冬恋・11

 サリサ・メルは、ムテの最高神官である。

 その肩書きは伊達ではない。

 癒しの技も身につけているし、薬草の知識も極めている。しかも、こっそり霊山から持ち出した究極の薬も持ち合わせている。

 死にかけた男の一人や二人、助けることは朝飯前……でもないが、たまたまこの男、体がとても頑丈だった。明日には意識を取り戻すだろう。


 ……が。

 サリサは意識を失うだろう。


 サリサの旅立ちは伸びた。徹夜で、しかも出発する予定の朝が過ぎても、この男につきっきりの看病だ。

 明日は一日休養に当てて体を休めなくては、大量に使った力を補充できない。リリィにお願いして、薬湯の湯たんぽを作ってもらわなければ、明後日の旅立ちも危うい。

 マール・ヴェールの祠で行をしているはずのサリサには、それほど時間は残されていないのだ。

 付き添いをリリィに任せて、少し一休み。食事のために食堂に向かう。


「サリサ……」

 通路の隅から声がした。

 マリである。すっかり落ち込んで元気がない。

 その上、大人たちはバタバタと忙しい。親方が倒れても客は来るし、馬車は出さねばならない。一人三役の忙しさで、誰も子供のマリになんか構う暇がないのだ。

 怒ったり怒鳴ったり罵ったりする人さえいない。皆が揃ってマリを許しているわけではないが、皆が揃って忙しい。

 責任を感じて意気消沈しているうえに、役に立たないから、ますますマリは落ち込んでいる。

「サリサ、ごめんなさい」

 一の村でも、そのくらいの小声で呼んでくれれば、あれほど焦らずにすんだのに……と、サリサは苦笑した。

「謝ってすまないことだってあるのですよ。全く」

 反論がない。相当反省しているらしい。

「私は蜜の村にとても急いでいたのです。それがひどい寄り道になってしまいました」

 マリはくっと頭を上げた。

「あー! サリサ、あたし。あたし馬車を使えるよ! 他の馬車よりも早く走らせる! だから……」

「それはカシュさんの馬車でしょう?」

 しょぼんとマリは頭を垂れる。

「マリはカシュさんのお世話にならなくちゃ、何にもできない状態なんですよ」

 マリはますますしょぼんと頭を下げる。


 言い過ぎただろうか?

 いや、少し言って聞かせないと子供はわからないこともある。しっかりしているようでも、まだまだ経験が伴わない。

 どのようなことで人が傷つき、どのようなことで人が喜ぶか……。

 マリは元々はいい子なのだ。それに賢い。だから、わかりさえすればこのような悪さは二度としないだろう。



 サリサはマリの手を引いて食堂に向かった。

 一緒に遅めのお昼を食べる。ライ麦パンに蜂蜜をかけて、半分をマリに手渡した。二人同時にパクリと口に運ぶ。

 香ばしくて美味しかった。だいたい、霊山の食事はまずいものが多い。

 それと同時に、パンの質の良さはカシュが金持ちだということを示している。

 そういえば……痩せこけて今にも死にそうな親子のために、カシュは食べ物に気を使うようになったのだと、リューマの女が言っていた。

 カシュがどれだけマリとリリィを大事にしているのか、このパンひとつとってもわかってしまう。


「マリはどうしてカシュさんが嫌いなの? こうしてマリにパンもくれるし、馬車も馬も扱わせてくれるのに……」

 マリはうつむく。

「カシュさんのお世話になるのが、それほど嫌?」

 食べかけのパンを、マリは机の上に置いた。

「別に……嫌じゃない。カシュさんのこと……嫌いじゃなかった……」

「じゃあどうして?」

 マリはぐしゅぐしゅ泣き出した。

「だって……あたしは全然ダメなんだ……」

 その言葉は、サリサの想像していた言葉とは違った。ただ、やきもちを妬いて、カシュに意地悪をしていたのだとばかり思っていたのに。

「お母さんは、あたしと一緒にがんばっていると、どんどん無理して疲れちゃうんだ。あたし、お母さんの力になれないんだ……」

 マリは長い間、母親の苦労を見てきて、心を痛め続けていたのだ。それが、カシュに対する反感に繋がった。

 マリは、ついに机にふして泣き出してしまった。

「でも、カシュさんは違うんだ。カシュさんと一緒だと……お母さん、きれいになっていくんだもの……」


 サリサは三年ぶりに会ったリリィの姿を思い出した。

 女は母として子供への愛で身を減らし、男への愛で美しく変わるのかもしれない。

 マリは子供で、何もできない劣等感に苦しんでいるのだ。

 子供は子供なのだから、半人前である。できないことがあっても当然である。その分、親は身を減らす。

 子供のマリは、大人で経済力もあるカシュとは比べ物にはならない。しかも、カシュは愛情も深い。

 身も心も凍り付いていたリリィが、カシュの優しさにふらりと心を動かしたとしても、誰も文句は言えないだろう。

 が、ちょっとマリがかわいそうな気もする。


 マリは、ただ足手まといの子供でありたくはないと願ったのだから。

 早く大人になって、母親の支えになりたい子供なのだから。

 責任から逃れ、永久に子供であり続けたかった自分とは大違いである。


 サリサは、手を伸ばすとマリの頭をクチュッと撫でた。

「ところで、マリにお願いがあるんだけれど……」

 明日の湯たんぽのことは、マリにお願いしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る