戻れる物・戻らぬ者・7


 朝の祈り――。

 サリサの不安は見事に消えた。

 祈りの祠に向かう途中、巫女姫の姿を確認したからだ。

 

 医者が大丈夫と言っても、『初見の儀式』でのエリザの様子は、サリサには衝撃が大きすぎた。

 一年前、やはり帰すべきだった……とさえ、後悔するほどに。

 吹けば飛びそうな弱々しい体ではあるが、気が充実しているのだろう、しっかりした足取りで階段を上っている。

 かつてはへっぴり腰で上っていたのに、今のエリザは恐れるようすもない。サリサの手助けはいらないようだ。

 唱和の者たちの間にあって、巫女姫の白い衣装は真新しいせいもあり際立っていた。そして、エリザ自身の力も、かつてより強く感じられた。

 ムテにとって資質というのは大きい。それがいかほどのものなのか、力がある者は赤子の時点で見抜くことができる。だが、能力は鍛錬することによりある程度鍛えられるものである。エリザはがんばり屋だ。

 それに、兄のエオルのことを考えても、サリサが感じる以上に資質も備わっていたのかもしれない。ただ、まだ若すぎただけで。

 サリサ自身でさえ、若い頃はあのマサ・メルの目にすらも留まらなかったことを思えば……。などと考えるのは、少しエリザには甘いかも知れないが。

 サリサは、わざと歩をゆっくりとして、エリザの姿が祠の中に吸い込まれてゆくまで、見つめ続けたのだった。


 しかし、今のエリザにとって、それすらも負担だったのである。

 サリサの視線を感じ取り、巫女姫としての素養のほどを計られているのだ……と怯えていた。

 エリザにとっては、急な石段だって本当は怖くてたまらない。

 でも、虚勢を張ってでもやり遂げなければならない。やり遂げないと、故郷の光の中へは戻ることができないのだ。

 やり遂げて、故郷の蜜の村に癒しを……それが、エリザの願いだった。



 祈りが終わり、いつものように朝食をとりにきた最高神官を待っていた人は……赤子を連れたサラだった。

 サリサの足は一瞬止まった。だが、まずかったのは、仕え人としては少し忍耐の足りないリュシュが、サリサの背後で「あーあ」と声を漏らしてしまったことである。

「サリサ様、お待ちしていましたわ。今日は私、とても元気で、それにルカスも……」

 リュシュを一瞬睨みながらも、サラは微笑みを浮かべた。ルカスとは、サラの息子の名である。

「ねぇ、少し微笑んだりするようになったようなのよ? 見てあげてくれる?」

 サリサは、子供が嫌いではない。だが、棘のあるサラの態度には、やや躊躇する。それでも、可動式の赤子用ベッドに歩み寄り、子供の顔を覗き込んだ。

「うわっ、本当だ。表情が豊かになった気がする」

 顔を見てしまえば、親ばかである。

 この子供も、あと半年もすれば山を下り、親子と名乗ることはないのだと思うと、サリサはたまらない気持ちになる。

 シェールに子供を抱くことを拒絶されたことを思い出し、ついルカスを抱き上げた。

 サラがうれしそうに微笑んだ。


 ちょうどその時、食堂にフィニエルが姿を現した。

 サリサは慌てて赤子をベッドに戻した。フィニエルの後ろから、エリザが姿を現すとばかり思ったのである。

「おはようございます。サリサ様」

 なんともそっけないフィニエルの挨拶と無表情に、サリサは後ろめたいものを感じていた。

「エリザはどうしたのです?」

 笑ってごまかせとでも言うように、サリサは微笑んだが、フィニエルの無表情は変わらなかった。

「あの方は、自室にて食事をします」

「え?」

 きょとんとしたサリサの前で、フィニエルはかつて最高神官にしてあげていたように、食べ物をトレイに取り分ける。玄米パンや蜂蜜。そして豆スープなどを、手際よく。そして、失礼と軽く会釈をして去ろうとした。

 サリサは慌てて追いかけた。

 つい、興奮して子供っぽい言い方になる。

「まって! フィニエル、どういうこと? 巫女姫はここで食事をするのが、今までの慣わしじゃないか!」

「今更、今までの慣わしなどと、サリサ様が口にするのは滑稽です」

 強烈な一言だ。

 だが、フィニエルの仏頂面は元々であり、きつい物言いも元々である。だから、彼女が機嫌を損ねているわけではないはずだ。

 サリサは気を取り直し、小声で言った。

「もしかして……自室で食事を取らなければならないほど、エリザは調子が悪いのですか?」

 フィニエルはため息をついた。

「そうではありませんが、エリザ様が望んでいることなのです。私も、サリサ様とのお食事を強くお勧めしたのですが……。今は説得を断念して正解だと思います」

 やはり、フィニエルは機嫌を損ねていたのだ。

「今の状況は、エリザ様には見せたくはありませんから」

 背後でそわそわしているサラの気配を感じる。ついに彼女の声が背に突き刺さった。

「サリサ様? 早くお食事にしましょうよ」


 この事態は望んでいたわけではない。

 最高神官としての責務を果たせば、これは当然のことだ。

 罪悪感を抱かせるなんて、あまりにも酷な仕打ちだ。


 サリサの気持ちを汲んで、フィニエルは言った。彼女にしては優しい言い方だったかもしれない。

「わかっております。サリサ様。エリザ様だって、わかっております。ですが、その割り切り方は、サリサ様とエリザ様では違うのです」

「でも、私はこの日を楽しみにして……」

 フィニエルの言っていることがわからない。

 彼女は、自分がどれだけエリザが霊山に戻ってくる日を待ち焦がれていたのか、一番近くで見てきたはずなのに。一番の味方になってくれると思ったからこそ、エリザの仕え人として任命したのに。

「立場が逆ならいかがです? この場に、エリザ様がお子を抱いて、その横に別の殿方がいて、さぁ、仲良くしましょう……といわれて、サリサ様は納得できますか?」

 言葉もない。

 そのような想像なんて、できるはずもない。

「エリザ様はそのことには触れないようにして、霊山の日々を乗り切り、巫女姫としての使命を全うしようと思われているようなのです。サリサ様のことは、極力気に留めないようにと……」

 それは、拒絶されていると同じことだ。サリサの存在を、まるっきり無視するということではないか。

「では、いつ? いつ会えるんです?」

 フィニエルは、ちらりとサラを見た。

「わかりません。エリザ様が落ち着けば、会ってお話できる機会も生じましょうが……今は、サラ様のことをお考えになるべきです」

 待たされているサラは、苛々と食べ物をテーブルに運んでいる。その量は、仕え人たちが唖然とするほどの量になっていた。

「サラ様は、エリザ様がサリサ様にとってどのような人なのか、もう察していますわ」

 サラが山積みしたパンが転げ、慌ててリュシュが空中で受け取っている。

 マヤに起きた悲劇を考えれば、サリサはここで引くしかない。

「では、スープが冷めてしまいますので……」

 フィニエルの姿に後ろ髪を引かれながらも、サリサはサラとテーブルに着いたのだった。


 エリザに避けられているのだ……。

 サリサは、やっと気が付いた。


 確かに、サリサの五年は、恋人同士であるならば、裏切りの日々だったといえるだろう。別の女性との間に三人も子を儲けた。

 だが、それは……けして望んで愛しあった結果ではない。

 楽しそうなサラに一応あわせながらも、サリサは悶々と考え続けていた。


 二つ心はなかった。

 それを、どうしたらわかってもらえる?

 どうしたら会ってもらえる?

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