それは幽霊のにおい

佐藤ぶそあ

工事現場のにおい(1)

 お金がない。

 ぼんやりと頭に浮かんだ言葉は割と深刻な事実だったけれど、スマホは軽快な音楽を鳴らし続けていたし、画面上に流れるノーツを叩く指も止まらない。完全に手癖でゲームをしている。

 推しキャラの誕生日が四月一日で、それに合わせたピックアップガチャがあった。それをうっかり天井まで回して今月分の食費にまでダメージが入ってしまった。

 本当ならこうしてゲームをしている場合ではないはずだけれど、日課になっていてどうにもやめどきがない。

 唐突に、音ゲーのコンボが途切れた。代わりに画面へ表示されたのは電話の着信を告げる表示。通知をオフにしていなかった自分を恨む。綿乃原愛、とフルネームで登録された発信者の名前に、顔をしかめた。

 それは単にゲームの邪魔をされたからという意味合いだけではなく、あまり好ましくない誘いを予感してのものでもあった。しかし、自分の現状を考えれば、きっと朗報でもある。

 スマホを操作して、電話を受けた。

『佳織ちゃん。アルバイトせえへん?』

 何度聞いても慣れることのない甘い声。分かっていたのにびっくりして、スマホから耳を少し離す。

「その嘘くさい関西弁をやめてくれたら考えますよ。先輩」

 佳織は動揺を悟られないよう、できるだけ冷たく返した。

『一応、このキャラでお金もらってるし、そこそこ人気もあるんやけどなぁ』

 しょんぼりとした声。なんだか悪いことをしている気分になったけれど、霊能女子高生アイドル巫女なんていう属性盛りすぎた芸能人の人気があるという事実の方が気分に悪いと思い直す。そもそも、綿乃原先輩は生まれも育ちも関東圏だと以前に言っていた。

「……それで、またエセ霊能者の手伝いをすればいいんですか?」

『そうそう。うちの手に負えんレベルの依頼なんよ』

 エセ霊能者という言葉に気を悪くした様子もなく、綿乃原先輩の声はあくまでも柔らかい。

 バラエティ番組の心霊企画なんかで顔を見かけるアイドル業の傍ら、実際に霊能者としてお祓いなどを請け負ってもいるのが綿乃原愛という少女だった。詳しく聞いたことはないけれど、佳織より一つ年上というだけの違いではないレベルの経済格差があることは知っている。

「でも……くさいじゃないですか」

『くさい目にあうんは佳織ちゃんだけやけど……うん。報酬は弾むよ?』

 報酬。

 とても重要な話題だ。嬉しそうな声にならないよう、慎重に問いを返す。

「いくらです?」

『即金で十万円』

 息を呑む。

 それは、かなりの臨時収入だ。しかし、佳織の沈黙に何を勘違いしたか、綿乃原先輩はさらに報酬を上げてきた。

『こないだガチャで大勝利して余ってるプリペイドカード三万円分もつけよか』

「やります」

 勢いこんで返事をする。電話の向こうで、綿乃原先輩がくすくすと笑った。

『おおきに。そしたら、明日の夜とか空いてるやろか?』

 そうして条件を詰めてくる綿乃原先輩の声は本当に嬉しそうで、早まった、と思う。手の平の上で転がされている。

 結局、その辺りがすでに自力でお金を稼いでいる綿乃原先輩との差なのだろうか。

 待ち合わせの場所と時間を約束し、電話を切った後に残ったのは、臨時収入を得られる喜びだけではなかった。それよりも、大人しく普通のアルバイトを探した方がよかったんじゃないかという後悔の方が大きかった。


   ◆


 翌日の夜中。寮の門限は完全に過ぎているので、外出届を出しての移動。普段なら通過するばかりの駅で電車を降り、改札を抜ける。

 事前に指定されていた待ち合わせ場所の電光掲示板。その下へ目を向ければ、綿乃原先輩はすぐに見つかった。

 背中まであるはずの黒髪をポニーテールにして、前止めボタンのワンピースなんていかにもな装備を身に着けた綿乃原先輩は、どこから見ても大人しそうなお嬢様という感じ。肩から斜めにかけた黄緑色のポシェットが春らしい。

 どうにも腹が立つことに、やはり彼女はアイドルなのだ。ただ立っているだけで、やたらと目立つ。

 向こうも改札口を確認していたのか、すぐに佳織の存在に気がついたようだった。ぱっと顔を輝かせて、こちらへ小走りに寄ってくる。

「待ち合わせ時間、ぴったりやね」

「電車の時間に合わせたんだから、当たり前だと思いますけど」

 それもそうやねと、綿乃原先輩が笑う。頭ひとつ低い位置にあるつむじ。相変わらずちいさい。

 ふと疑問がよぎる。それではなぜ、綿乃原先輩は佳織より先に来て待っていたのだろうか。答え、タクシーを使ったから。そうに違いない。

「変装もせずにアイドルが出歩こうとするから……」

「ん? 意外に気づかれんよ。うちがテレビに出る時はだいたい和装か巫女服やし、髪型も違うしね」

 そういうものなのだろうか。佳織はアイドルになったことがないから分からない。

「それで、佳織ちゃんはなんで変装しとるん?」

 首をかしげられる。

 佳織は自分の服装をちらりと確認した。シャツの上に薄手のジャケットを羽織ったいたって普通の装い。これから向かうのは工事現場と聞いているので、細身のパンツにスニーカーという動きやすいものを選択したつもりだ。

 つまり、問題は服装ではないのだろう。

 その予想通り、綿乃原先輩は服装なんて無視して、佳織の顔を指さしてきた。

「マスク、してるやん」

 顔の正面にさしだされた指を片手でどけながら、答える。

「これは変装じゃなくて、におい対策ですよ」

 時期的には花粉症と言い張ることもできるだろうが、綿乃原先輩に対しては隠す必要もない。

「難儀やねえ。鼻で霊を感じ取っとる人は」

 気の毒そうな表情。それはすぐに笑顔の裏に隠れてしまい、気を取り直すように綿乃原先輩は言った。

「そしたら、行こか」

 駅の南口の方へ、綿乃原先輩はすたすたと歩き出した。佳織は慌ててそれを追う。喋っている間に位置のずれたマスクを、鼻まで覆うようにしっかりとつけ直した。

 綿乃原先輩の霊能は視覚だけだそうで、一般的なイメージで言うところの霊が見える人、だ。

 対する佳織は嗅覚に霊能があるらしい。綿乃原先輩の言う事を信じるなら、嗅覚に霊能があると、霊が近くにいると激烈にくさいと感じるらしい。

 子供の頃から悩まされていた悪臭。周りの大人や友達へ話しても、気のせいだと取り合ってもらえなかったもの。

 その正体は霊だと教えてくれたのが、綿乃原先輩だ。

 本当かどうかは知らないけれど、たしかに駅のホームや交差点はくさいと感じることが多かった。これからエセとはいえ霊能者お墨付きの霊がいる場所へと向かうのだ。マスクくらいの自衛はさせてほしい。

 先を歩いていた綿乃原先輩の隣に並ぶ。コンパスの差があるから追い付くのは簡単だった。

「遠いんですか?」

「歩いて十五分ってとこやね」

 駅から出た先はビジネス街で、街灯はあるものの繁華街ほどに明るくはない。世間で言われるほど、残業で帰ることができないブラック企業というものは、多くないのかもしれない。もちろん、いまだ高校生である佳織に詳しいことはわからなかった。

「昨日は詳しいこと言えんかったから、説明しとこか」

 隣を歩く綿乃原先輩が佳織を見上げる。

 たしかに、工事現場へ行くとしか聞いていない。

「そういうのって喋っていいんですか? 守秘義務とかあると思うんですけど」

「契約書に書いてあるんよ。関係者以外には漏らしませんって。で、佳織ちゃんはうちが雇ったアルバイトやから関係者。なんも問題ないな?」

 詭弁な気がするけれど大丈夫だろうか。大丈夫じゃなかったとしても、困るのは綿乃原先輩だけだと信じたい。

 そうして説明された内容は、簡単にまとめればこうだ。

 佳織たちが向かっている先はビルの建設現場。先月はじめに、落下事故で死者が出たらしい。それ以降、なぜか現場では重機の誤作動が相次ぎ、作業員からは原因不明の体調不良を訴える者が続出。工事の継続が困難になった社長が方々へ手を尽くした結果、綿乃原先輩へと依頼が回って来たとのこと。

「そんで頼まれて現場を見てみたんやけどね、確かに作業員っぽい格好の霊がおったんよ」

 神妙な顔で呟く綿乃原先輩。見えているはずなのに「ぽい」とはどういうことか。佳織が彼女をエセ霊能者と呼ぶのは、そのあたりの曖昧さも理由の一つだ。

「一応ひととおり祓おうとしてみたけど、どうにも陰りが強くてね……。これは最終兵器である佳織ちゃんに頼るしかないな、いうわけで」

「待ってください」

 うん? と綿乃原先輩は首を傾げた。不穏な話をしているはずなのに、綿乃原先輩の声で語られるとそれはとても簡単な出来事のように思わされてしまう。

「陰りが強いってどういうことですか。なんかボスっぽいんですけど」

「よう聞いとるなあ」

 綿乃原先輩は首を巡らせて、同じ方向へ歩いている人がいないことを確かめたようだった。それから、先ほどまでより声を落として語り出す。

「突発的な事故で亡くなった人の霊って、だいたいは陰りが弱いものなんよ。せいぜい、自分が死んだことに気付いてないっぽいままそこにいる、みたいな感じで。そういうのなら、うちにも祓える」

 言葉が一度、そこで止まる。その先は、言われないでも予想ができてしまった。けれど綿乃原先輩は、止める間もなく続きを口にする。

「あれな、たぶん事故と違うわ。故意に落とされとる」

「故意に!」

 思わず出てしまった声は自分でも驚くほど大きかった。慌ててマスクを押さえる。幸いなことに、周囲に人影はない。いや、佳織がそういう反応をすると見越していたから、綿乃原先輩は話をする前にあたりを確認したのだろう。

「つ、通報とか」

「落ち着き。冷静になって考えてな。自称霊能者から『私の霊視ではあの事故は事故ではありません、殺人事件です!』って通報があって、まともに取り合う警察っておると思う?」

 それは、たしかに怪しすぎる。佳織が通報を受けた警察官だったら、むしろ病院を紹介するだろう。

「商売柄、伝手のある刑事さんはおるんよ。そっちには一応連絡してみたけど、管轄とか違うやろうしなぁ」

 警察機関の有能さを信じるしかないらしい。いや、そもそも綿乃原先輩の見立てが正しいという保証もないのだった。

「ところで」

 綿乃原先輩の声のトーンが変わる。

「マスク、さっき叫んだときにずれとるよ。そこの角を曲がったらすぐやし、ちゃんと直しておいた方がいいんと違う?」

 霊能者として年中活動していると、その辺りの切り替えが早くなるのだろうか。しかし、言われたことはもっともだった。ずれたマスクの位置を直す。直しながら、自分もたいがいドライなことを考えているものだと気づく。

 結局のところ佳織だって、その事故だか事件だかで亡くなった人の霊を、くさいものとして扱っているのだった。

 綿乃原先輩の示した角を曲がって少し歩いたところで、佳織は眉間にしわを寄せて立ち止まった。佳織が足を止めたことに気付いて、数歩先で綿乃原先輩が振り返る。

「くさいん?」

「うん」

 これからもっとくさくなるのだ。立ち止まっていても仕方ない。佳織はできるだけ口で呼吸するよう意識して、歩き出した。

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