第三章 不破
多品治
「人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただ秋の風」
という歌はこの時代にはまだない。そして、この歌で人がおらぬようになり荒れたままになっていると謳われている関も、まだない。それは、これより後に大海人が作る関のことである。
この時点での関というのは、不破の道と呼ばれていた東国との通行の要である道路に設けられた、租税を運ぶ者の荷を改め、休息を与えるための施設である。
「なるほど、確かに東西南北、あらゆる方向に道が分かれている」
伊賀から北上して近江の南東端をかすめて通行し、その場に至った大海人は風景を見て感想を述べた。
手頃な小高い丘に登ると、ここが小さな盆地になっているのがよく分かる。そして各方向を取り囲んでいる山間に向かって、道が伸びているのだ。中央あたりにぽつりと駅家の施設があるのが見えるほかは、一面の原野であった。
もし現代において同じ場所に立つならば、彼の視界には名古屋方面と大阪方面を往来する東海道新幹線や名神高速道路があることだろう。
はるか後の世に起きる関ヶ原の戦いであまりに有名なこの地を、石田三成や徳川家康のほかに、大海人も踏んだのだ。
筆者も高速道路をすっ飛ばして何度かこの地を訪れ、石田三成が陣を敷いたという笹尾山で弁当などを広げてピクニックに訪れたが、地元の方々には申し訳ないが今もって何もない。インター近くや国道沿いには運送業者向けにコンビニなどがありはするが、地域の人の生活の拠点として機能しているのは駅近くのくたびれたスーパー以外には自動車を用いて大垣市中心部にまで足を運ぶしかないのではないかと思えるほどの場所である。
特に関ヶ原北小学校(筆者がはじめてこの地を訪れた二十代前半の頃にはまだ機能しており、校庭の隅になぜか山羊がいたのを記憶しているが今は統合のため廃校となり、笹尾山交流館という施設になっている)のあたりなどどこを見ても田畑もしくは未耕作の農地しかなく、調べていないので分からぬが都市計画法により新たな建物を建てることすらままならぬような場所であるようにすら見える。
上のような事情によって今でも中世や古代の景色の面影がかすかに残る場所であるから、笹尾山からの見晴らしが筆者はとても好きである。また、その際には必ず関ヶ原町歴史民俗資料館を訪れ、貴重な展示を楽しむのが通例のようになっているが、それは余談。
今の関ヶ原町においてはおおむね関ヶ原の戦いのことばかりにしか触れられぬが、大海人もこの地を踏み、戦いのための要衝として拠ったのだ。その足跡や軌跡を現地を見ながら辿ることはさすがに難しく、町も資料館もほとんど関ヶ原の戦い一色で塗り潰されているが、今でもひっそりと彼が兜を掛けたという石が残されたりしている。
この大海人と大友の戦いは、石田三成と徳川家康の戦いに似ていると言えなくもない。
天下を治めるべき人間が不在であり、それに名乗りを上げている者はどちらも天下の後継者として正当なようでいて不当なようでもあり、互いに武力で衝突することしか己の正当性を示すことができないという事情など、全く同じではないか。
この地がその表現の場所に二度選ばれたというのも、珍しい話である。いや、この大きく湾曲した国土の東西を中継するために重要なこの場所で、二度しか大会戦が繰り広げられなかったのが不思議なくらいである。
これ以上書くと、面白味に障るように思うので、物語に戻ることにする。
「よい風だな」
鎧兜で蒸れた肌に風が通るのを、大海人は目を細めてわずかに喜んだ。
「この地で、東国からの兵を集めるのですね」
傷を受けながら陣営に加わった高市が同じ風を聴きながら、それに言葉を乗せた。
「そして、近江に攻め入る」
引き取ったのは、仲麻呂である。この二人が、軍の指揮の中核となるのだろう。
「いや、待ち受けるのだ」
高市が仲麻呂を睨み付け、言う。どういうわけか、陣営で顔を合わせたその瞬間から、二人は仲が悪かった。
――血が尊いだけで、大きな面をしおって。
と、仲麻呂は高市のことを見ていたし、
――その父があちらで戦っただけの、野良犬め。
と、高市は仲麻呂のことを見ている。
仲麻呂にしてみればずいぶんと年下の割に兵に慕われ、気骨に溢れた高市が気に食わないし、高市は高市で大友の陣営にいながら途中から変心してこちらにやって来た都合のよい男、という風にしか思えないらしい。
史などは軍の中核となるべきこの二人の不和に頭を抱えているらしいが、大海人はさほど気にしていないらしい。睨み合う二人の向こうに立って汗を流している史に向かって、
「
と言った。
多品治というのは、これより少し東にある
歳の頃は二十五、六、親子二代で安八磨を管理している。
その品治が、やってきた。
「参じました。お呼びですかな」
品治というのは変わった男で、歩くときいつも頭を上げ下げして歩く。召し出しなどの際にそれをはじめて見たとき、葛城は、
「鳩のように歩きおる」
と笑い喜んだ。まだ若く、父と共にやって来ていた品治も笑い、
「落ち穂でも
と言ってほんとうに鳩の真似をし始めたから、その場にいた大海人も鎌も呆気に取られ、葛城だけが手を叩いて喜ぶという奇妙な光景になった。
会う度に、愛嬌のある仕草と独特の抑揚のある話し方が不快でなく、大海人もそのうちに自分の領土の監督を信頼して任せられるようになった。
「聞きたいことがある」
この小高い丘が、本営というわけである。すなわち、ここにいる者が、大海人の、いや彼が葛城らから受け継いだ事業の中枢になる。
勇ましく鎧兜を纏いながら気負わず、蒸れて背中が痒いなどと呟く大海人自身に、女の身でありながら随行している讃良。作戦の立案を担う史に、実際の戦闘の指揮をする高市、仲麻呂、それに兵糧のことをする者や各地の豪族どもとの連絡役の元締めが何人かという面子であるが、高市と仲麻呂はここに品治がいることが不思議だというような顔つきで見ている。
「お前、兵をどれほどに募った」
品治が美濃にあって真っ先に立ち上がり、東国の兵を集めていることは誰もが知っている。この時代の兵の動員数などたかが知れているから、いくら品治が大海人の直轄領の長官だからといって、せいぜい千か二千集まればいい方だと高市も仲麻呂も思っていた。
しかし品治は得意げな顔を史に向け、頷いた。挙兵からずっと、史の指示に従って動いてきたのだ。
史もまた、頷き返してやった。そののち、視線を大海人に戻し、片膝をついて大仰に、
「四万六千にござりまする」
と述べた。
「今、なんと申した」
高市が、静かに問い直した。仲麻呂は苦笑している。
「四万六千。もっと細かに数を挙げれば、四万六千百二十二にござりまする」
同じ姿勢のまま上げた品治の目が、変わっていた。大海人はそれを見て、ふと笑んだ。
──主上。あなたは、どこまでのことを見通しておられたのですか。
それを問うべき相手はいない。しかし、想像することはできた。
品治の父が任官されたのは、大海人が葛城の弟であるということになってすぐのことである。お前にも然るべき領が必要だろう、として何気なく指定したのが安八磨郡で、その地を治めていた豪族が品治の父であった。
そのときから、葛城は、この日のことを考えていたのかもしれぬ。いや、大海人の知る葛城とは、頭でものを考えるような男ではなかった。
知っていたのだ。あのとき、すでに。
領官であるという理由に留まらない何かを、
「よく集めたな」
大海人は、彼がこれまでに何度も目にしてきた類の眼に我が姿を映し、みじかく言った。
「は。それはもう。この品治、この日のために生を受けたと言っても過ぎることはないと思うておりますれば」
「一体、どのようにして」
仲麻呂が、なかば声を震わせながら問うた。これほどの大軍は、白村江のときに彼の父と同じ名を持つ阿部比羅夫が蝦夷どもを従えて以来ではないか。
「いとも易きこと」
品治は独特の抑揚で言い、口だけを笑ませた。
「この不破の道を、塞いだだけでございます」
「道を──?」
「はい、高市さま。この道を塞ぎ、近江へと人をやらぬように致しました」
「それで?」
「この道を塞げば、東国からの租も庸も調も滞ります。さすれば近江は立ち枯れに枯れて弱り、近江が手にするはずのものは全て我らに」
「しかし、ただ道を塞ぐだけでは、人が応じまい」
「ええ、無論のこと。ゆえに、この品治は、この駅家に至る人に申しました」
これは、そなたたちの地において得られた米であり物であり、そなたたちの地において産まれた人である。それを、ここに置いておけ。そして、そなたたちは国へ帰れ。帰り、国もとの者どもに、ここまで来よと伝えよ。と言ったという。
「それで?」
「この地に、まことの王が立つ。そなたたちがもたらすものを近江になど届けず、ここに置いておくことで、まことの王がここに立つ。それを、その側で見よ。そなたたちが、まことの王を王にするのだ。ゆえに来よ。そう伝えさせました」
それで、あちらこちらから人が集まってきた。品治の言うことは道理である。近江の朝廷が強力なのは、各地の生産を中央に集約する制度を葛城と鎌が敷いたためである。それならば、東半分からもたらされるものをこの不破に集約すれば、大海人は実質上、国の半分を得たことになる。
「国とは、宮のあるところにあるものではない。人のあるところにあるものだ。いつぞや、
ゆえに、この不破の道を塞ぎ、人と物をせき止めることでここがあらたな王の立つ地になるということを人に悟らせ、その誕生を助けた者として思うさま名乗りを上げよと説いた。
「しかし、やって来た者が、よく得心したものだ。おれのような拠るべき地すら持たず、これからそれを奪おうとするような男に」
「それは、我が君が、それに見合うお人であることを、誰もがしるためでしょう」
やや自虐的なことを言う大海人に向かって、仲麻呂が気を遣うようなことを言った。
「まさか、まさか」
それを、品治が一笑に付した。
「人は、利に聡うございます。彼らは、我らほどに我が君を慕ってはおりますまい」
「では──?」
「ほほ。高市さまは、驚いてばかりおられる」
高市が、露骨に嫌な顔をした。
「かんたんなこと。話を聞き、はじめ、近くの者どもが集まって参りました。彼らに、もともと彼らが持ち込んだものを、たらふく食わせたのです」
先程から、史が刺すような眼で品治を見ている。連絡は取り合っていてもまさか品治がこれほど兵を集めるとは思っておらず、またその具体的手段については何も聞いていなかったから、品治の
「噂は、またたく間に広がりました。彼らの心のどこかには、なぜ自分たちが作ったものを自分たちの負担で近江に運び、くれてやらねばならぬのだという思いがあるのです。拓いた田は永年、己のものなのではなかったのか、と」
自分たちが作ったものの一部をその腹に返してやることを餌に、人々を釣ったのである。
「税とは、そういうものです。品治どの」
史が、はじめて言葉を発した。
「国に暮らす民が、国に得たものを分け与える。その代わりに、国は民がもたらした以上のものを返す。それこそが国であり、税」
「むずかしいことは、この品治、よく分かりませぬ」
しかし、とこの掴み所のない男はまた凄味をちらつかせた。
「ここに集った人々は、王を待ち望んでおりまする。そして、この品治も、王のよいように使うていただくことを、望んでおります」
「いかようにもか、品治」
「は。我が君。いかようにも」
「では、品治。お前は、高市と仲麻呂の上に立ち、全ての兵のことを取り仕切れ」
高市と仲麻呂が、目を剥いて大海人を見た。最高指揮権をどちらに与えるつもりなのか、気が気ではなかったのだ。その点、大海人は非常に上手くやった。誰もが認めざるを得ない功績を立てた品治にそれを与えることで、高市と仲麻呂の不和を抑え込んだのだ。
いきなり、讃良が笑い声を立てた。
「なにがおかしい、讃良」
「だって」
ずっと黙って景色ばかり眺めていた讃良が振り返り、満面の笑みで、
「こんなところに、これほどまでによい嫌われ者がいるとは思ってもいなかったんですもの」
と言った。
多品治とは、そういう男である。
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