誘惑は蜜の味・7


 祈り所への帰り道、サリサはヴィラが持たせてくれた蜂蜜飴の袋に手を突っ込み、じゃらじゃらさせながら歩いていた。

 優柔不断でどっちつかずの情けない自分。

 シェールの意見ももっともだ。エリザは、あの父親には苦労しそうだし、エオルの苦労を共に背負うことになるだろう。

 でも、父親だってエリザのいうことは聞くかもしれないし、何よりもあれではエオル夫婦が気の毒すぎる。

 それに、エリザは……エオルの言うとおり、父親のことを知ったら、祈り所を飛び出していってしまうだろう。


 エリザを帰す? それとも、祈り所に置いておく?

 結論はつけてこの場に臨んだはずなのに……。 


 ――帰したくない。帰してあげたい。


 子供時代のことを思い出す。サリサは、よくおまじないをした。

「飴を天に向かって投げる。それを上手く口で受け止められたら、エリザを離さない。だめだったら、諦める……」

 袋から一粒、サリサは飴を空に向かって投げた。木々の間からこぼれる月明かりにキラキラ輝く宝玉。

 大丈夫。受け止められる……。

 と、思ったそのとき。

「あー! サリサじゃなかった、サリーちゃん!」

 マリの声だ。

 飴は見事に外れて、サリサのおでこにこつんと当たって、草むらに落ちてなくなってしまった。

「うっ、マリ。どうしたの? シェールのところに泊まるんじゃなかった?」

 マリは、サリサの最後の希望を打ち砕いたとも知らず、えへん、と咳払いした。

「だって、サリーちゃん、寂しがり屋だからさ。横に女でもはべらせなければ、眠れないんじゃないか? と思ってさ!」

 ……やはり、マリには正しい教育が必要だ。



 その夜。

 マリに毛布をすべて奪われて、縮こまって眠る夜。

 サリサは、とても辛い夢を見た。

 サリサとエリザは、この蜜の村に新居を構えるのだ。

 それは、けして豪邸などではない。他の人たちと何も変わらない小さな家だ。たぶん、薬師でもしているのだろう。暮らし向きは悪くない。

 エリザはいつも明るく微笑んで、元気いっぱいだ。

 森の片隅で、そこにはいつも甘い香りが漂っている。近くには小さな小川もある。

 お隣には、エオルとヴィラが住んでいる。我々四人は仲良しなのだ。

 そして……向いには。エリザの両親が健在で、子供たちを見守っている。

 外にテーブルを出して、皆で仲良く食事をする。

 エリザの料理も中々だけど、ヴィラはさらに上手。エリザは一生懸命、作り方を聞いている。

 サリサは、テーブルの上に敷かれたクロスを何気にみる……と。


【おまえに家族など不要です】


 かつてのマサ・メルの言葉が浮き上がった。

 マサ・メルの指先で引き裂かれてゆく家族の肖像。


 ――あっという間にすべてが崩れ去った。


 辺りは闇。

 誰もいない。


 サリサの頭上から、たくさんの紙が落ちてくる。

 ひらひらと舞い降り、埋めつくすほどに……。



 はっとして飛び起きた。

 隣ではマリがむにゃむにゃと寝言を言っている。

「……お母さん……マリはふるさとに帰りたいよ……」

 どきりとした。

 リューマっぽく生きるなどと勇んでいたって、やはりマリはムテ人なのだ。異種族の大人に囲まれ、同族の子供たちに疎まれ、ただ強がっていたのだ。

 ふるさとを離れて三年、マリもがんばっている。子供なりの苦労を負ってきた。

 母親のもとを離れて、つい本音が出てしまったのだろう。毛布をぎっしりと抱え込み、小さく丸まって眠っていた。

 つい、そっと手をマリの頭にのばしていた。

「……よしてよ、あたし、子供じゃないんだから……むにゃ…」

 ますますマリは毛布を巻き込んで小さくなった。とても、サリサが潜り込む隙間はない。

 胸が詰まった。マリは、サリサよりもずっと大人なのかも知れない。このように惑う最高神官よりも、よほどしっかりしている。


 マリのような小さな子供だって、大事な人のために犠牲を払う。

 その苦しみを乗り越えてゆこうとする。

 やはり、道はひとつしかない。

 これしかないのだ。


 サリサはよろよろと起きだし、蝋燭に火を灯した。そして荷物の中から例の封筒を取り出す。中の手紙を確認する。


 手紙の内容は。

 癒しの巫女シェールの希望により、彼女を二の村へ帰すこと。

 その埋め合わせに、願いがあれば、できるだけ対処する。

 という、最高神官直々のものだった。

 願い……そう、たとえば、エリザを帰して欲しいという願い。


 サリサは読み返し、最後の行に署名した。

 そして、封蝋し、懐から最高神官の印を出して、押し付けた。

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