青の手紙・3
体調が全く戻らず、足の悪い管理人が、ひこひこと舞米の粥を運んでくれる。
今頃はいさんで故郷に向かっているはずなのに、原因不明の体調不良で、もう三日間も寝込んでいたのだ。
故郷の光を感じてしまったエリザには、もうこの闇は耐え切れない。
早くよくなって最高神官にお暇を告げて旅立ちたいのに、どうしても体が動かない。
「いったいどうしたんですかねぇ?」
管理人も心配そうにエリザの顔を覗き込む。
一すくいしか、粥も食べられない。食欲も出ないのだ。
ひこひこと管理人が粥を下げ、部屋の明かりを消そうとする。
「あ、ごめんなさい。光は消さないで……」
普段ならば、無駄だ、体がやすまらないと、文句を言われそうなくらい、今のこの部屋には灯りがあった。
しかし、管理人は首を振りつつ、少しでもエリザの体調がよくなるのであれば……と、その状態を許してくれた。
「換気には、気をつけるだよ」
エリザは、眠るときも闇を嫌った。この三日間、蝋燭に火を絶やしていない。
明るい故郷を思い出して、もう、闇には篭ることができないのだ。
一人になって、エリザは考えた。
何かが不安なのだ。何かが……。
まるで気が抜けてしまったように、虚しさだけが残っている。
最高神官サリサ・メルが、この嘆願書をすぐに許可したこと。
エリザをすぐに返してもよいとしたこと。
では、今までの辛い三年間はどうやって精算すればいいのだろう?
見捨てられ、突き放されたようだ。
「私ごときが……そんなに重要なはずないじゃない……」
そう、たいして力がなかったのは、自分でも充分に自覚している。ここに篭れといわれたことが、不思議なくらいだったのだ。
帰りたくて仕方がなかったのに、今更、何を気にしているのだろう?
未だくだらない妄想に捕らわれているの?
いや、そうではない。
エリザは、もう決別している。甘えてばかりの自分から。
最高神官にとって、多くの巫女姫の駒のひとつだということは、とっくのとうに納得しているのだから。
気になることは、きっと別のことだ。
父の名を見つけられなかったこと? きっとそうに違いない。
エリザは、のそのそとベッドから這い出した。
最高神官にお暇を告げる手紙を書くためではない。もう一度嘆願書を細かく見直し、父の名前を探すためである。
エリザは机の上の蝋燭にも火をつけた。部屋中、煌々と明るくなった。
そして、嘆願書をよくよく火にかざし、細かく観察した。
兄の名前はずいぶんとゆったり下に書いてあるが、書き始めの人は、後の人のスペースを考えて、よほど詰めて書いたらしい。最初の十人ほどは、ぎっしりと字が並び、中には重なっているものもある。
やはり見つけられなかった。もう一度とばかり、再び初めから見直した。
祈り所の一室とは思えないほど明るいのに、手元が暗いのでよく見えない。もっと火にかざす。
何度も何度も、気が違ったようになって、父の名をさがす。
父の名さえ見つけられたら、きっと元気になって明日にでも旅立てる。
光の中へ……。
すると……。
エリザは目を丸くして、嘆願書を見つめた。
兄の署名の上の空間に、ぼんやりと文字が見える。
「青の手紙だわ……」
エリザは思わず呟いた。
そして手紙を、再び火にかざした。
エリザの故郷にはハリの木という植物が自生する。
樹液は、ペンにつけて字を書くと美しい青に変化する。が、それはすぐに消え去ってしまう。ところが蝋燭の光にかざすと、一度消えてしまった文字は青さを増して鮮やかに蘇るのだ。
そして、蘇った文字は水にさらしても消えないことから、古の人はよく恋文につかったという。
書いてから時間が経ってしまうと、なかなか文字が戻らない。だから、エリザのようにしつこく火にかざさないと、文字が戻ってこなかったのだ。
兄は、エリザだけに手紙を書きたくて、このハリの樹液を使ったのだろう。
細かな美しい字が、青い色で姿を現した。
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