第五章 暗黒騎士、茨の城を訪う
第1話 暗黒騎士とオフタイム
トカノ特殊業務社の勤務体系は依頼状況により様々で、土日に出勤することもある代わりに時々平日に休みが入る。そんな休日は普段のリーゼロッテなら家でのんびりと本でも読んでいるのだが、その日は前日に突然暗黒騎士の妹である月乃からの連絡が入っていた。
『斉藤月乃:せっかく早めにレポート仕上げたのに、周りみんなまだまだ終わってないって!』
『斉藤月乃:さみしい! 打ち上げしたい!』
で、鈴堂さんはお仕事終わった後空いてないかな、と来たので、その日はお休みなので暇です、と正直に返し、流れで午後に少し遊ぼう、という話になった。カジュアルなデニムスカート姿の月乃は待ち合わせ場所に時間ちょうどに、短い茶髪を揺らしてぱたぱたと走り込んで来た。
遊ぶといっても駅ビルの中をぶらぶらとお喋りしながら歩いたくらいで、一般的にこれを遊びと呼ぶのかはよくわからない。
ふたりはあまり服の趣味が合わないことがわかったし、本屋でもリーゼロッテが文庫コーナーを眺めている間、月乃は雑誌を物色していた。文具屋では月乃がマステ!とかラッピングペーパー!とか呪文を唱えながらあれこれ見せてくるのに、リーゼロッテは呆気に取られるばかりだった。
とても、楽しかった。
普段絶対に着ないような鮮やかな柄物の服を合わせてみるのは新鮮だったし、階段付近の椅子で休憩しながらお互いの買った本を見せ合いっこした。かわいい柄の紙類は好きだが、普段はひとりで買ってもなかなか使いきれない。そこに月乃がシェアをしようと提案してくれた。喫茶店に入って、封筒に花柄の紙やチェックのテープや銀のライン入りの青いリボンを分けて入れる。最後にかわいい小鳥のシールで封をすれば、簡単なプレゼント袋の出来上がり、というわけだ。
「こんな風に分ければ使いやすいんですね」
「うん、友達とよくやるの。青系の好きな子あんまりいなかったから、鈴堂さんともシェアできて良かったなあ」
晴れやかににこにことしている。なんというか、あの根は大人しい兄の下にこの妹がいるということが、少し不思議な気持ちになった。家の事情は様々なのだろうから、むやみに詳しいことを聞くことは憚られたが。
「手帳のページに貼ったりしますね」
「私ね! 来月誕生日の子がいるから、なんかお菓子買ってきてデコるんだ」
「お誕生日」
「うん。こう、袋にシールとか貼って、リボン結んでー。あ、鈴堂さんはいつ生まれ? メモっとかないと。なんか春っぽいよね」
リーゼロッテは少し考え、遠慮がちに短く答えた。
「明日なんです」
ええーっ、と月乃は目を丸くして声を上げかけ、周りの目を気にしてよくわからない無声音を発した。
「タイミング! わあ、じゃあさっきのはとりあえずプレゼントね。今度ちゃんとしたのをあげる!」
先ほど交換した封筒を要求されたので手渡すと、赤いペンで『ハッピーバースデー』と大書されて返ってきた。花も踊っている。
リーゼロッテはくすりと笑って受け取る。……初めての、友達からの誕生日プレゼントだ。胸がじんわりと暖かくなるのを感じた。
「ありがとう」
「ちなみにその情報、かずくん知ってる?」
首を横に振る。自分から教えたことはないから、何らかのルートで
「あーもうっ、バカ兄! バカ! 教えてもいい?」
「構いませんけど……」
オッケーオッケー、とその場で端末をいじり出す。火急の用事だったらしい。やがてリーゼロッテの端末が震え、メッセージを受信した。
『斉藤月乃:緊急! 鈴堂さんのお誕生日は明日! なんかしてあげなさい!!』
「こっちに来ました」
「間違い! アドレス間違い! 今のなし!」
月乃はわあわあ言いながら端末をいじり、再度兄にメッセージを送り直したらしい。なんかしてあげなさい、ってなんだろう、何が来るんだろう。リーゼロッテは首を傾げる。
一般的に暗黒騎士は誕生日祝いに何をするものなのか、彼女には少しも想像がつかなかったのだ。
午後六時の瑞野駅前通りは、まだ明るい夏の日に照らされて、平日とはいえそれなりに人が多い。
「今日は来てくれてありがとね、鈴堂さん」
空気にはまだ熱がこもって重く、歩くたびに汗が噴き出しそうになる。
「うん。特にすることがなかったし、遊んでもらえて良かったです」
「楽しかったねえ」
うなずく。喫茶店ではあの後、少しばかり月乃の兄——暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード、こと斉藤一人の話をした。多分、呼び出した本題はむしろそちらの方だったのだろうとリーゼロッテは察した。
できるだけ、仕事の時の嬉しい話だとか、頼りになった話だとかを選んで教えたつもりだ。月乃は兄が妄想を抱いていること自体は受け入れてくれているが、その世界観や彼の振る舞いについてはまだどうも把握しかねているようだ。だから、少しでも歩み寄ってくれればいい、とそう思って語った。効果のほどはわからない。
でも、楽しかったと言ってもらえたことは良かった、と思う。少しだけ名残惜しさに引かれながらも、リーゼロッテは友達に別れを告げるために口を開こうとした。その時。
「さっきのは本当に悪かったと思ってるって」
「だから!」
少し大きめに上げられた、聞き覚えのある若い女性の声が耳に飛び込んで来た。
「ああいうのがそもそも無理なんだって言ったでしょ! 反省してるとかじゃなくてさ、もうやった時点でアウトなわけ。わかれ!」
険悪な響きの込められた、拒絶の言葉。ケンカ?と月乃が眉をひそめた。言い合いをしているカップルらしき男女の片方は不機嫌に顔を歪めた二十歳ほどの女の子で、華やかなワンピース姿。軽くパーマをかけた髪をざっくり結んでいる。
「そんなこと言われたって」
「もう連絡しないから。じゃあね。他の子にはあんなことすんなよ」
つかつかと大股で歩き出した女の子に、男の方がなおも引き止めようと手を伸ばした瞬間。リーゼロッテと女の子の目がぱちりと合った。
「リーゼちゃん! わあ、偶然じゃん」
とん、と踏み切った足。普通ではあり得ない速度で彼女は、リーゼロッテの目の前に突然現れた。まるでワープしたような勢いだが、単に恐ろしく走るのが速いのだとリーゼロッテは知っている。
「結さん」
「悪い、ちょっとだけ付き合ってもらっていい」
ささやく低い声にうなずくと、彼女——同僚で先輩の
「ちょうど良かった、ちょっと明日の件で話があってさ! どっか入ろ、どっか!」
「あ、えっと、はい! お話、お話ですね。あ、月乃さんも来てください!」
ぎこちなく返事をしながら、状況を掴みかねている顔の月乃を手招いた。結はリーゼロッテの腕を掴んでずいずいと引っ張っていき、月乃はそれに続く。待てよ、と力無い声が背後に小さく一度だけ聞こえた。
多分、さっきのは別れ話的なもので、結は何か相手に許せないことをされて、それで、とにかく早く相手と離れたいのだろう。リーゼロッテの数少ない経験値からも、それくらいはわかる。だから、このあまり愛想の良くない先輩に少しばかり協力するのもやぶさかではなかった。
その手が、声が、ほんのわずかに震えていることに、気づいてしまったから。
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