再会


(エリア5114・再会)


アクラは、その人間が小さな海上移動ユニットで近づいてくるのをじっと観察していた。


姿から見て恐らく、あの小さな小さな顔の人間ではない。

それはアクラを少しだけがっかりさせたが、それでも、いまのアクラにとっては人間と対話ができるであろうという期待のほうが、遥かに大きかった。


人間たちは、巨大な海上移動ユニットから分離した小さな海上移動ユニットで浜辺に近づき、さらにそれから分離した水陸両用の移動マシンに乗って近づいてきた。

随分と手間のかかるやり方だが、きっと彼らにはなにか意味があるのだろう。


移動マシンが近づいてくる。


アクラは動かない。

自分がステルス装甲を解いて姿を見せた時、あの海上移動ユニットの中ではどのような決断が下されたのか、どのような欲求が生じたのかはわからないが、結局自分は砲撃を受けることもなく、先ほどと同じ場所に無事に座ったままでいる。


これは、人間たちが戦闘を交わそうと思っていない証拠だとアクラは考えた。


恐らく、あの水陸両用の移動マシンに乗って近づいてくる人間は、アクラとの対話を求めてくるはずだ。

だからアクラは慌てて動かない。


すぐ近くまで来たマシンが止まって、人間が地表に降り立った。

あの小さな小さな顔の人間と比べると一回り大きい。

比較すると高さだけでも120パーセント以上はあるから十分に成長しているのかもしれない。


肩からは、この前と同じようなフラットな板状のスキャナーを下げている。間違いない。先日の経緯を前提にした上で対話に訪れたのだ。

アクラはそう確信した。


それは、とても、とても嬉しいことだった。


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ジャンヌは、メイルに近づいた。

だが、どこまで近づけば良いのかわからない。


この前、エミリンとこのメイルがディスプレイを通じて会話したときには、もう少し離れていた気もするが、数ヤード近かろうが離れていようが、自分の命にとって大差はないのだと震える心に言い聞かせる。


相変わらずメイルは動かない。攻撃してくる予兆もない。


目測で5〜6ヤードの距離まで近づいたところでジャンヌは一旦止まり、先日のエミリンの動作を真似て、インタラクティブディスプレイを肩から下ろして地面に置いた。


ただし、今回は自分から能動的に図形を示すことができる。

ジャンヌは手に持っていたスタイラスで、ディスプレイに図形を描いて見せた。


『これで対話したいという意図が伝わるといいのだけど...』 そう思いながら、まずは、目の前にいるメイルの輪郭を自分なりに描いてみる。

すると、メイルが反応を見せた。


頭がかすかに動き、その先端部に小さなハッチが開いて細いケーブルが滑り出てきた。エミリンの話どおりだ。

ドローンの映像ではきちんと確認できていなかったが、これを使っていたのかと、しみじみと見入る。

そのケーブルはジャンヌお手製インタラクティブディスプレイの近くまで滑ってくると、蛇の頭のように鎌首を持ち上げた。


ディスプレイのまわりを左右にせわしなく動いている。

内部構造をスキャンしているのだとわかった。

画像表示素子の基本構造はあのときのスキャナー画面とほぼ同じだし、このメイルにとってもほとんど同じ手順で図形を表示させることができるはずだった。


しばらくすると、画面にふわふわとした色や模様、線や点が現れ始めた。

これもエミリンの話どおり、ディスプレイ素子のコントロールを探っているのだ。

今回は二回目だからだろう、すぐにくっきりとまっすぐな線が表示され、その線が少し動き回ると、今度は複数の線が組み合わさって輪郭を生成し始める。


このメイルの姿だ、ジャンヌから見た角度の姿を輪郭で表している。

ジャンヌは、エミリンの報告を思い出し、強く頷いてみせる。

すると、その図形が消えて、こんどは人間風のスケッチが表示された。

間違いない、このメイルから見たジャンヌの姿だろう。


ジャンヌはまた強く頷きながら『エミリン、きっとあなたもこんなに興奮していたのね』 と思った。メイルとのコミュニケーションは成功している。

ジャンヌはようやくエミリンの気持ちを本当に理解した気になった。


次に現れたのは、俯瞰図で見たこの場の情景だった。

このメイル、ジャンヌ、ATV、RHIB、スレイプニルの位置関係に、いわばアイコン化された図形が浮かんでいる。

真ん中を横切る滑らかなカーブは砂浜のラインだ。


ジャンヌはまたしても強く頷いた。

ここまではほとんどエミリンの話と一致している。

ではここから先は? 


エミリンと同じように、『船に帰りなさい』と言われるのだろうか?

それとも『ここは私の縄張りだ。もう入ってくるな』とでも言われるのだろうか?


待ちかねるジャンヌの目に新しいスケッチが飛び込んできた。


最初は、それが何かよくわからなかった。

メイルも、その表示に苦労しているらしく、大量の短く細い線が次々と浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返して定まらない。

だが、やがて線の数が減って形状がすっきりと、しかし特徴がはっきりとわかる『スケッチ』がそこに現れた。


それは、見間違えようがなかい、実に明快なメッセージだった。

ジャンヌはしばらく考えた後、意を決してヘッドセットのマイクに向かって呼びかけた。


「エミリン、このメイルはあなたに会いたがっているみたいよ」 


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エミリンはジャンヌにそれを聞いたとき、自分でも不思議なことに、まったく驚かなかった。

むしろ嬉しかったと、そう言ってよかった。


あのメイルは絶対に自分に会ってくれる、なぜか、そういう根拠のかけらもない確信があったからだ。


怖くはなかった。

エミリンは、あの衝撃的な初めての出会いのとき、最後に自分が彼の背中に向けて『ありがとう』とお礼を言ったことを覚えている。


別れ際に礼を言った相手を怖がる理由なんて、どこにあるだろう?


「そっちに行くわ!」 

エミリンは即座にそう答えると、ウェルドックの格納庫に駆け下りていく。


発進前のチェックもそこそこにMAVを水面に浮かべてドックから出す。

今日の波は高いが、重心が低く横幅のあるMAVなら安定性が高いからさほど心配ない。MAVのキャノピーを閉めると、スロットルを勢いよく開けて荒れた海面に飛び出していった。


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ジャンヌは不思議な気分だった。

普通なら、メイルと同じ陸地にいるなんてぞっとする経験だし、その状況で二人揃って船を空けるなんて正気の沙汰じゃない。


自分は性懲りもなく前回と同じ判断ミスを繰り返そうとしているのか?


だが、ジャンヌにとっても予想外なことに、いまやこのメイルからは恐怖を感じなくなっていた。

恐ろしい存在であることは間違いないのだ。

なのに、何を考えて_なにか目的があるとすればだが_こんな行動を取っているのかさえ見当もつかない。


手を加えられた陸地の様子。

スレイプニルに対して見せた行動。

いまディスプレイに映し出してきたこと。


さらに言うなら、人類と戦闘以外で関わろうとしている、そのこと自体が。


いま、急スピードで陸地に向かってくるMAVを見ながら、自分たちは取り返しのつかないことをしようとしているのだろうか?と、ふと考える。

またしても、私はエミリンを危機に晒そうとしているのだろうか?


『いや....』 とジャンヌの心が否定する。


違う。上手く説明できないけど、このメイルはなにか違う。

そして、まったく同じことをエミリンも言っていたのだと思い出す。


自分も、このメイルに危害を加えられる可能性はとても少ないと思うようになっている。もちろんいまでもゼロではないけれど。

だが、その危険性よりも何よりも、ジャンヌ自身も答えが知りたくなっていた。


このメイルは何を考えているのか?

何を求めているのか?

私たちとこのメイルとの出会いは、この先どうなるのか?


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アクラは、この人間が、恐らく通信装置に向かって何かを喋り、その後、もう一台の移動用マシンが海上移動ユニットから猛スピードで発進してきたのを見て、『ああ、来てくれるのだ』と、なぜかそう思った。


きっと、あの小さな小さな顔の人間がここに来てくれるに違いない。


人間が援軍を呼んだりしたのではなく、きっと、あの個体が来てくれるのだ。

そう思った。


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MAVが砂浜から上陸してくる。そのままジャンヌが降りたATVの傍まで来て止まった。キャノピーのドアが開いてエミリンが降り立つ。


エミリンは巨大なメイルを見つめて、無意識に「こんにちは」 と言った。


そのまま落ち着いた様子でジャンヌの傍まで歩いてくると、二人でメイルに向きあった。


「こんにちは。お久しぶりね。この前は助けてくれて、本当にありがとう!」 


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小さな小さな顔の人間が本当に来てくれた。

それを『嬉しい』とアクラは思う。


あの日、前触れもなく突然生じた欲求。

自らの生存率の向上にはまるで繋がらない合理性のかけらもない欲求。


岬の丘の上で思い至った『再び遭遇したい』という欲求はいま満たされた。


アクラは満足を感じる。

それは、戦闘で勝利した時とはまるで比べ物にならないほど深い満足感だった。

嬉しいという思いは、戦闘による勝利には存在していなかった。


勝利とは、ただ『成功』したに過ぎなかったからだ。


だがこの遭遇には、嬉しいという思い、喜びという気持ちが生まれている。

嬉しさ、喜び、アクラはその概念を知っていた。

そして次の欲求が生まれていた。


アクラは人間と話をしたかった。会話を。


人間が持ってきてくれたこの表示装置でもやり取りはできるが、共通の単語がないと複雑な会話は難しい。


アクラは、相変わらず人間の音声がわからなかったが、いまの ー ありがとう ー という響きには聞き覚えがあった。


音の強さ、秒数、中心となる音域のすべてが違うが、それでも初めて出会った日、森の奥へ立ち去るアクラの背中に向けて投げかけられた音と同じ音程とリズムの特徴をもっている。


恐らく人間の音声で重要なのは、この音程とリズムの組み合わせであり、メイルのようにはっきりとした記号の受け渡しではないのだ。

これは、悪意や敵意を示す言葉ではない。


第一、こんなに美しく穏やかな響きの音が、そんなものを含んでいるはずがない。

アクラはそう思う。


なぜ、この音を美しいと感じるのかはわからなかったが。


そこでアクラは自分たちの『言葉』をこの二人の人間に向けて出してみた。

いま聞こえた人間の音と同じ程度の音圧になるように慎重に調整する。


『-.--...-.-..-....----...-』


二人が顔を見合わせている。

恐らく理解できなかったのだと推測する。

もちろん当たり前だ。いまのはテストに過ぎない。


次に、記録しておいた音をベースに、それと同じ音を自分の発生装置から出してみようと考えてみた。


メイル同士の会話では、四種類の音域しか使わない。

ただ、それは音声を発生する装置の制限ではなく、思考した言語が音声に変換される際、コプロセッサーが不要な音を出さないように自動的に調整するからだ。

ならば、そのステップを意図的にバイパスして、アクラ自身が意識的に発音装置を制御すれば自由に音を出せるのではないだろうか? 


自分の集音装置でその結果をフィードバックしながら調整していくことができるだろう。そう推測して試してみる。


『ラィルィガァテノー』 違う。まだ人間も戸惑っているようだ。 

『アォルィゲタオ』 もっと帯域の広がりかたが複雑でなければ。 

『アリィゲャトォウ』 だいぶ近くなった気がする。この制御方法でやれそうだ。 

『アリガァトオ』 近い。もう一度試してみる。 

『アリガゥトウ』 そうだ、これでいい。確認してみよう。


『アリガトウ』


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最初は、いかにも機械的なパルス音が発信されたが、エミリンとジャンヌには、それが何かまったくわからなかった。


何かの警告なのか? 

音の持つ雰囲気だけで言えば、そう取れなくもない。

だが、次に出てきた音はまるで違っていた。


さきほどの規則正しいパルス音ではなく、もっと複雑で軋むような音だ。

鳥の叫び声のようにも聞こえるし、故障したメディアセットから出る不協音のようでもある。

なんだろうと必死で考えている間に、それが繰り返される。


繰り返されて、どんどん歪みのない音になっていき...二人は同時に気がついた。


これは声だ!

エミリンとジャンヌは驚愕した。


そう気がつくと同時に、メイルは確かに『ありがとう』と言った。


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アクラ自身は、この音が持つ意味をわかっているわけではない。

単に、この発声が二回にわたって使用された状況から見て、悪い意味ではないだろうと推測したから使っただけだ。


これが仮に『戦闘したいか?』という質問だったら目も当てられないのだが、この小さな顔の人間の前回の挙動から考えても、まずそんなことはあるまい。そう思って使ってみた。


何よりもまず、コミュニケーションしたい、会話をしたいのだという意図を、この人間たちに伝えたかった。


会話しようという意図をわかってもらい、それに興味さえ持ってもらえれば中身は後回しでもいい。

さて、反応から見るに興味を引くことはできたようだ。


なんとか単語や文法を共有できればいいのだが....なにか、知的存在に共通する『言語』はないだろうか...。


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「言葉が通じるの?」 

エミリンは勢い込んでそうメイルに問いかけたが答えはない。


しばしの間をおいて、代わりに、足元のディスプレイにまた図形が浮かんだ。

なんら特徴を感じない小さな直角三角形が一つ。

何を表しているのだろう?


続いて、その三角形の周囲に、三角形のそれぞれの辺と同じ長さの辺を持つ正方形が順に描かれていった。三角形と、それを囲む大きさが違う三つの正方形。


「三角平方の定理よ!」 それを見たジャンヌが叫ぶ。


「このメイルは知的存在だわ!」 言いつつ、ジャンヌはまじまじとメイルを見つめた。少しはそういう予感もしていたが、まさか。


三角平方の定理自体はエミリンも知っていた。

最後に見たのは随分と昔だが、幾何学パズルかなにかで教えてもらった記憶がある。直角側の二つの正方形の面積を足すと一番大きい斜線側の正方形と同じ面積になるという規則だ。

このメイルは、三角平方の定理を表示することで、自分が幾何学を理解している知的存在であることを示したのだ。


そして、知的な存在であるということは、会話が成り立つ相手である、ということを示している。

その瞬間、ジャンヌもエミリンも、わずかに残っていた不安が消し飛ぶのを感じた。


『野獣ですって? とんでもない!』


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互いがよって立つ基盤に共通項があれば『知的な相手とは理解を共有できる』はずだ。


話ができるはずだ。

聞くことができる。伝えることができる。

なにか共有できる手段さえあれば...


このディスプレイは相互に意思表示ができるとはいえ、共通の言葉がなければ会話はおぼつかない。

幾何学のように図形で表示できるものはいいが、簡単な公式だって、文字がなければ表現するのは難しい。


さっき、このメイルが『ありがとう』と言ったのは、意味に関係なく、自分がコミュニケーションする意欲を持っていることを示すために、エミリンの言葉をオウム返しにしたのではないか?


そして、次に図形で三角平方の定理を示し、自分の知的レベルが人間と会話するに足りているであろうこと(ひょっとしたら人類を超えているのかもしれないが)を示した。


このあと必要なのは『言葉』だけだ。

ジャンヌにもエミリンにも、それはわかる。

ジャンヌの技術者としての頭脳がフル回転を始めた。


このメイルは、エミリンの発した言葉を記録し、それをただそのまま音響信号として再生するのではなく、自分自身の持つ、なんらかの音の波形制御装置を使って模倣することで、人間に聞き取れる音声を生成できることを示している。


であれば、人間のもつ概念とそれを表現する言葉を、このメイルに伝えることができれば、彼はそれを理解し、組み立て直して言語化することができるはずだ。


もちろん逆でもいい。

彼の概念とそれを表す言葉を知ることができれば....。

いま、私たちに必要なものは辞書だ。相互に翻訳可能な辞書。


「エミリン、ちょっと待ってて」 


ジャンヌはそう言うと急いでMAVに向かう。

MAVのコクピットに常備してあるポータブル端末を外して、エミリンのそばに駆け戻った。このポータブル端末はスレイプニルの情報システムともリンクできるから、大抵のものは表示できる。


メイルはジャンヌの行動をじっと待ってくれているようだ。

ジャンヌはまず、端末の画面に乗員記録から呼び出したエミリンの顔を大きく映し出した。

そしてはっきりとした声でメイルに向けて「エ・ミ・リ・ン」 と告げた。

端末の画面をメイルに向けて掲げながら、「エミリン」 そう繰り返す。


メイルが反応した。

『ェミィリィン』


たどたどしいが、間違いなくエミリンと言っている。

すぐにわかりやすい音声で繰り返された。

『エミリン』 

さっきよりも調整が早い。


続いて自分の顔を出してみて「ジャンヌ」 と告げる。


『ジャアンニュ』...『ジャンヌ』 

自分で聞きながら補正しているのだろう。

明らかに人間の発声に近づいている感じがする。


次はスレイプニルだ。

これまでは人間だったが、今度は機械だ。

これをスレイプニルという固有名詞で呼ぶか、船という一般名詞で呼ぶか...エミリンとジャンヌを区別して見せたのだから、ここは固有名詞で続けるべきだろう。


ジャンヌはそう判断して「スレイプニル」 と言った。 


『スレイプニル』 メイルが繰り返す。


今度は最初からきちんと「スレイプニル」 と聞こえた。

人間の使う音域をほぼ把握したようだ。


ジャンヌは、ポータブル端末のカメラを操作して、正面に座るメイルの姿を大きく映し出した。

今度は、自分からは何も言わずに、メイルの反応を待ってみる。何とは無しに、メイルに向かって、手のひらを上に向けて腕を差し出していた。


相手が人間ならば『どうぞ』という仕草だ。『そちらの番よ』という解釈でもいい。

ジャンヌは、そのボディランゲージが通じるか通じないかを考えたのではなく、つい相手が人間であるかのように、自然にそういう仕草を取っていた。


とは言え、もし最初に聞いたパルス音のようなものが彼らにとっての標準的な『言葉』だったとしたら意味はない。

さっきのようなパルス音が帰ってきても、とても人間がまねて発音できないことはわかりきっていた。だが端末のマイクで記録はできるし、後で解析もできるだろう。


メイルは反応しない。

ダメだろうか? 

これでは通じなかったか。

あるいは人間の発音には置き換えられないか。

まぁ、それで当然だ。


だが、これまでになく長い間をおいて、メイルは声を発した。 


『ア・ク・ラ』


「アクラ!」 思わずエミリンが叫ぶ。

「アクラ」 ジャンヌも堪らずに言う

「それがあなたの名前なのね? アクラ」 

エミリンが感極まったような声を出す。


「アクラ!」 そう言って手をメイルに向けて差し伸ばす。

そして次に自分に指を向けて「エミリン!」 と言い、ジャンヌを指差して「ジャンヌ!」 と順に出していった。 


『アクラ』


もう一度メイルが発声する。そして『エミリン』『ジャンヌ』『アクラ』と続ける。いまではエミリンは楽しそうに笑っている。


ジャンヌは続けて、端末のディスプレイに画像を表示していく。

資源探査局の局員名簿から呼び出した顔写真を一定間隔で切り替えて表示しながら、『人類』と言ってみる。

するとメイル、いま『アクラ』と名乗ったそのメイルが『ジンルイ』と喋った。


彼の知的レベルであれば、この様々な人物たちの連続表示に対する『人類』という発声が、個体ごとの固有の名称ではなくて、人類という総称でまとめられたグループであることを理解しているはずだ。


ジャンヌは次に戦闘データベースから抜き出した様々なメイルたちの記録画像、それも_破壊される前の_映像を集めてみた。

いろいろな場所で、いろいろなアングルから撮られたメイルの画像。

ただし、そこに写っている中心はすべて、どれも、個体ごとにはそう大きな違いのないメイルたちだ。


このメイルたちの沢山の写真を表示しながら、ジャンヌはアクラに向かってさっきと同じように腕を差しのばした。

メイルたちが自分たち自身をどう呼んでいるか、もし呼び名があるのであれば知りたいと思ったからだし、ジャンヌとしては半ば無意識に、相手が自分で使っている名称をこちらも使う方が無礼に当たらないと考えていたからだった。


かつてコロンブスがタイノ族を一方的にインディアンと呼んだように、初めて出会った部族同士が、お互いに相手を自分たちの言葉で呼んでいては、後々収まりが悪い。


もしもこれでまた『アクラ』と彼が言ったら、先ほどの『アクラ』は彼の固有名ではなくてメイル全体を示す言葉だったとわかる。

ただのパルス音が帰ってきたら、さきほどの『アクラ』という音は彼らの単語ではないのかもしれない。

それならそれで理解の進歩だ。


だがメイルは、しばらくその画像を見つめた後はっきりとこういった。


『メ・イ・ル』 と。


ジャンヌとエミリンはその場で凍りついた。


「いまメイルって言ったわ」 と、きょとんとした顔のエミリン。

「どういうこと?」 とジャンヌもとっさの状況が理解できずに呆然とする。


なぜ?! 

なぜアクラはメイルたちを、そのまま『メイル』と呼んだのか?

それは人間の間だけで通用している俗称のはずだった。


それに、アクラが最初に発した音声らしきものは、まるでパルス変調された警告音のようで、人間の言葉とは似ても似つかないものだった。

あのパルス音の中には、『メイル』なんていう発音が存在する余地はない。

その後、エミリンやジャンヌの名前を発声するのだって、試行錯誤が必要だった。


それなのに、アクラはメイルたちの写真を見ただけで、それを正確に人間たちの言葉で『メイル』と言った。


偶然の一致はありえない。


アクラは、例えば人間たちの通信を傍受するなどして、人間たちが彼らをメイルと呼んでいることを知っていたのだろうか?


テレパシー的な読心能力でも想定するならいざ知らず、普通なら理性的に考えられる可能性はそれしかない。

そもそも、読心能力、それも単語を音声に変えた状態で読み取れるような能力がもしもアクラに備わっているなら、出会った最初から会話にこんなに苦労してはいない。


『メイル、アクラ...メイル』 アクラが続ける。 

『エミリン、ジャンヌ...ジンルイ』 

『アクラ、メイル....エミリン、ジャンヌ、ジンルイ』


すでにアクラの声は簡単な文になっている。


アクラは自分をメイルであるといい、エミリンとジャンヌが人類であると言った。

両者の理解に齟齬はない。


通信傍受、それ以外に答えはないとジャンヌは思った。

それも一度や二度ではない。

まったく言語体系の違う相手が、メイルの映像とともにメイルという単語が飛び交う会話を傍受し、やりとりされている映像の中心にある対象への呼び名だと理解するためには、単語の出現頻度を元にした、暗号解読にちかい推論を行う必要がある。


メイルは、というよりもアクラは、パターン分析の技術を使って、自分たちが人間の言葉でメイルと呼ばれていることを知ったのかもしれない。

それにしても、それが可能であるためには、デジタル信号化された映像や音声を解析し、復号するだけの情報処理能力が必要だ。


相当な長期間にわたって、アクラは人間の通信を傍受してきたのだろうか?


微弱な電波で行われているセル内の通信や、上陸した探査局員同士の通信を傍受するには、人類と同じ技術レベルを想定するならば、かなり近寄っていなければ不可能だ。

そう考えるとジャンヌは再びブルーな気持ちになってきた。


いまのところアクラは直接私たちに敵意を見せてはいないけれど、遠く離れたセルのデジタル通信の傍受と解析までできるとなれば、何を準備していても不思議ではない。

スレイプルの船内で、このメイルのステルス技術を目撃したときの不吉な衝撃が蘇る。


もしも...メイルたちが人間に対する攻撃を予定して、このコミュニケーションが、その前段階だとしたら....ジャンヌは目の前が暗くなりそうに感じた。


ひょっとしたら何もかも手遅れなのかもしれないと思いつつ。


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(エリア5114・記憶)


アクラは、急速に理解してきた。

いや、理解したというより、思い出したというべきだろうか?

まるでこれまで思考にかかっていた霧が晴れてくるようだ。


『エミリン』 それが小さな小さな顔の人間が持つ『固有の名称』だ。


120パーセント大きい方の人間の固有名称が『ジャンヌ』。

そして、エミリンやジャンヌたち人間の総称が『ジンルイ』となる。

あの大きな海上移動ユニットの名前が『スレイプニル』だが、これは固有名称か一般名称かわからない。


そして、自分の名前を人間の使う帯域で『ア・ク・ラ』と喋った。

なぜ自分がそれを発声できたのか?

人間の言葉で自分の名前を音にすることができたのか?

そうだ。


それを知っていたからだ。


考えてみれば、自分はいままでどんな言語で思考していたか? 

他のメイルたちとやりとりするための八種類の音域の組み合わせで、いや、音でなくてもいい、その八種類の信号の四つ単位の組合せ、それを自分の思考の中で『言葉』として扱っていただろうか?


そうではなかった。

思考の中心には言葉があった。

言葉を使って考えていた。

言葉がなければ抽象的な思考は不可能だ。


なぜ、いままで自分はそのことを疑問に思っていなかったのだろうか?


自分の姿を見せられたので『アクラ』と発声し、次にメイルたちの映像を沢山見せられたので『メイル』と発声した。

しかし考えてみれば、アクラという自分の名前も、なぜそれを知っているかはさておき、これまで人間の使う帯域で音にしたことはなかった。

それなのに、人間に聞き取れる音で迷わず表現できていた。

同じく人間に聞き取れる音域の『メイル』という単語も人間に教えられてはいない。

これが示す事実は単純だ。


理由はわからないが、『もともと自分は人間の言葉を知っている』それが一番可能性の高い解釈だろう。


自分はなぜか積乱雲からの空中放電を『稲妻』という言葉で知っていた。

様々な言葉や、それが指し示す概念を知っていた。

なぜ知っているのか知らないことを沢山知っていた。


兵器の諸元はどうだ? 

自然の事物はどうだ? 

メイルやエイムという名称はどうだ? 

なぜそれを知っているのだ?


それらは元から知っていた。

それ以外に答えはない。

ただ、思い出すまで忘れていただけなのだ。


そうだ、いまのこの情景を見ていて思い出した一つの単語、それで試してみよう。


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次にどうしていいかわからず、アクラを見つめていたジャンヌの耳に、突然また違うアクラの発声が飛び込んできた。 


『スナハマ』


え? ジャンヌは戸惑う。

いま、アクラは『スナハマ』と言った? 

スナハマ? もしかして、ここの『砂浜』のこと?....ジャンヌは慌てて端末を操作し、地理情報データベースから様々な砂浜の画像を引っ張り出してきた。


半信半疑な面持ちで、それをアクラに見せる。

アクラがはっきりと繰り返す『スナハマ』。

そして一拍おいてまた別の言葉を発した『ウミベ』と。


ジャンヌは再び混乱した。

どういうこと? 

これはどういうこと? 

通信の傍受じゃないの?


この辺りの地域に人間がきたのは私たちがずいぶん久しぶりのはずだ。

探査局の公式記録にある限りでは初めてと言っても間違いない。


社会的ルールはともかく技術的には、沖合いにいるもの同士が海をはさんでなら相当な遠距離でも電波による通信は届くはずだが、どちらかが沿岸部に近寄っていたり間に陸地を挟むと、環境ジャミングの影響で途端に電波が届きにくくなる。

沿岸沿いでは海岸線の突出具合にかなり左右されるだろう。


それに、そもそもセル内の通信に、それほど頻繁に砂浜や海辺なんて単語は出てくるものかしら? しかも画像付きで? ないない、それはない。


でも、一つの事象に対する二つの名称『スナハマ』と『ウミベ』、アクラは間違いなく人間の言葉での同義語を把握している。

それも文字記号で記された単語ではなく、発話する音声としてそれを知っている。最初にジャンヌが示して見せたような発声のお手本はないのに。


いま、ここで何か行うことをやめたら気を失ってしまいそうだった。

なんでもいい、いまはやるべきこと、没頭できることが欲しい。

それはジャンヌの無意識の欲求だった。


気象情報データベースから試しに積乱雲の写真を呼び出してみる。

それをアクラに見せた。


しばらく間をおいてのアクラの答えは『ソラ』そして続けて『クモ』と言った。


ジャンヌは続ける。

外洋から見た海面の画像は『ウミ』、山脈は『ヤマ』、草原の真ん中に立った一本の大きな木は『モミ』そして『キ』。

さらに海側から見たダーゥインシティの写真を見せた。『マチ』そして『トシ』。


もう、疑問の余地はなかった。


アクラにはジャンヌ達とルーツを同じにする人間の音声言語のデータがある。


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アクラは次々と言葉を思い出していた。


いや、空や雲や山や木は元から知っている。

これまでも概念の中に存在して、思考する中ではその名称を使ってきた。

ただ、生まれて初めてそれを音声にして外部に出力したのだ。


そして、その次はこれまでに一度も見たことのないものを見せられた。

だが、それの名称は知っていた。

いままで、自分がそれを知っていることを知らなかったが、いまは知っている。


それは『街』だ。

そして大きな街である『都市』だ。

アクラは、その呼び名を知っていた。

そしてそれを人間たちの使う音域で発声してみることができた。


なぜ知っているのかは知らないけれど、それも人間たちの反応を見る限り、自分の発話が大きく間違ってはいないと思われる。


アクラは会話したいという欲求も忘れて、言葉を思い出すことに没頭し始めていた。

いままで思考の奥を包み隠していた霧が、存在すら気がついていなかった霧が晴れ始め、さらに鮮明な思考が浮かぶ。その思考がまた別の言葉を呼び覚ました。

そう、まるで思考の奥底で、言葉が次々と目を覚ましているかのようだった。


いましもアクラは、『ありがとう』という単語の概念を思い出していた。


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ジャンヌは休まず、ポータブル端末の画面に様々な画像を表示し続けた。

作業を続けていないと、余計なというか不吉なことばかりを考えてしまいそうだ。


アクラも微動だにせず付き合ってくれるのが救いだった。

川、森、岩、果物、魚、動物、鳥、虫、木、草....シダーのように種名などの固有名詞が添えられるものもあれば、一般名詞だけのものもあった。


もちろんアクラにも知っているものと知らないものがあるのは当然のことだ。

固有の地名はまったく出てこない。

セルシティの名称も一つとして発声されない。

そういったものはすべて街とか山とか海岸といった一般名称に置き換えられていた。


ジャンヌが画面に一種の農作業用レイバーマシンの画像を表示した。

明らかに生物的で、銀色の動物といった風情がある。ただし8本足だが。

なんにしても、『機械』と言ってしまうには、少し有機的すぎる。


それを見たアクラはこう言った『シラナイ』


またしてもジャンヌは固まってしまった。

これは物体の名称ではない。

知識の状態を示す意味そのものだ。


「知らない?」 

そうジャンヌははっきりと口にすると、画面の表示を幾つか前に戻していった。


一定の間隔で画像を連続表示しながら『知っている』と言ってみる。

アクラも迷わず『シッテイル』と答えた。


確信を持って最後に映したマシンの画像に戻す。

アクラがまた答える『シラナイ』と。


名前当てクイズは終りだ。

抽象表現での会話を試してみる価値はある。

画面に何を出せばいいだろう? 

生存の基盤を異にするもの同士の間で抽象概念を絵にするのは難しい。


ジャンヌが必死に考え込んでいると、それまでじっとジャンヌとアクラのやり取りを黙って見ていたエミリンが口を挟んだ。


「アクラ?」 とエミリンは静かに呼びかけてみる。

すかさず『エミリン』とアクラが答えた。


「言葉、わかる、アクラ?」 

アクラの返答はまたしても衝撃的だった。


『エミリン、ことば、しる、アクラ、わかる』

「お話 しよう アクラ」 

『はなし、アクラ、エミリン、...かいわ、エミリン、はなし、アクラ』 


ジャンヌはあっけにとられて二人、というかエミリンとアクラを見つめた。

なんてこと!?

はるかな古代に、案ずるより産むが易しという諺があったことをジャンヌは知らなかったが、思い浮かべた概念は似たようなものだった。


エミリンは確信を持って、いや、もはや親愛を込めてかもしれない。

アクラに凛として話しかけていく。


「アクラ、この前 は 助けて くれて ありがとう」 


エミリンは、アクラが理解しやすいようにと、一語一語を区切ってはっきりと発音していた。


『エミリン・かこ・そうぐう・アクラ、メイル、エミリン・はかい・すいそく、アクラ・エミリン・こうげき・ぼうし、メイル・はかい、アクラ・ぼうえい・エミリン』


「なんなの? それはなんなの一体?...」 

もはや、この場でジャンヌが一番冷静でないようにも見える。


「アクラ、ありがとう。やっぱり 私 を 助けて くれたのね。アクラは、私 を 守って くれたのね」 


『アクラ、エミリン、と、そうぐう、した。アクラ、は、エミリン、を、みた。アクラ、は、エミリン、を、ぼうえい、する、けってい、した。りゆう、は、ふめい』


アクラの言葉に、徐々に文法らしきものが現れてきた。接続詞も使われるようになりつつある。


「わたしを、守って、くれるの? アクラ」

 

『アクラ、は、エミリン、を、まもる。アクラ、は、エミリン、の、きけん、を、はいじょ、する。アクラ、は、それを、のぞむ』


そしてアクラは、さきほど思い出した概念、あのとき自分が記録していたエミリンの言葉がこの場に適切だと考えた。

ジャンヌの方を向いてそれを言う。 


『アクラ、は、ことば、を、おもいだす、はじめた...ジャンヌ、それを...ありがとう』


呆気にとられたままのジャンヌはかろうじて、「どういたしまして」 とだけは言うことができた。


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