第四章 獣となる

協力者

 明治、大正、昭和の間は頻繁な改元は行われず、天皇の死により改元されることが続いた。そして平成は天皇の生前退位により、これを書いている時点では間もなく改元を迎えることになっている。

 それ以前はと言えば、何か天変地異があったり、世情の変化や大きな事件があったりしたときに改元が行われていた。わが国にとって初めての元号である大化が定められたのも、そういう具合である。


 そして大化六年二月、元号は白雉と改められた。表向きには、穴門あなと(後代で言う長門、現在の山口県)の国司の某という者が、白い雉があったとして朝廷に献上したことによるとされる。しかし、たかが珍しい白い雉が獲れたからといって、国の元号を変えるなどというようなことが、いかに朝廷の中で実権を握っていた皇太子の葛城が度外れた気分屋であるからといって、あるはずがない。

 あらたな世を作る、として大化という元号を定めた葛城らは、創生の時期を終え、次の段階へと舵を切ったのだ。その前年に、安倍内麻呂、蘇我石川麻呂ら左右の大臣が相次いで死んでいることからもそれが分かる。葛城の、いや、正しくは鎌のはかりごとにより、創業のための修飾物であったそれらが政治的自我を発揮する前に葬りさり、を削ぎ落としたのだ。


 見方を変えれば、城攻めに似ている。この時代に城攻めというのは見られないが、たとえば同時代やこれより前の中国史や、日本の戦国時代などの城攻めの様を想像すると、彼らの思考と行動がよく見える。

「城を攻めるには、まず堀を埋める」

 ということは常識であり、紀元前より大陸で体系化されている軍学にもそれは謳われているから、当然葛城も鎌もその理屈を知っている。彼らは無論実際に城を攻めたことなどこの時点では無いが、この政治的なやり取りを戦に見立てていた。堀というのが、内麻呂、石川麻呂だったとすれば、本丸は、誰のことを指すのか。

 ともかく、そういう具合で、年号は改まった。



 大化年間に、国家の形成はあらかた終わっているから、この間に行ったことと言えば、国民の戸籍の作成を完了させ、それを基にした班田収授法はんでんしゅうじゅほう――今も歴史の授業で習うのかどうかは知らぬが――が実行されたことくらいであろうか。班田収授法は、その効力がより強まることを定めたこれより後の時代の大宝律令における本格的な成立が有名であるが、その原型と言うべきものは既に葛城によって定められていた。その仕組みについての大雑把な解釈について軽く触れておくと、田とは朝廷から戸籍によって管理される人に貸し与えられる管理された土地であり、それをもとに(税)を定め、国家の収入源、ひいては国家の基盤を確かなものとするというものである。これにより、それまで暮らす民から、大雑把に納められていた税が、明確な基準をもって納められるものとなる。


 田とは、土地である。公地公民制しかり、土地や民を国家のものとして管理するという政策は、この国において画期的であり、そこに葛城と鎌の作った新しい国の姿の真髄があると言える。そして土地とは、力である。中央集権体制などという分かりやすい語で示される通り、国の力の所在を至って明確に民に提示することと、力をに要らぬ力が集まらぬようにしてある。これは後々荘園制にも繋がっていき、守護や地頭、そして大小名といった存在の出現に繋がる。それらが互いに争ったのが戦国時代であり、そのうちの一人が立ったのが徳川家康であり、その治世に反発する者が起こしたのが明治維新であり、その土台の上に生まれたのが我々である。


 やや論理が飛躍している感が無いでもないが、そういう意味で、葛城は我々のであると言える。その遺伝子を、遺産を受けた我らは今何をするか、ということについては我々が考え、決めることであるから、言わない。

 葛城は、新たな仕組みと新たな法でもって、誰が力を持つべきかということを徐々にこの国の中に明らかにしていっている。持たざるものがそれを持てばどうなるか、言わずと知れたことであろう。


 断っておくが、葛城という稀代の創造者アクターと、鎌という稀代の監督ディレクターの二人は、私心によってそれをすることはない。ひとつには、この百年ほどの間の東アジア情勢の混乱と変化の影響を受けやすいこの大らかすぎる人ばかりが暮らす国をまとめ上げ、「国家」にするという目的がある。それをもってして乱れている朝鮮半島の情勢を乗り越え、そこに付け入ろうとする侵略性の大国の唐と必要があるのだ。その背景が無ければ、この二人は世に出現しなかったし、蘇我一族の隆盛もそもそもなかった。


 そういう、歴史の転換点の中心に立つことが出来るだけあり、葛城は、とんでもない男である。それは、今までさんざんこの物語において述べてきたわけであるが、おそらく、彼がどれほどとんでもない男であるか、読者諸氏はまだ理解しきれていないのではないだろうか。

 そのことについて述べる。



 葛城が、もう天皇の嫁に行ってから何年か経っている芦那をひたすらに想い焦がれ、取り戻したい一心であることについては既に述べた。だが、例えば月を芦那の愛くるしい顔に見立ててそれを見上げたり、道に咲く花に芦那の笑う顔を感じ、思わずその香りを嗅いだりするようないじらしい男ではない。

 ある程度国についての事業が成ったこの時点での彼にとっての目的とは、芦那を取り戻すこと。それに尽きる。そして、それは、月でもなく、花でもなく、でなければならなかった。考えてもみよ。俺を見下ろすなと言って当時の最高権力者で、誰も手を付けることが出来ないどころか、時の天皇ですらその影に隠れてしまうほどの権勢を誇っていた蘇我入鹿そがのいるかを討ち、その墓を破壊し、あらたな世が来るそのときに自らの血縁の兄を討ち、妻の父である内麻呂も石川麻呂も討つような男である。その葛城が、どうして道端の花を愛でて芦那を想うのみで留めていられようか。


 葛城は、離れ離れの間も、当たり前のような顔をして、夜影に紛れては芦那のもとへといた。無論、知られては鎌などがうるさいし、天皇といさかいになることは目に見えているから、誰にも言わない。猫だけが知っていた。

 いや、鎌も、知らぬふりをしながら、気付いていた。鎌は、自らが葛城に、その行動について勘付いていることを言わない。そういう騙し合いになれば、わりあい人間が素朴で純粋な葛城よりも、一癖も二癖もある新しい型の人間である鎌の方が上であった。

 そして、鎌は、芦那がどういう女であるか、何故彼女が天皇の嫁になったのかも無論知っている。


 鎌が公用で登殿した折、たまたま廊下をゆく芦那を見かけ、話しかけた。

「太子とは、このところ、お会いになりましたか」

 黒木の板に膝をつき、貴人に対する礼をもって鎌はそう言った。

「いえ。このところ、会いません」

 芦那は、そう答えるしかない。

「太子は、是非にもみめにお会いしたいと、常々仰せにあらせられまする」

 それで、芦那は鎌が何か重要なことを言おうとしていることを察した。そういう聡いところがあるからこそ、芦那は今ここにいる。

「太子は、どのように仰せか」

 芦那は、わざわざ鎌などから伝え聞かなくても、しばしば通ってくる最愛の兄の口から直接、

「お前を天皇などの嫁にしたのは俺の一生の誤りであった。早く戻って来い、早く戻って来い」

 と激しい喜悦の振動と共に聞かされているから、知っている。鎌が言いたいのは、そんなことではない。その話の方に、芦那は寄せてやっているのだ。

「は。それはもう、このようなところで申し上げるのが憚られるようなことを」

 と鎌は冠の際を掻いた。

「わたくしの、ですか」

 鎌は、自らの竿に魚がかかったのを感じた。それも、魚が釣られることを知りながら、進んで食いついてきたのだ。鎌は、葛城が、

「芦那は、俺ではない男の身体を受け入れ、今もねやで声を上げ、あの細い腰をせっせと振っている。こんなことがあるか」

 と半泣きになりながら床を叩いていることなど言わない。ただ、

「ははっ」

 とだけ言い、深く頭を下げた。鎌のは、済んだからである。それを鎌に示すように、

「太子は、あのご気性。天皇も、たいそう太子のことを気にかけておいでです」

 と言って困ったように笑い、

「このところの、あちこちでの乱れ。それを排することが出来れば、ずいぶんと世も治まりましょうに」

 と言い残し、去った。


 これで、鎌は、彼の次の事業における最も重要な人間の協力を取り付けたことになる。

 創業のときには大事であったがそれが成ったあと無用の長物となるどころか、葛城のことを理解せず怯えてばかりいる左右の大臣を葬り去ったその次の標的。

 それは、天皇である。



 葛城が、なんだか可愛く思えてきた。

 葛城は、雷電を身に纏い、この地上に突如として降り立った獣であると例えた。それならば、鎌もまた、限りなく獣である。

 その獣は、夜になってからひっそりと動き、誰知らぬところで腐肉を喰らうのだろう。

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