冬恋・12
カシュはすっかり峠を越えた。
「あの……サリサ様」
看病を交替に来たリリィが、部屋を出て行こうとしているサリサを呼び止めた。
「お急ぎのところ、変なことに巻き込んでしまいまして申し訳ありません。せめてものお詫びに、私……サリサ様を蜜の村までお送りします」
乗合馬車の寄り道よりは、そのほうが大助かりだ。でも。
「カシュさんがよくなるまで、ついていてあげたほうがいいんじゃないですか?」
リリィはベッドの横の椅子に腰を下ろし、カシュの頬をそっと撫でた。
「私……故郷に帰ることにします。サリサ様と一緒に旅立ちます」
その言葉に、ピクリとカシュが反応したのを、リリィは見逃したらしい。彼の意識は戻っているようだ。
だが、かわいそうに眠ったふりをしている。
「私……ずるかったんだと思うんです。カシュさんの気持ちを利用していたんだと思うんです。それを……マリに見抜かれていたんですわ」
カシュの気持ちを考えるといたたまれない。
意識が戻っていることを教えてあげようか、それとも……。
だが、カシュは黙っている。黙ってリリィの本心を聞いているのだ。
「私に一番大事なのは、やっぱりマリなんです。あの子のことが一番なんです。あの子には常々、人の道を外れるなって言っていたのに、私こそひどいことをしてきたんです」
『そんなことはない!』
と、カシュがいうのは今しかない。
今、目覚めて
『利用されていてもいいんだ。愛しているから』
といえば、カシュはまだ、リリィを失わないで済む。
だが、カシュは口を固く閉ざしたまま、黙っていた。
……どうやら。
サリサのお説教はカシュには力にならなかったのだ。
「もう一度故郷に戻って、一からマリとやり直そうと思うんです。これ以上、カシュさんにお世話になれない……」
カシュの気持ちを考えれば、あまりにもリリィの言葉はきつすぎる。でも、それがリリィの本心だとは思えない。
リリィだって、カシュを愛しているはずだ。
「リリィにとっては、この人は役に立つ男にしか過ぎなかったんですね」
リリィは思いっきり頭を振った。
「いえ! けしてそんなことは!」
「じゃあ、一体なんだったんです?」
リリィの目に涙が浮かんだ。
「カシュさんは……私にとっては春みたいな方でしたわ……」
その言葉は、カシュと全く同じだった。
「私……。ずうっと辛いことばかりで、いつも冬の中で生きてきたような気がするんです。私は凍えて死んでもいいけれど、マリだけは……って。でも……カシュさんと出会って、本当に幸せな気持ちになって……私、カシュさんに生きる気力をいただいたんです」
リリィは長い冬を過ごしてきた。そして今、まるで花が開いたかのようにきれいになった。
それは……やはりカシュのせいなのだ。
「カシュさんは、私の大切な人ですわ。とても大事な人ですわ。でも……」
サリサはベッドの横に歩み寄り、リリィの肩に手を置いた。
「今は少し過敏になっていますけれど、マリなら、きっとわかってくれますよ」
リリィは泣きながら首を振った。
「いいえ、ダメなんです。確かにマリが嫌がるので、私、ずっと悩んでいたんです。でも、マリのせいじゃないんです。私、わかったんです」
「何が……です?」
「私がムテだから。カシュさんがリューマだから……。サリサ様はもうお気づきになったでしょう?」
あの時。
リリィの願いが暗示となって、カシュを死の淵に追いやった……。
「私、今までカシュさんは親切な方だから……と思っていたんです。でも、違ったんです。私の望むことが暗示の力になって、カシュさんに色々無理をさせていたんです。私、ずるかったんです」
カシュの顔がピクリと痙攣した。
「カシュさんをこんな目にあわせたのは、マリなんかじゃない。私なんです!」
そういうと、リリィはベッドにすがって号泣した。
「私、怖い! 私、カシュさんを殺すところだったのよ! きっとこのままカシュさんと一緒にいたら、今回みたいに無謀なことばかりさせてしまう! きっといつか、取り返しのつかないことが……」
カシュのまぶたがびくびくと動いている。きっと涙を必死にこらえているに違いない。
カシュはリューマ族であることに劣等感を持っている。
この地で不当な扱いを受け、頭を下げ、ぐっと堪えてきた。その苦労の記憶は、成功したあとも消えない。
でも今、その壁を乗り越えられなければ、もう二度とリリィを捕まえるチャンスは来ない。
カシュはリューマであることに誇りも持っているはずだ。
魔力に頼らずに生きてきた自分に、自信も持っているはずだ。
種族の違いを恐れるな! と、一言。たった一言、リリィに告げれば、彼女は安心してカシュに寄り添えるのに。
だが、劣等感の塊であるこの男は、意固地なまでにタヌキ寝入りを押し通すつもりらしい。
「リリィ、大丈夫? カシュさんに付き添える?」
リリィは少しだけ落ち着いて顔をあげ、うなずいた。
「ええ、もう……側にいれる時間は少ないのですもの。少しでも長く一緒にさせて……」
サリサは部屋を出た。
ため息が出てしまう。
本当に不器用な二人。でも、リリィの心配はもっともだ。
カシュはきっと、リリィが火に飛び込め! と言ったら、本当に飛び込んでしまうだろう。死ねと言ったら死ぬ。
あの竜に挑みかかっていった姿は、とても正気ではなかった。
その行為が、愛ゆえなのか、暗示ゆえなのか……誰もわからない。
そう考えていけば、すべては妄想なのかもしれない。
リューマ族は暗示に抵抗力がない。ムテは自然に暗示が働く。
カシュがリリィに親切だったのは、リリィの暗示だったのかも知れない。はじめから愛なんてなかったのかもしれないのだ。
行き倒れて苦しかったリリィは、誰かに助けてもらいたいと願った。苦しい状態での願いは無意識に暗示となる。
ムテ人ならば、そのような弱い暗示にはかからない。だが、たまたまそこを通りかかったカシュはリューマ族で、暗示に免疫がなかった。
カシュの愛と献身は、すべて、リリィの願いが暗示として作用しただけかもしれないのだ。
そう……。すべては妄想。
ムテとリューマという種族の問題は、単なる差別的な問題だけではない。いろいろ厄介な能力差がある。
その困難さを思えば、他人が口を出すわけにはいかない。でも……。
「休んでいる間に、別の進展があればうれしいんだけど……」
などと、つい独り言が出てしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます