19-6 限りない旅路

 遠く、意識の上から誰かが呼んでいる。


 体を抱き起こして揺らし、僕の名を呼んでいる。


 その声に呼ばれて、意識がゆっくりと目を覚ました。


「レオー!」


 目を薄っすらと開けると、リーナが僕に思いっきり抱きついてきた。


 周りに居るバルトロさん達からも安堵と喜びの声が上がる。


「よかった……アンタまで目を覚まさなかったら、本気で怒る所だったんだから……」


 リーナはそう言って泣きながら僕を抱き締めた。


 抱き締められて見上げる空は青く、晴れ晴れとしている。


 魔王は完全に打ち倒され、戦いが終わった世界に平和が戻ってきていた。


 そうだ、僕達は勝ったんだ……

 

 多くの、そして大きな犠牲を払って僕達は魔王に勝利した。


 戦いに犠牲は付き物だと人は言う。


 それは確かに間違いでは無いだろう。


 だから強大な脅威に対して立ち向かうものは、何らかの命を懸ける覚悟を持って来ているのだから。


 その覚悟の末に勝利を掴んだのなら、犠牲となった人達の為にも、残った人達は勝利を喜ばなくてはならない。


 それは分っている、分っているのに、今は涙が止まらなかった。


「リョウが、リョウが……」


 自分の目の前で消えた友へ涙を流し、リーナを抱き締め返す。


 もしも、もしも僕があの力にもっと早く目覚めていたのなら……


 いや、それでも力を奪う魔神の力を考えれば、涼が相打ってそれを封じなければ勝てなかった。


 必要な犠牲、勝利の為の最善にして唯一の手。


 そんな事は理屈では分っていても、納得する事など出来はしなかった。


 リーナから手を離し、フラつく体のまま立ち上がる。


 立ち上がって見えた少し離れた所で、エイミーが愛莉ちゃんとロンザリアに寄り添われ、顔を手で覆って泣いていた。


「何か、何か、何でもいいんだ、何か残って無いのか……」


 最後の攻撃の余波で焦げ付き割れている島を、涼の遺物を探してさ迷う。


 遺体が残っていないのは分っている、それでも何か彼が確かに居た証拠を探し始める。


 だが探し出そうとするも、足を地面の割れ目に取られて膝を付いた。


「こんなの、こんなのあんまりじゃないか……」


 消耗から力が上手く入らない手で土を掴み、その手で地面を叩く。


 真田 涼は無へと消えた、まるで元からこの世界には居なかったかのように。


 項垂れるレオにラウロが何か声をかけようとするも、世界の為に戦い大切な友を子供達に何と声をかければ良いか分らず、上げた手を下ろした。


 確かな勝利を掴んだ筈なのに、島に居る人々は悲しみとやるせなさに包まれていた。


 皆が皆、異世界より来て、この世界を愛し、この世界の為に命を捧げた少年の事を悼んでいた。

 

 その暗い空気の中、泣いていた愛莉が顔を上げる。


「……ヘレディア様?」


 その愛莉の声にエイミーも顔を上げた。


「アイリちゃん、どうしました?」


「いえ、ヘレディア様の声が……そうだ、あれだけの力のぶつかり合いで世界に歪が出来たから……え、本当に?……それなら!」


 最後の力の衝突により起こった世界の歪みにより、ほんの少しの間だけもう一度声が届くようになったヘレディアの言葉に、愛莉の顔にパッと笑顔が咲く。


「ヘレディア様から教えてもらいました、マスターはこの世界に帰って来れます!」


 その言葉にエイミーが喜びに息を飲んだ。


 


 何も無い空間。


 空間と言う概念すらない何処か。


 そこに涼の魂と言うべき物は辿り着いていた。


「……涼、真田 涼、私の声が聞こえますか?」


 女神ヘレディアの声が魂に響く。


 ヘレディア様?どうしてヘレディア様が。


「ここは世界から遠く離れた外なる場所、ここでなら私は貴方と再び話すことが出来ます」


 世界の外の場所?


 つまりここはあの世という事ですか?


「いえ、貴方の思うあの世、魂が還る場所とは違う場所です。貴方はこの世界で生まれた存在で無かった為に、その魂がそこへ還る事はありません」


 うーん、つまりは生きている間に神様の加護は貰えなかったけど、それは死んでも同じ事で、異世界人だから成仏も出来ないって訳か。


 まぁ、残念といえば残念だな。


「申し訳ありません」


 あ、いえ、別に責めてる訳じゃないですから。


 不味いな、思考が駄々漏れ状態か。


 何か変な事を考えないようにしようと思うが、これもまたヘレディア様には伝わっているのだろう。


 えーっと、そうだ、じゃあここって何処なんですか?


「ここは現世とあの世の狭間……いえ、本来なら存在しない場所、現世にもあの世にも近く思えても限りなく遠い場所。と、言った所でしょうか」


 うーむ、良く分からん……いやいや、何となくは分ります。


 そう、何となくは感覚で分る。


 自分の内に意識を向けると、レオ達が居る世界の様子がぼんやりと理解できた。


 それと同じく自分の外へと意識を向けると、魂の光が行き来する大きな渦が見えてくる。

 

 恐らくあれが俗に言う輪廻転生的な仕組みのあるあの世なのだろう。


 そのどちらも何となく見えるのは、逆に言うとどちらでもない変な場所に居るって事だ。


 そんな変な場所に居るせいで、俺の魂はそこに置いてけぼりを食らってるわけだが、ここはここで考えてみれば悪くない。


 そんな場所に居るお陰で、最後の戦いの結末を見届ける事が出来た。


 レオ達の勝利をちゃんと見ることが出来た。


 今は泣いているけど、何れちゃんと立ち直って平和な世界を過ごせるようになるだろう。


 俺の戦いは無駄じゃなかった、これが俺の旅の答えなんだ。


 辿り着いた世界を守って、魔王を倒す勇者を見て……そうさ、俺はこの道に後悔なんて……


 後悔なんて無い。そう思ったのに、有りもしない涙が流れた気がした。


 その感覚と一緒に感情が大きく掻き乱れる。


 後になって悔やむから、後悔と書く。


 その時、その瞬間には確かに後悔は無かった。


 だが、それを考えた今は自分の行いの結果に後悔しかなかった。


 もっと皆と一緒に居たかった、もっと、もっともっと生きて居たかった。


 俺が取った行動は正しい、正しい筈なんだ……だけど、だけど。


 声として出ない慟哭を涼があげる。


「真田 涼、もう一度あの世界で彼等と共に真田 涼として生きたいですか?」


 ヘレディアがそう問うた。


 その問に対して迷いは一切無い。


 生きたい!皆と一緒に居たい!


「なら、その望みを叶えましょう」


 え!?


 心の底から驚いた。


 例え神様であっても死者の復活は出来ないはずなのに、それをすると言う。


「確かに私の力をもってしても、死者を復活させる事は出来ません。それに、貴方はこの世界の命で無い為に、廻りの果てに生まれ変わる事も出来ません。しかし、この世界の命で無い為に、世界に残っている貴方の命を使い、新たな命として生まれる事は出来ます」


 何も無い空間に光が集まり始めた。


「彼女の中にある貴方の命を使い、貴方を蘇らせましょう」 


 集まった光、それは俺の命と星の力によって生まれた愛莉だった。


 


 愛莉が皆に笑顔で涼の復活方法を伝えていく。


 自らを犠牲に復活させる方法を。


 涼はこの世界の命で無かった為に、新たに生まれる事が出来る。


「それで私の中にあるマスターの命を使えば、マスターはマスターとして生き返ることが出来ます!」


 実に名案だと、幼い少女がそう告げた。


「でもそれって、アイチちゃんはどうなるの?」


 リーナのその問に愛莉が少し顔を俯かせるも、寂しそうであっても笑顔の顔を上げる。


「……私は居なくなっちゃいますけど、どの道マスターがこの世界に居ないと、私は長くこの世界には居られないので気にしないで下さい」


 耳と尻尾を垂れさせ、指を弱く握りながそう言った。


「ですが、それは、リョウさんも……」


 涼はその選択を嫌がるに違いない。そうエイミーが思ったが、言葉にする事は出来なかった。


 愛莉がこのままだと消えてしまう事は何となく分っていたのと、何よりも涼に帰ってきて欲しいと思ってしまったから。


 自分が思ってしまった事で目を反らしてしまうエイミーの手を、愛莉がそっと掴む。


「だから、マスターにはごめんなさいと言っておいてください」


 愛莉のその言葉に、エイミーは答えることが出来なかった。


 答えられないエイミーに愛莉が頷き、手を離す。


「私は、マスターが生んでくれたこの世界が好きです。短い間でしたけど、本当に楽しかったです。だから……ありがとうございました」


 最後に何と言うべきか迷い、出てきた感謝の言葉と共に頭を下げ、愛莉の体が光り始めた。




 待て!愛莉はどうなる!?あいつの命はあいつの物だ!俺の為に使って良い物じゃない!


「では、あの子の思いをふいにし、あの子の命が尽きるのを見届けると?」


 ヘレディアの厳しい口調に涼の言葉が詰った。


 そうじゃない、そうじゃないけど……でも何か、他に方法が……


 ある筈の無い他の方法を涼が必死に考える。


 そんな涼の考えを見て、ヘレディアが微笑んだ。


「やっぱり貴方に希望を託してよかった。あの子の事を真に思うのなら、あの子の分まで貴方が世界と共に生きてくださいね」


 待て……!


 涼の静止の思いは届かず、魂が光に包まれ遠くへと帰って行った。




 愛莉の体から広がった光の中から涼が飛び出してきた。


「うおっと……!ここは?帰ってきたのか……そうだ!」


 折角の復活で感動の場面の筈なのに、涼は慌しく辺りを見渡す。


「愛莉!愛莉ー!」


 自分の復活の為に犠牲となった幼い少女の名前を必死に叫んだ。


 そのまま何処かへ走り出そうとする涼の背を、エイミーが抱き締めて止める。


「リョウさん!アイリちゃんはもう居ません、居なくなったんです……!」


 エイミーにそう言われ、抱きとめられ、荒れていた涼の息が少しずつ静まっていく。


 涼は次第に落ち着きを取り戻した。


「……そうだ、愛莉は居なくなった……でも、助ける方法はある筈だ!」


 だが、その顔は、目は、消えた少女の事をこれっぽっちも諦めてはいなかった。


「俺はあの場所から帰って来れた。色々理由があるにせよ、帰って来れた!なら愛莉だってこの世界に帰って来れる筈だ!」


 根拠の乏しい理屈を並べ、世界の理に向かって声を張り上げる。


「絶対に助け出してみる!俺は、誰かが犠牲になってハッピーエンドなんて話は、絶対に認めないからな!!」


 方法は分らない、道も見えない、終わりすらも確かでは無い物へと涼が叫んだ。


 生き返ったばかりと言うのに、大きな戦いを終えて世界を救ったばかりと言うのに、その少年は既に次の道を歩こうとしていた。


 そんな涼の姿を見て、思わず地面に座っているレオが笑った。


 それに釣られて他も笑い始める。


 エイミーも涼の宣言にポカーンっとした後、抱きついたまま笑い出した。


「え、あれ、なんだよ、笑い事じゃないだろ?」


 困惑する涼に、レオが「ごめん、ごめん」と手を上げる。


「いや、でも、リョウらしいと言うか……ふふっ、誰かが死ぬハッピーエンドを認めないか、それを真っ先に死んだ君が言う?」


「うっ……でもあれは、そうするしかなかったから」


「アイリちゃんのも、そうするしかなかったんじゃない?それに、どうやったらアイリちゃんを助けられるか検討も付かないじゃないか」


 何故だか意地悪そうに言うレオに、涼が頭を掻き毟る。


「だー!もう、俺はそれだと嫌なんだよ!だから俺は愛莉を助けに行くんだ!出来るかどうかなんて知ったことか!!」


 そんな涼の大声に、レオが笑いながら頷いた。


「そうだね、僕達はこれで良いんじゃないかな」


「ん?良いって何だよ」


 それにレオが立ち上がりながら答える。


「僕達は、これまでだって出来るかどうか分からないことを、出来るんだ、やれるんだとそう言って思ってここまで来た。だから、僕達はこれで良いんじゃないかな」


 それを聞いてリーナが腕を組みながら肩を揺らした。


「そうね、アタシ達はいっつもそんな無茶ばかりしながらやって来たものね」


 リーナの言葉にエイミーが背から離れ、涼の手を握って振り向かせた。


「そのリョウさんの諦めない勇気があったから、私たちはここまで辿り着けたんですよね」


 決意を新たにしていく子供達にバルトロが頷いた。


「うむ、これからの道も恐らくは困難を極めるでしょう。ですが自分は貴方達ならその道すら越えていけると信じております」


 そんなバルトロに肩を組み、俺も居るぞとラウロが自分を指差した。


「人探しってかまずは方法探しか、なら人手は要るだろ?俺達も協力するぜ」


 その方法探しをアンナが考え微笑んだ。


「愛莉ちゃんが消えた場所への行き道、確かに何処かあると考えた方が道理にかなってるかもね」


 そんな光景を見てアンセルムが髭を撫でた。


「ま、その前にせめて魔王討伐の記念式典位には出てもらいたいがの」


 大賢者の言葉に皆が再び笑う中、ロンザリアが直接涼の頭に思いを送った。


(お兄ちゃんの不可能すら変える勇気の力、最後まで傍で見届けさせてもらうよ)


 ああ、やるさ、やってみせる。


 これから先に待ち受けるどんな困難も、皆と一緒なら越えて行ける。


「僕達は世界を救ったんだ、なら女の子一人救う事だって出来るさ」


「これまたなっがい旅になりそうだけど、もう少し付き合ってあげるわ」


「行きましょう、アイリちゃんを助けに。そして皆が揃った本当のハッピーエンドを手に入れましょう」


「ああ、俺達の旅は、これからだ!!」


「「「おー!!」」」


 新たな旅路へと、少年達がその拳を掲げた。


 何時か、何処かで、再び愛莉と出会う為に。




 こうして、魔王と勇者の物語は幕を閉じた。


 しかし少年達は、消えた少女を救う為に旅を続けていく。


 だがそれは、ここでは語る必要の無いこと。


 ここにあるのは、何処かの世界で魔王と戦った勇者の物語。


 数多の奇跡と、数奇な運命に……いや、その様な言葉で飾るのは似合わない。


 少年達が自らの意思で道を選び、多くの人に支えられて辿り着いた物語。


 異世界から来た少年が勇者と出会い、そして勇者となった物語。

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