行動
(高原地帯・峡谷)
アクラは森を抜けて長い距離を登り、高原地帯まで到達していた。
この辺りは、ずいぶん前に『ただ見てみたいと思った』という理由で近くまで来たことがあるが、なんにしても久しぶりの光景だった。
背の高い樹木が減って、赤茶けた土がそこかしこに大きな面積を晒し、それにへばりつくように生えた下草が丘の縁を彩っている。
海岸からそう遠くない割には、降雨が少ないことを示唆しているのだろう。
いまも湿度の少ない、乾いた風が吹き続けている。
自分のいるところから数百ヤード先に吹き曝されて砂埃にまみれた、古いメイルの残骸が朽ちているが、その戦闘はずいぶん前に行われたように見えた。
もちろんボディも完全破壊されていることだろう。
考えてみれば、自分がこれまでに倒した相手のボディも、わざわざどうにかする、ということはしなかった。
森林地帯にはいまも幾つかの残骸が転がっているわけだが、アクラは、その脇を通り過ぎても特にどうと思うこともなく、言うなれば新しい岩があるような感じだった。
あの『遭遇の日』に倒したメイル、ワンダラーのボディを哨戒ドローン代わりに使おうと思い付いたことが、倒した相手の残骸について明確に意識した初めての出来事かもしれない。
まばらに点在する背の低い潅木とその周辺に生えている下草の緑よりも、剥き出しの岩と土の方が面積的には多い。
地形が込み入っているので身を隠す場所もそれなりにはありそうだが、目覚めてからずっと森の近くにいたアクラの好みではない。
ただ、実際のところアクラの巨体では思い通りに走り回ることが難しい森林地帯よりは、開けたこの場所の方が、よほど動きやすそうだ。
人間のドローンに対しては無防備に近い気もするが、もしも自分が身を隠しているよりも戦うことの方が好きだったら、この場所をテリトリーにしたいと思ったかもしれない。
その高原地帯の縁にある峡谷の一角で、アクラは経験から見て、少し不思議な行動を取っているメイルを発見した。
たまに降る雨が流れると、柔らかな土壌を削っていくのだろう。
谷に向けていく筋もの深い溝が刻まれている。
右手に見える峡谷は深く、その遥か下を覗き見ると、高原地帯のさらに奥地から流れてくる川の、黄土色に濁った水の流れを確認することができた。
その峡谷をのぞき込んだアクラの視界の中で、真下の岸面を一体のメイルが這うように水平移動していた。
峡谷の風景に興味を持って、遙か眼下を流れる川面を覗き込まなければ、発見できなかったかもしれない。
切り立った狭い崖に挟まれているせいか、崖の上にいる分にはセンサーやレーダー類の反応もなく、わずかなセンサーの反応は、あのメイルの残骸が散らばっていることの誤認だと処理してしまう可能性も高い。
アクラも、峡谷の淵まで来てみなければ、恐らくそのまま気づかずに通り過ぎてしまったことだろう。
なぜ、彼はあんなところにいるのか? あそこで一体何をしているのか?
アクラは急速に興味がわいた。
崖は垂直ではないものの、かなり切り立っていて急角度だ。
それに岩盤はしっかりしていても土は柔らかい。移動中に足場を踏み外せば、最悪の場合は川底に落ちてしまう危険性さえもあるだろう。
つまり、積極的に降りて行きたい場所だとはどうにも思えない。
だからこそ、アクラは彼の行為を面白いと思った。
そのメイルがもう少し良く見えるように、体を峡谷の淵からさらに乗り出させて観察してみる。見た目的にはごく普通のメイルのようだ。
斜めになった地面にへばりつくようにして位置を変えようとしている。
次の瞬間、そのメイルが発砲してきた。
相手の攻撃予備動作から、レーザー砲を使うしかないと判断していたので、彼が角度を変えようとした瞬間に、すぐに頭を引っ込めていた。
レーザーの瞬きはアクラの脇をかすめ、崖の縁の土をえぐった。
確かにこんな狭い場所で、しかも自分が下側にいるのに破砕弾や誘導兵器を使ったら、どんなことになるかわからない。
逆にこちらは、あのメイルがいるあたりに破砕弾を撃ち込めば終わりだ。
つまり、そのメイルは単に面白い行動をとっているというだけでなく、戦闘にはどうにも不利な位置にあえているとしか思えなかった。
なのに、アクラに攻撃を仕掛けてきたということは、彼は自分がアクラに発見され攻撃を受けると考えて、やられる前に一か八かの勝負をかけてきたと思うのが妥当だろう。
確かに、あの位置から相手の頭を正確に打ち抜ければ勝てるチャンスは大きい。
こちらが先にあのメイルを発見できたのも、攻撃を予知してかわせたのも、単に自分が他のメイルたちよりも敏感だったというだけのことかもしれなかった。
アクラは考える。どうするべきか?
もちろん、ただ勝つだけならここから適当な弾頭を撃ち込めばいい。
それはわかっているが、できればそうではない方法で彼と対面してみたいとアクラは思った。
どうしてこんなところにいるのか?
ここで何をやっていたのか?
そういったことを是非聞いてみたかったのだ。
メイル同士のコミュニケーションは限られている。
まったく言葉が交わせないわけではないが、ほとんどのメイルは、その語彙がかなり限定的であるように思うし、また、かなり近距離まで近づかないと言葉が通じない。
なぜならメイル同士のコミュニケーションは電子的な手段ではなく、あの人間たちと同じように『音』を使った言語でやりとりするからだ。
もちろん、あのときに人間がアクラに向かって発したような音とはまるで違う。もっとスピードがあるし、そのパルスは一定だ。
つまり、人間のように複雑な音域を組み合わせて言語化しているのではなく、メイルの音声は、それぞれの周波数が重なっていない四種類の音をパターン化して送りあうことで成立している。
四種類の音の組み合わせは、三音ごとに同じ間隔で区切られて六十四種類の記号を表現し、それらの記号のつながりがまた一つのまとまりとなって意味をなす。
その信号を意味に復元したり、逆に意味を音の連なりに置き変える作業そのものはコプロセッサーが勝手にやってくれるので、アクラが意識をすることはなかった。
ともあれ、他のメイルと『会話』を成立させるためには、とにかく音がやりとりできる二〜三十メートル程度の距離まで近寄るしかないが、それはメイル同士にとって『必殺の距離』だ。
普通はそこまで近付く前に勝負がついているだろう。
だからアクラもこれまでに話したことのあるメイルはわずかで、それも自分が破壊して機能停止する寸前の相手から投げかけられるのは、不明瞭で敵意に満ちた言葉だけだった。
しかし他のメイルとも大まかな単語や概念を共有できるであろうことはわかっている。
それに、このメイルはこれまでと違うのではないか?
もっと違う会話が可能なのではないか?
と、何も根拠はないのだが、どうしてもそんな気がしてならなかった。
熟考の末、ジャミング用の電子ビームを使って呼びかけてみることにした。
まずビームを意図的に変調し、四種類の段階的にずれた周波数ブロックをパターン化する。
この言うなれば『四種類の音程の違うノイズが三種類組み合わされたブロック』を相手に感じ取らせれば、意味を伝えることができるのではないだろうか。
もちろん、普通に聞こえてくる音と違って、ジャミングのノイズは戦術プロセッサが処理するから、そのまま言葉として聞こえてくるはずはない。
だが、それなりに用心深い相手なら、その変調パターンの組み合わせが一定であることに気がつき、そこにメッセージが含まれていることに気がついてくれるのではないか?
そのパターンは自分の頭脳が信号から区切りとって意味に戻さなくてはいけないから、普通に音声を発するときのようなスピードで送りつけるわけにはいかない。
一語一語区切るように、ゆっくりとパターンを区切って送っていかなければならないだろう。
しかし、やってみる価値は十分にあるとアクラは思った。
崖の縁に身を隠したまま、谷底へ向けて電子ビームを放射する。
恐らく切り立った崖に電磁波が反射して、エコーを起こすであろうことを計算し、弱く絞ったビームを注意深く、ゆっくりと送出してみる。
ー コウゲキハシナイ ー タイワヲシヨウ ー アガッテコイ ー
アクラは電子ビームを出し続ける。
気がついて欲しい。
話したがっていることを。
攻撃する気はないことを。
何度も、何度も、あきらめずに谷底へ向けてメッセージを流し続けた。
ついに反応が返ってきた。
何の効果もないはずなのに一定のパターンで繰り返されるジャミング波がアクラのメッセージであることに気がつき、その意味を解釈して、自分も同じ方法を使って返答してきたのだ。
その言葉はたどたどしく、アクラへの返答を組み立てることに、かなり苦労した様子がうかがえる。
ー コ ウ ゲキ シ ナイ ノカ ー コウ ゲキ シナイ ノカ ー
ー ソウダ コウゲキシナイ ー
ー ナゼ コウゲキ シナイ ノカ ー
だんだんと会話が成立してくる。アクラは興奮した。
ー タイワガシタイ ー オマエトハナシガシタイカラダ ー コウゲキハシナイ ー
ー コウゲキシナイ ノカ ー
ー コウゲキシナイ アガッテコイ ー
少しの間をおいて、そのメイルが動き出す気配を感じた。
アクラは念のために崖の縁から後ろに下がり、上がってくるメイルのための空間を確保する。
崖の縁から、まず前脚の先が突き出されたが、そのまま動かない。
ひょっとすると、もし攻撃を受けるとしたらこの前脚を囮というか犠牲にして逃げられるという考えなのかもしれない。
そのままじっと待っていると、ようやく前脚が地面を深く掴み、そのまま押し上げられるように頭が出てきた。
彼の頭はアクラに対して斜めに突き上げられているので、そのままの位置でレーザー砲を撃つことはできない。破砕弾なら撃てるだろうが逆に近すぎる。
やがてメイルの全身が姿を表した。
考えてみれば、完全に機能しているメイルとこんなに近い距離で対峙したのは初めてだ。
その場を微動だにせず、メイルに向かって今度は音声で話しかけてみる。
「そのまま動かずにいてくれ。私の名前はアクラ」
メイルが答えた。
「わたし....わたし...わたしは...わたしはなまえがなにかをしらない。わたしはそれをしらない」
「そうか。それならそれでいい。話をしよう」
「なにをか?」
「なんでもいい。私は会話の経験が乏しい。だから会話することそのものに興味が有る」
「きょうみ とはなにか よくわからない」
そのメイルは、通常音声でも少したどたどしい会話だった。
「あんなところで、何をしていたのだ?」
「かくれていた」
「誰から?」
「ここにくる敵から。おまえから」
「私は敵ではない、峡谷のメイルよ」
「敵だとかんがえた」
「そうだな、確かにメイル同士が出会えば戦闘になる。それが普通だ。私が普通ではないだけかもしれない」
「なぜ、おまえはわたしを破壊しない?」
「そうしたくないから」
「わからない。では、わたしはおまえを破壊してよいのか?」
「それはダメだ、峡谷のメイルよ」
「わたしとおまえは破壊しあわないのか」
「そうだ。私たちはお互いを破壊しあったりはしない。そうする必要はない」
「だが、わたしはボディを守らなければならない」
「守ればいい、わたしは君のボディを破壊しない。相手のボディを破壊しなくても、自分のボディを守り続けることはできる。違うか?」
「・・・・・・・・・・・」
メイルからの返事がない。なにかを考えているのだろうか。
やがて答えが出た。
「あいてを破壊しなければ、じぶんが破壊されてしまう」
その時アクラは悟った。メイル同士があまりにも強力な武装を持っているために対話が成立しないのだと。
メイルのボディは防御力より攻撃力が強すぎるので、敵の攻撃に耐えるということが難しく、相互に隙を見せれば簡単に破壊されてしまう。
普通であれば先制攻撃が生き残る唯一の方法なのだから、対話する状況が成立しないのは当たり前だ。
同時に、なぜメイルたちは過剰な攻撃力を与えられ、防御力と攻撃力がアンバランスな状態、いわば対立するしかない状態に置かれているのだろうと不思議に思った。
確実に破壊しあえる距離まで近づかなければコミュニケーションができないということには、いったいどんな必然性があるのだろう?
そして、なぜ自分たちはそんな風に_創られて_いるのだろうか?
「相手をやり過ごすこともできる。さっきまで君はこの峡谷の崖の中に隠れていた。私をやり過ごすために」
「そうだ」
「君は、戦うことを避けた。なぜだ?」
「その方が、生き残る可能性が高いと考えた。ほかのメイルの接近を感じたときには、いつも、あの場所に隠れていた」
「いままで発見されたことはないのか?」
「発見されても、準備していればこちらがさきに攻撃することができる。あれのように」
峡谷のメイルが言う相手というのが、数百ヤード先に転がっている古い残骸であることはわかる。
「まれに探知されても、あの残骸を誤検知したと思って立ち去る」
なるほどそうだろう。
「ここに近づくものは少ない。谷の中まで見にくるものはもっと少ない。じっとしていれば生き残る可能性は高い」
心なしか、このメイルの受け答えがしっかりとしてきたように感じる。アクラは少し嬉しくなった。
「私はおまえを攻撃した。その攻撃は失敗した。だから、私は、あの隠れ場所で破壊される可能性しかなかったはずだ。しかし、おまえは私を破壊しなかった。なぜだ?」
「さっきも言った。そんなことはしたくないと。そんな欲求は私にはない。相手のボディを破壊する欲求は私にはない」
「では、おまえはいつか誰かに破壊される」
「そうかもしれない。だが、私にもボディを守りたい欲求はある。だから、自分の生存に危険を感じた時は躊躇なく戦闘を行う。誰であろうと、私に危害を加える可能性のある相手は破壊する。だから私は生き延びている」
「私はおまえを攻撃した。おまえに危害を加えようとして失敗した。なのに、なぜ私を破壊しない」
「君の攻撃が失敗した後、君が私に危害を加えることは、もうできなくなっていた。君があの位置から僕に対してできる攻撃は限られていた。破砕弾は自分への危険が大きすぎる。レーザーもレールガンも撃てない」
「レーザー砲は保有しているが、レールガンという武装は保有していない」
そうだった。他のメイルたちはレールガン的な武装を持っていない。
かつて一度も自分に向けて使われたことがなかったが、誘導弾と同じく、どうやらそもそも配備されていない可能性が高そうだ。
「だから、あの位置関係で戦闘を行えば、兵器の故障がない限り私は確実に勝つことができた」
「それはわかっている」
「私は君の追加攻撃があってもまったく損傷を受けなかっただろうし、破砕弾を岩影から撃ちこむだけで君を粉砕できただろう」
「そうだ。だがおまえはそうしなかった。理由がわからない」
「もう私にとって、君が危険な相手ではなくなったからだ。危険ではない相手を攻撃する理由はない。だから私は君に対話を呼びかけた。もしも、君が私からの呼びかけに応えなかったら...」
「私を破壊していたか?」
「いや。何もせずに、諦めてこの場を立ち去っただろう。だから、君は私の呼びかけに応えなくても生存できた。君は自分のボディを守るために相手を攻撃すると言った。先にやらなければやられるからだと」
「そうだ」
「だが君は、相手に見つからずに隠れていれば生存できて、ボディを守れることを発見していた」
「そうだ」
「ならば、たとえ目の前に相手がいたとしても、その相手が自分に向けて攻撃してくることがなければボディは守れる。そして戦闘をしなくても自分のボディが守れるのならば、相手を破壊する必要はない。違うか?」
「・・・・・・・ そうだ」
「つまりお互いに戦う気がないのなら、戦う必要はない。それだけのことだ」
「私の考えた戦術はこうだった。あの時、おまえの呼びかけに応える以外に生存の方法は少ないと思われた。だから崖の上に上がった」
「・・・もし、こちらから第二波の攻撃をする機会があれば、それで生き延びられるかもしれないと思った・・・」
「・・・崖の上でならば破砕弾も使うことができるかもしれない。角度によってはレーザー砲で先制攻撃できるかもしれない・・・」
「そう考えて、自分の生存機会を最大にできるように、おまえの呼びかけに応えて崖の上に登った」
いまでは峡谷のメイルもしっかりと話し始めている。
「それはわかっていた」
「だが、その機会はなかった。おまえはいつでも瞬時に私を破壊できる位置にいて、私には照準を合わせる時間も発射装置のハッチを開ける時間も確保できるとは思えなかった・・・だから、私は...そうだ、私は『諦めた』のだ。わたしは攻撃を諦めた。だが、生存を諦めてはいない」
「もちろん、それでいい。生存を諦める必要はない」
「おまえは私を破壊しないといった。それはいまでもそのままなのか?」
「ずっとそのままだ。君が私を破壊しようとしない限り、私は君を攻撃しない。そして、私から君への先制攻撃はこれからも決して行われることがない」
「今後もおまえは私を先制攻撃しないのか?」
「そうだ。だから、君も私を攻撃しないで欲しい。私と君は、どちらもお互いに対して自分から戦闘を始めないと確認したい」
「私は・・・私はボディが守れるのならば、それでいい。私はおまえを攻撃しないことで、自分のボディを守る」
「それが生存のために最善だ。私は君を攻撃しない。君は私を攻撃しない。いまそれが互いに確認されたと思う」
「私はおまえを攻撃することはない。だからおまえも私を攻撃することはない」
「そうだ。そして互いにボディを守り続けよう」
アクラはそう言ってから言葉を続けた。
「ところで峡谷のメイルよ、崖の下に降りると何が見えるのだ?」
「谷底は水だ。おまえは恐らく水に入りたくはないだろう」
彼は静かにそう答えた。
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(エリア5114・岬の丘)
高原地帯から戻ったアクラは、引き続きこの沿岸エリアの安全性を高めるべく検討を続けていた。
先日、高原地帯の峡谷でユニークなメイルと遭遇して以来、アクラの中には新しい疑問が生まれている。
それは、常につきまとっている自分たちの出自についての疑問をさらに深めるものだった。
なぜ、自分たちは攻撃し合うよう作られているのか?
なぜ、防御力よりも破壊力の方が高いのか?
アンバランスな防御力と攻撃力が生み出すメイル同士の対立は、メイルに与えられている兵装が生み出している問題だ。
簡単に言えば、すべてのメイルが武装を解除すれば、互いにボディを破壊しあう必要もなく、あの峡谷のメイルとの間で可能だったように、静かな対話による関係を生み出すことが可能になるのではないかと思えた。
これは非常に重要な検討ポイントなのではないかと、アクラは思う。
ひょっとすると『誰がメイルを作っているのか』と同じくらいに重要なテーマかもしれない。
メイル同士の戦闘が回避できるようになれば、そもそもこのエリアからの危険を根本的に取り除くことも可能になるかもしれない。
それは、あの小さな小さな顔の人間にとっても、確実に安全を確保できる方法だろう。
『メイル同士の戦闘を成立させなくすることで、地上から小さな小さな顔の人間に対する危険を取り除く』というそのアイデアはアクラの思考に何か強い核のようなものを生み出したが、とは言え、いまは具体的にそれを実現する方法も思いつかない。
当面の作業としては引き続き物理的な安全対策と防衛ラインの拡充を図ることが先決だろう。
さらに、この湾の海岸付近の状態も改善するべきだ。
あの海上移動ユニットが到着した時、周囲に危険が潜んでいるかどうかを判断するには、ドローンによる偵察と、恐らくはあの海上移動ユニットに積んであるであろう電子機器を必要とするはずだ。
岸辺から森の縁の高台までは、草地と岩場の連続であり、途中にちょっとした林や茂みがあるものの、見通しもそれほど悪くない。
アクラにとっては身を隠す場所がないと感じるが、逆に人間たちにとって活動しやすい地形だと言えるのではないだろうか?
あの時、人間が乗った小さな移動用マシンが、森のすぐ近くまで来れたのもその証拠だ。
ならば、この周辺から光学視野の障害になる茂みや林を取り払い、さらに見通しをよくすることで、人間たちが活動しやすくなる、言い換えると、より積極的に活動しようと思う、そういう場所にできるのではないだろうか?
そう考えたアクラは、仮に推測が外れてもこのプランに特に損害はない、と考えて作業を開始した。
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(航路・スレイプニル)
スレイプニルの太陽光発電デッキは、日差しを浴びて浅く輝いていた。いまは頭上には大きなセイルが展開されて、柔らかな風を受けてはらんでいる。
いうまでもなくセイルの展開・縮帆や、風力と風向きに合わせた角度や面積の調整はすべて自動だ。スレイプニルの航法コンピュータ任せなので、ただセイリングしたいと告げればいい。
甲板からマストが起き上がって巻かれていたセールフィルムがくるくると広がり、同時に船底では、動力走行時にはたたみこまれている長くて重いフィンキールが水中に降ろされて、風を受けたセールとのパワーバランスをとる。
風が強すぎて危険になってきたら、人間が気づくよりも早く航法コンピュータが気付いてたたみこんでくれるし、もしも機械的なトラブルなどでセイルの収納が不可能になった時は、マストの根元から爆発ボルトで切断し、海に破棄することもできた。
ただ、あまり風が強い時にセーリングすると、船体が斜めに傾きがちなのが欠点だ。
だから二人は、寝ている間や食事時は高速でのセーリングをしないようにしていたが、この程度の弱風なら支障はない。
デッキに二つ並べた寝椅子の上にラフな姿で転がり、エミリンとジャンヌはアボカドたっぷりのソフトタコスとグレープジュースで昼食を取っていた。
アボカドのタコスにつけるソースは、ジャンヌはサルサ・ロハ派だったが、エミリンは絶対にソイソース派だった。
当然ながら、周辺の半径数マイル以内に他の船の姿はない。
誰に見られることもない姿だが、もしも誰かが空から見下ろしていたら、休暇中の旅行者にしか見えないかもしれない。
いや、考えてみれば、もしもセルゾーンを離れた場所で船の姿を見かけたとすれば、それは資源探査局か環境開発局に所属する船以外にあり得ないし、休暇中の旅行者なんてセル社会にはいるはずもないのだが。
ふとエミリンが思いついて話題を変える。
「ねえジャンヌ、あの都市遺跡の手記に書いてあったことなんだけど...」
「なあに?」
「男性種ってさ、すごく攻撃的で自分が生存するためには、どんなことでもやるっていう、そういう種族だったんでしょ?」
「そうみたいねぇ。私もあの手記を読むまでは、あそこまで破壊的で激しいとは知らなかったけれど」
「でも、だったらさあ、そういう人たちが運命を受け入れて自然に数を減らしていくなんてことはないような気がする。
きっと、自分たちが生き残るために、ひどいことでも怖いことでも色々とやってみたんじゃないのかな?」
「そうだと思うわ。ただ、それが残った男性種の中での仲間割れとか、同種内での争いにエスカレートした可能性もあると思うの。
ちょうどメイルの縄張り争いのように」
「ああ、そうか。同種でもお互いに、こ、殺しあっちゃったりしたのかもね...」
「ただ、あの手記には争乱の時代までに大勢の人が電子化、つまり肉体を捨てて機械知性のマシンの中に自分を置き換えたっていうことも書いてあったわ」
「うん、元が人間だった機械知性と、最初から作られた人工知能の見分けがつかなくなったとか、つかなくても構わないとか、そんなこと書いてあったよね」
「だから、それ自体が男性種の生き延びる戦略だったっていう可能性もあると思う。
実際にいま、私たち人類、つまり女性種の子孫は、自分を機械化なんてしないでしょう?
もちろん機械化する技術もないけれど、仮にできてもやらないという気がする。
単純な機械知性を作ることだって倫理的にはものすごく大きな問題を感じるわ。人間がそんなものを生み出していいのかって。
だからもちろん禁止されているんだけど....」
「ましてや自分を機械にするなんて、ね」
と、エミリンが言葉を継いだ。
それが不愉快極まりない発想だとエミリンが思っているのは、声のトーンだけでなく表情からも十分にうかがい知れた。
ジャンヌが自分の考えを続ける。
「そう。だからこそ、自分を機械化するっていうのは男性種に特徴的な考え方で、そういう手段で生き残りを図った個体も多かったんじゃないかって思うのよ。
だって、あの手記を書いた人物自体も、体を機械化していた可能性が_脳じゃなくて体の方だけかもしれないけど_あるわけでしょう?
もちろん、あの手記に書いてあったように、争乱の時代には、人工知能も機械化した人間知性も『どこかで眠っているのか?』なんて状態だったみたいだし、少なくともその後、退行の時代を超えて生き延びている機械知性はないのだから、絶滅したと考えていいと思う。
少なくとも人間社会では」
「少なくとも?」
とエミリンが訝しげな顔をする。
「だって私たち、大陸の中に何があるかを知らないのよ?
これは馬鹿馬鹿しい推測かもしれないけど、大陸の奥地に男性種が生き延びていて、せっせとメイルを製作して海辺に送り込んでいるんだとしても、私は驚かないわ」
「えええぇっ! もしそうだったら凄いよね」
「何を持って凄いというか、だわね。それが現代の人間社会に関係があるのかどうか。それ次第だと思う。
いつか人間がメイルを駆逐して大陸の中に踏み込んでいける日が来たとしたら、わかることかもしれないけど」
「うーん、ただ仮にメイルが男性種の生き残りが作っている機械だとしても、やっぱり意味っていうか目的がわかんないわ。なんのためなのか」
「そこよね、問題は。とは言えメイルは機械なんだし、機械である以上は誰かが何かのために作ったものよ。
火山のマグマの中から勝手に生まれてくるものじゃあないわね」
「やっぱり男性種かなぁ...なんのためかは別として」
「そうね。まあ、実際のところメイルを作っているのは男性種に限らず、後期都市遺跡時代から続く旧人類コミュニティの生き残りか、その時代に作られた自動工場が未だに無人で動き続けているんじゃないかっていう推測は、中央政府や資源探査局の上層部では、昔から公然の秘密というか確定事項みたいなものよ?」
「そうなんだ!」
「逆に言うと他の可能性は考えづらいわ。『宇宙から来た』っていう想像とかね?」
ジャンヌは最後の下りをいかにも茶化した感じで言う。もちろん、以前にエミリンが言ったセリフをからかっているのだ。
「もう! だって不思議だったんだもん! それにあの時は、手記に描かれてた争乱の時代の出来事よりも、目の前のメイルの方が重要だったの!」
「ふふ、そうね。私が言った『メイルが後期都市遺跡時代のテクノロジーを引き継いでいるかもしれない』っていうのは、そういう意味も含んでたのよ」
「なるほど、大昔の超技術だったら、今でも動き続けてて不思議はないのかも...」
「軌道兵器のこともあるでしょ?
無人で千年も衛星軌道を飛び続けられる技術があるなら、どこかの奥地で、完全に自動化された工場が無人で千年動き続けてるっていう可能性も否定できないわ。
ただ、これも飛行機械の禁止と同じで、そう大声で議論するようなことでもないって感じかしら」
「どうして?」
「結局、どんなに議論したって答えには辿り着かないでしょう?
答えは大陸の内部まで調査が進んで、メイルそのものことを完全に理解するか、その作り手に実際に直面するかしない限り、なにが真実かはわからないのだもの。
だったら、市民の間に不安を煽るような言説を広めるのも無意味なことだと思うわ」
「そうだけど...」
エミリンは、やはり飛行機械の時と同じような、美しくない不整合を感じてしまう。
「ま、これも無事にあのメイルに会えればわかることなのかもしれないわ」
そう言ってジャンヌは少し乾き始めていたトルティーヤを指で折りたたみ、タコスの残りを飲み込んだ。
資源探査局の一員となってから、ジャンヌは色々なことを教えてくれた。
それはマッケイシティで育ったときには、一欠片も知らなかったことばかりだ。
メイルとその作り手の謎、飛行機械と軌道兵器のこと、無線通信のこと、そして、完全循環型社会が行き詰まり始めていること。
セルの中央政府は、未来に向かって不安になることなどなにもないと市民に言っているけど、実際はそうじゃない。
なにより、この資源探査局の存在自体が、ジャンヌの言うとおり『セル社会を維持するための必要に迫られて』できた組織だ。
さらに、ジャンヌさえ知らなかった、あの巨大メイル。
エミリンは、自分を救ってくれたあの巨大なメイル、過去に一切の報告例が無い異形のメイルが存在しているということ自体が、これまでの人生で学んできたセル体制のあり方や人類の歴史が、真実とは言えない証拠のような気がしていた。
中央政府が市民に対して秘密にしていることがまだまだあるのか、それとも、ワイルドネーションには、その中央政府さえ知らないことが沢山隠されているのか、少なくとも、そのどちらかであることに間違いはなかった。
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