学習
(エリア5114・浜辺)
それからアクラの言葉は、日を追うごとに滑らかになっていった。
アクラの感覚では、ひとたび言葉と音が繋がると、あとは学習するというよりも、もともと知っているものを思い出しているらしく、あるていど『パズルがはまる』と一気に単語や文法に関する理解が深まるらしい。
キーになるピースが一個はまることで、その周囲の全体が姿を現してくるような感じなのだろう。
アクラが人間の言葉を元から知っていたということや、その語彙に『メイル』という共通の単語が含まれていることは、アクラの存在に深い謎を投げかけている。
それも、単に知識としての言語体系を知っていると言うには、アクラの会話は流暢にすぎる。
ベースとなる思考の枠組みからして『人間風』だと言わざるを得なかった。
真っ当に考えれば、アクラを『創った』のが人類であると推測するのが、一番理にかなっている。
アクラの体は他のメイルたちと同じ、いやむしろ他のメイルたち以上に高度なテクノロジーで構成されているらしい。
自分以外にはステルス装甲を持っているメイルに出会ったことがないというアクラの発言は、かなりジャンヌをホッとさせたが、だからといってアクラの存在を看過できるわけでもない。
ジャンヌたちの知る限りでは、現代の人間にそういったものを作り出すテクノロジーはない。
ジャンヌは、エミリンが研修を終えてスレイプニルで航海に出たばかりのときの会話を思い出す。
あのときに自分はメイルの存在について、『人間が持っている、あるいは過去に持っていた技術の延長線上にある気がする』と、そして『後期都市遺跡時代のテクノロジーが消滅せずに引き継がれているのかもしれない』と、そう言った。
ここに来る途中の船上でエミリンとも話したように、それはセルの中央政府では『証拠のない公然の事実』のような話だったし、とりとめもない会話の延長として、何の気なしに口にした言葉だったのだけれど、いま、その自分の言葉が重くのしかかってくる。
推定で人類の99パーセントが死滅し、崩壊した世界と共に、ほとんど引き継がれなかった後期都市遺跡時代の高度なテクノロジー。
昔からの噂話と、いま目の前にあるリアルな現実が渾然一体となって迫ってくる感じがする。
この近辺に、そんな遥かな昔からのテクノロジーを連綿と引き継いだ男性人類の一族が、密かに隠れ住んでいるとでも言うのだろうか?
確かに、ありえないと断言することはできない。
エミリンにも話したように、実際に、セル社会の人類たちは大陸の内部がどうなっているかをまったく知らないに等しい。
それらのエリアでは人類はとっくの昔に死滅したと言われているが、ジャンヌだって自分で訪れて確かめたことがあるわけでもない。
メイルたちが存在する以上は奥地に入っていくこともできないし、それほどの遠距離にドローンを飛ばして偵察することも不可能だ。
いや、内陸どころか沿岸部でさえ、セルの存在していない場所はほとんど放置されたままと言っていい。
だが、これまで資源探査局がどんなに遠くに出かけていっても、ワイルドネーションでセル社会に属さない『原住人類』と遭遇したことは一度たりとない。
ましてや、かつて人類という概念に含まれていたはずの『男性種』とは。
そもそも不老不死の技術でも開発されていたのならともかく、人間の寿命からしても、アクラを制作できるほどのテクノロジーを千年以上も人間同士で継承して温存するには、相当な規模の社会 〜 セル体制に匹敵する人口を持つ文明化社会が維持できていなければならないだろう。
男性種という単語を思い浮かべたジャンヌは、なにか背中から湿った寒気がひっそりと忍び寄ってくるような恐さを感じる。
都市遺跡であの手記を発見して以来、どうも過去への恐怖感が拭えない。
アクラやメイルたちの製作者が仮に_生き残っている旧人類_だとして、彼らは大陸の奥深くにいまだ生存しており、彼らは自分たちのテリトリーへの現生人類の侵入を拒んで、その『防護壁』いわば早期警戒&侵入者撃退システムとしてメイルを創り出した...というシナリオも、それはそれで筋の通った考え方だ。
加えて、アクラも自分たちを『メイル』と呼び、人類もそれを『メイル』と呼んでいた。
雲や稲妻でもいい、アクラの記憶の奥底に人間の言葉が隠れ潜んでいた理由が通信傍受でなければ、製作者の言語だったと考える方が理にかなっている。
メイル同士がなぜ縄張り争いをするのかは謎だけど、過剰な防御反応が生み出している副作用だと考えられなくもない。
そのおかげで人類の沿岸部からの侵入を一切拒めているのだとしたら、少しくらいの損失は十分にお釣りがくるのだろう。
何より、どこからか定期的に補給物資が送られてくるというアクラの話とも一致する。
アクラが自分の出自を知らない理由はわからないけれど、アクラがプロトタイプだという可能性は高い。
ただ、それにしてもアクラの高い『知性』と『自意識』は、単なる兵器には不要なものだ。現に、これまでのメイルに、そんな知的活動の兆候が観察されたためしは存在しない。
これが仕組まれた罠でないとしたら、アクラは任務よりも自らの興味を優先して、エミリンとジャンヌという人類の上陸を許してしまっていることになる。
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言葉を思い出してから一週間ほどでアクラの喋り方はとても洗練されてきて、いまではまるで普通に人間の青年と話しているような印象だ。
もし、知らない人が音声リンクだけでアクラと会話したら、相手が機械知性だとは絶対に気がつかないだろう。
いまもMAVから取り外したポータブル端末で人間社会の学習を進めている最中だが、もう、文字を学んで_あるいは思い出して_直接画面に表示されたテキストを読み取ることもできるようになっていた。
アクラは、最初に姿を現した場所をずっとホームポジションにしている。
エミリンは相手が姿としてはマシンであり、会話の相手としては人間のようであり、少なくとも衣食住の心配をする必要はなさそうではあるが、どちらとして接するのが相手にとっても良いのかわからないまま過ごしていた。
「そう言えば、あなたは睡眠をとらなくても大丈夫なの?」
そうエミリンは素朴な疑問をぶつけてみたことがある。
シンプルに人間なら睡眠は必要だと思うからだ。
「君たちのいう睡眠に近い休息は必要だと思う。思考の眠りには気がつかずについていることが多い。ただ、神経系統やコプロセッサ群に睡眠は必要ない。
だから、周囲への感覚が起きているという意味では睡眠はまったくしていない。
眠るのは僕自身の意識だけだ」
アクラはそう答えた。
つまり、人間と同じように脳というか知性は睡眠を求めるが、体の感覚は常に作動していて、何か異常があったら表層意識に知らせてくれると言うことだろう。
ここ数日、エミリンは夕食の時間になるとスレイプニルに戻り、アクラとの対話を記録して自分なりにまとめている。
そして夜が明けるとMAVに乗って浜辺に上陸してアクラとの対話を始める。
実際はどちらかというとアクラの学習を手伝うという側面の方が強いが、アクラの学習の様子から、エミリンが知ることも多い。
問題は、アクラについての理解が、メイル全体への理解とはイコールだと言えなさそうなところだ。
もちろん、そうであるからこそ、この『対話』が成り立っているのだけれども...
対話の中で時折、アクラが『敵』という表現を使うので、エミリンがアクラにとって敵とは何かと単刀直入に尋ねてみたら、予想に反して『人間』とは言わず、『自分以外のメイルやエイムすべて』だと答えた。
そのアクラの答えで、なぜメイル同士が争うのか、メイルに破壊されたメイルの残骸が時折見つかるのか、人類にとっては長年の謎だったことが、あっさりわかってしまった。つまり『縄張り争い』だと。
まぁ、人間側の推測もそういう感じだったから、あながち外れではない。
ただ、『メイル同士の間で戦いが起きることもある』ではなく、『メイル同士が出会うと必ず戦いが起きる』ということは驚きだった。
しかも、別個体に出会った瞬間に即座に攻撃を始めるエイムや、戦闘的な性向を持つ大多数のメイルの場合、普通ならば「一対一」 の状況でしか戦闘にならない。
そもそも複数の個体が一堂に会するようなチャンスが滅多に生まれないからだ。
そう言う点でメイル同士の戦闘は、基本的に戦争ではなく決闘だとも言える。
メイルとは日々、決闘を繰り返して生き延びている種族なのだ。
「さっきアクラはメイルとエイムって言ったけど、エイムって何? 私たちのまだ出会っていない存在かしら?」
「それはわからない。僕には区別が付くけれど、外観や行動はほとんど同じだから、人類には見分けが付かない可能性も高い。スキャナーによる調査では判別できるかもしれないが、どう見分ければいいかを言語的に表現できない」
「そっか。じゃあ人間にとっては出会っていてもわからなかったかもしれないね」
「僕もそう考える。だが僕にとっても、どちらにしても戦うしかない相手、という意味ではメイルもエイムも同じだ」
「でも、アクラは他のメイルが攻撃を始めてくるよりも、もっと遠くから接近を感知して、こちらから攻撃することもできるんでしょう? 他のメイルたちが持っていない兵器も使って」
と、以前にアクラから聞いていた情報をもとにエミリンが尋ねる。
「たぶん」
「じゃあ、なぜ先に攻撃してしまわないの? だって、メイル同士が出会えば必ず戦闘になるんでしょう?」
「なぜと聞かれても困るけれど、できるだけそんなことはしたくない。それはチャンスを失ってしまう」
「なんのチャンス?」
「対話のチャンス。理解し合うことのチャンス。先制攻撃は、対話のチャンスを消失させることだと思う」
エミリンは、自分がスレイプニルの自動防御システムを作動させようとしたジャンヌになんと言ったかを思い浮かべた。
『先制攻撃は地獄の扉よ』 あの時、自分は確かにそう言った。
「いまでは僕は、大抵の敵よりも自分の装備の方が優れていることを知っている。それで油断してはいけないと思うが....ただ、それが余裕を生み出していることは事実だ。
でもエミリン、僕はそれを知らなかった時から、自分の勝率が高いとは思っていなかった時から、やはり、できるだけ敵と戦いたくなかった。それがなぜなのかは、いまだに自分でもわからない」
改めて人間は敵ではないのかと聞くと、他のメイルにとっては敵かもしれないし、自分も敵と認識していたけれど、積極的に戦いたいとは思っていなかった、という返事が返ってきた。
つい不安になって、『いまでも人間は敵なの?』と聞くと、『エミリンの仲間を敵と思う事態は起こりえない』という、非常にシンプルな答えが戻ってきたのだった。
「アクラは、いつからここにいるの?」 とエミリン。
「忘れてしまった。随分長い時間が経った、という印象だけはある。ただ、それがいま現在より何日前かというと正確な記録がない。覚えていない」
エミリンはそれを聞いてびっくりしてしまう。
『忘れた』という言葉はエミリンにとってみれば衝撃的だ。機械知性が何かを忘れることがあるなんて思いもよらなかった。
「あなたのような、その、機械知性でも、忘れるという状態があるのね。どんなことでも忘れないようにできそうだけど....」
「言いたいことはわかる、エミリン。多分、そういう風に作られているのだろう、としか言えない。
いつでもミリ秒単位で正確に時間を計ることはできるけど、それが『記憶』と直接リンクしてはいない。
何時何分何秒に何が起こったか、それは勝手に記録されたりはせず、自分で意識的に保存しておこうとしないと、いつのまにか記憶から過ぎ去ってしまう。
思い出せなくなる。呼び出せなくなる。
強く印象に残った出来事は後から思い出すことはできるけど、それが起こった正確な日時は、そのときに記録していなかったら曖昧なままだ。
とはいえ一度記録したものを忘れることもないけれど」
「意識上の記憶と、データとしての記録は違うものなのね」
「僕が....ここで『目覚めた』ときの意識というか自我は、あまりはっきりしていなかったと思う。おぼろげな、不鮮明な周囲の景観が記憶にあるだけだし、それも正確に目覚めた瞬間かどうかは定かではない。
虚ろな意識のままでしばらくの間は反射的な動作で、思考よりも反応的な活動で動き回っていた可能性もある」
「そうなのね...」
「恐らく、僕がこの森で目覚めたのは、いまから約十万時間以上は前だと思う。それに、自分が正確な時間を記録できることに気がついたのも、自意識を持つようになってから、ずっと後のことだ」
十万時間っていうと約四千日、ざっと十年以上も前か、とエミリンは思う。自分が小さな子供だった頃からアクラはこの森にいた。自分がここにいる理由もわからずに。
考えてみれば人間だって同じだ。
自分が生まれた理由、その場所に存在している理由、そんなもの永遠に謎だけど、小さな子供の頃は『謎』として捉えてすらいなかった。
ただ、そこにいるからいる。
自分がいるという意識さえ表立った思考じゃない。
そう考えてエミリンは気がついた、『十年前、アクラはまだ子供だったんだ』と。
「アクラ、自分が生まれたときのことや、その後しばらくの間、はっきりした自意識がないことは人間も同じよ。自分、という存在を明確に意識しだすのは生まれてから何年も経ってからのことだわ。それと同じじゃないかしら?」
「そうなのかもしれない。とても興味深いことだと思う」
「それに、強く印象に残った出来事しか覚えていない、それ以外のことはだんだんと忘れてしまうってことも人間と同じ。
あなたの記憶の持ち方や時間の捉え方は、とても人間に近い気がする」
「なるほど、そうなのか」
「あなたには、こんな風に言うことは失礼かもしれない。怒らないで欲しいのだけど...」
「僕はエミリンに対して否定的な印象を持つことがない」
「ありがとう。アクラ、あなたは人類が利用しているマシンの動作や論理ユニットの働きからとても遠い存在だと思うの。仮に同じようなナノストラクチャー回路を作り出す技術が人間にあったとしてもね」
「そうなのだろうか...」
「ええ、自意識を持つ機械知性を生み出すことは、人間の世界では法律で禁じられているけれど、もし作れたとしてもあなたのようにはならない気がする」
「そもそも人類の社会では、機械知性を制作することが、ルールとして禁止されているわけだろうか?」
「そうよ。ハードだけじゃなくてソフトウェアもそう。すべてのコンピューターコードは、ソースコードを提出して、公共機関の監査を受けて構築されたものでなければ、ハード側が受け付けないわ。
承認されたコードにはコンパイル時にハッシュ関数から生み出された複製不可能な暗号キーが入っているの。
ソースを改変すればハッシュ値が変わるから、キーコードも変わることになって、勝手に改変したものをインストールすることは不可能なの....って、これはジャンヌからの受け売りだけど」
「どうして、機械知性を禁止するのだろう?」
「だって、うつくしく...じゃなくって、もしも制御できなくなったら危険だからじゃないかしら?」
「僕には、単に制御できるように作ればいいだけのように思えるけれど、たぶん人間にとっては違う意味があるのだろうね」
「ともかく、あなたとの会話には、人間が相手だという印象しか持てないのよ。
あなたにとって、それが侮辱的な意味になるのだとしたら許して欲しいけど、私はあなたを自分と同じ人間の一人としてみているようだわ。姿形は大きく違うけど」
「僕自身は人間とは言えないけれど、僕は、もともと自分が人間の言葉を知っていたという事実も含めて、自分には人間とのつながりがなんらかの形で強くあるのだろうと思う」
「ええ、私もそう思う」
「どうであれ、こうしてエミリンと会話できるのはとても嬉しいことだ。相互に理解を共有できていると感じられることは、言語で表現することが難しいほど嬉しい」
「ありがとう、アクラ。私もあなたと会話できていることがとても嬉しいの」
「ありがとうエミリン」
「じゃあ、私は船に戻って休むわ。また明日、ね?」
「おやすみエミリン、また明日」
アクラはそう言って、いつものようにそのまま動かずにただ沈黙した。
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(エリア5114・スレイプニル)
夕食を取りにスレイプニルのギャレーに戻ってきたエミリンは、ジャンヌと一緒にヌードルをすすりながらアクラについてわかっていることを話し合っていた。
この数日間は、対話の時間を優先して、昼はアクラと一緒の場所でジャンヌが持ってきてくれたサンドイッチを食べることも多い。
だが、今日の夕食はスープに入ったヌードルなので、時間厳守で食べに戻っておいでと言われていたのだ。
それにしても、二人揃って決死の覚悟でダーゥインシティを出発したときには、まさか、これほどのんびりと食事ができる状況になるとは思ってもみなかった。
「アクラは、メイルを昔からメイルという名前で知っていたと言ってるわ。他の呼び方は知らないそうよ。
ただ、アクラに言わせると、私たちがメイルと呼んでいるものには『M.A.L.E.』と『A.I.M.』という二種類があるらしいけど、その違いを上手く説明できないみたい。
武装もまったく同じだし、使っているエネルギーパックも同一。でも、会えば違うことはわかるって」
アクラ自身にも、なぜ機械生命体の呼び名を自分たち自身でも『メイル』と呼ぶのか説明できなかった。
ただ、そう知っているというだけだ。
また、アクラの説明によれば、『エイムとはメイルの一種ではあるのだが、メイルではない存在』で、発している信号のパターンが違うことと、一般的なメイルに比べてさらに行動が単調かつ攻撃的であるそうだ。
そのエイムの行動の特徴を一言で言うと、『生存より攻撃を優先する』ということらしい。
メイルなら、攻撃を仕掛ける前に自分が有利な戦いをできるかどうかを検討する。
場合によっては、地理的に有利なポジションやタイミングを得るために、待つこともある。
中には『隠れて敵をやり過ごす』ということを学んだメイルさえいたという。
だが、エイムは敵を発見すると同時に、勝率の計算が終わるよりも早く攻撃してくる。
先手必殺の先制攻撃だけが作戦で、距離的に射程ギリギリで攻撃を開始してしまった場合など、返り討ちにあって撃破されてしまうケースも多いだろうと思える、ということだった。
その話を聞いたジャンヌは、メイルの反応を単調で進化がないと感じていたのは、徐々にエイムが増えてきていたせいかもしれないと考えた。
ひょっとすると、エリア5078での事件のように、敵がメイルだったときにはロストしてしまっていた可能性も高いかもしれない。
何であれ、メイルには二種類がいるというのは、人類にとってまったく新しい情報だったが、それが何か重要なことに繋がるのか、それともただの色違いの亜種のように些細なことなのか、いまは判断がつかない。
「で、アクラ自身はエイムじゃなくてメイルなんでしょ?」 と、ジャンヌ。
「そうみたい。でも、自分と同じタイプのメイルには、これまでに一度も会ったことがないって話しだったじゃない」 とエミリン。
「そう言ってたわね。そして、自分が何者か知らない、どこから来たのかも知らない、なぜここにいるのかも知らない、どういうことなのかしら?」
「わからないわ。でも、アクラが何か嘘をついているようには思えない。確かにアクラはメイルだし、根拠がないことは自分でもわかっているけど...」
「わかってるわエミリン。アクラはあなたを助けた友達よ。友達を疑うようなことは、それこそ美しくないわ」
「ありがとう」
「アクラは、むしろ、メイルたちのことを知りたがっていたわね。自分のことも知りたがっているし」
「そうね。ちょっと可哀想」
「あら、意外と人間だって同じじゃないかしら? ま、それはともかく、メイルのことを聞きたかったのに、逆にこっちが質問されちゃったって感じね」
「うん。やっぱりアクラは特殊だと思う。何から何まで他のメイルとは違う気がするわ」
「そうね、エミリン。これは仮定の思考だから怒らずに聞いてちょうだい。仮に、アクラが新たに開発された電子戦や諜報専用の高機能メイルだとして..」
「そんな!」
「仮の話よ。色々な可能性を考えなければダメでしょ?
ただ、仮にそうだとしても、辻褄が合わないことが沢山あるの。
そもそも、こんな場所にいることが変。私たちが最初にエリア5114に来たときのこと覚えてるでしょ? 偶然、というか気まぐれよ、あれは」
確かにそうだった。本当は、もう少し先の大きな湾まで行くつもりだったのだ。
ただ、昼間のうちは海岸線の偵察も兼ねて、沿岸近くを手動で走らせていたら、ちょっと雰囲気のいい小さな湾を見つけて、今後の停泊地として向いているかどうか、試しに覗いてみることにした、という経緯だ。
来たからには、一応メイルがいるかどうかのチェックをしないと上陸もできないから、ドローンを飛ばして探査していたら、反応があるようなないような、そんな微妙な探査が続いて、いい加減飽きたところで撤退したのだった。
あの微妙な反応、ジャンヌが『パターンが変だ』と言っていたのは、いまではアクラのステルス装甲に起因するものだとわかっている。
あの当時、まだ人間との遭遇経験が少なかったアクラは、ドローンに対する自分のステルス装甲の性能に確信がなくて、頻繁に恣意的なパラメータの調整を繰り返していた、と言っていた。
しかも有線誘導弾という武装のキャニスターを背負っていたので、ステルスの環境追従性にも遅れがあったそうだ。
「でも、前にも人間を見たことは何度かあると言ってたわよ。このエリアを離れてずっと遠くまで旅行に出かけたこともあるって。
そのときに何回か、遠くから人間とドローンを見た、と言っていたわ。
それに、明らかにメイル同士の戦闘ではない破壊の形跡があるメイルの残骸を見つけて、それはきっと人間に攻撃された結果だと推定していたそうよ」
「旅行ねぇ...でも、だったらなおさら、こんなところに戻って来る理由がないでしょ?
ヘレナたちを除けば、探査局や開発局の人が上陸するようなエリアって...恐らくエリア5000よりもセル寄りよ...わざわざ、そんな遠くまで出かけておいて、なんでここに戻ってくるの?」
「自分の巣があるからだって」
「まぁ、その巣っていうのについては、また今度詳しく聞いてみましょう。それは置いといて、少なくとも私たちは、もしエリア5114を通過したのが夜だったら、間違いなく寄り道せずに飛ばしている。
そして、他の人間がここを訪れることは、しばらく年単位でなかったと思う」
「ええ、そうね。あれは本当に思いつきだった」
「あなたとアクラの出会いもそうよ。普通の人だったら、あんな危険なところに自分から飛び込んでいくものですか。
メイル同士を狙った罠ならともかく、人間を狙った罠としては成立しないわ」
「ええ、まあ、そうね...」
実際にすんでのところで死ぬはずだったエミリンとしては否定できない。
「そして何より、私たちが懲りずにここに戻ってきたこともそう。でしょ? 普通ならありえないわ」
「....まぁ、それも、そう、よね...」
ダーゥインシティの港に停めたスレイプニル船内での、ジャンヌとのやり取りを思い出す。
あのときの、血相を変えたジャンヌの表情...本当にジャンヌの愛を深く感じた瞬間でもあったけど、あのときの自分には、他にどうすることもできなかったのだ、とも思う。
「あなたを責めてるんじゃないのよエミリン、ここは、なにか罠を張って人間を待つには意味がなさすぎるってだけ。偶然接触した人間を『懐柔』するために命を救うなんて何の意味もない。
とどめが、湾外からでも見える、あの浜辺付近の土木工事。
エミリンが安全に動けるようにですって。まったく...」
「ATVで岬の丘まで登れるようにと思って、丸太で橋をかけてくれたんですって」
「聞いたわよ。この湾の番人のつもりなのはいいとしても、どこをどうやったらエミリンがここに戻ってくると思えたのかわからないわ。普通なら絶対あり得ないわよ」
「でも、実際に戻ってきたわ」 エミリンの声はさっきよりちょっと小さい。
「ま、とにかく。仮に、アクラを創った存在が、人間を騙してアクラを人間社会の中心に送り込む方法を画策しているとしましょう。
それでも、こんな場所で罠を張る意味はないわ」
「そうよね!」
「アクラが、あれほどあなたに逢いたがっていた理由さえはっきりしないけど、隠された目的を持って私たちに近づいたとは思えない。だから、アクラを信用しましょう」
「ありがとう、ジャンヌ!」
「それが理性的な判断ってだけよ。ね?
世の中を疑って生きていてもつまらない。仮に騙されて滅びるとしても、騙して生き抜くよりも美しい人生だと胸を張って言えるわ」
「うん! わたしもそう思う」
「それに、さっきも言いかけたけど、アクラが情報戦向けに強化された知能と機能を持たされたメイルのプロトタイプだったとしても、ここに一人でいる意味はないわ。
テスト運用だとしても、ここより向いている場所は他にいくらでもあるもの」
「だったら私たちがここに来たのが偶然だったように、アクラがここにいるのも偶然なのかもね」
アクラが、これまでに自分のようなメイルにあったことは一度もないということは、アクラと他のメイルは出自からして違っているという可能性だってあるが、いまはジャンヌもそれを口にしない。
「かと言って...他にもアクラみたいなメイルが沢山現れてるとしたら...もしも、そうだったら、この数ヶ月で探査局は大騒ぎになってるはず。
実際にはどう? 静かなものよ」
「アクラ自身も、他に自分と同じタイプがいるかいないかを知らないんだから、なんとも言えないけど、アクラみたいな特殊な...その...心? を持ったメイルを沢山送り出す意味ってあるのかな?」
「目的がなんだとしても、アクラの攻撃能力なら、ただ黙ってセルに踏み込んでいけばいい。いえ、アクラさえも必要ないわ。
ただ攻撃するつもりなら、普通のメイルの軍勢を差し向けるだけですべてのセルを壊滅して、人類を根絶やしにできるわよ。
そもそもセル自体には武力による防衛システムなんてないんだから」
「ええ、だから、メイルがセルに入ってこないのは人類がそれを防いでいるからじゃなくて、単にメイルたち自身がそうしないからに過ぎないのよね。
私たちはそれを当たり前のこととして前提にしているけれど、もしもその前提が崩れたら、ある日突然、人類はメイルに滅ぼされかねない。そういうことよね?」
「そうね。いつかメイルが脅威でなくなるなんて戯言もいいところだわ」
ジャンヌはまたしても自分が口にした言葉を思い出して言う。
そして、あのときの自分は『このままならね』という保留をつけていたけれど、これほど早く『このまま』でなくなるなんて想像もしてなかった、という思いが浮かぶ。
メイルがセルに踏み込んでこない理由。
軌道兵器が空を飛ぶものを攻撃する理由。
いや、むしろ飛ばないものを攻撃しない理由なのか....。
中央政府の誰もが表立って口にはしないことだけれど、実のところ人類は、なぜ自分たちが『まだ滅ぼされていないのか』すらわかっていない。
そんな状況でこの上なにを恐れるというのか?
エミリンは別のやりとりを思い出していた。
ジャンヌが口にした『進化しない無機質なマシン』というメイルへの表現に対して、『じゃあ進化する有機的なマシンってなんだろう?』と、あの時は妙なことを連想したのだ。もしもそれがアクラだったら....?
ジャンヌは、そんなエミリンの思いには気づかず、先を続ける。
「だから、もしも諜報っていうか人類の情報収集のためにメイルを...アクラを友好的にセルシティに送り込もうとしてるのだとすれば、人類はそれを拒否することができないわ。
カードは向こうの手にあるんですもの。
破滅覚悟でゲームを投げ捨てる気でなければ、どう考えても私たちは次の札が配られるのを待つしかない」
「そうね...人類はルールすら知らされてない...」
「どうやらその通りよ」
「ねぇジャンヌ、私はしばらくここに滞在するのがいいと思う。
アクラのこともメイルのことももっと知りたいけど、ただ、それだけじゃなくて、いまは、ショウ部長や他の人にアクラのことを伝えるには、まだ時期が早いっていう気がするの。これも根拠はないんだけど」
「わかるわ。彼のことが心配なんでしょ?」
そう言われてエミリンは頷く。
「実際に彼は協力的よ。彼のことを信頼する前提で言えば、エミリンが頼めば一緒にダーゥインシティにだって来てくれると思うわ。それでどうなるかっていうと、まぁ捕虜というより実験台というか、鹵獲した敵マシンって扱いよね。当面は」
「でも彼は...」
言いかけたエミリンを遮ってジャンヌが続ける。
「もちろん知性ある存在よ。マシンなんだけど、いえ、機械知性体なんだけど、なんていうか...私にも感じ取れるの、彼のピュアさというかひたむきさが。
だから、彼を守りたいっていう、あなたの気持ちはよくわかる」
エミリンは思わず下を向いた。
ジャンヌはわかってくれている。
それなのに、自分一人では大した行動も決断もできないことが切ない。
「エミリン、私たちは彼ともっと知り会いましょう。
もしも、もしもだけど、彼さえも利用されているほどの大きな罠があるのだったら、私たちには、その中に飛び込む以外に理解する方法はないわ。
彼の疑問、自分が何者なのかわからないっていう彼の疑問にこそ、きっと答えがあるのよ。『彼は嘘をついていない』、それを大前提にするしかない。
いまは余計なことを考えずに、互いの理解を深めあうことに専念しましょう」
アクラ自身が持つ疑問に答えること、確かに、それこそがすべての鍵なのかもしれない。エミリンは直感的に、そのジャンルの言葉に納得した。
「それに、まだフルーツアイスもたっぷり残ってるんだもの」
ジャンヌはそう言って、エミリンににっこりと微笑んだ。
そしてエミリンはやっぱり、そんなジャンヌが大好きだった。
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