PART-2:謎
アクラのシート
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PART-2:謎
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(ムーンベイ・草地の会議室)
いまアクラと向き合ってエミリンとジャンヌが座っている切り株は、ムーンベイの陸地の見晴らしが良くなるようにと、アクラが自主的に伐採を行った結果生まれたものだ。
高出力のレーザーで瞬時に切断された切り口は滑らかで、服に引っかかりそうな棘やささくれはまったく感じない。
取り除かれた木部は三角州に掛けられた橋の構造材として役立っている。
「でも、その価値はあると思うの!」
エミリンが力説するが、いまのところは二対一で議論は劣勢だ。
「もちろん価値は認めるわ。ただ、危険を冒すほどのものなのかどうか...」
「その通りだエミリン。わざわざ君が行く必要はない」
先ほどから三人は、アクラのいつもの居場所となっている高台の草地の上で、アクラのいう『峡谷のメイル』に会いに行くことについて激論を戦わせている。
岬の丘の上で話したときにアクラが存在を教えてくれた、会話が通じる稀有なメイルだ。
ただし正確に言うと、最初から激論というよりも、自分も峡谷のメイルに会いに行ってみたいと主張するエミリンに対して、ジャンヌとアクラが(アクラまで!)冷静にそれを止めるという構図だった。
ジャンヌにしてみれば、あの心臓をかきむしりたくなるようなアクラとのファーストコンタクトから、ようやくここまで来て平穏さを感じ始めたのに、納得してダーゥインシティに戻るどころか、もっと奥地へ行ってみようと言い出したエミリンをどう押さえたものかわからない。
アクラにしてみても、『巣』の話などは自分が彼にあって聞けば良い話だし、そもそも『メイル語』での会話はエミリンには理解不能だ。
彼に聞きたいことがあるなら、自分が代行して聞けば済む話であって、なぜエミリンが危険を冒して自分から峡谷のメイルに会いたいというのか、どうにも理解ができなかった。
エミリンは、なんとなくアクラは自分の意見に賛成してくれるんじゃないかと考えていたのだが、うっかりしていた。
アクラの優先順位の一番上にあるのは『エミリンを危険から守ること』であって、『エミリンを喜ばせること』ではないのだ。
そういうわけで、劣勢のエミリンは別の方向から攻めてみることにした。
「ジャンヌ、私たちはここでもう四週間も過ごしているわ。もちろん私のせいだけど...」
「別にあなたのせいじゃないわ。二人で決めたこと。いえ、いまは三人で納得していることでしょう?」
「ありがとう。でも、資源探査局の仕事として考えると、私たちがやっていることがちょっと逸脱しているっていう自覚はあるの。
ジャンヌが前に言ってくれたように、人類のためにもアクラ自身の謎に答えを見つけなきゃいけないって思う。
それに、いつかはアクラのことをセルの世界に紹介しなければいけない時が来るかもしれないわ。
だから、このままムーンベイでじっとしていても仕方がないと思うのよ。
知的興味とか資源の探査とかじゃなくて、もし、アクラとは違う普通のメイルとも相互理解が樹立できて、内陸部へのパスを持てる可能性が生まれるのなら、十分な価値があると思うわ」
「もちろんよ。でも、それはあなたが自分で行かなくても済む話でしょう?」 とジャンヌ。
「その通りだエミリン。僕が言うのもおかしいが、メイルの行動原理は不明瞭だ。不測の事態は起こり得ると思う。危険だ」 とアクラ。
相変わらず二人ともにべもない。
しかしエミリンも、どうしても負けたくなかった。
「アクラと他の...一般的なメイルとの違い自体にヒントがあるように思えるの。特に補給がどこからどうしてきているのか? 普通に考えれば、補給の出元がアクラやメイルたちの出元でしょう?
アクラは場所としてもつながりとしても、その出元を知らないわ。その峡谷のメイルとの対話は、何かヒントを与えてくれるかもしれないと思うの」
「それを僕が代わりに聞いてみるのでは、なぜダメなのだろうか?」
「アクラと私が出会ったのが、ドローンやレイバーマシンを介してだったら、絶対に対話は生まれなかったと思う。
もちろん、今回は彼を知っているアクラ自身がいるけれど、アクラとの対話は、その峡谷のメイルにとって、絶対に人間との対話とは見なせないと思うの。
人間とメイルとの対話で何が生まれるか、が重要だって気がするのよ」
しかしアクラには、このエミリンの主張はピンとこない。
「エミリン、君は彼との対話が、僕の抱く様々な疑問に対する答えに近づく方法だと本当に思うのかい?」
「アクラ、私はあなたに出会うまで、メイルは自我のないマシンのようなものだと思っていたわ。でも全然違っていた。
それに、あなたと彼が会話できたということは、あなただけが特別なんじゃなくて、どのメイルとも対話できる可能性があるってことだと思う。
あなたに彼との対話ができたのなら、私にも彼との対話ができるはず。あなたという通訳だっているのだし」
「それはとっても興味深いことだとは思うけど、何に繋がるのかが見えないわエミリン」
「ジャンヌ、あの都市遺跡の手記があったでしょう。
あの手記についての話をしているときに、メイルを生み出しているのが、争乱の時代を生き延びた男性種の子孫かもしれないっていう説を教えてくれたわね。
もし、もしもだけど、アクラやメイルに男性種とか昔の人類とつながりがあるのなら、それは私たちにとっても、いまの人類にとってもつながりのある話だわ」
ジャンヌは、エミリンが峡谷のメイルに会いに行きたがっている理由を、アクラとの再遭遇を望んだときのように『興味を抑えきれないからだ』と考えていた。
でも、どうやらエミリンの思考は、もっと違うところにあるようだ。
「ジャンヌはアクラを信用すると言ってくれた。アクラも私たちを信用してくれているわ。
でも、セルに住んでいる人間たちにとって、いまでもメイルはメイルよ。何も変わらないわ。私たちが変えない限り」
「でも、良い方に変わるとは限らないのよエミリン。
私たちは...私とあなたとアクラは、ひょっとすると大勢の人々を悪い方向に巻き込んでしまう可能性だってあるわ」
「バランスを崩す、みたいなことでしょう? その可能性は認めるわ。でも、そのバランスは、どこに何があって保たれているのか誰にもわからないものよ。
中央政府がメイルと人類の不可侵条約だと勝手に思っているものは、ひょっとしたら明日で有効期限が切れる、ただの時限装置かもしれない」
ジャンヌにもエミリンの言いたいことはわかっている。
動くことと動かないことのどちらの方がリスクが高いか、それは情報がなさすぎて計れない。
ここに来た当初に二人で話していたように、明日いきなりメイルの大群がセルに押し寄せてきたとしても不思議ではないし、そのことに兆候などあるはずもないのだから。
エミリンが続ける。
「確かに、私たちが触ってはいけないものに触ろうとしている可能性もあるわ。
だけど同時に、ただあらかじめ決められている終わりを待っているだけだっていう可能性もあると思うの。
それに、アクラはこの森での自分の記憶が十年前からあると言っていたわね」
「そうだ」
「つまり、仮にアクラがプロトタイプだとしても、もう十年間も次が動いてない可能性がある。
他のどんな場所でも、アクラに似ているメイルの目撃談はゼロよ。
ただ、この森にじっとしていて十年の試験運用だなんて理屈に合わないわ」
「その論理は有効だと思う、エミリン。しかし、だからと言ってそれは、君自身が内陸部を訪れる理由を強めるものではないと思う」
ジャンヌも可能性を口にしてみる。
「それに内陸部では話が違うかもしれないわ」
「かもしれない、でもそれだって実際に行ってみなければわからないでしょう? これまで十年変化がなかったっていうことは、ここで後どれだけ長く過ごしても、何もわからないかもしれないっていうことよ」
それはその通りだ。ジャンヌは黙ってしまった。
リスクテイカーのスコアなど関係なく、エミリンはジャンヌ以上に骨の髄までチャレンジャーなのだ。
強権発動せずに、どうエミリンを諦めさせたものか見当がつかない。
「それに、もしも峡谷のメイルが人間にとって危険なメイルのままだったとしても、もしもアクラと同じタイプのメイルが内陸部にいたとしても、きっとアクラが守ってくれるから大丈夫よジャンヌ」
アクラも黙ってしまった。アクラとしてはこのエミリンの意見は否定できない。
もはやアクラにとっては当然のことだが、たとえ自分のボディが灰燼に帰してでもエミリンは絶対に守り抜く。
「だから、ね。ジャンヌ。このまま、ここでのんびりしていても、アクラの謎を解くことはできそうもないわ。
見せてもらった『巣』の中だって、私たちにはこれっぽっちも理解できないものばかりだったし、アクラの生まれについてヒントになるようなものも何も見つけられなかった。
だから、手がかりは一つでも多く手繰っていきたいと思うの」
思わずジャンヌはアクラと顔を見合わせた。
いや、アクラの頭部と集合センサー部分を顔といってよければだが...しかし、はっきりと『目と目を合わせた』感覚があったことがジャンヌには不思議だった。
考えてみれば、ダーゥインシティからこのムーンベイ、旧称エリア5114TRに戻って来た時も同じで、ジャンヌがうんと言わなければ、エミリン一人の力でここを再訪することは絶対に不可能だった。
今回も、アクラがうんと言わなければ、エミリン一人の力で高原地帯を訪れることは絶対に不可能だ。
どうやらエミリンには、周囲の人を動かしてしまう、生まれつきの力があるらしい。
アクラが提案した。
「ではエミリン、こういう手段が良いと思う。まず、僕が最初に一人で彼に会って、対話のために人間を連れてくることを彼に提案する。
彼が一切の武力行為を行わずに対話に応じると約束したら、僕は彼をエミリンと対面させる。
それでどうだろうか?」
とうとうジャンヌも折れた。
「そうね。まずアクラに安全確認を取ってもらうことがいいわ」
「ありがとうジャンヌ! アクラ! ありがとう!」
「高原地帯の...その峡谷のメイルの居場所まではどのくらいの距離なの?」
「推定だがエミリン自身の移動スピードだと片道十六時間程度だと思う。
途中の地形的にも、放出ノイズで無関係なメイルの注意を引きつけてしまう危険性からも、MAVやATVでの移動は難しい。
だが徒歩か、先日見せてもらった、あのエイトレッグなら問題ない」
「おおよそ30マイルってところかしら。エミリン、エイトレッグの背中の上で道のない山の中を片道十六時間も一気に移動するって大変よ?
いくらアクラが一緒でも森の中でキャンプってわけにはいかないでしょう。
峡谷ですぐメイルに会えたとして往復三十二時間、エイトレッグに乗りっぱなしだわ」
「う、がんばる...」
「いきなりトレーニングもなしには無理よ。お尻の皮が剥けるわよ?」
「エミリン、それは恐らく極度の疲労を君にもたらし、判断の誤りや注意力の低下を引き起こす可能性が高いと思う」
「うー。せっかく彼に会いにいける方向になったのに....」
「そこで提案なのだが、僕の背中に乗って行くのはどうだろうか?」
「えっ?」
「僕の方が、エイトレッグよりはるかに移動スピードは早い。それに、照準装置の同調システムを流用すれば、体の揺れも最小限に抑えられると思う。
一日あれば高原地帯と往復できると思うし、総じてエイトレッグでの移動よりも君の疲労を少なくできるはずだ」
「えっと、私が...アクラの背中に乗っちゃって行くの?」
「君が嫌でなければ。巣にある有線誘導弾発射装置のハーネスの予備を改造して仮設のシートを製作する。
それを僕の作業腕の付け根の前、そう、首の後ろ部分に装着し、シートの周囲を装甲板で覆えば、移動中の樹木との衝突や、メイルやエイムからの通常兵器による攻撃には十分に耐えられるはずだ」
「エミリン、それがいいわ。是非そうしてもらいなさいな」
ジャンヌが妙に面白がっている風に言った。
「重量的には、僕が背中にMAVかATVを乗せて高原地帯まで運ぶことも可能だと思うが、結局、もしものときの脱出にはそれらは大して役立たない。
緊急時の対応も考えると、直接エミリンが僕の背中に乗って行くのがベストだと思う」
「なんか...ありがとうアクラ。でもちょっと悪い気がする」
「問題はないエミリン。基本は誘導弾のハーネスを装着している時と同じだから、僕の行動に大きな制約は加わらないと思う。
設計と改造、そしてテスト後の修正を含めて、一週間程度あれば仕上げられるだろう」
「うぅんと...よろしくお願いします」
エミリンにとっても思わぬ展開に、なんとかそう言うのが精一杯だった。
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アクラのハーネス改造キャビンは都合五日ほどで完成した。
シート部分は一旦スレイプニルの船内工作室でエミリンの体に合わせて製作し、それを雛形としてアクラに渡して、自前の補修用素材で作り直してもらった。
そのシート部分は有線誘導弾の発射筒を外したハーネスの前部に取り付けてあるが、作るのに使ったマテリアルはアクラの体表を形成しているものと同じで、つまり装甲板の下にある皮膚の様なものだ。
アクラは、自分の表面素材を自在に操って形状を変化させたり、ある程度であれば損傷を自己修復させたりすることができるそうだが、このシート部分もアクラの意思で自由に形状を変えることができた。
シートの周りは、ステルス装甲の補修パーツとしてストックされている装甲板を外壁に使用してガードしてある。
エミリンも単体でその装甲パネルのパーツを見るのは初めてだったが、分厚いのに意外と軽く、外側と内側で質感がまるで異なっているのが興味深かった。
外側は非常に硬いのに、内側はビロードのように柔軟で弾力性がある。
不活性状態のそれは、アクラのボディに付いている時とは違ってひんやりと冷たく、色はかすかに青みを帯びたつや消しのグレー。
これが作動していないときのステルス装甲の状態なのだが、一枚一枚のパネルが内部に自前のプロセッサを持っていると同時に、パネルのの全面にセンサーが埋め込まれているそうで、ボディに取り付けると強固に密着し、すべてのパネルが即座にアクラの制御にシンクロする。
アクラの背中に装着して、さっそくエミリンが乗ってみる。
この簡易キャビンを装着すると、アクラの首の付け根にコブが盛り上がったような感じになった。
エミリンは、このところアクラに対してまったく人間同士として接していたので、アクラによじ登るのがちょっと恥ずかしい。
なんだか子供に戻って、大きな人に肩車してもらっているみたいだ。
装甲板を乗り越えてかなり体を寝かせた体勢のシートに腰を落とし、天井部のカバーというか簡易ハッチを閉めると、すぐに欠点に気がついた。
「アクラ、暗い...」
「ああ、そうだねエミリン。内部に照明装置をつけていなかった」
「て言うか、何も見えない...」
「外部からの攻撃に耐えるためには全体を装甲板で覆う必要があると判断したのだが、やはり不快だろうか?」
そう言いながらアクラがゆっくりと動き始めた。
「不快ってことはないけど、やっぱり外が見えた方が嬉しいな。状況が把握できるし、次の動きが予測できるもの」
「方策を検討しよう。ところで座り心地はどうだろう?」
「いいよ。悪くない。ただ、どんなにアクラが気を使ってくれても、やっぱり揺れることはあると思うの。それに、もしも戦闘になったときに、私を揺らすまいとしてアクラの行動が制限されるのも困るわ。
だから、このシートベルトだけじゃなくて、がっちり手で掴める場所と足を踏ん張れる場所が欲しいかな。そうすれば、アクラがかなり高速で動いても頑張れるんじゃないかなって思うから」
「わかった、エミリン。このままゆっくり歩き回ってみるから、他に問題を感じたら教えて欲しい」
「オッケー」
「平均的な人間の体が問題なく耐えうる衝撃や加速度について、ジャンヌからおおよその医療データを貰っておいた。エミリンが乗っている間は、常にそれを最大規定値としてセットしておく。
しばらくの間は、僕自身もそのパラメータ以内でどの程度動けるのか調べて、慣れておく必要があると思う」
「そうね。お互いに慣れる時間は必要よね」
「そうだ。だが、出発を急ぐ必要はない」
もちろんそうなのだが、エミリンは一日でも早く峡谷のメイルに会ってみたかった。
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簡易キャビンはその後、三回ほどの修正を施して完成した。
エミリンが乗らない時は、シートマテリアルを不活性化して装甲板と一緒にたたみ込むことで、ほとんどハーネスと一体化して見えるほどコンパクトにできる。
誘導弾の発射筒は全部外してあるが、その気になれば再装着することは可能だった。
ただ、アクラ自身がこの誘導弾発射装置を背負っている状態が好きではないので、いまはあえて付ける理由もない。
外部への視界は、アクラの検討でキャビンの内側に向けてステルス装甲板を数枚設置することで解決した。
ステルス装甲板の色素の反応速度と微細度は十分にエミリンのインタラクティブディスプレイに匹敵するものだったからだ。
アクラ自身のボディを覆っている光学センサーからの情報を人間向けに整理して、その数枚の装甲板に個別コントロールして対応させることで、事実上の映像ディスプレイとすることが可能だった。
乗り心地も本当にエイトレッグよりもいい。
アクラの重心移動と足運びが優れていて、地勢に関わらずにできるだけキャビンの上下動がないように保ってくれる。
ATVですら走れないような荒地でも、砂浜を車で移動しているように滑らかな移動だった。
これで峡谷のメイルに会いに行く準備は大方整った。
若干の水と食料などをバックパックに収め、シートの脇に固定しておく。
いよいよ危ない状況になるまでキャビンの屋根を閉じる必要はないので、エミリンはMAVやエイトレッグでは得られない高所からの眺望を堪能しながら移動できるはずだ。
ジャンヌの意見を汲んで、アクラの首に跨っている間は、常に樹脂製のヘルメットを被っておくことにした。
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「僕がいない間、できればジャンヌにはスレイプニルに戻って、僕がまた浜辺に戻ってくるまでは湾の外に出ていて欲しい。念のために」
アクラがそうジャンヌに提案した。
「スレイプニルの武装で警戒しておくわよ?」 とジャンヌが言うと、アクラが答える。
「普通のメイルが相手ならそれでいいけれど、もしも万が一、僕と同じタイプのメイルが現れたら、ステルス装甲も遠距離打撃兵器も持っていないスレイプニルは、ただの浮かんでいる標的になりかねない。
本来あのハーネスに取りつける有線誘導の大型弾頭を使えば、山の向こう側からスレイプニルを攻撃することも可能だと思う。
搭載している炸薬量からして大打撃を、場合によっては撃沈できるかもしれないし、それをスレイプニルの防衛システムが迎撃できるかどうかは、僕にもわからない」
アクラの存在に触れて以来、ジャンヌにはゾッとする話の連続だが、さすがにジャンヌも慣れてきた。
対応策のなさをくよくよしても仕方がない。
「だからジャンヌには湾外にいて欲しいし、できれば、ムーンベイには通信トランスポンダだけを残して、この辺りの地上から見えない位置に移動してくれると安心できる」
そしてアクラは、自分がドローンを敵と認めて、スレイプニルごと吹き飛ばそうとしていたときの経緯を再び語った。
「あのときの僕の反応を思い出すと、ドローンの発進元を突き止めて危険を根絶しようというプランは、選択肢の中に自然に浮かんでいた。
特に海上を攻撃してはいけないとか、そういう躊躇いや制約を気にした覚えはまったくない。
海上には攻撃を与えてはいけないというルールの存在を感じたことは一度もないし、もし、他のメイルたちにそういうものがあるとしても、僕はそれを知らない」
「じゃあ、どうしてメイルは船に対しては攻撃しないの?」
「恐らく、ほとんどのメイルが海上に攻撃を加えないのは、単にそれが縄張りにはならない場所だからだろうと思える。
仮にいま、エミリンに危害を加えるものが沖合に現れたら、僕は最大射程で岬の丘の上からそれを迎撃すると思う。それが海の上だろうと空の上だろうと」
「なるほど、海上にいる船舶に対してメイルからの攻撃がほとんどなかった理由は、水の上がメイル自身にとって価値を持たないエリアだからということなのね。でも、すでに戦闘になった相手がいればその限りではない、と」
「恐らくそういうことだ。それに...」 と、アクラが続ける。
「僕は自分の出自を知らない。なぜここにいるかも知らない。
でも、僕が存在している以上は、僕と同じタイプのメイルがどこかに存在している可能性は必ずある。
確かに十年出会わなかった。この先もずっと出会わないかもしれないけれど、明日は出会うかもしれない。予測は不可能だ」
「その危険はわかっているわ。それにアクラと同じタイプのメイルは対話に応じてくれるなんて思ってもいない。
エミリンとアクラが出会えたことは、本当に幸運以外の何物でもなかったってわかっているもの...じゃあ私は沖合に出ていることにする。エミリンをよろしくね」
「わかっている。ジャンヌの心配は当然のことだと思う」
「ありがとう、アクラ」
そしてアクラとエミリンは、対話のできるメイルを求めて高原へ向けて出発していった。
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(洋上・スレイプニル)
スレイプニルに戻ったジャンヌは、とりあえずアクラのアドバイスに従って船を沖合に出すことにした。
昔なら大げさだと一笑に付したのかもしれないが、いまでは本当に何が起こるかわからない。
ジャンヌは軽いため息をついて、スレイプニルの管制コンピュータを呼び出す。
「スレイプニル?」
「コマンド待機」
スレイプニルの管制コンピュータが無機的な声を返してきた。
セル社会のマシンに搭載されているコンピュータ群は、決して『ごきげんいかがですか?』だの『いい天気ですねジャンヌ』などと人間じみた返答を返してはこない。
低気圧や潮流の変化を警戒すべきときには、こちらが聞かなくても淡々と警告を伝えてくるだけだ。
人間でないものに人間の真似事をさせるのは醜い。それが最大の理由だった。
自我を持っていない機械に、さも自我があるような振る舞いをさせるのは美しくないことだ。
人間が人間らしくあるように、機械は機械らしく。
それは身近なマシンだけでなく、スレイプニルに搭載されているような計算力の高いコンピュータでも変わらない。
声の調子や前後の文脈から、それが自分に向けられた命令なのか、それとも単に自分を話題にした会話や独り言なのかを判別する程度の分析力は備わっていても、マシンは自分が生み出す意図や欲求は持っていない。
意図や欲求を持つのは人間だけの権利だ。
「船を出航させてスレイプニル。湾外に出て沖合20マイル付近で待機。定常位置は任せるから海況に応じて選択してちょうだい」
「スレイプニル出航指示・シークエンス指定なし・ルート指定なし・沖合20マイル付近で定常待機・位置指定なし・乗員一名で航行を開始」
スレイプニルの乾いた音声がジャンヌの指令を簡潔に復唱し、機関が始動される。彼の判断力は『付近』の定義など必要とはしない。
コンソールに指の一本も触れることなく、ほどなくアンカーが巻き上げられ、スレイプニルはゆっくりと進み始めた。
本来、ジャンヌはヴァルハラ級をそういう船として企画していたのだから、エミリンをダーゥインシティに連れて行ったときに話したように『人間はベッドに寝っ転がったまま目的だけを示せばいい』のだ。
それにしても、この船に一人きりで沖に出るのは、随分と久しぶりだ。
スレイプニルの復唱に『乗員一名で』というフレーズが入っていたのは、まるで『エミリンを置いていっていいんですか?』と確認されているみたいだが、もちろんそんなことはなくて通常の確認シークエンスだ。
逆にここで『乗員二名で』と言われたら密航者がいるということになる。
これまでも、陸上探査でエミリン一人が船を離れたことはちょくちょくあったけれど、どれもそれほど長い時間ではなかったし、そもそも30マイル以上も遠くに行くなんてありえない話だった。
思えば二人の距離が合計50マイルも離れるなんて、マッケイシティのレストランで出会って以来、一度もなかったかもしれない。
エミリンは本当にチャレンジャーだ。
その点では遥かに自分を凌駕している。
それにエミリンは、スレイプニルを自分の手で操船するのが大好きだ。
いや、船に限らない。
ドローンでもMAVでもRHIBでも、なんでも自分自身で操縦したがる。
ジャンヌは目的さえ達成できればその経過にはあまり頓着しないし、むしろ面倒は少ない方が良いと考えるたちだったので、エミリンがなんでも自分の手で動かしたがることを最初は不思議に思い、『パイロット性質っていうのはそういうものかしら?』くらいに漠然と捉えていた。
エミリンがなぜそういうタイプなのか、いまでははっきりわかっている。
自分自身で意思を持ってドライブしたいのだ。
それが機械の制御であっても、自分が置かれた状況への対応であっても....決して受動的ではいられない。
それがエミリンがリスクテイカーのテストで高スコアをマークした理由だったのだろう。
しかも実際に自律機械任せを凌駕するパフォーマンスを発揮できることを、三度の対メイル戦で立証してもいる。
新しい物事にチャレンジするという点では、自分も人後に落ちない自信はあったジャンヌだが、それを自分の手でコントロールし続けようとする意思の強さに関しては、エミリンに一歩譲らなければいけないようだ。
それにしても、昔の自分はもっと緻密に考える方だったし、良くも悪くも様々な可能性を検討するタイプだったと思うのに、今回、例えばアクラが何か謀略を企てていて、そのままエミリンを連れ去って_誘拐して_しまうなどという想像はまったく考えなかったことに、船に戻ってから改めて気が付いたほどだ。
勢いで物事を決めるようになってきたのは、エミリンの影響かもしれない。
『エミリンの安全をメイルに委ねるなんて、私も変わったものね...』
そう心の中でつぶやいたが、アクラには、ジャンヌにもその状態を受け入れさせてしまう何かがあった。
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