即位

 葛城の即位の日。太極殿の前の広大な広場に居並ぶ百官を前に、彼は無言で立った。自ら定めた正式な礼装に身を包み、錦の冠を着けている。

 ずいぶんと、時を費やした。しかし、だからこそ、今こうして彼はここに立っていられる。

 傍らには、鎌。お互い、老いた。そう言って苦笑いを向け合いたいところだが、この場でそれをすることはできぬ。

 さらに背後には、皇帝である大海人と、伊賀。讃良もいる。

 錦の冠を外し、天皇だけが着けることの許される冠を頭に戴いた。その戴冠の儀式を終え、葛城は百官の者に向かって立った。

「皆、ここからだ」

 風も、鳥も音を立てず、葛城の言葉を吸い込むようにして聴いた。

「ようやく、国が立ったのだ。俺は、てっきり、国とはたとえば雷電に打たれるようにして出来上がるものだとばかり思っていた。しかし、どうも違うらしい」

 葛城と共に渦の中心に立ってそれをしてきた者どもが、その背をじっと見つめている。

「こんなにも、ぼんやりと。たとえば、霞のように。国が、これほどまでに、ふわりと流れて漂うようなものであったとは」

 その激しさでもって旧きものを打ち壊し、一つ一つ、積み上げてきた。そして、気付けば、人は同じ光を求めて葛城の拓いた道のあとを続き、彼を王にした。

 そして、またこの先、どのように国というものが育ち、どこへ向かうのか、今それを言い定めることはできぬ。国とは、あたかも国そのものが意思を持っているかのようにして旋回し、誰が定めるでもない、国自身が向かうべき方へと向かってゆく。そのことを言っているのだろう。ある意味、じつに葛城らしい物言いであるのかもしれない。

「俺は、誰にも詫びぬし、何も省みぬ。ただ、進むのみである。草があるならそれをはらい、岩があるならそれを砕く。俺がこれまでしてきたことは、ただそれだけのことであったと思う。そして、それが、この天地の間に今まで産まれた誰にもできず、このあと産まれる誰にもできぬことであるとも」

 それは、そうである。実際、これまで誰も為し得ず、このあとの歴史を見ても、葛城ほどに激しくものを壊し、素早く更地にしてその上にあらたなものが建つ地固めをした男を筆者は知らぬ。すべて、この時代のこの時に彼らが造ったものの上に成り立っているのだ。

 そのために彼が喰らったあらゆる者に詫びることもなく、それを省みることもなく。自らの母の死も、最愛の恋人の死すらも喰らい、そして破り、彼は今ここに立った。

 その獣が、また激しく雷光を放った。それは、言葉であった。

「俺は、王になった。ゆえに、も、今ここで皆に言い渡しておかねばならぬ」

 この場でこう宣言することで、葛城は一人の王の治世が永遠に続くことなどなく、それを継ぎ、人に示し続ける者を立ててゆく必要があることを人に知らしめた。

「俺の後は──」

 誰もが、大海人の名が来るものと思った。ずっと可愛がっていたこの渡来人の従者を、あるときから急に自らの弟であるとし、大海人と名を与えたことを知らぬ者はない。しかし、葛城は、人のその予想を裏切ることを言った。

「──伊賀が継いでゆくものとする」

 鎌が、葛城の背後で眼を上げた。これより一年前に自らが献じた獣の策が、今容れられたのだ。

 居並び、海のようになっている百官の者も、讃良も、そして大海人自身も、葛城が何を言っているのか分からず、硬直した。

「これより、この伊賀の名を、大友おおともと改める」

 ──大友太子おおとものたいし。誰かの発した呟きが、それこそ海を渡る波のようになり、広がってゆく。

「よいな、大友。ゆくすえのこと、お前に任せる」

 そう名を指された大友は、息の仕方すらも忘れたようになり、棒のようにただ立つのみであった。

「そして」

 葛城は、また雷電を発する。ここにある全ての人が、それを見守っている。

 鎌が、おやという顔を向けた。施した策はここまでのはずであるのに、葛城はその続きを継ごうとしている。かつての鎌ならば、葛城が何を言い出すかと腹の浮いたような思いになったであろうが、年月を経たこの老いた獣は、葛城がなにを見、なにを言おうとしているのかを、ゆったりとした心持ちで聴こうという気になっている。

「我が弟である大海人が、これをたすける」

 皇太子として指名された大友を、大海人が補佐する。これは、べつに不思議でも何でもないことである。鎌は内心、そんなことか、と思ったが、葛城のことであるから、それだけをわざわざこのような場で宣言するはずがない。これは、この国をこの先も導き続ける光の話なのだ。

「そして、我が子、讃良をめとる」

 これには、鎌もあっと思った。当の大海人と讃良は、なおさらである。

 鎌は、皺が深くなっても昔と変わらぬまなじりを、ぽかんと口を開けている二人を見た。

 大友が、葛城の後を継ぐ。当然、大友の才では国は治められぬであろう。そうすることで、葛城という王がこの地上に出現したであり、ただ国がそこにあれば勝手に世が旋回してゆくわけではないということを知らしめるのだ。

 それは一見、王とはただの実行者であり、葛城の特別さは破壊にこそあり、その責務は後に続く全ての王が歩むことができる道を敷くことであるという彼らの考えと矛盾するようにも思える。しかし、彼らは王の道の真理を知っていたとしても、この先の人はどうかは分からぬ。これから先、いくつも時間が流れれば、自らが生まれるずっと前から既に王の道があり、自分はただそれを歩いているだけでよいと思い込むような者も現れるかもしれぬ。そういう人間が当たり前のようにして王の座にのさばり出したとき、国は滅ぶということを彼らは知識として知っていた。

 それをさせぬために、その器にない者がその道を踏んだときにどのようなことになるのかというを早い段階で示しておこうということである。それが、鎌の授けた策。

 そして、葛城は、そこに自らの着想を加え、人に提示した。

 王を支えるべき人として大海人を立て、その妻に我が娘讃良を与える。そうすることで、誰でも王になってもよいのだという誤解を防ごうとしたのであろう。

 大海人は言わずもがな、葛城とは血の繋がりなどない。そもそも、渡来人の子である。将来、それが大友が治めきれぬ世を救うべく立つとき、どれだけの人が従うかというところに、鎌の策の成否がかかっていると葛城は考えた。そこで我が娘である讃良をそばに付けることで、人が再び光を求めて寄り集まるときの宿り木にしようというわけである。

 非常に繊細な思考である。王とは、ただ生まれながらにして王であるはずはなく、しかしながら、誰にでもなれるようなものでもない。なるべくしてなり、立つべくして立つ者こそが、王。そういう微妙な呼吸を前例なくして察し、遥か遠い遠い先のことを見据えた策を打つことができる葛城を見て、鎌は万感の思いを堪えることができなくなってしまった。

 それを人に知られるわけにはゆかぬから、そっと葛城らの前を去り、美しく並んだ藤の花を見て、一人風に吹かれていようと思った。


 太極殿の方では、ときおり、歓声が上がる。それが遠雷の音に似ていて、鎌は苦いような、甘いような笑みを漏らした。ちょうど、彼に吹き付けている藤の風のような味の笑みであった。

 鎌は、葛城が大海人を大友の補佐に立て、さらにそれに讃良を娶らせると言うのを聴いたとき、確信した。

 おそらく、このまま、どこかに築かれるであろう葛城の墳墓の中に持ち込むことになるであろう秘め事を、明かすつもりであると。

 もう、十分なものを見た。この国は、間違いなく自らの足で立ち、誰にも手を付けることのできぬ国として育ってゆくであろう。葛城がはじめに啼き、発した激しい電光は、いつしか人を導く光になっていたのだ。それを常に佐け、為せるはずもないことを為してきた己を、誇りにも思った。

 だが、見届けなければならぬ、と改めて思った。

 法典は、あと一年もあれば完成するであろう。それは、必ず遂げなければならぬ。それとは別に、葛城と鎌のみが知るところとなっている秘め事のことを見届けてから。

 藤の下の獣が、ひとつ吼えた。

 いや、咳をしているのだ。

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