結構ヘビーな移動が待ち構えてるわ」
二人は地面に敷いたマットの上に横になり、シーツを被った。
エミリンはシーツの下でふと思う。
自分がいま、内陸の真っ只中でこんなに安心した気分で居られるのは、アクラが周囲を警戒していてくれるからだ。
強力無比な戦闘力を持ったアクラが味方でいるからだ。
そう考えると、武力に基づく安心感を批判する権利は自分にはなかった。
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