マリと作文・3


 次の日から、お母さんの反対を押し切って、親父は時々あたしを仕事に連れて行くようになった。

 乗り合い馬車のお客さんの数を数えて、代金を集めるのがあたしの仕事。けっこうちょろまかすヤツとかがいて、あたしは騙されないようにがんばった。

 最初、お金を数えるのも大変だったけれど、今はちゃんと覚えたからね。おつりだって間違えないよ。

 それにさ、不思議なんだけれど、親父に金を払うよりもあたしに払う方が、みんな気持ちよく払ってくれるんだよ。

 時に、おつりはいいっていう人もいて。そういうときは、一度は「いいえ、困ります」って断るんだ。そして、お客さんが「いいから、いいから」って言ったら、「ありがとうございます」っていって受け取る。

 ちょっと難しいけれど、大人の言葉はすぐに真に受けるとだめだ。すぐにおつりを受け取ってしまうと、次からはくれなくなるからね。一度断ると、次はおつりどころか、お駄賃までくれる人もいるんだ。

 親父に言うと、ニコニコ笑っていた。

「そりゃ、マリはムテでべっぴんさんだからな」

 そういって、がはは……って笑ってた。でも、べっぴんさんって何だろう?


 一度仕事中に、学校の先生と道ではち会わせた事がある。

 先生は唇を振るわせて、親父に言った。

「よくもまぁ、このような小さな子供を仕事に利用する気持ちになれますこと。リューマ族は、本当に恥知らずですわ。お金のためならば、なりふり構わないのですね!」

 あたしはかっとしたけれど、親父はがはは……と笑ってた。

「あんたらの教育法とおれらの方法は、ちょっと違うんでさ!」

 先生は、散々、それはあたしのためにならないとか、ムテらしくないとか、大人になってから苦労するとか、色々ブツブツ言っていたけれど、あたしは親父の教育方針のほうが、きっと好きだな。


 今から思えば、親父にはお荷物だったこともあると思う。

 だってさ、親父、本当は夜には酒を飲みに行きたかったみたいなんだ。でもさ、あたしを連れていたら、宿の下の食堂で飯の時に一杯飲んでおしまいなんだ。何人かが親父を誘ったけれど、親父は断っていた。

 それが、あたしをリューマの男どもと飲む席に連れて行きたくなかったんだって気がつくまでに、ちょっと時間がかかった。気がついてからは……親父と仕事をするよりも、お母さんの手伝いを優先するようになった。

 だってさ、親父は酒飲むの、好きだからさ。やっぱ、たまには羽伸ばさせてやりたいよ。

 家じゃ昔みたいに飲めないんだよ、親父。

 それは、お母さんがものすごく心配するからなんだ。

 時々切なそうな顔をして、酒瓶を見つめている姿をみてるとね。かわいそうな気になってくる。親父、お母さんにはメチャクチャ弱いから。

 それにさ……親父にはもうひとつ問題がある。

 旅先の宿で、夜、時間を持て余した親父は、あたしに文字とか教えてくれたんだ。それはけっこううれしかったんだけどさ、なんか変だな? とは思った。

 で、サリサがお忍びで下りてきた時に、あたし、作文を見てもらったんだ。そうしたら、ムテの最高神官にして読めない文字だったらしい。

 で、サリサに言われちゃった。

「文字は、お母さんに教えてもらいなさい」

 それで、あたしの先生は、お母さんとサリサになったんだ。




 霊山から下りてくるときのサリサって、いつも灰色のマントをしてる。

 夏の晴れ渡ったときですら、薄手のマントを被ってた。暑くないのかな? っていつも思ってたけど、どうやらサリサはあまり人目に姿をさらしたくないようだった。

 昼間でも暗い祈り所の中にいるか、あたしらの馬車の影に潜んでいることが多かったよ。

 そこで時々、あたしの作文を見てくれてたんだ。

 でもさ、すごくチェックが厳しいんだよね。だいたいさ、数ヶ月前まで『あ』もわからなかったあたしが、ここまで文章を書けるようになったことだけでも、ちょっとは褒めてくれてもいいと思うのにさ。

 お人形さんみたいにきれいな顔の眉間にだけちょこっと皺を作ってさ、きりきり親指の爪を噛んだかと思うとさ、困ったとばかりにため息をつくんだ。

 で、文章に『い』とか『れ』とか、赤字で書き込むんだ。そんなの、別になくたっていいのに。なくたってわかるじゃん。

「マリ、文章というものは口頭で話すと同じように書いてもだめなんだよ。ちゃんと、文章向きの言葉を使わないと」

 そんな難しい事言われたって困る! あたしはむくれた。

「だって! サリサはこの間、感じるまま、思いつくままを綴ればいいって言ったじゃない!」

「だからといって……『ぱーっといけーってぷー』って何?」

「そりゃ、ぱーっといけーってぷーに決まっているじゃん!」

 サリサは細い指でこめかみあたりを押えている。

 ぱーといけーってぷーも通じないなんて、ムテの最高神官ってたいした事ないよな。

「ムテ人は向き合えば心話も使えるし、リューマの人だって相手の表情を読み取れるでしょう? 私たちは言葉のみではなく、心や動作を使って、また、言葉の色すらも添えて会話しているものなのです。でも、文字にしたためるときは違います」

 もう。

 どうしてサリサの話って、こうも難しくなるのかな?

「マリ。だから、文字にする時は、相手にもわかるような言葉を選んで並べないと」

 だ・か・ら・あ。

 リューマの子たちだったらわかるって。

 そんなのわからないの、サリサだけだよ。


 だけど問題は、ぱーっといけーってぷーが通じるやつらは、文字が読めないってことなんだ。で、読める人たちは、ぱーっといけーってぷーがわからないらしい。

 それって、不公平だよね。

 で、あたしは、すこし覚えた文字を、リューマの奴らにも教えてやることにした。

 一人は熱心なあたしの生徒になった。で、一人はさぼってばかりだった。もう一人は、親も知らない事を知るのは罰当たりなことだって言うんだ。

 で、もう一人は……怒り出しちゃった。

「マリ、おめーもおいらたちをバカにしているのか? へ、文字も読めねーのって。どうせおめーはムテで、賢くて、きれいで、ってか? へど出るぜ!」

「なによ! その言い方!」

 あたしは腹が立った。

 だってさ、あたしに必要なことが、どうしてリューマの子には必要ないってわけ? そんなの、おかしいよ!

「だから! マリはムテで、おいらたちはリューマの汚れ物だってことだよ!」

「そんなこと、思ってもいないよ!」

「いや、思っているね!」

 あたしは悲しくなった。

 だって、あたしはこいつらの仲間だと思っていたんだ。でも、勉強して文字を覚えたとたん、学校であたしをいじめたムテの子供たちと同じになっちゃったんだ。

 もう、仲間じゃないんだ。

 いいや、ちがう。勉強したからって、文字を覚えたからって、あたしはあたしのままだ。何も変わらない。

 あたしはその子と取っ組み合いの喧嘩をした。でも、敵いっこなかった。それに、いつの間にか、他の子も私の敵に回っていたんだ。

 みんな、仲間だと思っていたのに。


 馬小屋でおきたその事件は、一番私の勉強につきあってくれた子が親父を呼び出してくれて、やっと収まった。

 でも、あたしは髪の毛もぐしゃぐしゃで、顔は馬糞の中に押し込まれ、しかも、服も破かれていて、ひどい状態だった。

 親父は、奴らを一列に並べて、一人ずつ平手ではり倒していった。

「バカやろう! お前らは殺されたいのか!」

 あたしは、はじめ、その言葉を勘違いした。

 親父は、あたしがひどい目にあったから、すごく怒って怒鳴っているんだ。そう思ったんだ。

 でも違った。

「いいか? よく聞け! リューマ族がムテの女に手を出したら死罪になる。何があっても、どんなことがあっても、堪えなければだめだ! じゃないと、リューマはこの地で生きてゆけねえ!」

 そう言うと、親父はもう一度、全員を殴り倒した。

「この痛みを覚えておけ!」

 親父は、あたしをかばったんじゃない。

 あいつらをかばったんだ。


 あたしはこの日、初めて自分がムテでしかないことを感じたんだ。

 どんなにがんばったって、リューマ族にはなれない。

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