青の手紙
青の手紙・1
エリザは微かな蝋燭の光の中、夕食の支度を手伝っていた。
薄暗い中で芋の皮を剥いている。ただ、黙々と十個目を剥き終えて、冷たい水の中に放した。
隣の老婆が舞米を重そうに持っているので手を貸す。
「エリザ様に手伝っていただくのは……申し訳ないです」
エリザは微笑む。この作業を手伝わせてもらえるようになるまで、実に長い時間がかかっていた。
祈り所で部屋に篭り祈り続ける巫女の中には、なんと一年、中には二年、早く周期が戻ってくる者もいる。体を闇の中で休ませるとよい……といわれている所以である。
だが、エリザにはその兆しはなかった。つまり、祈り所で生真面目に篭っていても、何もいいことはない。死んだ気分になるだけだ。
この秋の『祈りの儀式』以来、エリザには頼るべき心の支えがない。
サリサとの再会を夢見ることもなくなったし、妄想日記も二度と書かない。早く巫女姫を卒業し、新たな自分として生まれ変わりたい……それだけが希望である。
今の時点では空想は楽しいものになりえないし、部屋に篭ってしまうと気分が滅入ってしまう。悪いことばかりを考えてしまいがちなので、無理を言って、管理人たちの仕事を手伝わせてもらうことにしたのだ。
「そのようなことを言い出す方は初めてです」
と言われつつ、自分の意見を押し切ったのは最近である。
今は、老齢によりエリザよりも体が弱っている管理人たちの力になることが、エリザの唯一の楽しみになっていた。
いや……正確にはあとひとつ。
ひょこり、ひょこり……と、足音がする。
「今日もあのお嬢ちゃんがきたわな~。ひさしぶりに差し入れだわな~」
この瞬間は、心なしか老人たちの曲がった腰の伸びるようだ。
今まで、祈り所の管理人たちに差し入れなど持ってくる者などなかった。それどころか、真っ黒なマントに身を包む彼らは、あまりいい目では見られない。忌み嫌われる彼らは外に出るのも嫌がった。
買出し当番は光に当たる危険性も大きくて、彼らが一番嫌う仕事なのだ。
しかし、祈りの儀式以来、女の子が時々『小茶豆菓子』を差し入れるようになってから、この足の悪い管理人は喜んで外に出るようになった。
祈り所が、ほんの少しだけ明るくなった気がする。
それもそのはず。祈り所の外を知らない老いた者たちにとって、これは至福の時間なのだから。しょぼしょぼの目を輝かす彼らを見ていると、いつかはここを出て行ける自分は幸せなのだ、とエリザは思う。
彼らは、生まれながらの悲しい運命を背負った人々なのだ。ただ、齢をとってしまうというだけで。
エリザは差し入れの小茶豆を器ごと受け取った。寒い日はちょっとだけ温めなおしたほうが美味しい。でも、夏は冷たくしても美味しそうである。
「ところで……マリは元気だった?」
老人がひくんと体を硬直させる。
「そういうこたぁ聞いちゃいけねぇ、せっかくの休養がなぁ、だからなぁ、わしも、会ったお嬢ちゃんがとても元気でも、エリザさんには教えられんのよぉ」
それを聞いて、エリザはほっとするのだ。外の世界で、マリはとっても元気なのだと。
マリが一の村でサリサと再会したのは、偶然というより必然だった。マリは頻繁に祈り所のあたりをうろつくことが多かったのだから。
灰色のマントを羽織ったサリサを見つけたのも、いつものようにうろついている時だったのだ。
蜜の村からの帰り道、マリは行きよりもずっと上手に馬車を操った。それは、馬の帰郷本能のせいかもしれなかったが、マリをいい気分にさせるほどだった。
村を出たのが午後だったので、馬車中でやはり泊まることとなったが、行きのような無駄はなかった。やはり蓑虫になって眠るマリの横で、サリサは寝付けず、月ばかりを見て、過ごした。
眠りについたら、きっと悪夢しか見ないだろう。
翌日、順調に椎の村についた。
カシュは奇跡ともいえる回復力で、サリサを驚かせた。あと一週間は寝込んでいると思ったのに、もう走り回っている。リリィの看病と酒を飲ませなかったことがよかったらしい。
サリサは椎の村での宿泊を断って、真直ぐに霊山に帰ることを望んだ。それも、一の村には寄らず、三の村を通って帰ることを。
そのほうが道としては近い。でも、なによりもエリザのことを考えたくはなかったからである。
サリサが最高神官であることを知らないカシュは、少し不思議な顔をしたが、一番早い馬車を出して自ら手綱を持って送ってくれた。
馬車は快適に走る。しかし、サリサはずっと押し黙っていた。
「おい? どうした? なんかあったか?」
カシュが気にして話しかける。が、サリサは返事もできない。
「うん? 男同士だ、腹割って話せ」
そうは言われても……。サリサは組んだ腕の間に頭を沈めた。
「あの……馬車よいです」
「おお、すまん! 飛ばしすぎたか?」
慌てるカシュに、サリサは申し訳なく思った。
霊山に戻ったら、もう二度とエリザには会えなくなる。
自分で決めた。唯一彼女のためにできること……とはいえ、あまりにも辛い。
だが。
この決心は……遅すぎたくらいだ。
数日後、エリザの故郷から嘆願の手紙が霊山に届く。(まさか、自分が直接運ぶわけには行かないから、偽装するのだ)
その手紙は仕え人の判断の手にあまり、最高神官のもとまでくる。
そして、最高神官は決意し、手紙は今度、祈り所に送られる。
エリザはその手紙を手にとり、喜び勇んで最高神官にお暇を告げることだろう。
彼女は自分の意思ではなく、村の嘆願を受け、最高神官の許可を得た形で『癒しの巫女』として、故郷に帰ることができるのだ。
旅の途中、何度思ったことだろう?
エリザの父が、救いようのない有様で、エリザを返すわけには行かない状態であったなら……とか。エリザの兄が、どうしようもない男で、エリザに負担のすべてが行くのでは? とか。
そうであれば、エリザを手放さない理由を、サリサはこじつけることができたかもしれない。
でも、そうではないことを、自ら確かめてしまった。
エリザは自由になった喜びに頬を染めて故郷に帰ってゆくだろう。
それこそが、サリサの望みだったはずなのに。
祈り所で苦しむエリザの姿同様に、幸せなエリザの姿もサリサには辛い。
「おい? 少し休むか?」
「いいえ、このまま……急いでいるので」
日はもう傾いている。村に着いた頃には日が沈む。本来ならば、夕の祈りの時間だった。
カシュは少し手綱を抑えただけだった。しばらく黙っていたが、突然あっと大きな声を上げた。
「もしかして! マリに何か言われたか?」
「……はぁ?」
「ああ、そうだろ! あれはかわいい顔してけっこうきついんだ。俺を肉団子とか、リューマのくそったれとか、汚れ物とか……とにかく言葉が悪い」
そういいながらも、がはは……と笑えるカシュが羨ましい。
苦労の末に、愛を手に入れた幸せな男だ。
サリサには、もうエリザとの未来はないのだ。
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