第3章 暗黒騎士、糸を手繰る
第1話 暗黒騎士とバルーンアート
「あんまりこの辺、これだ!ってところないんだよね。駅周りの他は……温泉とかキャンプ場は山の方にあるけど、ちょっと渋いか。遊園地とかはひとりで行く感じじゃないしねえ。あとは森林公園?」
ショッピングモール、行ったことないです、と言うと目を剥かれる。家を出るまでは父親にやんわりとその手の場所は禁止されていたし、ここ一年の間は勉強や研修で忙しくてなかなか遊びに行けなかったのだ。
「ふうん、あたし山の方育ちだからさ。進学してこっち来て、あの建物見た時は感動したもんだわ」
まあ、服屋とか本屋とか映画館とか大抵の物はあるし、楽しいよ、と教えてくれた。子供向けに遊び場なんかもいろいろとあるのだという。
「ただ、休みの日は家族連れで混むのと、あとあれね。やたらとみんな来るから、知り合いとの鉢合わせ率も高い」
あたしあそこで結ちゃんと会って、なんだかんだ一緒にお昼食べたことが何回もあるのよ。気まずい気まずい、と社長は苦笑した。鉢合わせ、そんなに気になるものかしら、とリーゼロッテは不思議な気がした。
駅前を通ると、聞いた通り送迎バスはかなり混んでいる様子だった。自転車で良かったな、と思いながら軽快に走る。水色のフレームのソラちゃんは人に例えるならいつもご機嫌な様子で、リーゼロッテが軽めのギアで漕ぐリズムを受け止めてくれる。駐輪場も空きは少なかったが、どうにかスペースを見つけた。
入口の前には白い噴水があって、晴れた空に飛沫がきらきらと輝いている。なるほど、子供を連れた三人くらいの家族が多い。はしゃぐ声が少し耳につくが、不快ではなかった。
今日のリーゼロッテは少し気合を入れて、白いスクエアネックのブラウスに薄いベージュのショートパンツ姿だ。休日は好きな服を着られるのが嬉しい。自転車に乗る時はスカートが履けないことだけが残念だった。
バルーンアートフェスタ、というポスターが掲示されていて、確かに犬とか花とかを象った色とりどりの風船を手に、楽しそうにしている子とよくすれ違う。いいなあ、と思った。ああいうの、子供しかもらえないのかしら。部屋にひとつ置いておいたらきっと華やぐ。しぼんでしまうのは残念だけど……。
案内板の前で何か話している家族を見て、リーゼロッテはあっと声を出しそうになった。同僚、といってもかなり年上の男性、
挨拶をすべきだろうか、と悩んでいるうちに、八重樫は彼女の方を向いておや、という顔になる。こんにちは、と軽く声をかけて礼をしておいた。こんにちは、と男の子が元気に返事を返してくる。八重樫は笑いながら会釈をくれた。
どなた? 会社の子だよ、と聞こえる会話を背に、リーゼロッテはモールの自動ドアをくぐる。
なるほど、これが鉢合わせか、と思う。確かに少し変な感じがする。年の離れた八重樫が相手だったからか……それとも、普段見慣れない顔を見てしまったせいかもしれない。会社での八重樫は気弱に笑っているか、発作的に落ち込んでいる時の顔が印象的だ。優しいお父さん、という様子は初めて見た。
ふと、連想して先日車を止めてくれた双子のことも思い出す。その後、彼らの情報は特に入ってきていないから、瑞野近辺の住人ではなかったようだ。
……彼らも父親の話をしていたっけ。
お父さん、お父さんか。八重樫さんみたいな感じなのかな、普通は。爽やかな夏物の並ぶ洋服屋を覗きながら、リーゼロッテはそんなことを考えていた。
あちこちを回った結果服を二枚ほど買って気分も上がり、あとは本屋でも覗こうか、それともそろそろお昼を、と考え始めた頃合いだった。にぎやかな音がする一角があるので見てみると、どうやらそこはゲームコーナーらしい。彼女にとっては少し物珍しいので、足を向けてみる。主に子供向けのゲーム機がいろいろと置いてあり、雰囲気はごく和やかだ。
「『神獣砕打・ダガス=グラリアルド』」
一部を除いては。
そこにあったゲーム自体は、ありふれたモグラ叩きの台だ。世間知らずのリーゼロッテですら知っている。制限時間内にできるだけ多くのモグラ人形を叩いて点数を稼ぐ、というものだ。ただ、その後ろ姿の男性プレイヤーは明らかにハンマー捌きが神速に過ぎた。次々と素早く出入りするモグラの頭を、瞬く間に叩き伏せる。得点表示が目まぐるしく上がっていく。
周囲に集まってきた子供たちが、すげー!と歓声を上げた。
制限時間が終了。電子音のファンファーレが鳴り響き、プレイヤーを讃える。ぱちぱち、と小さな拍手が巻き起こった。
「子供、そなたに託せし我が暗黒瘴気剣を持て!」
はい、と隣に控えていた男の子が、白いバルーンアートの剣を手渡す。彼は満足げにうなずいた。
「大儀であったぞ」
「ねえ、今のどうやってやったの!」
「心眼にて見通さばかくの如きからくり、恐るるに足らず」
次やる! 次!と順番を決めるじゃんけんを始めた子供たちを尻目にプレイヤーはようやく振り向き、あ、と口を開けた。いつもお馴染みの顔が、そこにあった。
「リーゼロッテ……」
「お見事なお手前でした。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」
笑いを抑えきれなかったので、少し口を尖らせた変な顔になっていたかもしれない。仕事の時とそれほど変わらない、半袖のパーカーにTシャツ、ジーンズ、スニーカーにリュックサック姿の暗黒騎士は、ほんのりと嬉しそうに笑みを浮かべる。
それにしてもバルーンアート、大人でももらえるんだ。いいな、と思った。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様も、こういうところにいらっしゃるのですね」
「うむ、我が魂の波動と共鳴せし楽の音を求めるがゆえに」
子供たちのモグラ叩きを眺めながら、ふたりは話し始める。多分、CD屋の品揃えが好みなのだろうと推測した。なんだっけ、メタルが好きなんだったっけ。リーゼロッテが普段聞く種類の音楽ではないので、よくわかっていない。
「本日もお買い物ですか」
「然り。戦果を得て後、気紛れにこの地に足を踏み入れたが、戯れとはいえなかなかの戦であった」
モグラ叩きが楽しかったらしい。暗黒騎士は、ぽこぽこと見当外れの場所を叩いている小さな男の子に目を細める。
「そういえば、先ほど八重樫さんにもお会いしました。ご家族で遊びに来ていたみたいです」
「左様か。仲睦まじきご家庭であろう」
「とても楽しそうでしたね」
うなずく。そういえば、八重樫に会った時のなんとも言えない微量の気まずさは、暗黒騎士には感じないな、と思った。なんとなく、会えて嬉しい、という気持ちだけがある。向こうはどうなのだろう、と気になった。
「そなたは本日、どのように刻を過ごすつもりか」
「え? ええと、お買い物もざっと済ませましたし、お昼を食べて、雑貨屋さんや本屋さんを覗いて……あとは特に考えていませんでした」
とはいえ、彼女にとってはここは未知の迷宮のようなものだ。思いもよらない店で面白いものがたくさん見つかりそうだ、とわくわくしていたところだった。アウトドア用品店、なんてものまであったのは見かけたし。
「ふむ、既に星辰は辿るべき道筋をその座に導かれ、儚き人の身においては日々の糧を得るべき刻であるか」
もう昼ご飯の時間か、という内容をこれだけ長く伸ばせる人はそうはいないだろうな、と思う。
「この
「あ、お昼をご一緒できたら嬉しいです。どこかおいしいお店をご存知ですか?」
良かろう、と暗黒騎士は近くに置いてあったフロアガイドを一枚抜き取る。勢いが良かったのはそこまでで、暗黒語彙では説明が難しかったのか、ゆるゆると『斉藤くん』が顔を出した。
「……っても、普段来た時はハンバーガーとかラーメンばっかりだから……」
「ハンバーガーは食べたことあります」
有名チェーン店の、それこそ駅前にでもどこにでもあるハンバーガーとフライドポテトだが、叔母の家にしばらく住まわせてもらった時にひとりで外出し、生まれて初めて口にした。思っていたより味が濃くて、なかなか刺激的な体験だったと思う。
「あ、でもラーメンはまだ一度も食べたことがないですね」
「……え、ラーメンそのものを……?」
斉藤は目を微かに瞬かせる。そうして彼女の事情を思い出したのだろう。小さくうなずいた。
「はい。ひとりだと少し入りにくくて。美味しいですか?」
「まあ、ここのは醤油あっさり系で……わりと好き……」
「気になります」
リーゼロッテには、SMEの影響により食べ物などへの心理的な拒絶症状が出ることが時々ある。でも、初めて食べるものに対してはあまり不都合は起こらないことが多かった。きっと、思い出に反応してしまうのだろう。
期待に満ちた目を向けると、斉藤はフロアガイドに視線を落とし、それからまたきりりと暗黒騎士の顔になって告げた。
「そなたの見聞を広げる好機であるかも知れぬな。向かうとするか」
「ありがとうございます。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」
「うむ……ああ、そなたのその装束であるが」
服。淡い色に彩られた自分を見下ろす。もしかして、少し頑張ったのがわかってもらえたろうか。そういうほめられ方をしたことは今までなかった気がするし、もしそうなら嬉しい、と思う。
「純白は穢れを呼ぶ魔の力を秘めし色。くれぐれも気を緩めることなかれ」
ええと。白い服はスープが飛んで汚れるから気をつけてね、だろうか。
そういう方向か、とむしろ恐れ入った。
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