第五章 獣の王
閑話休題、筆者は語る
葛城は、またしても天皇にはならなかった。その代わりに、彼の母である前帝を再び王座に就けた。この、古い新たな天皇は、自らの役割をよく分かっていた。
「今さら、わたしなどに、何が出来ましょうや。全ては太子のよきように」
と言い、自ら
思えば、この母も大変である。自らの在位中に実の息子が当時の権力者であった
思えば、あのときから、前帝は死ぬ運命であったのかもしれぬ。鎌なら、それを廃すために新しい王を立てることくらい、行ってもおかしくはない。
葛城は、まだ天皇にはならぬ。
蘇我を滅ぼしても天皇にはならず、ただ政のことに専念し、この国が初めて体験するような改革をもたらした。そして新たな天皇が自我を持ちはじめ、葛城のことを面白く思わぬようになったと思ったら、その天皇は都と自らの妃ごと葛城に人心を奪われ、あっけなく死んだ。何故死んだのかは、葛城と鎌、猫とあとは芦那くらいしか知らぬのであろう。
それでも葛城は天皇にはならない。
筆者は、これほど不思議な道筋を辿る歴史上の人物を、他には知らぬ。
葛城が天皇にならず、はじめに叔父、次にまた母という具合に別の人間を天皇にし、自らは太子のままでいるというのが、不可解で仕方ない。なにせ、葛城が天皇になるのは、蘇我入鹿を殺したあの大化元年から、じつに十七年も後のことになるのである。べつに、なろうと思えばいつでも天皇になれた。それをせぬのは、時間稼ぎでしかない。
では、何のために、時間を稼ぐのか。
決まっている。
葛城が王となるに十分な地盤を、この国に敷くためである。
これまでのこの国とは、人が何となく集まって出来た集団の中に発生した、富める者とそうでない者の差の延長にあった。おそらく、稲作とそれは深い関わりがあると筆者は考えている。
あるときこの地にもたらされた稲作は、食生活を含むあらゆることについての変化を我々の祖先にもたらした。それまで行っていた狩猟、採集を中心とした生活においては、獣や木の実を安定して手に入れるために、暮らす場所の移動が求められる。長い時間軸で見れば、より多くの食料を求め、獲物や植生に合わせて我々の祖先は気軽にその拠点を移動してきたのだ。
しかし、稲作を知った我々の祖先は、自ら植えた稲の面倒を見るために、その場所に定着するようになった。
おそらく、「土地」という概念の発生も、そこであろう。それまで大地とは限りなく続き、一つであったものだが、稲作によってそれが区分けされたのである。
田を多く持てば、より多くの穀物が得られる。恐らく、このブーメランのような形の島国に初めて現れた支配者とは、稲を作ることについて詳しい知識や技術を持つ者であったのだろう。その者はあちこちに出現し、そこにいた人々に自らの持つ画期的な技を教え、稲を作ることをさせた。いや、その者らが強制したかどうかは分からぬが、石の一つ、草の一本、水の流れにまで神が宿ると思っていた素朴な人々は、自分達の知らぬことを知る人を大いに大切に、あるいは崇めたことであろう。そういう者が中心となるわけだから、自然、集団というものの意識が強くなる。それがムラの始まりなのだと思う。自らの属する集団の力が強くなれば、他の集団よりも大地——すなわち収穫——を多く支配出来る。ときに、他の集団を支配し、その実りを我が物にしようと考える者も現れたことであろう。
こうして、持つ者と持たざる者は時間と共に富める者とそうでない者になり、支配する者とされる者になったというのが筆者の考えるところである。卑弥呼もヤマトタケルも神武天皇も各地に乱立したオオキミも、そして蘇我入鹿も、全てその素地の上に立った。
だが、その理屈で言えば、この天地の間の世界に、王が何人いても特に差し支えはない。それぞれの王が、せいぜい自らの力の及ぶところを支配していればよい。
だが、葛城がなろうとしている王は、そういうものではない。ここで鎌の名を出さずに葛城としたのは、大化の改新の内容と、それに葛城が自らの着想でもって取り組んだことによる。
葛城は、土地を国家のものとした。そして民とは、国に許されてそれを貸し与えられているものであるとした。それは即ち、全ての実りは国あってのものであるということである。
また、この時点ではまだ完全に形にはなっていないながらも戸籍を作り、人とは国に管理されるものであるとした。
そして、地方の豪族に力が集まらぬようにもした。予想される反発は、血の繋がった自らの一族や功臣に対する非情な仕置きでもって抑えた。その具体的な
筆者は、はたと気付いた。
葛城が、何を求めているのかを。
——見下ろすな。俺を。
葛城のその怒りから始まったこの物語ではあるが、物語の進行に伴い、葛城の思いもまた育っているのだ。
葛城は、この国の全てを求めているのだ。
それは、欲ではない。毎日あくせくと働き、その合間を縫って彼を追いかける筆者のような小市民にはそれがどういうことなのかはもう一つ分かりにくいが、彼は、欲しているのではないということに気付いた。
彼は、この天地の間の世界全てが、はじめから自分のものであるべきであると思っているのではないだろうかと思う。そう思ったとき、鎌の不可解とも取れる行動についても、何故そこまで葛城に入れ込むのかについてもどことなく納得出来る。
鎌は、もしかしたら、こう思っているのかもしれない。
——この
と。
あの日、
つまり、葛城とは、初めから、そういう性質を持ってこの物語に、いや、歴史に登場する。筆者は彼のそういう部分に惹かれているのだ。
ここからである。
葛城は、自らが王となるため。鎌は、葛城をこの天地にとってはじめての王とするため。
そして、猫。芦那もいる。
彼らという人物を通すと、見えるのだ。この時代のうねりが。
我々の歴史で詳しく分かっていることは少ない。この時代のことを知るには、日本書紀などの限られた記述に頼るしかない。しかし、はじめに断った通り、これは歴史の考察を行う論文ではない。筆者の頭の中で脈打つおはなしである。
だが、それを描くことで、筆者はこの時代の匂いを想像し、その奔流の激しさに戦慄する。そして、それを楽しんでいる。これは、そういう作業なのだ。
気が満ちた。書くとする。
時を、少し進めてみよう。
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