第4話彼の料理は一流です

 くう、と小動物が鼻を鳴らすようにお腹が鳴る。琴は真っ赤な顔をしてお腹を押さえた。


(私のバカー! 自重してよーーっ)


 自分に腹を立てる琴に微笑みながら、レイが話しかける。


「そういえば夕飯がまだだったね。琴、何が食べたい?」


「んー……オムライスの気分かなぁ」


「じゃあそうしよう。作るから待ってて」


「え……っ。いいよ! 私が作る! これからお世話になるのに料理くらい……」


「来たばかりで勝手が分からないだろう? それより先にお風呂に入っておいで。ちょうど沸いたから」


 タイミングよくピーッという音が浴室から聞こえてくる。いつの間に湯を張っていたのだ。レイの無駄のなさに若干戸惑いを覚えつつも、琴はレイに背中を押され洗面所へ押しこまれてしまう。


「でも……」


 琴は渋ってみせたが、レイに長いまつ毛を伏せて「僕の料理は食べたくないかい……?」と悲しげに言われてしまえば、力いっぱい「そんなことない」と否定するしかないわけで。


 するとパッと表情を切り替えたレイは「じゃあ問題ないね」とにこやかに言った。


「……何か上手く誘導されたような……」


「何のことだい? あ、琴。バスタオルは洗面所の引きだしの二段目だよ」


 役に立ちたかったのに出鼻をくじかれてしまった。琴は項垂れる。


 いやでも、これから一緒に暮らすのだから、チャンスはいくらでもあるだろう。レイの重荷にならないようにしなくては。


 決意をあらたに浴室へ入ると、ゆったり足を伸ばしても余るくらいのバスタブに湯が張ってあった。人の家のお風呂って何だか楽しいなと思いながら湯船につかる。大きな全身鏡の横には作りつけの棚があり、シャンプーやトリートメントが整然と並んでいた。


(あ、これCMやってる高いやつ……)


 ポンプを押すと、はちみつの香りがふんわりと鼻孔をくすぐる。


(……レイくんの髪と、同じ香りだ……)


「……何考えてるの、私」


 琴はシャンプーを髪になじませゴシゴシと泡だてる。


 レイはただの幼なじみ。……いや、ただのどころか、かっこよすぎる幼なじみ。マンガのような展開に酔っているのだろうか。これがマンガやドラマなら、王子様のようなヒーローとの甘い展開が待っているのだろうが、残念ながらこれは凡庸な現実である。


 非日常に足を突っこんだ気分になってフワフワしてしまっているなと思いながら、琴は身体を洗い流し、温まってから浴室をあとにした。


「お風呂先にいただきましたー……」


 つい長湯をしてしまった。Tシャツにショートパンツを履き、タオルドライだけ済ませた髪のまま控えめにリビングへ入ると、食欲を誘うケチャップの匂いがした。


「ちょうどできたところだよ。座って、琴」


 対面キッチンから、レイの声がかかる。白いシャツと、腕まくりをしたレイの二の腕が眩しい。警察官だけあって普段から鍛えているのだろう。細いのにしっかりとついた筋肉が目に毒だった。


 鏡面のような黒テーブルにはすでに鶏ささみのサラダと、キャベツやベーコン、玉ねぎやパプリカ、ローリエなどの野菜がたっぷり入ったスープが置かれ、湯気を立てていた。遅れて、酸味のきいたチキンライスの上にフルフルと揺れる卵の載ったオムライスが出される。


レイが卵の中心に包丁を入れると、チキンライスの上にふわとろの半熟卵が広がった。


「美味しそう……!」


 パアッと琴の表情が華やぐ。


 涎が出そうだ。料理には自信のある琴だが、レイの腕前には完全に負けていると思った。


「たしか琴は、オムライスは半熟が好きだったよね。はい、ソースかけるよ」


「あ、ありがとう……。何から何まですみません……」


 向かいにレイが座るのを待ち、二人で「いただきます」と手を合わせる。


 熱々のオムライスを口に運ぶと、琴は幸せに包まれ頬を押さえた。野菜の甘みがぎゅっとつまったデミグラスソースまで美味しい。


「んーっ。幸せだーっ」


「それは良かった」


 パクパク食べる琴を見つめながら、レイは嬉しそうに言った。


「レイくん、お料理上手だね。お店開けそう! スープも野菜が甘くて美味しい」


「琴は褒め上手だね」


 そう言って、レイは琴の口元へ手を伸ばしてくる。琴が首を傾げると


「ついてるよ」


 と苦笑気味にご飯粒を摘ままれ、そのままレイが自分の口へと運んでいってしまった。薄い唇からのぞく舌が妙に色っぽい。


「……琴?」


 絶句する琴へ、今度はレイが首を傾げる。琴はチキンライスよりも真っ赤になりながら訴えた。


「レイくんは天然のタラシさんだ……っ」


「へ」


「言ってくれたら自分で取ったのに……!」


「そう? じゃあ言わなくて正解だ」


 ニヤッと笑いオムライスを口に運ぶレイに、どういう意味だと口をパクパクさせる琴。しかし、レイに「冷めてしまうよ」と言われると、急いで食事を再開した。


(何だか心臓がもたないかもしれない……! レイくんは自分の格好よさをちゃんと自覚してよー……)


 ああ、でもいつも自信たっぷりの言動を見るからに、確信犯なのかもしれない。レイは紳士的で温厚だが、それと同じくらいたまに意地悪なところがあるので、琴が年上の男性に翻弄される様を楽しんでいるのかもしれないな、と思った。

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