峡谷のメイル


(高原地帯・峡谷のメイル)


峡谷のメイルは自分で言った通りの体制で崖の縁に座っていた。武装のハッチもすべて閉じている。


アクラが近づいていくと、彼が言った。


「アクラ、私の自意識は、この姿勢を変える必要をまったく感じていない。

だから、もし私の体が少しでも動こうとしたら即座に撃ってくれ。検討する必要はない」 


「わかった。では、人間と会ってくれ」 

「どこにいるのだ」 


「ここだ」 アクラはそう言ってキャビンのハッチを開いた。


中からエミリンが背を伸ばし、峡谷のメイルに向き合う。 


ー こんにちは ー


エミリンの挨拶をアクラが通訳した。


「これが人間だ。君に挨拶をしている。私はこの人間を守ることをすべての行動の優先順位の第一に置いている。

だから、もしもの時は君であっても破壊しなければいけなくなってしまうのだ」 


「人間とは小さいなアクラ。正体のわからない、ざわざわとした危険の可能性を心の中に感じている。だが、攻撃したいという欲求は生まれていない」 


「それは良かった。危険の可能性を感じるのは人間の存在そのものではなくて、初めて直面した事態へのものではないだろうか?」 


「そうかもしれない。攻撃欲求はまったく感じられない。しかし警戒は解かないでくれアクラ」 


「幾つか聞きたいことがある。また、この人間も君と話してみたいと言っている」 

「私の言葉は通じるのか?」 


「通じない。だから、私が代わりに伝える。この人間の言葉も、私が君に伝え直す」 

「わかったアクラ。聞きたいこととはなんだ?」 


アクラがその言葉をエミリンに伝え、エミリンの回答をアクラがメイル語に翻訳した。


「まず、このエミリンからの質問だ。『君は人間を敵だと思ったことがないのか?』と聞いている」 


「ない。いままでその存在を知らなかった。いや、待ってくれ...実は以前から知っていたようだ。だが確かではない。よくわからない」 


「そうか。『君はいつからここにいるか?』と聞いている」 


「・・・・・覚えていない。沢山の時間が過ぎた。崖の上の植物、緑色の群体の位置関係もかなり変わった。それくらい沢山の時間だ」 


「わかった。『君はなぜ、他のメイルを破壊したいと思っていたのだ?』と聞いている」 


「自分を守るためだ。自分を守るためには相手を破壊し、相手のCOREを破壊しなければならない。アクラと出会うまではそう思っていた。

いまでは違う。相手を破壊したいという欲求はない。自分さえ守れれば良い」 


「待ってくれ、『CORE』とはなんだ?」 これはアクラ自身の質問だった。


「COREはメイルの特徴だ。メイルにはある。エイムにはない。エイムはCOREを持っていないから、ただ戦うだけだ。破壊する必要さえもないのだが、エイムは必ず向こうから攻撃してくるから戦わないでいるということができない」 


「そうだな」 


「メイルと戦ったなら、相手のCOREを破壊しなければ勝ったことにならない。それまでは戦闘は終わらない」 


「君もCOREを持っているのか?」 

「もちろんだ。アクラは持っていないのか?」 


「・・・・・持っているような気がする。だが、いままで存在を意識していなかった」 


「そうか、COREはセンサユニット集合体の真下、ボディとの付け根の境目から前方の部分にある。いまは体を動かせないので、場所を示すことができないが...それを破壊しなければ敵メイルを破壊したことにはならない」 


「COREはエイムにはないのか?」 

「ないことを知っている」 

「なぜエイムにはないのだ?」 

「それは知らない」 


アクラの記憶にもCOREという名称はあるようだったが、いまのいままで表層意識に登ったことがなかった。

メイルにはあってエイムにはない、というのも不明瞭な状態だ。

それについては後でもう少し検証してみることにして、アクラは質問を変えた。


「ところで君の巣は近くにあるのか?」 

「巣とはなんだ?」 


「自分の予備部品を保管したり、ボディの修理をしたりする場所だ。補給品を蓄積していたりもする」 


「知らない。巣とは何かが私にはわからない。私はそんな場所に行ったことがないし記憶の中にもない」 


「では、君の補給はどうしているのだ。例えば、使ってしまった破砕弾の補給は?」 


「リエゾンが来る。アクラのところには来ないのか?」 

「来る。君もリエゾンから補給を受けているのか?」 


「そうだ、リエゾンが近くに来たらビーコンの反応で解る。予定進路もわかるから、自分に一番近くて危険のなさそうな位置に行って待っておく。

そこにリエゾンが来たら、じっとしている。

リエゾンは私のボディをスキャンし、エネルギーパックの入れ替えや空になった破砕弾の発射筒への装填などを行ってくれる。

すべてが終わったら、リエゾンはまたどこかへ行く」 


「リエゾンと会話はしないのか?」 


「しない。リエゾンからは補給される物資のリストが伝えられるだけだ。

確かに会話を試みたこともないが....話しかけられたことも一度もないと思う。アクラはリエゾンと会話しているのか?」 


「いや、ない」 


「アクラは私とはボディの形状も違う。エネルギーの消費量も多いのかもしれない。その『巣』という場所があったりすることは、君のタイプ特有の事象かもしれない」 


「そうだな」 

「ところでアクラ、私からも質問して良いか?」 

「なんでも聞いてくれ」 

「その『人間』は、私からの質問を受け入れてくれるだろうか?」 


「もちろんだとも」 アクラは答えた。


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(ムーンベイ・森林地帯)


高原地帯から森への斜面を下り始めた時、遥か彼方に海が見えた。


ムーンベイを出た時は朝靄の残る早朝だったが、いまでは午後の日差しが斜めになり始めている。

アクラは、行きよりもスピードを緩めて慎重に山肌を降りていく。

峡谷のメイルの縄張りを出るときから、キャビンのハッチはずっと開けっ放しのままだ。


彼との対話は無事に終わったが、アクラと違う一般的なメイルが『巣』をもっていないらしいというのは発見だった。


メイルや恐らくエイムも補給を完全にリエゾンの訪問に頼りきっているわけで、アクラのように基地も倉庫ももっていないということだ。

逆に、アクラにはなぜそんなに『豪華な』待遇が与えられているのかの方が謎だと言っていい。


彼はエミリンと『直接対話』を試みたがったのでしばらく色々とやってみたが、もちろんエミリンが『メイル言語』のパルスを聞き分けて復号することは不可能だし、彼の方も、なかなか『人間語』の音声を出してみるのは難しいようだった。


しかし、エミリンの出す言葉への理解が近づいている感触はあった。

彼にもアクラと同じような人間語の記憶があるらしいことは伺えたし、時間さえかければ人間の単語と音声での対話を行うことはできるだろう。

やはりアクラに限らず、メイルの起源に人間が大きく関与していることは間違いなさそうだ。


「彼が言っていた『CORE』のこと。やっぱりどうしても引っかかるなぁ」 


キャビンから身を乗り出して海へ向かう風景を眺めていたエミリンがポツリと言う。


「僕は、他のメイルを破壊したいという意欲を積極的に持ったことがなかったから、その存在に気が付いていなかった。

自分にそれがあるかどうかも、その意味も考えたことがなかった。今日彼と話すまでCOREの名称さえも思い出していなかった」 


「どうして、COREを破壊したいと思うんだろう?」 


「彼も、なぜそうなのかはわかっていなかったね。ただ、その欲求があることだけを認識していた。それ自体が僕にはない欲求だが」 


「彼は、相手のボディを破壊することをCOREを破壊することと同一視していたわ。つまり、敵を倒すってことはCOREを破壊することだって意味よね? 

でも、そんなに重要なはずのCOREが自分たちの機能において、どんな風に何の役に立っているのか、彼もわかってなかったわ」 


「僕もわかっていない」 


「だけどCOREはアクラの自己分析では脳の一部よね。記憶回路的な感じなのかしら?」 


「そうかもしれない。ただ、彼はエイムにはCOREが存在しないと言っている。

エイムとメイルの機能や装備はほぼ同じだから、それほどの重要部品であれば、逆にエイムにはないということが不思議だ。

エイムとメイルの差は、行動的には攻撃性の強さと戦術の単純さぐらいしか思い浮かばない。ボディの中身を詳しく比較したことはないので、物理的にはどうかわからないけれど」 


「アクラは、エイムと対話したことはないの?」 ふとエミリンが尋ねた。


「エイムとの対話が成功したことは一度もない。言われてみると、エイム相手の場合は、僕自身もそれほど強く対話を試みようとはしていなかったかもしれない」 


「それはなぜ?」 

「なぜだろう?...」 


それからアクラ自身も突然気がついたようにこう言った。


「いま気がついた。エミリン、僕は他のメイルのことを自分の中で『彼』と呼ぶ。

しかしエイムのことを『彼』とは呼んでいない。

『あれ』あるいは『それ』と呼んでいた。

いま改めて気が付いたけれど意図的ではなくそうしていたし、それに彼の表現も翻訳すれば同じだった。そのことと関係があるのかもしれない」 


「いまの人類の言葉では、『彼』は自律行動するマシンを指す言葉だわ。でも『あれ』とか『それ』は、単純な物体を指す言葉ね。

レイバーマシンのように自律的に動くようなものじゃなくて、もっと単純な、箱とか家具とか機材とか、とにかく自分からは動かない『モノ』を指す言葉よ」 


「そうか。彼の言っていたことをまとめるとこうだ。自分を守るために他のメイルは倒したいと思っていた。そして、他のメイルを破壊するということは、すなわちCOREを破壊することだと」 


「そうね」 


「だがエイムはCOREを持っていないらしい。だから積極的に破壊したい相手ではないが、逆にエイムは必ず攻撃してくるので戦わないわけにはいかない」 


「そうだったと思う」 


「エイムがCOREを持っておらず、メイルの間で破壊対象にされていないことと、僕や彼がエイムを『彼』と呼ばずに『あれ』という風に呼んでメイルとは区別し、エミリンの言葉を借りれば『もの』として扱っていたことには関係がありそうだ」 


「そういえば森の中にはあの、私を助けてくれたときに倒したメイルとエイムの残骸が、まだそのままあるんでしょう?」 


「うん、メイルの残骸はドローン代わりに山肌の中腹に置いてきているけど、いじってはいないからボディはそのままだ」 


「だったらメイルの残骸には、COREがまだそのまま残っているかもしれないわ。それを調べてみたら何かわからないかしら?」 


「それはいいアイデアだエミリン。戻ったら早速調べてみよう」 


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森に入ってしばらくしたところでスレイプニルとの通信リンクが復活した。


高原地帯では明らかに環境ジャミングの影響を感じたが、帰路に高原地帯の入り口から森の中に入るまで通じなかったのは、環境ジャミングの影響というよりも、単にエミリンが身に付けているポータブルな通信装置の出力とトランスポンダまでの距離の問題だろう。


明らかにホッとした声のジャンヌにETA(予定到着時刻)を告げると、ジャンヌの返答は『晩ご飯はエミリンの好きなスパイシーシチューとキノコのパイよ』だった。


どうも最近のジャンヌはキャラが変わってきているような気がする。


それにしても、エイトレッグだったら往復三十時間以上はかかっただろう距離を、アクラは1/5の時間で駆け抜けた。

晩ご飯までにはまだ時間があるので、まずは近くにあるメイルの残骸を見に行ってみることにした。


一応ジャンヌには断りを入れ、ETAを修正する。


ムーンベイへと下っていく途中で山側へと道を外れ、なだらかな斜面を登って中腹まで進む。

なだらかとは言ってもエイトレッグだったら結構揺れそうな灌木の茂みが続く中を、アクラは大股にかき分けて行った。


しばらく登ってから少し起伏がある木立の脇を回り込むと、いきなり目の前にメイルの残骸が転がっていた。

それを見て、あのときの様子がエミリンの脳裏に鮮やかによみがえる。


傷一つないボディのまま横たわっているメイル。

押し返されたドローン。

残骸の脇で、別のメイル_今ではエイムだったと分かっているが_が近寄ってくることに気づいた時の驚き。

そして死を覚悟した瞬間と、その後の驚くべき出来事...。


今のエミリンにとってこのメイルの残骸は、自分の死地の記憶である以上に、アクラとの邂逅をもたらしてくれた懐かしいものに変わっていた。


残骸の真横に近づいてから、エミリンはアクラの背から降ろしてもらう。


エミリンはアクラの背から降りたが、このメイルはボディに傷の一つもない状態で、どうやって内部に手を入れたらいいのかわからない。


「これは、この場で分解して調査しよう。僕はこれを哨戒装置の一つとしてここに置いたのだけど、恐らく電磁波を出さなくなったいまでは、メイルたちはこれに興味を持たないだろうからね」 


アクラはそう言って、肩から作業腕を展開した。


エミリンは、メイルの残骸を眺めながら、あのときに自分がどれほどこの残骸の調査に浮き足立っていたかを思い出す。

メイルの秘密を少しでも探るために、なんとかしてナノストラクチャー回路の一部とか、それもできれば記憶装置みたいなものを持って帰れないかと必死になっていた。


いまは、その生きたメイルが隣にいて、どちらもお互いにメイルの秘密を知らないという事実を共有している仲間だ。

本当に人生は何が起こるかわからない。


「下がって、僕のボディの陰にいてもらえると安心だエミリン」 

アクラにそう言われて、後ろに回り込む。


アクラは作業腕をメイルの頭部に近づけ、そこからレーザーを当て始めた。

戦闘用のレーザー速射砲ではなくて、あくまでも作業用の切断レーザーだが、パワーは十分なようだ。メイルの外板に真っ直ぐな線が伸びていき、それが一周してひとつながりになる。

そこで、メイルの頭部がぐらっと揺れた。切断できたようだ。

エミリンはそれを見て、アクラがどういう風にムーンベイの木立を伐採して回ったのかがわかった。


さらにアクラは作業腕の先端から折り畳んでいたマニピュレーターを開き、メイルの頭部の中を探っていった。時々、手を戻してはレーザーを再照射し、障害物を取り除いて中を探っていく。

やがてアクラは、鈍い銀色をしたシリンダー型のパーツをマニピュレーターに保持して引き出してきた。


「これね...」 


「危険なものではないと思う。エネルギー反応もまったくないし、炸薬の類があるような密度でもない」 


取り出したCOREの周りを、アクラのスキャナーケーブルがくんくんと鼻を鳴らしている犬のように嗅ぎまわりながら言う。


「スレイプニルに持って帰って分析してみましょう。それともアクラの巣のほうがいいかしら?」 


「いや、君とジャンヌさえ良ければスレイプニルのほうが良いと思う。機械工作や作業には巣のメンテナンスケージが役立つけど、恐らく分析装置はスレイプニルのほうが高性能だ」 


「じゃあそうしましょう。ねぇアクラ、ついでだから、いまからエイムの残骸のほうも調べて見ない?」 


「そうだね。まだ暗くなるには時間がある。ジャンヌの用意している夕食にさえ遅れなければ大丈夫だろう」 


いつの間にかアクラも、エミリンとジャンヌ間にある文脈を掴みつつある。

再びアクラの背に乗せてもらい、森の奥の窪地へと下っていく。


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あの奇跡の起きた草地の端で、崩れかけたエイムの残骸はそのままになっていた。


いや、いまはエミリンはアクラからエイムだと聞かされているからわかっているが、当時はメイルだと思っていた残骸だ。

その違いは未だに理解できていないのだが、アクラの攻撃で完全に破壊されてエイムのボディは崩壊寸前だった。


頭部の上半分や左肩は、まるでカミソリで切ったかのようにすっぱりと切断されていたし、胴体のほとんどの部分が貫通した大穴だらけで、構造を保っていない。

改めてアクラの攻撃力の凄さを目の当たりにし、『僕と同じタイプに出会ったらスレイプニルでも無事では済まない』というアクラの言葉を実感する。


少し傾いてきた午後の日差しが、生い茂る草に深みのある影を与えて、エイムの残骸を囲っている。

崩れ落ちた残骸の隙間を縫って沢山の植物が伸びているのを見ると、エミリンはあの日からの時間の経過とともに、有機生命の強さを感じずにはいられなかった。

もしも植物に自意識があったら、自分がエイムの残骸の隙間に生まれてしまったことを不公平だと思うのだろうか?


残骸の頭部に近づいてしゃがみこみ、メイルの場合のCOREのありかと思しきあたりを裂け目から覗き込んでみるが、暗くて良くわからない。


「ちょっと破壊し過ぎちゃってるから、お目当てのものが見つかるかどうか...」


そう言うと、アクラがスキャナーケーブルを伸ばして、エイムの頭部に送り込んで行った。

あの時この場所で、このスキャナーケーブルとディスプレイを介して、エミリンはアクラとの初めての対話を行ったのだった。


それを思い出しながらエミリンは、残骸の中を探るスキャナーケーブルを少し懐かしいような思いで見つめていた。


ほどなく、アクラが声を出した。

「見つけたと思う。たぶんこれだ...ちょっと待って」 

そう言いながらアクラは何かを試みている。


エミリンが黙って待っていると、横に立つアクラのボディの一角に画像のようなものが浮かび上がった。


「すごい、アクラ。そういう手があったのね!」 


「キャビンの中のディスプレイと同じ手法だよエミリン。意識をそこに合わせて意図的に制御すれば、僕のセンサーが得ている画像を整理して、好きな場所の装甲板に表示できることがわかった」 


いま、アクラの首の脇にはセンサーケーブルが探っている残骸の内側の光景が映し出されている。

センサーケーブルから出した電磁波で照らした状態を、人間の可視光線のスペクトルに置き換えて画像化してくれているのだろう。


「これがエイムのCOREに相当する物らしい。取り外してみよう」 

「私にやらせて!」 


エミリンが、アクラの首に映っている画像を頼りに残骸の穴から手を突っ込んだ。首の画像にもエミリンの手が映る。


「気をつけてエミリン。僕が見落としている鋭利な切り口や破片があるかもしれない」 

「うん、そっとやるわ」 


キャビンの縁を握っている時から手袋をしているとは言え、ガラスのようなものがないとは限らない。


「多分大丈夫。ソケットの部分を引っ張れば外れると思うわ、これ」 


それは先ほどのメイルとほぼ同じように、動物で言えば首の下、下顎の付け根のあたりの位置にあったが、すでに緩んで取れかけていたようだ。

アクラの作業腕を展開したり、巣に持ち込んでメンテナンスケージで分解するまでもなかった。


しばらくすると、エミリンが手を穴から引き出す。その手には先ほどのCOREと似たような形状のシリンダーが握られていた。


「位置と形状からして、これがエイムのCORE代替パーツと考えて間違いないと思う。この二つの中身を比較して何かわかると良いのだが...」 


「とにかくやってみましょう。スレイプニルの検査装置でできる限り探ってみるわ」 

「うん。それは是非ジャンヌに頼もう」 

「あら、私じゃなくてジャンヌなの?」 


とっさの思いつきでエミリンが口にしたセリフに、アクラはたじろいだ。


「いや、技術的な方面はジャンヌの管轄かと思っていた...決してエミリンの調査力がジャンヌよりも劣っていると判断したのではないよ。

船内の作業分担的に、こうした関係のことはジャンヌが専門としているように見受けられていたし、それは僕にとって確証のあることではなかったけど、君たちの組織上の関係...」 


「冗談よ、アクラ。帰ってジャンヌに診てもらいましょう。早くジャンヌのシチューとパイを食べたいし」 


アクラは姿勢を屈め、簡易キャビンのハッチを開いた。


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(ムーンベイ・スレイプニル)


朝からスレイプニルのサンプル検査室に閉じこもっているジャンヌは、二つの画像を並べて表示したまま、ずっと考え込んでいる。


この部屋は本来、現地で採集した地質サンプルや鉱石などを簡易分析して、より詳細な調査を進める必要性の有無を、素早く検討するために設けられた設備だ。

シティの研究設備と比べれば足元にも及ばないとはいえ、以前の船に比べれば非常に豪華な設備が揃っている。

ロングレンジボウラーであるヴァルハラ級は、『行って帰ってくる』だけでも多くの日数を必要とする遠隔地の調査が主任務なので、調査の効率を高めることは必須なのだ。


ここで各種スキャナーの解析データをコンピュータが分析した結果では、二つのシリンダーの内容物はまったく違っていた。


エイムから取り出した方のシリンダーは、ナノストラクチャー製の論理回路で、電源が遮断されているにもかかわらず、なぜか内部ではその構造が保たれているようだ。

これまでも破壊したメイルの残骸は詳しく調査されてきたが、ナノストラクチャー回路が構造を保った状態で採集されたことはただの一度もなかった。


照射型電子顕微鏡を使えば内部構造を詳細に解析できる気もするが、恐らくこのシリンダーは開けた途端に崩壊するはずだ。

ジャンヌには過去の経験からなんとなくそういう確信があった。

これ一つだって、ダーゥインシティに持って帰れば大騒ぎなのかもしれないが、さすがのジャンヌも、いまはそういうことは面倒で考えたくもない。


もう一つの、メイルから取り出した銀色のシリンダーはもっと謎だった。


いや、正確に言うと意味がわからない、というのが近い。

中身も構造もわかるが、その意味がわからない。


シリンダーの中身は液体に浸されたガラス状固体に焼き付けられたホログラム風の模様で、細かな縞模様が延々と連なっている。

その縞模様を形作っている線というかバーの太さと形状には四種類のパターンがあって、それがランダムに延々と並べられていた。


その見た目で想像するのは、通信コードのようなものだ。


ただ、もしも通信コードだったら変更できないようにホログラムに焼き付けられて固定される意味がわからない。

それに、何かのプログラム的なコードだったとしたら、こんなに効率の悪いというか、スペースを無駄に取る表現方法を使う意味がわからない。


確かに一本一本のバーは微小サイズではあるが、同じ情報量をナノストラクチャー回路に実装すれば、恐らくこの1/1,000,000以下のスペースでこと足りるのではないかと思える。

そもそも見た目からして機能部品というよりもまるでアート系のオブジェのようで、これがメイルの機械構造の中でどういう役を果たすのか想像もつかなかった。


これまでに人類が調査したメイルの残骸において注目されていないのは、自壊装置の効果と共にシリンダー自体がかなり脆い材質だからかもしれない。

強い衝撃を受ければ中の液体が漏れ出て、ガラス板の方もすぐに飛散してしまいそうだ。そうなると『何かの部品の破片』としか見えなくなる。


徹底的にメイルの頭部を破壊することを重視している探査局風の戦闘スタイルでは、かけらも見つけられなくて当然かもしれなかった。


それにしてもこれが仮にコードだとしてどうするのか? 

どう読み取って何に使うのか? 

なぜ書き換え不能な記録形式にしてあるのか? 

まったく意味がわからなかった。


四種類...そういえばメイルの『音声言語』は、四種類の音程を三音ごとに区切って組み合わせることで六十四種類の『記号』を作り出すと言っていた。

その記号は人間でいうアルファベットに相当するものだろう。それと何か関係あるのだろうか?...と、ジャンヌは思索を巡らす。


書き換え不能なマスターコード、あるいは基本原則みたいな行動原理を文字として記載しているとでもいうのか...四種類、4bit、4、アルファベット....。


ただし、四種類のバーの並びは完全にランダムではない。


仮に四種類をA、B、C、D、とすれば、AはDと、BはCとしか並びあっていない。

その隙間にはパターンがあって、二種類のバーの組み合わせが三本づつで、少し大きな隙間を挟み延々と繰り返されていく...。


そして突然、ジャンヌはそれに気がついた。


「塩基配列だわ!」 ジャンヌは思わず声に出していた。


このシリンダーのガラス基板に刻まれているホログラムは、塩基配列、つまりDNA(DeoxyriboNucleic Acid)の情報に見える。

そう考えると、それぞれのバーはAGCT、つまりアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の四種類だ。


生物の根幹。

あらゆる有機生命体を司る分子生物学の中心原理、セントラルドグマ。

その遺伝暗号が、機械生命であるメイルの中に人工的に刻み込まれている。


「一体どういうことなの....」 


ジャンヌは、この一ヶ月で何度目かもわからないが、またしても眩暈を起こしそうになった。


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