高原の台地


(ムーンベイ・森林地帯)


鬱蒼と茂った森の中を、驚くほど静かにアクラは進んでいく。


これまでにアクラは高原地帯と森林を何往復かして移動の最適ルートを把握してあるので、その中から地形の起伏が最も穏やかなコースを選んでくれたと言っていた。


これほどの巨体なのに、生い茂った下草をかき分ける音や、踏んだ落ち枝が乾いた音を立てて折れることを除けば、それほど大きな音も出ない。

なにより、結構なスピードでダイナミックに進むアクラの体が、アクチュエータが作動するときのように、マシン的な作動音を一切立てないのは驚きだった。


手足の動かし方自体からして、人類のマシンとはまったく違う内部構造なのだろう。


エミリンは簡易キャビンのハッチを開けて、上半身を乗り出すようにしている。

シートベルトもしているし、両手でハンドルを掴んで大きな揺れに備えているが、力を込める必要はあまりなかった。


森の中には、それなりに下枝が張り出していたり、蔦が絡まっていたりするものだが、アクラは巧みにそういった障害を避けながら進み、エミリンが枝に衝突して振り落とされたりすることのないように全力で注意を払っているようだった。


それに前方をよく見ていると、ごくたまに、遥か彼方で太い枝がばさりと落ちる様子が見えることがあった。

避けにくい場所にある障害物は、アクラが低出力のレーザーであらかじめ伐採しながら進んでいるのだ。


エミリンの視覚には見えていなかったが、アクラ手製の簡易キャビンの周囲にはセンサー群と連動した低出力レーザーの防衛網がハーネスから張り巡らされていて、実はどんな障害物もエミリンに触れるチャンスはないと言っても良かった。


当のエミリンは、エイトレッグやMAVと比べても随分と高い視点になるアクラの首の上から眺める景色に夢中だった。

自分の周囲の風景が流れるように過ぎ去っていく様は、まるで自分自身がアクラと一体になって森の中を疾走しているような気分にさえなれる。


いや、それともドローンになっての超低空飛行だろうか。


「すごいわアクラ! こんなに素敵だなんて思ってもみなかった。初めてスレイプニルに乗ったときのことを思い出しちゃうなぁ」 


「君に喜んでもらえて良かったエミリン。このハーネスと簡易キャビンは、今後も利用できるだろうから改良を加えていこう」 


「ありがとうアクラ、私を連れてきてくれて」 


アクラは、迷いのせいか一瞬の間を置いて言葉をつないだ。


「エミリン...本当のことを言うと、僕はまだ、君が危険を冒してでも彼に会いたいという理由を理解できてはいない。

ただ、君がどうしても彼に会いたいのだ、ということは理解した。だから、君の希望と君の安全の中庸をとって今回のプランを提案した。

しかし、いまでも僕はできることなら引き返したいと思うし、君を可能な限り安全な場所に留めておきたいと感じている。それでも君の希望はできる限り叶えたい。

僕は今回、その相反するバランス点を見つけることに苦心している」 


「私のために苦労してくれているのね。ごめんなさい」 


「謝る必要はまったくない。僕は自分の欲求に沿って行動しているのだから」 


「それでもありがとうアクラ。まず私はこう思っているの。例えどこにいても、ワイルドネーションの陸の上にいる限り危険から完全に逃れることはできないって」 


「その危機感を持っておくことは正しいと思う」 


「でもアクラは私を守ってくれると言ったわ」 

「それは今後も決して変更されることのない行動原則だと考えている」 


「だったら、この大陸上で一番安全な場所はアクラのそばよ。そうでしょう?」

 

「それは...考え方によると思う。僕はエミリンからの信頼をこよなく嬉しいと感じる。しかし同時に僕のそばにいることで、他のメイルとの戦いの余波に巻き込んでしまう可能性を不安に思う」 


「わかっているわアクラ。それに私もあなたの足手まといになりたくはないの。

もしも危険な状況だとあなたが考えた時は、遠くに離れていろでも、ここで小さくなってろでも、私は必ずアクラの判断に従うわ」 


「ありがとうエミリン。僕は君を守ることに全力を尽くすと約束する...ただ、やはり、なぜ彼に会いたいのかをもう一度教えてもらえないだろうか?」 


一瞬、その質問に答えることを躊躇って、無意識にエミリンは視線を彷徨わせた。

いまは結構なスピードが出ているので、流れ去る木立の姿が縞模様のようだ。

遠くで、またとても太い枝が落ちるのが見えた。

だが遠すぎて音は聞こえてこない。


「そうね。アクラ、実はこの前から少し気になっていたことがあって...あなたにも聞いてみようかどうしようか迷ってたの」 


「それは?」 


「彼との話を最初に聞いたときに思ったのはね、もしもあなたと会話のできた峡谷のメイルが一般的なメイルであるなら、他のメイルも、そういう知的な存在だってことになるでしょう? 

アクラだけじゃなくて、メイルはみんな基本的には知的なポテンシャルを持っている、ということになるわ」 


「それはありうる。これまでに交信が成立したメイルは数少ないけど、どのメイルも戦闘にならない状況で出会えていたら、その限りではなかったかもしれない」 


「だとすれば....メイルにはすべからく知的ポテンシャルがある。

それがどの程度かはわからないけれど、誰でも峡谷のメイルと同じ程度にアクラとの会話ができる可能性はあるわ。

もちろん、アクラや彼が群を抜いて天才だって可能性もあるけど...」 


「そこは一般化して考えたほうが良いだろう」 


「前に、都市遺跡で見つけた手記のことを話したでしょ? メイルの起源が人類の男性種に起因するんじゃないかって考えるようになったきっかけだけど、私はジャンヌとはちょっと違う捉え方をしたの」 


「つまり?」

 

「ジャンヌは、メイルは男性種の生き残りが密かに大陸の奥地で生み出しているものかもしれないって考えてるみたい。

ジャンヌだけじゃなくて、セル中央政府の偉い人なんかも、そういう風に考えてるみたいなことを言ってた。

でも、私は手記を読んで思ったの。

もし、メイル自体が男性種の生き残りそのものだとしたら...って」 


「でもエミリン、僕やメイルが大地から生まれた生命でないことは確かだ。

僕のこの姿は自然淘汰による進化の結果ではなく、誰かの意思による設計と改善の結果だよ」 


「わかってるわ、機械には...ごめんなさい機械だなんて言って」 

「かまわない。いや、気にしないで欲しいエミリン。それは事実だ」 


「ありがとう。確かに機械には作り手が必要よ。それはわかってる。

そうだけど、作り手と作り上げたものが『同じ』っていう可能性だってないとは言い切れないと思うの」 


「つまり、僕らを作ったのは僕ら自身だということかい?」 


「簡単に言ってしまえばそうね。本当はもっと複雑な経緯や理由があると思うけど、可能性のない話じゃないと、そう思うわ。

それに、そう考えるとアクラや峡谷のメイルが自分自身の出自を知らないってことも、むしろ自然なことのように思えるの。

前にアクラは、自分はいつからムーンベイにいるのかを『覚えてない』って言ったじゃない?」 


「ああ、それは確かに覚えていないことだった」 


「人間も同じよって、私はあのときにそう答えたわ。本当にそうだと思ったから。

人間だって、自分の出自なんてそもそも知らないわ。

産まれた場所はどこか、親は誰なのか、そう言うことは成長した後に周囲の環境や情報として与えられて、初めて『ああ、そうなのか』って思うのよ。

もしも自我が成立する前から親を知っていたとしたらそれこそおかしい。

もしそうだったらそれは...逆に、生まれる前にプログラムされていたとしか思えないもの」 


「なるほど。君のその考え方には、深く検討すべきものが多くあるように思う」 


「でね、自分たちで自分たちの分身を生み出し続けている、それも、何かの理由で機械のようにではなく、人間のように誕生させているんだわ」 


「その最初がどうやって始まったのか、という点については別の観点から検証が必要だと思うけど、話は破綻はしていない」 


「その理由が、まさに『自分たちは人間だから』だったら、私は納得がいくの。

もしも、作り手がメイルたちを思い通りに動かす機械として生み出したのだったら、こんな風に作っているはずがないもの。

でも、元が人間なんだから、人間のように生み出しているんだとしたら、それでスッキリする。目的はわからないけど、人間的なものを生み出したいという意図は納得できるわ」 


「そうか....エミリンの言いたいことはわかってきた。

確かに、人類の使っているドローンやレイバーマシンの方が機械としての成り立ちは純粋だ。

むしろ、命令一つで何かをさせるでも、あらかじめ目的を設定されているでもないメイルを、なぜ生み出すのか? その方がよほど不可解なのは確かだ」


「そうでしょう? それに、『なぜ、すべてのメイルが武装しているのか?』っていうことも不思議だし、それ以前の謎もあるわ」 


「僕らが武装していることよりも不思議なこと?」 


「アクラは、以前にメイル同士が強力な武装を持っているから対話が始まらない、と言っていたわよね。

でも、私にしてみれば武装を持っていることよりも、そもそも 『誰かに出会ったら戦闘を行う』 という前提でいる方がよっぽど変よ。

どうして、そんなに戦わなくてはならないの?」 


「それは....」 

と、口ごもったアクラに、エミリンが重ねて言う。


「対話を阻んでいるのは武装ではなくて、まず戦おうとする意思ではないかしら?」 


アクラは峡谷のメイルと対話したときに、自分が感じたことを思い出した。 


『なぜメイルたちは過剰な攻撃力を与えられ、防御力と攻撃力がアンバランスな状態、いわば対立するしかない状態に置かれているのだろうか?』 


『確実に破壊しあえる距離まで近づかなければコミュニケーションができない。なぜ、自分たちはそんな風に_創られて_いるのだろうか?』


彼の言葉が蘇る。


ー 『あいてを破壊しなければ、じぶんが破壊されてしまう』 ー 


そうだ。なぜ、そもそも最初に_そう思う_のだろうか?


いうまでもなく、誰かがメイルたちに、『相手を破壊しなければ、自分が破壊されてしまう』という基本概念を植え付けたからだ。

恐らくメイルを作ったものたちが。


しかしエミリンは、それがメイル自身なのかもしれないと言う...。

つまりその場合、それは後から植え付けられたのではなくて、メイルの元になった男性種族が『もともと持っているものだった』ということだ。


あの手記の内容からも、かつての人間男性種族が自己破滅や種族全体の滅亡さえものともしない、壮絶な闘争的種族だったことは窺い知れる。

むしろ、あれほど文明を進化させるまで生き延びていたことの方が、よほど驚きだと言っていい。


アクラはようやく口を開いた。


「エミリン、君の言う通りだ。確かに武器よりもまず敵意が問題だ。

それに君の推論には、突飛な論理の飛躍を覆うだけの裏付けがあるように思う。

それはまだ一つの可能性でしかないが、メイルを生み出したのがメイル自身だという考えは、十分にあり得る可能性だと思う」 


「アクラ....」 エミリンは、少し次を言いづらそうに口ごもった。


「私は、これまでに三回、メイルと戦って相手を破壊したの」 

「その話は聞いている」 


「でもね、もしも、もしもメイルが男性種の人間そのものだったとしたら....私は.....私は『人間』を殺したのかな?」 


エミリンの声は少し震えていた。それは恐ろしい考えだった。


ドローンのカメラが送ってきたジャングルの光景がエミリンの脳裏に蘇る。

密林に飛び交うレーザー。

自分の指が誘導弾の発射を指示した瞬間。

横倒しになって燃えていたメイルの姿。

そしてメイルの破壊を嬉しそうにジャンヌに報告していた自分自身。


あれがもし人間だったら。

姿は違っていても、仕組みが違っていても、中身が人間そのものだったとしたら...


エミリンが、絞り出すように言葉を続けた。


「峡谷のメイルの存在を聞いた後で、急にそのことが頭に浮かんだわ。でも怖すぎてずっと聞けなかったの。

だから、どうしても彼には会ってみたかったの。メイルが本当に人間なのか、それとも...やっぱり機械だと考えていいのか。

でも、これって私の逃げね。心の中では、いまアクラに話したように、メイルは本当は人間なんじゃないかって思ってるんだもの。

もしも峡谷のメイルが人間で、つまりメイルが人間だとしたら、私は人殺しだわ。メイルに殺されたって文句は言えない存在よ」


それはエミリンにとって、理屈ではなく気持ちの問題だった。


「だから...だから、だから、どうしても、彼には自分で会って確かめたかったの」 


「エミリン、君の言いたいことはわかった。確かめたいことも。

もしもメイルが人間で、君が人殺しだというのなら、僕はそれ以上に人殺しだ。

だが僕は自分のことを人間だと思っていない。渓谷の彼も決してそう考えてはいないだろうと思う。

だがエミリン、いま時点でメイルの出自についての証拠は何もない。

そして、君の疑問に答える方法は、なんとかしてその事実を確認する以外にないと思う。

それまでは、君は自分が人殺しではないかと心配する必要はないと考える」 


「ありがとうアクラ。あなたは本当に優しいのね」 


「これは事実だエミリン。それに僕はこれからも、敵意を持ったメイルやエイムが僕や君の前に立ちはだかったら躊躇なく撃破するだろう」 


「うん。わかってる」 


「エミリン。君は恐らく自分がメイルを一方的に攻撃したと思っている。離れたところからドローンを使って。自分は安全な場所にいるままで」 


「ええ、実際にそうだったわ。三回の会戦で、私は戦闘中にスレイプニルから出たことは一度もないの。全部、CICの中でディスプレイ越しの戦闘だったのよ。傷ついたのはドローンだけ」 


「だが君は決して安全ではなかった。君と戦ったメイルはいずれも標準的なメイルかエイムだったに過ぎない。三回の戦闘の中に一体でも僕と同じメイルが混じっていたら、君はいま、生きてはいない。かつて僕が危うくそうするところだったように」 


エミリンは黙っている。


それでも、自分の罪、罪というべきかどうかわからないが、なにか心に刺さるものを消してしまって良いとは思えないからだ。

それに結果として本当は安全ではなかったのかもしれないが、あのときの自分は、自分が安全な場所にいることを確信していた。


「それでも、君たちはその土地に上陸したかったのだろう? 

メイルが対話のできる相手だったら、間違いなく対話によって上陸を果たしていたはずだ。いや、対話によって諦めていたかもしれないが、いずれにしても、君たちの方から戦闘を望んだはずはない。

それは、エミリンやジャンヌと話した僕には良くわかるし、人類の様々な活動の記録を見ても伺い知れることだ」 


「ええ、そうかもしれないわね...」 

それでもエミリンの思いはすこし苦しい。


「こう考えてみて欲しい。少なくともいま時点では、メイルは君たち人類の仲間ではない。僕や峡谷のメイルは恐らく例外だ。

そして仮にメイルが人類の男性種に由来する存在だったとしても、やはりいまは君たちの仲間ではない」


「そうなのかしら...」


「もしも、由来が同じだということで仲間とするならば、君たちはすべての有機生命を仲間と思わなくてはならなくなる。だが、それでは野菜を食べることさえできないよ?」 


アクラの声に微妙なイントネーションが加わっていることを感じる。


最後のセリフは、恐らくエミリンの心を和らげようとして言った、一種のジョークなのだ。

ジャンヌの口ぶりから学んだに違いないと、そう思った時、エミリンはアクラがいかに自分のことに思いを巡らせてくれているかを実感した。


同時に、はるか前方でまた木の枝が落ちた様子が、エミリンの視界の片隅に映る。

アクラは、エミリンを守ろうとする行為を一瞬たりとも止めることがないのだ。


「エミリン、人間にとっては仲間を傷つけるかどうかを心配するのは当然のことだろう。ジャンヌが自分自身よりも君のことを心配しているように。

そして、仲間ではない存在が戦いを挑んでくるならば、仲間を守ることを優先するべきだと思う」 


「それは、もちろんそうだけど....でも」 


「でも、メイルは人間ではないよ、エミリン。思考する力を持っていたとしても人間ではなくて機械だ」


「そう、かな....」


「君たちは野菜を食べる。野菜に自我がないことは証明できないにも関わらず、恐らくそうであろうという推測の元に、野菜には自我がないと判断して食料にする。

もしも野菜に自我があったら、農場の収穫用マシンだって、自分たちを殲滅しにやってくる殺戮兵器に見えるだろう。

もちろん僕自身も、野菜には自意識はまったくないか、仮にあっても非常に希薄だという風に思う。しかしそれは推測だ。

片方では推測で生命を刈り取り、片方では推測で攻撃を躊躇する。それが人間だ。メイルにはそういうジレンマや躊躇はまったくない」 


「私の思いは矛盾なの?」 


「ある視点ではね。...すべての生命の権利が守られるならば、すべての生命が存続できない」 


「どうして?」 


「生命の基本原則は増え続けることなのだから。有限の空間で増えるということは他のものの場所を奪うということだ。

自分以外の種族の。自分以外の個体の。あるいは誰かの未来の場所を...。

メイルが縄張りを奪うように、生命には増える権利がある。だが奪われた側にも生きる権利はあっただろう」


アクラは、静かに核心を告げる。


「だから人類の言う『権利』と『淘汰』は相容れない概念だ」 


「奪うとか、奪われるとかじゃなくて、さっきアクラが言ったように対話で解決できないのかしら?」 


「バクテリア同士が? それとも君が人間にとって致死性の病原菌の権利を守るのだろうか? 

それにエミリン、もしも対話だけが解決策なら、今度は『生命よりも知力が大事』だということになってしまう」


「ああ、そっか!」


「だが知力に線引きをすることは生命に線引きをすることよりも、はるかに難しい。

例えば、十分な知力を持つ生命には価値があるが、そうではない生命は排除しても構わない、そういう線引きを、誰かが意図的に行うことになる」 


エミリンは上手く言葉をつなげない。

確かに、人間が生きればレタスが死ぬのだ。人間が死んだ後で肥料になれば、レタスの一族に借りを返せるのだろうか?


「精神の存在よりも有機的生命であることが大事なのならば、人間や野菜は大事だがメイルは大事ではない。

だが、自我と思考力が大事なのなら人間もメイルも大事だし、野菜はそれほど大事ではないだろう。

重要なのは自我の存在なのか、生命そのものなのか。どちらか僕にはわからない」 


「私にもわからないわ」 


「知的な活動ができることや自我を持っていることが人間であるということではない。だが、人間の仲間になれる可能性はあるとも言えるかもしれない」 


「いつか他のメイルも人類の仲間になるっていうこと?」 


「エミリン、君が僕のことを人間みたいだと言ってくれた時、僕はとても嬉しかった。それは僕が人間になりたいからではなくて、君に仲間だと思ってもらえるような気がしたからだ。

僕は人間ではない。でも、君の仲間でありたいと思っている」 


「アクラは仲間よ! 絶対に私たちの仲間だわ。人間かどうかなんて関係ない!」 


「ありがとうエミリン。では、君が倒したメイルたちも人間かどうかなんて関係ない。

その時、そのメイルたちは君の仲間ではなく敵だった。

ただそれだけのことだ。由来も、生命も、知性も、等しく関係はない。

君が自分やジャンヌを守りたかったのなら悔やむべきではないし、次も躊躇すべきではないと思う」 


エミリンは、ようやく自分の抱える矛盾に気がついた。


「私...いま、こうしてアクラと一緒にいるのに...ただ『メイルが人間かどうか』だけを気にしてたのね...」 


エミリンの周囲を抜ける風が、少しだけ軽くなったような気がする。


「・・・・ありがとうアクラ。私は、あなたと出会えたことを本当に感謝するわ」 


「さあ、もうすぐ森林を抜ける。周囲の見晴らしも良くなる。

ただ、谷間の低いところを通るコースは迂回しないといけないから登る角度が急になる。どうしても揺れるだろう」 


「どうして迂回するの?」 


「最も通りやすい場所には僕が作った『地雷』があるからだ」 そういってアクラは最後の木立の間を駆け抜けた。


いきなりエミリンの周囲に青空と赤い岩肌のパノラマが広がる。


高所に向けて木々は加速度的に少なくなり、岩と岩の隙間に張り付いているような低木だけになっていく。

アクラが進むにつれて風景に占める面積の中でどんどん緑が撤退し、その分を赤茶けた岩と大地が侵攻してくる。


そこが高原地帯の入り口だった。


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(ムーンベイ・高原地帯)


アクラに連れられて高原地帯の台地まで来たエミリンは、そこからの景観に目を奪われていた。


広い。

圧倒的に広い。

セルの農場なんて目じゃなかった。

見渡す限りの赤茶けたグラデーションの大地。


外洋の平面的な広さとは全く印象の違う、立体的な複雑さをもった広がり。

ところどころに点在する灌木と草地の緑色だけが、かろうじて残る彩りだ。ほとんどえんじ色に近い岩肌とクリーム色の地層が、美しい縞模様を編み出していた。


なんて美しい光景だろう。

自分たちだけで行くことのできる沿岸周辺からでは、この三百六十度の圧倒的な空と大地の広がりを見ることは絶対にできなかっただろう。

これもまたジャンヌの言う『自然の美』の素晴らしい例に違いなかった。


しかし、いまの目的は峡谷のメイルだ。


前回の対話を交わしたときに、アクラと峡谷のメイルは、互いを認識できるビーコンのパターンを作って交換しあったのだという。

彼がいる可能性が高い峡谷の端まで来て周辺をスキャンした後に、アクラはエミリンに尋ねてきた。


「エミリン、平原の近くには他のメイルやエイムは潜んでいなさそうだ。

ただ、いつも彼がいるらしい峡谷の中は、地形が複雑に入り組んでいて電磁波系のスキャナーは反響ノイズが大きい。

つまり、正確にいるかいないかを突き止められない可能性がある。

もしも彼がすでに他のメイルに倒されていて、そのメイルが彼に代わって峡谷の中に潜んでいると、僕はそれを直前まで確認できないかもしれない」 


「私はどう行動するのがいいと思う?」 


「この地形では、万が一の時でもあまり激しく動き回る戦闘にはならないと思うけど、君を乗せたままで破砕弾の直撃を受けたら不安がある。

やはり最初のプラン通りに、安全そうな場所を選んで、しばらくそこに潜んでいてくれるのがいいと思う」 


「わかったわ。あなたにもらったシートにくるまっていればいいのね」

 

「そうだ。あの簡易ステルスシートは、かなり広い範囲の波長の電磁波を吸収すると思う。完全に包まれている状態で電磁スキャナーに発見される可能性は少ない」 

「オーケーよ、アクラ」 


アクラは周辺を慎重にスキャンしつつ、どちらの方向からどちらに行くとしても、あえてメイルが通り抜けることがなさそうな箇所に、大きな岩の窪みを見つけた。

ここなら安全そうだ。


「彼をどの程度の時間で見つけられるかわからない。でも、たとえ見つけられなくても三時間経ったら、僕はここに戻ってくる。その時は、また日を改めて出直そう」 


エミリンは電波吸収シートや食料類を入れたバックパックを持ってアクラの背から降りるると岩陰に入ってシートを広げ、しばしの籠城の準備を整える。

そのシートはフィルムのように薄いけれど毛布のように柔らかで、意外と肌触りが良いことに驚いた。


「エミリン、もしも三時間経っても僕が戻ってこなかったら、それは戻りたくても戻ってこれなかったということだ。

ここを出て、来た時と同じルートを森林に向かって下りて行って欲しい。

地面の踏み跡を見れば辿れるだろう。

だが、くれぐれも森林の入り口で僕が迂回した箇所を忘れないように注意して。

そして、できるだけ早くジャンヌに連絡を取って、スレイプニルでムーンベイから脱出するんだ」 


「わかったわ。アクラの言う通りにする」 


アクラはゆっくりと向きを変えると、峡谷の縁の方に向かって歩いて行った。

エミリンはその時、歩き去るアクラを後ろからじっと見送るのは、あの奇跡の出会いの時以来だったことに気がついた。


そう言えばここ最近はずっと、MAVでスレイプニルと行き来するのを見守られている側だったからだ。


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アクラは、周囲のノイズを慎重に探索しながら進んだ。


あのメイルがいる峡谷に辿り着くまでには、高原の一部を突っ切る必要がある。

さして危険とは言えないが、統計的にメイルやエイムの通行量が多いことには違いない。

スレイプニルのドローンでもあれば警戒しやすいが、それを言えばジャンヌがムーンベイに残るだろうことはわかりきっていたので、気が進まなかったのだ。


だが、そういうときに限って、というわけでもないのだろうが、今回は不幸にも出会ってしまったようだ。

まだ、だいぶ先だがエイムの反応を感じる。


こっちが先に気づいているから、普通の時だったらアクラは隠れるなり何なりして戦いを避けただろうが、いまはエミリンを残してきている。

万が一にでも、自分が通り過ぎたあとでエイムがエミリンのいる方向に行くような危険は冒したくなかった。


仕方がない、できるだけエミリンから距離を取って対決しよう。そう考えてアクラは足を速めた。


ステルス装甲をオンにして真っ直ぐ相手に近づいていく。

過去の経験からすると、こちらがじっと動かなければ相当な近距離まで探知されないことはわかっていたが、今回は待ち伏せているわけにもいかない。

エミリンを降ろしてきたのは正解だった。

覚悟を決めて、ものは試しとぐんぐんエイムに近づいていく。


もう距離は1キロを切ったが、まだ相手は気づかないようだ。

アクラの移動体反応は出ているはずだが位置が確定できなくてエラーになっているのかも知れない。


500メートルでエイムが立ち止まった。しばらくじっとしたまま周囲を窺っている様子だ。


エイムがようやくこちらの方に向きを変えようとしたときには、アクラはすでに300メートルまで近づいていた。

エイムが頭をこちらに向ける前にアクラはレーザーを放ち、一瞬の後にそのエイムは地面に崩れ落ちた。


アクラはそのまま少しスピードを緩めて、いま自分が倒したエイムに近づいていった。

走りながらの射撃だったが狙いは正確で、ビームが頭部をすっぱりと切断している。

ピクリとも動かずにナノストラクチャーの埃を噴出し始めているその残骸を見下ろしながら、エミリンの安全を優先した自分が、躊躇なく先制攻撃に踏み切っていたことを痛感していた。


『もしも相手を殺さずに武装だけを解除する方法があれば、こういうときにも呵責を感じなくてすむのかな?』 


その思いがアクラの頭をよぎった。


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アクラは峡谷の縁にそって進みながら、弱いビーコンを発信し続けた。


自分自身も、長くムーンベイを空けて周辺地域の探索に出ていたことがあるので、必ずしも彼が自分の縄張りにいるとは限らないことは承知していた。

それに、あまり考えたくはないことだし、賢明な彼なら上手くやり過ごしているとは思うが、他のメイルやエイムに発見されて、すでに命を落としている可能性もないとは言えない。


アクラは複雑な地形を持つ峡谷の縁沿いに二時間ほどビーコンを出しながらスキャンしていき、それで反応がなければ帰りは早足でショートカットしながらエミリンのいる場所まで戻るというプランを立てていた。


だが、50分ほど歩いたところでビーコンに返信があった。

彼だ。


ビーコンの送られてくる方向を探ると、十字に入り組んだ峡谷の向こう側のようだった。

だとすると、いまアクラがいるところまで上がってくるのにはしばらく時間がかかるかもしれない。

アクラはビーコンを受取った印に、パターンをつけてビーコンを発信した。


間もなく彼も同じパターンで返してくる。

間違いなかった。


やがて動きを止めて待っているアクラの足元からメイルの前脚が二本突き出されて....そのまましばらく動かなかったが、ゆっくりと彼が崖の縁を乗り越えて全身を表した。


「久しぶりだ峡谷のメイルよ。また会えて嬉しい。いまの動作はまだ少し警戒しているということかい?」 


「会えて嬉しいよアクラ。前回に君と話して以来、僕の思考は随分と複雑になってきた気がする。

まるで毎日が、忘れていたことを次々と思い出しているかのようだ。

さっきの動作はいわゆる『冗談』のつもりだったのだが、理解できなかっただろうか?」 


「いや理解できるとも。君は面白いことをして見せてくれた」 


「理解してもらえてよかった。アクラ、君には是非また会いたかったんだが、君から森には近づくなと警告されていたからね。自衛装置があるから近づいただけでも危険だと。

だから、またこちらで会えることを待っていたんだ」 


「そうだ。だから自分から会いに来た。君に聞きたいことがある。そして、君に会って欲しい相手がいる」 


「相手?」 

「そうだ」 


「アクラ、君以外にも対話の可能な相手がいるのか?」 

「そうだ。是非会って対話して欲しい」 

「その相手は、私を攻撃してくる可能性はないのか?」 


「絶対にない。その相手にはそもそも攻撃力がない。だから、君が自分のボディを守る懸念から、会うことをためらう必要はない」 


「ならば会おうアクラ。私も対話の相手は欲しい」 


「よかった。一つ約束して欲しい。君も、どんなことがあってもその相手を攻撃したりしないと。

もし、君がその相手を攻撃したら、それは先制攻撃になってしまう。

それは私たちの間で交わした約束に反することだ。その時は、私も君を攻撃せざるを得ない」 


「・・・・確かにそうだ。私たちはその約束を交わした。攻撃してこない相手を攻撃することは先制攻撃になる。それは約束違反だ」 


「では、その約束の上で相手に会ってくれるか?」 

「約束の上で会おうアクラ。そのメイルはどこにいるのだ?」 

「相手はメイルではない。人間だ」 


「???? 待って欲しいアクラ、君の出した条件が良く理解できない。メイルではない相手とどうやって会話ができるのだ?」 


「峡谷のメイルよ、君は人間と接したことはないか?」 

「一度もない」 

「人間を攻撃しようと思ったこともないのか?」 


「わからない。これまでに会ったことがないのだから。もし、初めて会った瞬間に、攻撃したいという欲求が生まれたら困ったことになる。会ってみてから敵だと認識したら困ったことになる」 


「それは確かに困ったことになる」 


「私は君との約束を破りたくないアクラ。だが、未経験の事態に自分がどう反応するかの確信がない。最初に君と出会ったときのように」 


「それはわかる。私も同じだ」 


アクラにも、彼の言いたいことは良くわかった。

それは以前、ジャンヌからスレイプニルのデータライブラリーへの直結を提案されたときに、万が一の自分の戦術的な反応に影響を与えること_人間にとって都合の悪い方向に_を懸念して、その提案に乗らなかったことと同じだからだ。


彼はいま、あのときのアクラと同じ懸念を自分自身に対して抱いていた。


「こうしようアクラ。私は崖に向かって横向きに座っておこう。破砕弾のハッチも閉じておく。

君がその人間という相手をここに連れて来る時は、私の前からではなく横から近づいてくれ。

そうすれば、例え私が自分の意識にないまま、その相手を攻撃しようとしたとしても、君がその前に私を破壊できるはずだ。

君ならば、私が破砕弾のハッチを開き終わるまでに、あるいはレーザー速射砲のポートをそちらに向け終わるまでに私を完全に破壊できるはずだ」 


「私は君を破壊したくない」 


「私も破壊されたくない。しかし、約束も破りたくはない。私はまだ、君以外の対話相手と接したことがないのだアクラ。

自分が反射的行動を行わず、完全に自意識によって制御できるかの確信がない」 


「私は君の提案をとても良いものだと思う。しかし、君は自分の反射的な攻撃本能が制御不能だった場合、私に破壊される危険性を認識した上で、なお人間と会ってみると言ってくれるのか? 会うことをやめるという選択肢もあるのだ」 


「アクラ、私も自意識の上では会ってみたいのだ。新しい対話の相手に会ってみたいのだ。その欲求はとても強い」 


「私は君が...そう、君が好きだ峡谷のメイルよ。だから、君を破壊するのは本当に嫌だ。なんとしても攻撃衝動を生み出さないように頑張って欲しい」 


「努力しよう」 


「それでは、これから人間をこの場所に連れてくる。しばらく待っていてくれ。ただし、他のメイルやエイムの接近を感知した時は、私のことは忘れて即座に避難して欲しい」 


「了解したアクラ」 


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アクラは一直線にエミリンを残してきた岩陰に戻った。


あれ以降、空間ノイズのスキャンの反応でも電磁波系のスキャンでも、周囲に危険を感じさせる動きがまったくなかったことは理解しているが、それでもなぜかエミリンのちいさな顔を見るまでは、アクラはエミリンのことが心配で仕方がなかった。


戻ってみるとエミリンは、置いてきたときと同じように、岩陰でシートに包まって小さくちょこんと座っていた。


「おかえりアクラ。どうだった?」 

「峡谷のメイルに会えた。エミリン、君にも会ってくれるそうだ」 

「良かった!! ありがとうアクラ!」 

「では一緒に彼のところに行こう。途中で説明しておかなければいけないこともある」 


「わかった!」 エミリンは元気良く装甲板をまたいでキャビンに乗り込んできた。


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