第3話お邪魔しますのタワーマンション
「首痛い……」
着いたよ、とレイに肩を揺すられて車を下りた琴はそう口走った。
首を最大限そらさなければならないほど、レイの住んでいるマンションは高い。いわゆるタワーマンションというやつだろう。ホテルのように瀟洒なエントランスを通ると、ゆったりとしたソファが並ぶロビーには当然のようにコンシェルジュがいた。
女性のコンシェルジュは、恋する少女のような目でうっとりとレイを見つめる。それから隣を歩く琴にあからさまな睨みをきかせてくるあたり、琴は苦笑を禁じ得なかった。
レイの腰巾着だった子供の頃、よくレイの取り巻きのお姉さま方から同じような視線を向けられたものだ。レイはファンの女の子たちを全く相手にしていなかったが。
自然に琴の荷物を持ってくれたレイへ、エレベーターを待ちながら琴は恐る恐る話しかける。
「レイくん、外車に乗ってるし、それにこのマンション……警察官ってそんなにお給料高いの……?」
「他にお金の使い道がないだけだよ。それより、はい、琴。合い鍵」
レイは懐から取り出した鍵を、琴の手のひらに載せる。
「あ、うん。ありがと……」
何だか変な気分だ。異性の家の合い鍵を初めて貰うなんて。妙な浮遊感はエレベーターに乗っているせいだけじゃないだろうと思いながら、琴はそっと鍵を握った。
部屋の前までくると、初めての緊張感に襲われる。家族以外の人と暮らすのだという緊張。懐いている幼なじみでも、相手は異性だし歳も離れている。今更になってそれを意識してきた。
「……琴? やっぱり嫌になった?」
琴の異変を逃さず、レイが尋ねた。
(こんなに私に気を使ってくれる優しいレイくんとなら、仲良くやっていけるよね……?)
琴は肩の力を抜いた。
「ううん、レイくんがすごいマンションに住んでるから圧倒されちゃっただけ。ここに私も住むんだよね。すごいよね、興奮しちゃう」
ニッコリ笑いかけると、レイに亜麻色の猫毛をくしゃりと撫でられる。扉を開けると、2LDKの部屋が広がった。
「すごい……! お洒落な家……!」
シックなデザインを好むレイの趣向か、物が少なく綺麗に片付いているものの、壁にかかった絵や小物、観葉植物がいちいち洒落ている。
レイが一通り案内してくれるのだが、扉を開けるたびに琴は面白いくらい感嘆の声を上げた。革張りのソファとガラステーブルが置かれたリビングは十五畳近くあり、広々としたシステムキッチンに、ウォークインクローゼット、洗濯乾燥機も備えつきである。
モノトーンで統一されているあたり、男の人の家だなぁ、と琴は思った。
「琴の部屋はここだよ。僕の部屋の隣。客室用に使っていた部屋なんだ」
扉を開けると、段ボールがいくつか運びこまれていた。
ベッドは琴の家から持ち運んだものではなく、レイが客用に買ったものだ。試しに座ってみると、実家のベッドよりマットレスが柔らかく、琴の身体をどこまでも柔らかく包みこむ。カーテンもわざわざ用意してくれたらしく、琴の好きなパステルカラーの遮光カーテンがすでに取りつけられてあった。
そしてベッドの枕元には、大きなテディベアが行儀よく座り、プラカードを首から下げて琴を見つめている。
琴の私物ではない。琴が首を傾げてテディベアを持ちあげると、カードには達筆で『いらっしゃい、琴ちゃん』と書かれていた。
バッと部屋の入り口に佇むレイを振り返る。レイは目が合うと、悪戯が成功した子供のように笑った。
「いらっしゃい、琴。歓迎するよ」
「…………ありがと、レイくん……」
思ってもみなかった歓迎に、琴は破顔してテディベアを抱きしめる。両親のいない実家で過ごす毎日よりずっと幸せだ。熱い目頭をごまかすように、琴はテディベアへ顔を埋めた。
落ちついてから、琴は大きな瞳を輝かせて言う。
「レイくん、本当に私なんかを預かってくれてありがとう。私、お荷物にならないように頑張るから、何でも用事申しつけてね! 自分のことは自分でするし」
鼻息荒く宣言する琴に虚を突かれた様子のレイだったが、金糸のような髪をかき上げると甘い笑みを浮かべた。
「いえいえ、琴は居てくれるだけで十分だよ」
「レイくん……」
優しい言葉に思わず涙腺が緩む。気を使わせまいと言ってくれているに違いない、琴はそう思った。しかし、レイが本心からそう言っているのだと琴が気づくのはもう少し先の話である。
完璧超人の彼には、女子高生ごときの助けなど必要ないのだ。というより……彼は、琴をダメにする天才だった。
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