第4話 暗黒騎士とゲームクリア

 色々な話をちゃんと聞いたのは、全部終わって、時間が経って、肇がちゃんと道理を飲み込めるようになってからだった。


 例えば、両親のいない肇の医療費は、途中から総一郎の私財から出ていたのだとか。あの日、肇が起こした絶叫は短時間とはいえ診察や検査に支障をきたし、結構な人数の関係者に迷惑をかけてしまったのだとか。


 何か致命的な事故に繋がらなかったのは幸いだった、とあちこちの科に謝りに行った時、何回も言われた。肇もその通りだと思う。病院の入り口付近には、しばらく『十二月十四日午後一時頃に発生した騒音についてのお詫び』という張り紙が貼られていた。




 肇が我に返った時、彼は総一郎の腕の中に抱きしめられていた。周りの蝙蝠はまだ何匹か飛び回っていたが、耳がものすごく痛かったので、音が残っていたのかどうかはわからない。他の蝙蝠は多分、総一郎が振り払って消したのだろう。端末は触れると弾けて消えるから、きっとかなりの痛みを伴ったはずだ。


 総一郎が何かしきりに語りかけてきたのは確かだが、それも少しも聞き取れなかった。夢の中の母親の、最後のつぶやきのことを思い出した。いつも彼は、一番大事な言葉を聞きそびれる。


 ただ、目からぼろぼろと水があふれて止まらなかった。涙というのだ。それは知っている。概念は知っていても、こんなに感情任せに流すのは初めてだった。


 人は生まれた時に、大きな声を上げて泣くのだという。なら、自分が本当に生まれたのは、この時なのだと思った。いや、それは後から振り返って考えたことで——その時はもう、たまらない気持ちでただ、自分の痛んだ耳にも聞こえない声で泣き叫んでいた。



 先生、先生、先生、行かないで。先生。


 先生。


 大好き。



 総一郎は、白衣の袖でぐしゃぐしゃと肇の涙を拭い、何か口を動かした。


「僕もだよ」


 そう言ってくれたのではないかと勝手に思っている。確かめたことはない。




 その時の事例から、幼い子供がSMEを発症し重度の感情閉塞を患った場合、極端に暴走事故を起こしやすいこと、また、それは回復への積極的なきっかけであり、抑圧せず規模を抑えて発散させるべきであるということ、主にその二点について記された論文を総一郎は発表し、好意的に受け入れられた。現在、その論文は定説として、世界中の急性ストレスに耐え切れなかった子供たちを救っているのだそうだ。


 肇が総一郎に正式に引き取られ、『葵川肇』になったのはその論文の執筆中だ。


「親孝行だよね、僕は。こんな近くに優秀なサンプルがいるんだからさ」


 朝食を食べながら、そんなことを言ってみたことがある。まったくその通りだよ、と返された。義父は真面目な研究の話をする時以外、あの時の事故や、肇の感情の爆発について変に掘り返すことはしないし、肇も自分から総一郎に甘えたことはほとんどない。


 ただ、あの時彼の心がようやく素直に動き出したのは確かで、おかげでどうやら少しは人間のようなものになれたらしいと、葵川肇はそう思っている。




◆ ◆ ◆ ◆



——現在。


「よっし、睡眠効いた。ヴァルちゃん連打連打、今のうちに追撃して」


「任せよ。貴君は回復をよこすが良い……あっもう起きたマジか……」


「シールドもうないよ⁉︎ もういいや素手で殴……あっ」


 携帯ゲーム機の画面では黒い鎧の騎士が剣を大きく振るい、巨大な竜が大きくのけぞる。やがて竜は、地響きを立てて倒れ伏した。


 『WIN』の文字が華やかに躍る。音は消しているが、本当ならファンファーレが鳴り響いているはずだ。


「や……ったあ。勝ったあー」


「辛勝ではあったが、価値ある勝利よ」


 肇はファミリーレストランの向かいの席に腰掛ける、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードに向けて手を伸ばす。暗黒騎士は少しぼんやりした顔でその手を見つめ、それから軽くぱちんと叩き返してきた。


 少し子供っぽかったろうか、とも思うが、まあ良いだろう。目の前の相手のセンスは小学生で、自分は自分で実質十四歳だ。これくらいがちょうど良い。


「今のでだいぶ戦法わかってきたね。いけるいける」


「睡眠の呪文が鍵と見たがどうか」


「このレベルなら、シールド張るよりそっち優先だねえ。Wikiの攻略役に立たないなー」


 いやいや、ヴァルちゃんのおかげで助かったよ。と素直に礼を言う。暗黒騎士もゲームをするらしい、とわかったのも面白い収穫だ。彼は地味な見た目のわりに、非常に興味深い相手だった。何せ情報量が多く、意外性が強い。向こうはどうも自分に当たりが強いので、好かれている気はしないが。


「盟友のたっての頼みとあらば、この血に塗れし剣を振るうは当然であろう」


「……あれっ」


 好かれている気は、しなかったのだが。盟友とは。


 友達なんて、できないと思っていた。誰といてもいつもどこか、以前のあの感覚を引きずっていた気がする。


 そんなことはないよ、と昔の自分に言ってやりたい。肇は思う。失敗は山ほどするが、それでもなかなか悪くないよ、と。タイムマシンはどこにもないから、その代わりにあの双子を構いたいのかもしれない。格好良くて尊敬されるスーパーお義兄ちゃん、なんていうのにはなれないような気もするが。


 大丈夫。心を開くのは決して怖くない。予想もしなかった嬉しいことが、いつになっても起きるよ。


「何を驚く。蘇りし黒の竜王はまだ健在ぞ。三たび屠りその財宝を……」


「はいはい、また頑張りましょうねっと」


 ふたりは再びゲーム画面に向き直り、竜退治の戦士となって大地を駆けた。




◆ ◆ ◆ ◆




 翌日、またホテルに双子を訪ねて対戦した結果は、六戦二勝。以前より結果は出せたものの……格好良くて尊敬されるスーパーお義兄ちゃんは、まだだいぶ遠いようだった。

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