誘惑は蜜の味・3
曲がり角を曲がったところ、馬車が一台止まっていた。
なぜかユサユサ揺れている。その中から、悲鳴は響いていた。
「きゃー! やめて! 何するんです!」
「何するんですって、あんただってその気でついてきたんだろ? 今さら拒むのは、話が違うんじゃないか?」
「わ、私! そんなつもりじゃ!」
「そんなつもりだろ?」
……これは。
あまりマリには見せたくはない場面かも?
と、一瞬躊躇したサリサよりも、マリは強かった。ツカツカと馬車に近寄って御者台によじ登ると、いきなり怒鳴りだした。
「バカヤロー! 嫌がる女に手ェ出す男は、くたばりやがれ!」
荷台の上でもめあっていた男女は、一瞬動きを止めた。だが、声の主がかわいい顔をした小さな女の子だと知って、男はにやりと笑った。
やや痩せ型のリューマ族の男で、顔立ちはリューマ族としてはまずまずだが、やや痩せた鼻筋がいかにも軽薄そうである。顔にできたソバカスが妙に目立つ。
「おや、かわいいお嬢さんだね? ちょっと大人しくしてくれないかな?」
マリは馬車の手綱を握っていた。
「てめぇが大人しくしなければ、このまま馬車をもらっちまうよ!」
男の顔がガラリときつくなった。
「このガキ!」
いきなりマリに飛びかかる。マリは馬車を走らせようとしたが、リューマの男の力には敵わない。あっという間に押さえ込まれてしまった。
襲われていた女はムテの若い女で、この事態にオロオロとするだけである。
「はい! そこまでです!」
サリサの一言で、やっとすべては収まった。
リューマ族のこの男、蜂蜜取引の商売をしているらしい。
ここで上等の蜂蜜を仕入れ、ウーレンやエーデムにも売りに行く商人だ。今はサリサの暗示の力で呆けて荷台の上に座り込んでいる。
マリとムテの女は馬車を降り、外で休んでいる。女は、まだ動揺しているようだ。小川で足を冷やし、頭を冷やし、殴られた顔を冷やしている。
サリサは、馬車の中にこれでもか……というだけ貼りまくってある許可証を見て、その中の一枚をはがした。
「『この者のムテでの仕入れを許可する。最高神官サリサ・メル』……。あーあ、とんでもない最高神官!」
ビリリ……と破り捨てる。
ムテの女性に対する性的行為は大罪である。ムテ追放後、ウーレン本国に連行されると死罪になる。
サリサは、男の顔をまじまじと見た。
「自分の不徳を弁解するわけではないけれど、悪そうな男には見えないんですけれどねぇ……」
それに、少し気になることもある。
――あんただってその気でついてきたんだろ?
言葉巧みに騙されて連れ出されるほど愚かな女だったとしたら、この男にも同情の余地はあるかもしれない。
「それに、この人って役にたってくれそうだし……」
馬車はリューマの男の馬に繋がれた。その馬を操っているのは、マリである。サリサと女が見ている目の前で、男は一人で川の中に入り、馬車を後ろから押した。
馬車は見事に小川から持ち上がり、道路上に戻ることができた。
さすが、痩せていてもリューマ族である。ムテのか細い最高神官などよりもずっと力仕事に向いている。
サリサは、パチパチパチと拍手した。
「いやぁ、ありがとう。助かりましたよ」
「はぁ、ありがとう、助けました」
男はぼんやりと返事をした。
リューマ族は、本当に暗示に弱い。おかげで馬車も戻ったことだし、この男の罪は大目に見てやろう。
ここに置き去りにしておけば、夜までに暗示は解ける。
「あの……あぶないところを、ありがとうございます」
女は、やっと口をきいた。
その顔に見覚えがある。サリサはしばらく考えた。そして、思い出した。
あの『光の目』で見た女。エリザの義理の姉だ。
相当怖かったのか、まだ青い顔をしている。顔に当てた布を持つ手も震えている。
見るからに清楚。こういう事件にはもっとも似合わない。風が吹けば飛んで消えそうな儚げな女性だ。
「私、蜜の村に住むヴィラと申します。本当になんとお礼を言ってよいのか……」
この素晴らしい偶然に感謝しよう。
「お礼なんてとんでもありません。それに、我々も蜜の村に行く途中なんですよ。馬車で村まで一緒に行きましょう」
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