誘惑は蜜の味・8
翌朝、サリサはシェールのもとに行き、神官の元へ案内するように頼んだ。シェールはがっかりした顔を見せたが、サリサの決断を尊重した。
マリはお留守番だ。
「いい? もしかしたら、怖いおじさんがきて、シェルを連れて行こうとするかもしれないから、マリが絶対に守ってね。何かあったら、すぐに人を呼んで」
怖いおじさんというのは、エリザの父のことである。
過去に、何かやらかしたことがあるのだろう。
エリザの父にシェールが疎まれている理由はわかる。
彼は、シェールがいるからエリザが帰ってこないと思い込んでいるのだ。母親似のエリザを、父のファヴィルは溺愛しているらしい。
ではなぜ、エリザの父はあそこまでヴィラを嫌うのか? 神官の家に向かう道すがら、シェールが「聞いた話だけど……」と、教えてくれた。
ヴィラは孤児で隣村出身だった。
育て親はやや欲深いところがあり、ヴィラを金持ちに嫁がせて一攫千金を狙っていたらしい。エリザが巫女姫として選ばれて村を上げての大宴会になっていたとき、ヴィラは蜜の村を訪れた。
そして、その時にエオルが一目で彼女をみそめたというわけである。
エリザのおかげで得た富の一部は、このヴィラの育ての親が巻き上げたのだが、人のよいエリザの両親もエオルも、文句のひとつも言わなかったという。
しかし、エリザの母が亡くなって以来、父のファヴィルは病になってしまった。まるで、今までの聖人ぶりが嘘のように、反動でも受けたかのように、ヴィラを責めるようになったのである。
「あの豪邸だってね、巻き上げられる金があるなら……って、ファヴィルが無理やり建てたのよ。全財産と……借金までしてね」
「今のエオルは、貧乏ですか?」
「貧乏も貧乏よ! 蜂蜜の仲買をしていたのだけど、なんせ村の人々の信頼をなくしちゃったから、商売は上手くいっていないし」
案の定、金がないと知ると、ヴィラの育ての親は、彼女との縁を切ってしまった。
「金の切れ目が縁の切れ目……ってことかしら? あーあ、ムテ人も品が落ちたものね。世の中、住みにくくなったものだわ」
やれやれと、シェールがつぶやいた。
つまり、ヴィラは育ての親にも捨てられたわけだ。辛い仕打ちを受けても、ヴィラには帰る家がない。堪えてあの家にいるしかないのだ。
「となると、ヴィラの心の支えはエオルだけ……なんですねぇ」
サリサがいうと、シェールは面白くなさそうにため息をついた。
「私は、エオルも支えになっていないと思うわ」
昨日の、ヴィラに対する細やかな愛情のほどを見ていると、シェールの意見は納得がいかない。
「なぜ?」
「エオル一家は、けっこう村の反感を買いまくっているの。エオルはね、そこのところに引け目を感じていて、どうにか埋め合わせをしたいわけ。確かにヴィラを愛しているけれど、それよりも何よりも、村の都合を第一に考えているのよ。まさに自己犠牲的精神でね。ヴィラも当然、それに付き合わされるわけよ」
ファヴィルが村の少女の髪を切ってしまったとき、エオルは泣き叫ぶ両親に頭を下げて、ヴィラの髪を刈り上げることを許可したという。
ムテにとって、髪は魔力が宿るところ。しかも、女性にとっては命のようなものである。
さすがに、その人たちは目立たぬところを一房切って許してくれたらしいが、ヴィラにとっては苦痛だっただろう。
「万事その調子なの。彼女、エオルを愛しているから、何も文句が言えないのよ。エオルの生真面目さが、彼女を追い詰めているのよ」
かなり痛い話である。
ファヴィルの素行は、村に多大な被害を与えている。
放火・畑荒し・蜂殺し騒動など……。すでに犯罪である。
そのたびに、エオルは父親を必死に弁護し、被害者に弁償し、頭を下げ、そして報いを受けている。
この村でこれ以上外され者にならぬよう、エオルは自分自身も、そしてヴィラにも犠牲を強いているのだ。
「たしかにエリザが戻ってきたら、少しは状況が変わるかも知れないけれど……本当にいいの?」
シェールは辛いところをついてくる。
「いいんです」
サリサは、短く返事をした。
蜜の村の神官トラン・タンは、正しくは神官崩れの者である。
マサ・メルの子供の一人で、学び舎で学んだ経験がある。正式な神官の地位を与えられていないが、代行者として同等の権利がある。
神官になれるだけの力がある者は少ない。だから、時にこのようなことが、ムテではあるのだ。
エリザが巫女姫であることから、たった一度だけ『祈りの儀式』に出ていたはずなのだが、末席で最高神官の顔も覚えていないらしい。神官級の者に暗示をかけるのは疲れるので、助かる。
「サリー様、遠いところをわざわざお越しいただきましてありがとうございます」
伝書言の葉も受け取る力がないので、時々霊山の意向を伝えるのに使者が立つ。珍しいことでもない。
だが、この手紙は極めて珍しいだろう。
トランは最高神官の印を認めて目を丸くした。そして、仰々しい態度で封を開け、さらに仰々しく読み始めた。
だが。
「えええええ!」
いきなり態度が一変した。この男、実はかなりひょうきんな性格らしい。
「い、いや、失礼しました。ごほん……」
真っ赤になって、気を取り直した。
「ま、まさか、シェール様がこの村を去りたいと思っているとは……」
「あら、私は去りたいんじゃないわよ、ただ、帰りたいだけよ!」
すぐにシェールが口を挟む。
「同じことではありませんか……」
サリサが目の前にいるというのに、トランは、がっくりと肩を落とした。
「この人が言うことなんて、気にしない、気にしない。さあ、次行きましょう!」
シェールが話を進める。
……どうも怪しい。
この神官、シェールに気があるらしい。ただ、シェールのほうは、そうでもないようだけれど。エリザではなくシェールでなければ、彼には『癒しの巫女』など意味がないのかもしれない。
だが、一神官の片思いなど、気にしている場合ではないのだ。
「最高神官は胸を痛めております。一度恩恵の手を差し伸べておきながら、それを途中で突き放す真似をするわけですから。でも、元々二の村出身のシェール様を、ここに派遣することに無理があったと……」
トランは悲しそうな目でシェールを見る。
「シェール様、本当に戻られてしまうんですか?」
「そうよ」
シェールのほうは、そっけない。
こほっと咳払いをして、サリサは続けた。
「でも、この村には運よく、エリザ様という『癒しの巫女』としての権利を持った方がいらっしゃいます。現在、この方は休養中でありますが、いかがでしょう? 私が言うのもなんですが、お願いを聞くと最高神官がおっしゃられているのです。エリザ様を村に戻すよう、嘆願してみては?」
これが、サリサが頭をひねって考え出した方法だった。
村を上げて嘆願したとなれば、このような中途半端な時期にエリザの任を解いてもおかしくはない。エリザの名誉は守られる。
しかも、最高神官に直々嘆願して呼び戻した巫女姫を、誰も粗末には扱えない。
エリザを解任するのでも命じるのでもない。村に望まれて、惜しまれつつも最高神官が許可する形で、エリザは村に戻るのだ。
今のエリザには、もっとも幸せに近い形だろう。
「でも、そんな望みを最高神官が許可するでしょうかね?」
トランは、泣きそうな顔をしている。
「かつて、マサ・メル様の時代に前例がございます。祈り所に篭っていた巫女の郷が災害に襲われ、大勢の命が失われ、けが人が多発しました。マサ・メル様は、村の嘆願に応えて巫女姫の任を解き、癒し手として村に帰したのです」
「……ですが、今回は災害もないですし……」
「でも、癒しの技を持つ者もいません」
エリザの村は、長年その状態だった。
だが、シェールのおかげで、村人達は癒しの巫女の恩恵というものを知り、充分に幸せになった。
今更、癒しの巫女がいないもとの状態には耐えられない。
問題は、エリザの父親のことである。
エリザが戻れば、彼はよくなるのか? それとも宣言どおりにさらに傲慢になるのか? それでもよい、と、村人たちは納得するのか?
トランは手紙をうやうやしく持ちあげた。
「わかりました。サリー様。この問題は、村の衆を集めて今夜にでも相談したいと思います。明日中に、村の意見をまとめた嘆願書を作り、男たち全員の署名をして、お渡しいたします」
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