第2話 暗黒騎士と人間関係

 海老のグラタンをもそもそと食べた後、ファミリーレストランのテーブルで懸命に説明をする斉藤の言葉を戸叶とかのがどうにか要約すると、こういうことのようだった。


 彼、斉藤一人さいとうかずとの真の姿は暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードであり、荒野の大陸『ギル・ゲネゼイア』を闘争と勝利、それに伴う名誉を得るために彷徨さまよっている……と、彼は思い込んでいる。


 いろいろと細部に気になるところはあったが、ともかくそういうことらしい。元ネタの漫画か何かがあるのかな、と思ったが、どうも聞く限りでは斉藤本人が織り上げたオリジナルの妄想であるようだった。


「……担当の人には、隠せと言われて、あの、就職には不利だと」


 社会や就職などの概念はちゃんとある、でも、本人は妄想を妄想と認識してはいない。ふたつの世界は彼の中で、薄くレイヤーとして重なっている、ように見えた。そういうのってあるんだ、と思う。周囲にはあまりこういうなりきり系統の『妄想型』はいなかったので、対処の仕方がよくわからない。


「だ、だから、その、さっきのも、忘れてください……」


「忘れるのはちょっと難しいね。あれは」


 斉藤は背を曲げて小さくなる。面接の時も思ったが、普通にしているだけなのにこの青年、いかにも生きるのがつらそうだ。先ほど暗黒騎士?していた時はだいぶ生き生きして見えたのだが。


 ふーむ、と腕を組んで考える。そうやって慈善事業的に人採るのやめてくださいよ、と前に採用した社員が二週間で辞めた時にゆいに言われた。それでも、やはりひびを見て何か感じるところがあると、どうも。


 人の心がわからない自分と、行き場のない病者ペイシェントの人たち。一度作り損ねた居場所を、今度こそ作り上げたいと、そう思ってしまう。


「……短期の仕事、やる気ある? お試しでさ。……まあ、剣は使えないと思うけど」


 その言葉に、ぼんやり濁っていた斉藤の表情がほんの少し明るくなった。




「え、で、何これ」


 営業の葵川あおいがわが提出した数枚の書類に目を通し、戸叶は眉間に皺を寄せた。


「設定資料集ですね」


「うんまあ、書いてあるけどさ」


 『†暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード設定資料集†』と大きめのスタイリッシュなフォントで書かれた表題の下には、ずらずらとカタカナ用語とその解説が並んでいる。


「僕の面談の成果物ですよ。なんかに活かしてくださいよ」


 順を追うと、まず彼女は、斉藤を葵川と組ませ、ちょうど舞い込んできていた街頭調査の仕事を割り振った。その働きぶりにより適性を判断すれば良いと思ったのだ。ところが仕事中、彼は目の前で起きた喧嘩に介入、暗黒騎士モードで見事全員の度肝を抜き即解散させるという武勲を挙げた。


 これは、あれだな。思っていた以上にスイッチが入りやすいやつだ。報告を聞き、頭を抱えた戸叶は熟考の末、葵川に依頼をすることにした。彼のその世界観について上手く聞き出してくれないか、と。


「『大迷宮ラスタグディエ:魔術師ルガルラスの手により造り出されし深き洞窟。数多くの財宝が眠り、また世界各地へと繋がる『境界の扉』が開かれている。瑞野駅構内及び隣接の駅ビル『クリスタ』のことと思われる』。葵川くん、これ作ってて虚しくならなかった?」


「いや、楽しかったですね。僕データとか裏設定超好きなんで」


 どうもこの葵川という青年は、ごく無責任に斉藤の言動を気に入っているようだった。そうでなければまあ、こうまで熱心にまとめは作るまい。


「ただヴァルちゃん、基幹設定はわりと少なくて、その場その場で話を盛ってる感じでしたね。だからこれ全部覚えなきゃっていうものでもないです」


「じゃあなんで作ったの……」


「面白くてつい」


 けろりとして言う。情報依存め、と思った。最初のページをざっと読むが、めまいがしそうになる。


「……あー、見た目鎧兜のイメージなのね。なるほど」


「深淵の鎧アガディールザムザスと魔鱗の兜ゴラグズムスですね」


「名前はどうでもいいから」


 斉藤一人でいる時の、つらそうな顔を思い出す。どちらかというと、彼は言葉で自分を鎧って、武装を固めているように見えた。


「葵川くんはどう思う。この場合、暗黒騎士モード解禁してストレス解消させるのと、普通にするのに慣れてもらうのと、どっちがいいのかなあ……」


「僕は暗黒騎士派ですね。絶対面白いし」


「あーそうだね、君はそういう奴だよ」


 縦に入った大きなひび割れ。ふたつに割れそうな心。どうにかしたいと思いはしたが、彼女には少々重荷だったろうか。


「まあ面白いは置いといてもですね。僕らカウンセラーとかじゃないんで、無理させたら絶対どっかで破綻するでしょ。もし雇用を続けるなら、僕らの方が慣れるしかないんじゃないですか?」


 僕はもう慣れましたけど、という顔をされる。戸叶はふーむ、と息を吐き、ページをめくる。慣れると言っても。


「『魔城バルラガール』ねえ……」


「魔城ールですね。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの世を忍ぶ仮の居城で……」


 うるせえ、と言いたくなって口を閉ざした。とにかくなかなか、大変な子に情をかけてしまったかもしれない。それだけは確かだった。




 次の日の定時前、事件は起こった。結が斉藤とぶつかった……というよりは、文句をつけ出したのだ。


「あのさ、その技の名前みたいなのは言わないといけないわけ」


 届いた荷物の箱を開けようとしたら、机の中にカッターナイフがない、じゃあ斉藤に頼めば良い、と戸叶が横着をした結果のことだった。斉藤は機会に恵まれ嬉しかったのか、高らかに技名を叫び、そして結に死ぬほど苦い顔をされた。


「……暗黒騎士なので……」


「知らんし。どこの国の騎士だかわかんないけどさ、意味あるのあれ。聞いてるこっちはぞわぞわするんだわ。だいたい戦闘の時ならわざわざ隙作って、危ないじゃん」


「結ちゃん」


 機嫌が悪いな、とにらみ、戸叶はやんわりと止めることにした。『感情型』の彼女は、時々こうして癇癪かんしゃくを起こす。わざと茶化して自分に攻撃を向け、その場をうやむやに収めるという特技を持った葵川は、その日は運悪く不在だった。


「気持ちはわかるが、その辺は我慢していかないといけないところだよ」


 八重樫が割って入る。なんとなく彼と斉藤は気弱なところが似ているから、どこか親近感があるのかもしれない。


「僕が時々休ませてもらったり、結ちゃんがそうして怒ったりするのと同じで、斉藤くんにも余裕が必要だろう」


「わ、私、怒って……怒ったりなんか……」


 すう、はあ、と深呼吸し、むすっとした顔は変わらぬまま、乱暴に椅子に腰かけた。斉藤は途方に暮れた顔でその様子を見つめている。


「私が悪いんじゃないし」


「斉藤くんも悪くはないね」


 ううう、と頭を掻き毟る。結構参っているな、と戸叶は駆け寄って背中を軽くさすった。付き合いの長い身だ。結もおとなしく受け入れる。結はこれで案外人見知りをする方だ。新人とのやり取りがそれなりにストレスになっていたのだろう。


「まあ、その辺はお互い譲り合ってかないと。八重樫さんの言う通りだよ」


 助け舟を出す。弱っている結に味方できないのは申し訳ないが、仕方がない。


「僕も昔はチャンバラとかしたしね。今も息子と遊ぶし。わかりますよ」


 はは、と八重樫が和やかに笑う。斉藤はどこか寂しげな笑みを浮かべた。


 ……斉藤が求めているのは、世界観を共有してくれる人なのではないか、と戸叶は考える。興味本位とも、懐旧とも違う、今まさに隣に立って、妄想に寄り添ってくれる相手が必要なのではないか、と。


 戸叶にはできない。今の社内の誰にもきっとできないことだろう。そもそも、そこまでする必要があるのかとも思う。それこそ葵川や結が言った通り、彼らはカウンセラーでも、慈善事業家でもないのだ。


 結が軽く身じろぎする。


「……まゆみさん、ごめん。もう大丈夫」


 顔を上げる。毒気の抜けた様子の彼女は、少し気まずそうな顔で、所在なさげに立ったままの斉藤を見上げる。


「……悪い。んと、言いすぎた」


 いえ、と斉藤が首を横に振った。戸叶は強いて明るい声を出し、ふたりの肩を叩く。


「よし、なんかみんなでご飯とか食べに行こう! 仲直り仲直り」


「まゆみさんそうやってすぐ食べ物で釣る……。ねえおっさん……おっさん?」


 見ると八重樫は机の陰にしゃがみ込み、ぶつぶつと小声で何やらつぶやいていた。


「すいませんすいませんちょっと差し出た口を利きました……すいません……」


「あっ今度はこっちがやばい」


 慌てて全員で八重樫を励まし、外に出たのはそれから十数分後。太陽は既に沈み、町は曇った闇と街灯の光に包まれていた。


 ……それでも、なんだかおかしい、と気づくのに時間はいらなかった。周囲に立ち止まってこちらの様子を伺う人影が多い。彼らはじりじりと輪を狭め、にじり寄って来る。


「……まゆみさん、こいつら」


 うなずく。襲撃の可能性は、全員に警告してある。だが、人数が多いな、と顔をしかめた。


 やがて電柱の陰から、あの柄シャツの男が白い光を受け、ゆっくりと歩を進めてきた。

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