第2話お迎えが外車なんて聞いてません
二週間後、荷物を引っ越し業者に任せてレイのマンションに移動させた後、琴は空っぽの部屋でレイが迎えに来てくれるのを待っていた。
不安と、少しの期待。どんな共同生活が待っているのだろう。レイが学生の頃は一緒にご飯を食べる機会もあったし、彼のベッドにもぐりこんで寝ることもあったが、あの頃から琴も随分心身ともに成長したつもりだ。レイとはある程度の距離感をもって接した方がいいのだろうということも分かっている。
レイの邪魔にならないようにしないと。折角お世話になるのだし、できれば少しくらい預かって良かったと思われたい。幼い頃から両親が留守がちだったため、幸い炊事洗濯はしっかりと身についている。忙しいレイのために役に立てるといいなと琴は思う。
(……なんかソワソワしてきた。そういえば私、レイくんが初恋なんだよね……)
年が九つも離れている上に眉目秀麗、文武両道の彼と子供の自分では釣りあわないので、早々に諦めたのだが。
(実は初めて好きになったのがレイくんのせいで、無駄に男子を見る目が肥えてしまって、一度も彼氏できたことないんだよね……)
これから一緒に暮らすようになって毎日レイのアイドルも白旗を上げるような顔を見ることで、ますます目が肥えてしまうのでは……。そんな一抹の不安が過ぎる。
膝を抱えてうんうん唸っていると、家の外から車の音が聞こえてきた。続けて、クラクションがニ回鳴る。レイが迎えにきた合図だ。
引っ越しギリギリまで使用していた荷物の入ったキャリーケースを手に、琴は玄関へと向かった。
「こんばんは、琴。仕事が長引いてしまって……待たせてすまないね。荷物預かるよ」
今日のレイは高そうな濃紺のスーツを着ているのだが、嫌味の一つも浮かばないほど似合っている。レイは琴の手からキャリーを受けとり車に載せた。その車を見て、琴は腰を抜かしそうになった。
「がい……しゃ……っ!?」
流れるような曲線が美しいスポーツカーは、当然のように左ハンドルだった。それを嫌味なくらいさらりと乗りこなしてきたレイに、琴は間抜け面をさらしてしまう。
「琴? どうぞ」
「あ、はい! おおおおっお邪魔しますっ」
助手席のドアを開いてエスコートしてくれるレイに、ハッと我に返った琴は慌てて乗りこむ。シートに座るものの、高級車を汚してしまったらどうしようと言う気持ちと、一介の女子高生が乗っていていいのかという気持ちから、尻が落ち着かない。
遅れて運転手に乗りこんだレイは、借りてきた猫のような琴の様子に少し笑った。
「そんなかしこまらなくても……」
「だ、だって、すっごい高そうな車だから……」
どもる琴に目を細めて笑ってから、何かに気付いたようにレイはふと動きを止める。不思議に思っていると、レイの綺麗な顔が寄ってきた。途端に琴の心臓が大きく波打つ。
(え、え……!? ちょっと待って、顔近い! 何!?)
まさかキスでもされてしまうのだろうか。レイの髪からかすかにシャンプーの香りが香るほど距離が迫ったところで、琴はギュッと目を瞑った。
そのあとに来る感覚を待つ。ガチャン。そうガチャン――――……ガチャン?
薄目を開けると、琴の方へ身を乗り出していたレイが元の位置に戻っていた。そして先ほどはなかった、自分を緩やかに締めつける圧迫感。
「シートベルトは締めてね、琴」
「…………あ、はい」
さすが刑事。安全運転第一というわけだ。交通ルールを順守するその姿勢は素晴らしい。のだが、勝手に誤解してしまった琴の頬はカーッと熱を持つ。
「……っ。い、言ってくれたら自分で締めたのにっ」
「ああごめん。何だか琴を見てると世話を焼きたくなって。昔の癖かな」
琴の苦言をさらりとかわし、レイは車を発進させる。意識してしまったのは自分だけだったのだと、琴は恨みがましい目を向け、先ほどは恐縮していたというのに、シートにふんぞり返るようにもたれかかった。
(ふんっだ。レイくんは自分の破壊力を自覚してほしい……! 好きじゃなくても、あんなことされたらドキドキするんだからね……!)
拗ねて窓の外を眺める自分をレイが横目で愛しそうに見ていたことに、琴は気付かなかった。
「そういえば」
流れていく外灯を数えるのにも飽き、琴は口火を切った。
「先週家に来た時に思ったけどレイくん、ちょっと会うの久しぶりだね」
以前食事した際短かった髪は、今は前髪や耳にはらりとかかっている。
「ああ、担当している事件の捜査が長引いていたからね。でも無事犯人を捕まえたよ」
「すごいなぁ。レイくんって、あれでしょ。ノンキャリアなのに最短で警部補になったんでしょ? モテるよね、レイくん、顔もすっごく格好いいし」
「褒められるのは嬉しいけどね。本命にはなかなかどうも通用しなくて困ってるよ」
「本命? 追ってる事件の犯人のこと?」
「……さあ、どうだろうね」
頓珍漢な返答をする琴に苦笑しながら、レイはハンドルを切った。外車を運転する姿がこれほど様になる人がいるだろうかと、琴はレイの線の細い横顔を盗み見る。
レイはイギリス人と日本人のハーフだ。夕日に照らされた稲穂色の髪と、澄みきった空を映したような色の瞳、そして白い肌は母親ゆずりらしい。
(私の幼なじみにしては完璧すぎる……)
白ウサギやリスみたいと形容される自分の容姿。自分の顔の好きなパーツといえば零れ落ちそうなくらい大きな目だが、それだってたれ目で子供っぽいし、レイの車の助手席には美人の方がよく似合うだろう。
「そんなに見つめられると穴があくんだけど。僕の顔に何かついているかい?」
琴の視線に気付いていたらしい。前を見つめたままレイが尋ねる。
「宝石みたいな蒼い瞳と、筋の通った高い鼻と、整った薄い唇がついてる」
「おだてられて光栄だね。これから楽しく過ごせそうだ」
「お世辞じゃないよ。本当に思ってるよ。レイくんは昔っからすっごくカッコイイもん。私の幼なじみなんてもったいないくらい」
「そうかい? 琴こそ、黒曜石のように煌めく大きな瞳と、新雪のように白い肌、それから薔薇のような唇で可憐じゃないか。僕の幼なじみにしておくにはもったいないね」
「……からかわないでよレイくん」
尻がこそばゆい気持ちになる琴に、レイは「お返しだ」と快活に笑ってみせる。口元からのぞく歯並びがとても綺麗で、琴は「本当に綺麗だなあ」と、惚れ惚れした。
街道を走っている車のランプがキラキラと反射して、踊っているように見える。連日引っ越し作業で寝不足が続いていたことを思い出し、琴はとろんと落ちてきた瞼をこすった。
「……んー」
「眠そうだね。マンションに着くまで少し眠っているといいよ」
言葉数の減った琴へ、レイが言う。
「でも、レイくん運転してくれてるのに悪い……」
「その気持ちだけでいいよ。さ、着いたら起こしてあげるから、眠いなら眠りなさい」
「……ん、じゃあ、少しだけ……」
レイの優しい声に促され、琴は重い瞼を閉じた。
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