都市遺跡


(都市遺跡・探索)


マシンの背中に揺られながら、エミリンはポータブルコンソールで哨戒飛行させているドローン群の動きをチェックする。


周囲にいるレイバーマシンたちは音声コマンドに反応するから、無線の届く範囲でエミリンが叫べば少々は遠くにいても行動させることができるが、上空250フィートで半径数マイルを飛んでいるドローンたちは、そう簡単にはいかない。


単純な攻撃動作やプリセットしてある飛行プログラムの変更ぐらいなら、ドローンとリンクしているレイバーマシンに対する音声コマンドで実行させることもできる。

だが、いざメイルと戦闘になったときの回避運動のように複雑な挙動はコンソールがないと無理だし、ジャミングの影響がないとしても、このポータブルコンソールでスレイプニルのCIC戦術ディスプレイを使っている時と同じように俊敏な戦い方をするのは難しい。


だから、エミリンはドローンの状態にいつもより気を配っていた。


散々哨戒飛行を繰り返して周辺にメイルがいないことは確認しているし、レイバーマシンも相当数を揚陸して周囲に散開させてあるから、万が一に哨戒飛行の目を逃れたメイルがいたとしても、エミリンに近づくまでにレイバーマシンが探知してくれるだろう。


それでも、ワイルドネーションの陸地に上陸している以上は、絶対に安全と思うことは禁物だった。

なんであれ、『絶対』と考えることは判断ではなく、ただの油断に過ぎない。


いま、エミリンがいるのは古代の都市遺跡のど真ん中だ。


後期都市遺跡時代の末期に放棄されたと思われる中程度の規模を持った都市で、複雑な入り江の奥の海岸からすぐ市街が始まり、そのまま大きな川の河口にそって内陸へと街の遺構が伸びている。


広い範囲をドローンで偵察したエミリンたちには、この差し渡し数マイルに及ぶ幅広い入り江が、内陸から流れ出している大河の河口に当たることが分かっているが、単に海から船で入ってきただけであれば、ただただ、奥深い入り江にしか見えないだろう。


街並みが海岸すぐから始まっているのは後期都市遺跡の部分であり、逆に前期都市遺跡時代の遺物は、ほとんどが海岸べりの水中に没している。その当時の海岸線は、いまよりもずっとずっと沖合にあったようだ。


恐らく、この街に暮らしていた人々は、海面の上昇に追われるようにして、何百年もかけて少しづつ少しづつ陸地へと後退しながら暮らしていたのだろう。


エミリンの知る人類社会の歴史では、後期都市遺跡時代の末期から急速な海面上昇が起こり、海抜の低い場所にあった多くの大都市が立て続けに水没していったはずだ。

後期都市遺跡時代の初頭から後半までの海面上昇率と、その末期から争乱の時代にかけての海面上昇率は、およそ400パーセントの速度差があったと推定されている。


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過去に対して、歴史学的な観点での興味をほとんど持たないセル社会の人類にとって、調査する価値があるのは海底に沈む太古の遺跡ではなく、陸上に残された遺構に保存されているかもしれない知識や、分析可能な文明の機構だ。


凄惨を極めた争乱の時代と、そのあとの長い長い退行期を生き延びた人類が、比較的短期間で再び文明を発展させることができたのは、僅かとは言え過去の知識を再利用できたからだった。


とは言え、後期都市遺跡時代の高度なテクノロジーは、いったんほとんど失われてしまっている。

なぜなら、それらのテクノロジーに関する知識のほとんどは電子化され、光学樹脂や磁性体、半導体上の電荷と言った高密度なデジタルメディアに記録されていたからだ。


さらに正確に言えば、当時の電子化された人類の知識のほとんどは利用者の手元端末ではなく、ネットワークの先の『どこか』に保存されているという状態だったから、その後、数百年に渡った混乱の時代を生き延びたデータはほとんどない。


それらのデジタルメディアに書き込まれていた知識はすべて風に吹かれた『雲』のようにかき消され、永遠に失われてしまった。


むしろ、前期都市遺跡時代のテクノロジー、なんの読み出し装置も解析技術もなしに人間が直接目で読むことができる『紙に文字で書かれた本』の方が役立ったのは文明社会にとっての皮肉だったかもしれない。

セル社会の礎となったのは、各地の廃墟の中でわずかに生き延びていた、そういう知識だ。


もしもこれが、原始農耕時代や中世からの完璧なやり直しだったら、わずか数百年でここまで来ることはできなかっただろう。


残念なことに都市遺跡時代の人類の大都市は、その多くが沿岸地帯にあったせいで、海面上昇と共に水面下に沈んでしまっているし、内陸部の調査はメイルの存在によって阻まれている。


それに、セルの集中している低緯度地域というのは高温な気候だ。

赤道に近い分だけ日差しも強いから、日を浴びるものは紫外線で破壊される速度も速い。それに沿岸の近くは常に多湿なので、微生物による分解も早い。

だがいつか、内陸部の乾燥地帯を探査できるようになれば、その時は人類の遺産をもっとたくさん探し出せるだろう。


いまエミリンが探しているのは鉱石の類ではなく、言うなればそういった知の宝、知的素材としての資源だ。

仮に、千年前の本を見つけても、もはや手を触れれば崩れるような状態になっているものがほとんどだし、紙の状態をとどめていても文字が読めなくなっていることが多い。


ごく稀には読めるもの_肉眼で、あるいは光学スキャナなどで_もあるし、そうしたものの中にはさらに稀なことだが、現代のセル社会においても役立つ情報が記載されていることもあった。

中身が役立つかどうかは別として、とりあえず本の状態を保っているものを持ち帰られれば、非破壊電子走査で読み取れる。


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都市の中央部に位置する丘陵地帯の一角に辿り着いたエミリンは、ところどこに顔を出す灌木を避けながら一面の草に覆われた緩やかな坂を上り、丘の中間まで登ってきたところだ。


ここまでは、探査局員たちが『エイトレッグ』、文字通り八本足と呼んでいる移動用マシンで来ることができた。


エイトレッグは六本の足と二本の作業腕を持つマシンで、背中に二人の人間と荷物を乗せて運ぶことができるコンパクトな不整地移動用のマシンだ。

MAVのようにタイヤを使わず昆虫のように足を使って歩くので、_さすがに崖を登ったりはできないものの_人が普通に歩ける場所なら大抵は動き回ることができる。


エミリンは、座ったままシートの上で体を後ろにひねり、いましがた自分が登ってきた道を振り返って見る。

なだらかな丘とはいえ随分高くまで登ってきたので見晴らしがいい。

眼下には広大な都市遺跡が広がり、その向こうにはグリーンとブルーの混じり合った穏やかな入り江。


海岸近くに停泊しているスレイプニルの姿も小さく見えている。


エイトレッグは六本の足を巧みに動かして可能な限り水平に進んでくれるが、それでもこの地形ではかなり揺れる。

さすがのエミリンも少々座り疲れてきた所でもあった。


ドローンは問題なく周辺をスキャンしている。

都市遺跡には金属反応が多いので、そっち系統のセンサーはあまりあてにならないが、赤外線の熱センサーや電磁ノイズの空間スキャナーは問題ない。


「止まって。降りるわ」


そう指示するとエイトレッグが停止し、乗り降りしやすいように足を畳んでボディを下げる。そのまま停止した姿は巨大なメカ昆虫のようだ。


この都市遺跡が全体としてはまだ街並みの雰囲気を残しているのは、乾燥地域にあるせいで植物の侵食が穏やかだからだろう。

もう少し低緯度の地域なら間違いなくジャングルに飲み込まれ、遠目からでは都市遺跡の存在さえ判別がつかなくなっていたに違いない。


蔦や樹木の力がどれほど強いものかを、エミリンはワイルドネーションのそこかしこで目撃してきた。


かつてはダーゥインシティ顔まけの大都市や、高層ビルが立ち並んでいたであろう所さえ、それらの建造物の多くが基礎部分を風雨と樹木に侵食され、構造的な強度を失って何百年も前に崩れ去っていた。


その崩れ落ちた巨大な瓦礫の山をさらに新しい植物が覆い隠し、遠目には、まるで自然の小山のように見せかけているが、その場まで行ってみれば、人の背を優に超えるサイズの瓦礫が密集した、移動するにも難儀する場所だということがわかる。


エイトレッグの背中から降り立ったエミリンは両手を握り合わせて背伸びをすると、ポータブルコンソールを外して肩にかけた。


数百ヤードほど離れた位置で、エミリンの周囲をぐるりと取り囲むようにスピードを合わせて進んでいたレイバーマシンたちも一斉に止まり、エミリンの動きに合わせてポジションをずらす。

万が一にもドローンの哨戒網を抜けてきたメイルがいたら、このマシンたちが最終警戒ラインになる。


資源探査局の過去の経験上、メイルの分布には明らかにムラがあることが判明していた。


沿岸部ならどこにでもびっしりといるかというと、まったくそんなことはない。

やけに密度が高くて、メイル同士での戦闘が行われた形跡を頻繁に目にするような場所もあれば、探査の最初から開発局の乗り入れ、鉱山の設置と初期操業が始まるまで、ただの一度もメイルが現れなかった場所もある。


知られている限り、そこに法則性はない。

およそ人跡未踏と言いたくなるような土地でも現れるし、都市遺跡のように人の気配が濃厚だったであろう場所でもまったく見かけなかったりする。

だからこそ、そこにメイルがいるかいないかを印象で決めつけて行動することは、「油断」に他ならなかった。


「聞こえる、ジャンヌ?」

「もちろんよ、どう?」


「いま、エイトレッグから降りたわ。近くに少し大きめの建物っぽい遺跡があるから入ってみようと思って」


「ええ、見えてるわ。十分に気をつけてね。こちらのディスプレイにはメイルの反応は出ていないけど、あなた自身も常に注意していてちょうだい。

陸地の環境ジャミングは、いつどういう状態に変化するか油断できないわ」


「了解ジャンヌ。音声は切らないから実況中継付きよ。もし、びっくりして変な声だしたら許してね」


「オーケー、エミリン。面白いものがあるといいわね」


ジャンヌはそう言って微笑んだ。


今回の地上探査はエミリンの要望だ。

どうということのない中規模の都市遺跡だったが、その佇まいにエミリンはいたく惹かれたらしい。自分で見に行ってみたいと言い出したので、三日間、徹底的に近辺のメイル探査をした後で送り出した。


実践の現場に出ておよそ半年が過ぎ、メイルとの戦闘も経験した。

クルーザーの上でオドオドしていたちっちゃなエミリンもずいぶん逞しくなったなとジャンヌは思う。


CICの戦術ディスプレイには、エイトレッグやレイバーマシンたちのカメラが捉えた様々なアングルからのエミリンの姿が映っている。

エミリン自身のヘッドセットについたカメラも、声と一緒にエミリン自身が見ている光景を送ってくるから、まさに現時点のCICは『エミリン・オン・ステージ』といったビジュアルだ。


「ねえ、これなんだろう?」


様々なアングルから映されているエミリン・オン・ステージの映像を堪能しつつ物思いに耽っていたジャンヌの耳に、エミリンの訝しげな声が飛び込んできた。

エミリンの目線の先にあるのは、石造りの部屋の一角にある四角い箱だった。スキャナーの反応では金属製のようだ。


「中の構造がわからないわ。もう少しスキャナーを近づけてみて」

「うん」 


エミリンが手にしたスキャナーをその箱に近づけ、少し周囲を動かしてみる。


「ダメね。周りが鉄製であることはわかるけど、かなり厚みがあるのか、それとも中身がもう入ってないのか...超音波反応だと、まるで空っぽの箱見たいよ。空っぽとは限らないけど、でも、そんなに複雑な機構や、密度の高い、重たいものは入っていない感じだわ」


「機械じゃなくて、何かの容器だったのかも。とっくの昔に中身は溶けて流れ出ちゃったのかもしれないね」


「そうねぇ...」 と、レイバーのカメラを動かしてジャンヌは周囲の様子をもう一度見回してみる。


石造りの部屋。壁も床も石材だ。

天井は、以前はなにか貼ってあったのだろう。その構造を支えていたらしい金属の枠が残っている。

スキャナーのデータでは、その上にある建物自体の構造体も金属の大きな部材で補強した石材のような感じだ。


「エミリン、上からなにか落ちてこないか、よく注意してね。大きな石の塊でも落ちてきたら命に関わるわ。古い建物の金属や合成石材は脆くなっているし、レイバーマシンも、あまり中に入れない方がいいかもしれない。重量もあるし振動もあるから」


「わかった。アルファ以外のレイバーは建物の外に居させるようにするわ」 


エミリンは隣にいるマスターレイバーに音声で指示する。


「全機、この建築物の周辺で警戒を維持。ポジションそのまま。なにか異常あるまで屋内には入らないで」


アルファと呼ばれたレイバーマシン、つまり群の一番機であり、エミリンからの指示をマスターとして他のレイバーマシンに仲介する役目を持っている機体が返答する。


「建物の外周で警戒・各機ポジション固定」


エミリンは、一旦その部屋から出て、他の場所も見てみることにした。

入ってきたのは海が見える外側からだが、建物の中に向けた出入り口らしきものもある。

以前は、ドアが付いていたのだろうが、木製でシロアリにでも食われてしまったのか、周辺にはそれらしきものもない。


エミリンは一度だけ、探査とは関係なくジャンヌから社会勉強だと言われて、災害で放棄された小さなセルシティの廃墟を訪れたことがある。

人が住まなくなってまだ百年と経たないのに、その街並みはすっかり朽ちて、ジャングルに戻ろうとしていた。


ジャンヌからは、物理的に危険だから決して建物の中に足を踏み入れてはダメと厳命されていたが、ガラスの落ちた窓やドアの抜けた玄関から覗く建物の中は鬱蒼と暗く、いいと言われても、とても入ってみたくなるような雰囲気ではなかった。

その時エミリンは、人がいなくなった建物が、どれほど早く崩壊していくものかを実感した。


風や雨や温度差だけではない、目には見えない小さな微生物たちが、ありとあらゆるものを分解しようと、日々静かな奮闘を続けているのだ。


廊下らしきところに出ると、そこには鈍く黄色味を帯びた金属製のプレートが落ちていた。

その一枚ものの分厚い金属板に彫り込んである文字は、乾燥した空気の中で腐食することもなく、十分にいまでも読み取ることができる。

エミリンは砂埃を払って文字をあらわにしてみた。


「ガバナーズオフィスってどういう意味?」


「そうね、行政上の取りまとめ役の立場にある人が仕事をする場所っていう感じかしら。セルでいうと市長の公式な居場所みたいなものね」


「ふーん、この建物が結構大きいのは、そういう行政府みたいな場所だったせいかもね」


「その可能性はあるわ。個人住宅にしては大きいし、大勢の人間が住んでいた集合住宅とも作りが違う感じね...もちろん、いまの私たちの常識を基準にして考えてはダメなんでしょうけど」


「もうちょっと奥を見てみるわ。面白そうだし」


「しつこいようだけど気をつけてね。メイルよりも、建物が崩れたり床を踏み抜いたりする方が危険かもしれないから」


「うん、注意する。この子に先に行ってもらおう。アルファ、私の前8ヤードを進んで」 


そう言ってエミリンはマスターレイバーを先に行かせる。


アルファがエミリンの脇を静かに通り抜けて前へ出た。

実際、センサーの塊のようなレイバーが前にいる方がスキャンは捗る。


エミリンは自分の肉眼とポータブルスキャナーからの表示を半々に見ながら廊下を進んでいく。

建物内は外からの光が入りにくいせいか、あまり植物も入り込んでいない。全体に石造りなために、根をはる隙間も少ないのだろう。

両脇にあるいくつかの部屋を覗き見しながら、まっすぐな廊下を進んでいくと、再び日差しが降り注いでいる空間があり、エミリンは草地の上に立っていた。


恐らく中庭のような場所だったのだろうと考え、周囲に視線を巡らした時、それはいた。


メイルだ。


いや、正確に言うとメイルの残骸。


ヘッドセットの向こうでジャンヌが息を飲んだのがわかった。

エミリンも一瞬、心臓が止まるかと思ったが、すぐに残骸だと気がついたのでなんとか『変な声』を出さずに済んだ。


アルファのスキャンで金属集積の反応は出ていたが、動きもエネルギーもゼロなので、建物の構造材の一部だろうと気にもしていなかったのだ。

メイルのボディ外板の素材は錆びたりはしないようだが、それでもかなりの古さを感じさせる。


エミリンがすぐに残骸だと気がついたのは、そのメイルの頭にあたる部分が、ほとんど穴だらけになって崩れ落ちていたからだ。

伸びきった草の陰にいるので、カメラの映像ごしに見ていたジャンヌには、とっさにわからなかったのだろう。


確かに足を折って草むらに座り込んでいるような姿は、獲物を待ち伏せている獣のようでもある。


「随分と古い感じだわ。ボディに開いた穴の中に砂が溜まって、そこに根を張っている植物もいる」


「どんなに古くても、そのメイルを倒したメイルが、以前その場所にいたことに変わりはないわ。危険だわ、もう戻りましょうエミリン」


「ええ、正直私もびっくりした。いつの物かもわからないけど、ぞっとするのは同じね」


過去にメイルがいた場所には、いつか必ず別のメイルが現れると思っていたほうが良い。


エミリンはここで向きを変えて引き返すことにした。

通ってきた廊下をそのまま逆に歩き、最初に入った部屋まで戻る。

ここから海側の地面に出れば、エイトレッグを置いてきた場所まで100ヤードもない。

入り口に落ちていた金属板の上をまたいで部屋の中に戻ったエミリンは、最初に来たときに気になった大きな金属製の箱のことを思い出した。

中庭にいくまでの間に覗いた他の部屋には、同じような物は一つもなかった。


それは部屋の隅で埃をかぶって、まるで長い間ずっと誰かを待っていたようにも思えた。


「ジャンヌ、ちょっと待って。私やっぱりこの箱が気になるわ」


「そうね、近くにメイルがいるわけじゃないから確かに慌てる必要はないのだけれど....でも、あまり時間はかけたくないわね」


「大丈夫。中を調査できるかどうかやってみる」


エミリンは、アルファを呼んで精密にスキャンさせてみた。

やはり金属製の箱で、中身は空洞に近い。

ただ、完全な空洞というわけでもなく、下の方にはわずかばかりの物体がある様子だ。放射性物質の反応はない。

前面の扉には操作パネルが埋め込まれていたようで、そこはいま、金属のフレームと若干の基盤のような物だけが残っている。


ジャンヌが警告する。


「エミリン、怖いのはまず、それが生物的な危険を秘めているかもしれないということよ。はっきり言ってしまえば致死性の病原菌やウイルスの類。

もう一つの危険は、毒性の強い化学物質なんかね。そういった物が保存されていた容器だったりする可能性はあるわ」 


「うん、そうなんだけど....細菌やウイルスが常温で何百年も活性のあるまま保存されてる可能性ってあるかな?」


「それ自体はまずないわね。冷凍なら何千年でも持つものもあるかもしれないけど常温ではまずないわ。ただ、後期都市遺跡時代特有のテクノロジーで、何か特殊な処理や保管容器が使われて封じ込められている可能性はある。

それと、病原菌自体は死滅していても、逆に完全密閉の容器なら毒物が残留している可能性もあるわね。これは中身が化学物質でも同じことだけど」


「じゃあ、私は一度退避して、レイバーに岩石サンプル採集用のドリルとレーザーを使って開けさせましょう。まず小さく穴を開けて中身の成分分析をしてから、危険が少ないようだったら完全に開放して調べてみればいいわ」


「それがいいわね。エミリンは一旦船に戻ってきてちょうだい。

箱を開けるのはレイバーのリモートで十分だし、もしものときには失うレイバーを少なくしておきたいから、二台くらいに必要な装備を施して送り返しましょう」


「わかった、いまから一旦戻るわ」


エミリンは、かつてはガラスのはまった広い窓であったろう場所から草の生い茂る地面に出た。


きっと、この建物が生きていて...この建物の主人だった人々が生きていた頃には、ここは市街を一望に見下ろす絶景のオフィスだったに違いない。

恐らく、この街の市長か長官かわからないが、そういう行政の長は、毎日このオフィスで美しい海と街並みを眺めながら、市民の健康や市の財政に腐心していたに違いない。


それはもう、ずっとずっと遠い昔のことだ。


いまではその時代のことを伝える情報はあまりにも少なく、実際に何が起きたのかを正確に理解することも難しい。

争乱の時代を生き延びた人々の伝承には、その当時の出来事は多く含まれていない。


ただ、天候不順が続き、長年にわたって世界中で厳しい食料の不足が起きていたこと。

そのせいでいつもどこかで紛争が起きている状態だったこと。

海面の水位が上がって多くの都市や平野部が海に飲み込まれていったこと。

歴史上かつてなかった致死率と伝染性を持つ恐ろしい疫病が突然発生して全世界を飲み込んでいったこと。

伝えられているのはその程度のことだ。


中央政府の推定では、争乱の時代が終わるまでの間に、後期都市遺跡時代のピークの頃と比較して99パーセント以上も人口が減少したと考えられている。


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(都市遺跡・発見)


「どうやら危険は少なさそうね」 と、解析結果を調べていたジャンヌがつぶやく。


「密閉されていたから保存されていたけど、密閉されていたから危険かもしれないっていうのは皮肉だわ」


「仕方がないわよ。あの時代には身の毛のよだつようなものが沢山あったと言われてるんだもの。人間同士が大勢で殺しあっていた時代なのよ? 何があっても不思議じゃないわ」


「なんか、言わないでそういうこと...人間同士とか...夜、眠れなくなりそう」


「ごめんなさいエミリン。嫌な思いをさせる気はなかったの。ただ、あの時代には精神的に狂ったようなものが沢山作られていたのは事実なのよ。

核兵器、生物兵器、化学兵器、人工知能...人類みんなが正気の沙汰じゃなかったんだわ」


どの名称も、それが具体的にどんなものなんかエミリンにはピンとこない。

ただ、ジャンヌの口ぶりからして、存在するのも不愉快なほどひどいものだったのだろうということだけは感じ取ることができた。


「どうして、そんな風になっちゃったんだろう?」


「いまとなってはわからないわね。外的要因があったのかどうかさえ」 


そう言ってジャンヌはレイバーが送ってくる画像に向き直った。


金属箱の中に閉じ込められていた大気はいまよりも若干二酸化炭素濃度が高い程度で、ごく普通の大気だった。

ガスクロマトグラフィーの分析でも有害物質はまったく検出されなかったし、もちろん放射性物質もない。

あとは、特殊な方法で封じ込められた病原菌 _さっきジャンヌが口にした生物兵器のような_ の危険が残っていたが、細い穴から送り込んだプローブはそれらしい容器と思えるものを検知しなかった。


「恐らく大量の紙ね。書類または本、そういう類のものでしょう」


「大昔の行政府だったら、紙の書類が沢山あっても不思議じゃないわよね。きっと、当時の人々にとっては大切なものだったんだわ」


「大抵は記録とかね。市民の名簿とか税金の帳簿とか」


「税金?」 またエミリンの知らない言葉だ。


「ああ、昔の行政では一定のクレジットを市民から集めていたから、それのことよ。そういえば、ずいぶん昔のことだけど、ダーゥインシティのレストランで経済の話をしたこと覚えてる?」


「あ、覚えてる。あのものすごく美味しかった豆スープのお店だ」


「そっちなのね...あのときに資源局はセルにクレジットを配ってるって話をしたでしょう?」


「ちゃんと覚えてますよーだ」


「はいはい。昔の社会体制ではあのときの話とは逆で、市民が労働でクレジットを生み出したら、行政府はその何パーセントかを強制的に集めていたの。

そうして集めたクレジットで街や道を作ったり市民サービスを行ったりしてたのよ。いまと逆」


「昔は資源局みたいな組織がなかったから?」


「そういう面もあるけど、本来、政府っていうのは市民の労働を集約するシステムなのよ。沢山の人間を集めて、沢山のクレジット_大昔だったら食料そのものだけど_それを沢山集めた方が集団として強くなれる。そういう仕組み。

他の集団より強くなること、それが政府や国家っていう存在の目的なの」


エミリンはまた悩んだ。


あのレストランで豆スープを堪能しながら聞いていたときには、半分くらいはわかった気がしていて、ジャンヌにも褒められたので安心していたのに、自分の理解がまた振り出しに戻った気がする。


他の集団より強くなる?


これがセルだったら、セル同士がスポーツみたいに競争して勝ち負けを決めたり、市民の数が多いか少ないかで優劣が決まったりするということになるのだろうか? 


ジャンヌはさっき『いまとは逆』と言っていたけど、むしろ、逆でも成り立つっていうのはどういうことなんだろう?

ぐるぐるまわりはじめた頭をエミリンが持て余していると、レイバーマシンを操って中身を調べ始めていたジャンヌが声を上げた。


「本らしいものもあるわ!」


仮に読める状態で保存されていたとすれば大収穫だ。

技術や科学のような役に立つ知識でなくてもいい。当時の様子を知る手がかりとなる資料ならなんでも、エミリンとは違う意味で変わり者のジャンヌ個人としては大歓迎だった。


ジャンヌは慎重に作業を進めることにした。


まず、最初にドリルで開けた穴からRHIBの周囲のゴムボート部分を膨らませるのに使う窒素ガスを流し込む。

これは、もともとRHIBのゴム皮膜に損傷が起きてガスが抜けたときの緊急再充填用として、RHIB搭載用の小さな窒素ガスボンベを何本も積んであるので、それをレイバーに現地に運ばせた。

窒素ガスを流し込むのは、金属の筐体を切断するときに火花が飛び散って、書籍に焼け焦げを作ったり、最悪の場合、燃やしてしまったりしないように、という用心だ。


窒素は大気より軽いので放っておけば穴から漏れ出てしまうだろうが、上部に開けた穴から緩やかに流し込み続ければ、短時間なら箱全体を充填できるはずだ。


その上で、最初は小さな穴からマニピュレーターを使ってガラス繊維の柔らかな布を押し込み、内容物の上に被せてカバーする。

ガラス繊維の布は火花を受けても燃える心配がないし、熱も通しにくいから本を守ってくれるはずだ。

隅々までぴったりとカバーができたら、金属の箱の外壁を丸々切断して、中身を持ち出す段取りだ。


中身が持ち出すときに崩れてしまう懸念はあったが、そのリスクは上から開けようと下から開けようと同じことなので、もしもそうなった時は諦めるしかない。


大雑把に言うとジャンヌはそういう計画を立てて、いそいそと取り組み始めた。


いまではメイルそのものに対する興味はジャンヌよりもエミリンの方が強くなっている感じがしないでもないが、人類の歴史や社会的変遷に関する興味は、圧倒的にジャンヌの領域だった。


さっそくレイバーマシンを呼び戻し、装備を変更して再度派遣。

エミリンは余計な手出しはしない方がいいと察して、何もせずに黙って横で見ているだけにした。

ディスプレイには、着々と作業を進めるレイバーマシンからの映像が送られてきている。


まず二重構造になっている金属の箱の外側を高出力のレーザーで外側からかすめるように切っていく。

これは、レーザーのビームを中の空間に通さずに、外殻だけを切断するためだ。建物の壁が破損するのはいまは亡き住人たちに許してもらおう。

外側の金属板と間に挟まっているいくつかの構造材が綺麗に切断できたら、こんどは内側の金属板をカットする。


電磁スキャナーと超音波センサーでおおよその厚みはわかっているので、ぎりぎり切断しないところまでを、外板と同じようにレーザーでえぐり、最後に残った薄い金属部分を、ドリルカッターで切り取っていった。

この方法なら、空間の内部に与える熱も、火花が飛び散る可能性も最小限に抑えられる。


切り離された外板が急に倒れたりしないようにレイバーマシンが作業腕で支持した上で、ドリルカッターでゆっくりと切断していく。

そして切断が完了したところで、箱の両側からレイバーマシンが作業腕で切り話した側面部分を持ち上げ、すぐ横の床に静かに降ろす。


これで中身は完全に露出した。


カメラを上下から覗き込ませながら、被せておいたガラス繊維の布をゆっくりと慎重に取り除き、積み重ねられている書類と本の状態をチェックした。

見た目は良好なようだ。カビやバクテリアに腐食された様子も見受けられない。


まるで、箱の中に積まれてドアを閉められた時そのままの状態を保っているかのようだった。


プローブが送ってくる映像を見ながら、慎重に薄くて幅広なファイバー製のヘラを本と書類の下にある木箱と床面との間に滑り込ませていく。

木箱と床面のあいだにはあまり隙間がないので、ゆっくりと両脇からヘラを回転させるように滑り込ませた。時間をかけて数本のヘラを滑り込ませた上で、それらのヘラをしっかりと保持し、速度を同調させて少しづつ持ち上げていく。


紙の束が動いた。そのまま垂直に持ち上げていくが崩れ落ちる様子はない。


1/4インチほど持ち上げたところで、あらかじめ箱の内寸に合わせてカットして置いた石英ガラスの厚板をヘラと底板の間に差し込んでヘラを降ろした。


そのまま慎重に、ゆっくりとゆっくりとガラス板に載った内容物を箱の外へと引き出していくが、いま、もしも地震が起きたら、さすがのジャンヌでもひどい悪態をつきそうな気がする。


そんなエミリンの心配をよそに、アームは順調に箱の外へと内容物を引き出していき、やがて完全に箱の切断面よりも外側まで引き出されて、ジャンヌがレイバーマシンの一体に取り付けた検査テーブルの上にそっと置かれた。


マシンの制御に全力集中していたジャンヌが、脱力したように椅子に体をもたせかけて安堵のため息をつく。

レイバーマシンの自律作業にまかせきらず、細かなマニピュレーターの動きまで自分でマニュアル操作していたんだから仕方がない。

きっとメスを握って血管手術をするような気分だったろう。


一息ついて、検査テーブルの上で超音波や電子ビームで可能な限りのスキャンを行う。

状態は極めて良好で、崩れ落ちるような気配はなかった。


本、バインダーに挟まれた書類、台になっていた木箱の中にはガラス製と思われる複数のプレートや正体不明の幾つかの物品...様々な箇所に金属製品が含まれていたので、核磁気共鳴スキャンは使えない。


この状態のままで、透過型電子顕微鏡を使っての読み取りも可能なのだが、その作業には非常に時間が掛かる。ジャンヌはせめて本と書類の中身がどんな物か、何が書かれているのかだけでも早く知りたかった。


そのままの状態で残っているから危険かもしれないというのは、確かにエミリンが言うように面倒な話だ。

あとは、これらの紙やバインダーケースそのものに病原菌や有毒物質が付着している可能性だが、一部のウイルスを除いてその危険性は非常に低いといってよかったし、センサー類は何一つ有害物質を検出していない。


やはりジャンヌは、これを船に持ち帰って自分で確認してみることにした。


「エミリン、危険性はゼロではないけれど、私はこれを船に持ち帰って詳しく調べたいと思う。どうかしら?」


「もちろん賛成よ。ぜひ中を見てみたいわ」


「ありがとう。ただし、念のためにいきなり船には持ち込まず、私が陸でレイバーから受け取るわ」


「え、どうして?」


「そのままMAVの中で確認するわよ。もしも変な物がくっついていて私が体調不良になったら、それで隔離できるもの」


潜伏期間という可能性を考えると気休めに過ぎないが、それでもなにも対策しないよりはマシだし、二週間ほど隔離観察するというのも現実的ではない。

どのみち、これはセルに持ち帰るつもりなのだ。

もし、なにかあったとしても、セル社会に妙なものを持ち込んでしまうよりは、『人里離れた場所で犠牲者が二人』で済む方がいい。


「えー、なんかそれって....」


「大丈夫よ。それに本当に何かあったときはエミリンが頼りなんですもの。二人揃って寝込んでしまうような事態になっては困るわ」


「それはそうだけど....」


なんとなくエミリンは、ジャンヌだけを危険な目に合わせるようで気が進まないが、ジャンヌの言うことももっともで、反対するようなことでもなかった。


そういうわけでジャンヌはMAVの中に検査キットの類一式と簡単な食料・飲料水を持ち込んで、戦利品を手ずから確認してみることになった。


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