冬恋・7


 リューマの大都市リューで生まれたカシュは、十五歳の時にムテをはじめて訪れた。

 難病の母のために薬を手に入れたかったからである。

 当時、世界はウーレンとエーデムの間で和平を結ぶ機運が高まっていて、今に比べるとムテにもずいぶんと簡単に出入りできたものだった。

 しかし、貧乏なリューマの少年に薬は手に入らず、母は苦しんだ末に死んだ。

 貧乏を呪ったカシュは、ムテに馬がいないことに目をつけ、馬泥棒をしてムテに連れ込み、乗合馬車の仕事を始めた。

 泥棒であるカシュはリューマから逮捕状が出たが、運よくその頃、リューマ族に対するムテへの入国が厳しくなり、追手を免れたのである。ただし、リューマに帰ることもできなくなった。どうにかあの手この手で居住許可を得て、ムテに住み着いた。

 椎の村は、辺境の地からムテの霊山に向かう要所でもある。カシュは、ここを拠点にし、乗合馬車で荒稼ぎをした。そして、ムテであぶれているリューマ族を雇い、事業を広げた。

 馬もリューマ族も少ないとあって、競合する相手はない。商売は大成功し、カシュは一財産を築いた。


「あの頃の俺は、金さえあれば何でもできるって思っていた。金があればえらいんだ、幸せなんだってな。金がなくて苦労したから、余計に金儲けが生きがいだったんだ」

 カシュは酒をまた飲むと、窓のほうへと目を向けた。ちょうど冬の冷たい風がガタガタと音を立てていた。

「だがよ、金っていうのはあったかくねぇ。まるで、こんな冬の中にいつも身をおいているような感じでよ……」


 そんなある日のこと、カシュは仕事の帰り道、村の入り口付近でうずくまっている女性と、その近くをウロウロする子供を見かけた。

「誰かあ、助けてぇ。誰かぁ!」

 馬車で通り過ぎたのだが、子供の声が妙に耳に残った。金にもならない客を乗せてどうするんだ? と思いながらも、引き換えして親子を馬車に乗せた。

 それが、リリィとマリだった。

「ありがとうございます。もう少しで村に着くところでしたのに、突然めまいがしてしまい……」

 リリィの顔は真っ青で、体は痩せこけていて、死にそうにさえ見えた。子供もそれほど健康そうには見えない。

「一の村から歩いてきたって? あんた、バカじゃないかぁ? 乗合馬車を利用すれば、一日もかからずに着くのによ」

「……馬車は高くて……あの、四日分の宿代に匹敵するんです」


「俺、ものすごく恥ずかしくなってよ、しばらく乗合馬車の仕事をしているって言えなかった。でよ、ムテ人って皆金持ちでお高くて……って思ってたから、衝撃が大きくてな、ついつい、急いでいる旅じゃなかったら、しばらくここで休んでいきな……なんて、言っちまってよ」

 照れくさそうにカシュは頭を掻いた。

「リリィさんは、宿代がないからっていって、お菓子を作ってくれたんだ。そいつがなんだか、ものすごく美味くって、忘れられなくなっちまって……」


 ちょうど今頃のような冬の日に、カシュは馬車でリリィとマリを故郷まで送っていった。これが最後の別れになるんだろうとおもうと、カシュは悲しくてたまらなかった。

 ぶるっと震えるリリィに毛布を掛けてあげながらも、この人が作ってくれた温かいお菓子を食べて過ごせたらいいなぁ……と思った。

 風が強い日でも寒くないような家を建てて、凍りつくような朝にでもぬくもりの残る暖炉をつけて、一緒に過ごせたらいいなぁ……と。

 どうして金が欲しかったのだろう? そうだ、母を救いたかったからだ。だが、今、金があっても母はいない。

 だから、金があっても、寒くて虚しかったのだ。

 この人のために金を使えたら、きっと、温かいに違いない。この人の力にもっとなれたら。この人と一緒になれたら……。

 だが、カシュはリューマ族なのだ。

 ムテの女性に好かれるわけがない。しかも、たとえ一緒になれたとしても、自分は先に老いて死んでゆく。全く不釣合いなことだ。

 そう悶々と考えて馬車を進めた。

 やがて、リリィの村に着いた。リリィは何度も何度もペコペコとリューマ族であるカシュに頭を下げる。

 今までムテ人に頭を下げられないで腹を立てたことはあった。だが、頭を下げられて悲しくなったことはない。

「じゃあな」

 と言って別れたものの、我慢ができなくなり、馬車を返した。

「リリィさん! あのな!」

 リリィは不思議そうにカシュを見つめた。

「あ、あのな、俺思うんだけどな、あんたの菓子は美味い! 商売になる。だからよ、もしもその気があったらでいいけれどよ、一ヵ月後、また乗り合いの仕事でここらを通るから、その時、お菓子売りに来ないか? 気が向いたらでいいからよ! じゃあな!」


「それで、リリィはお菓子売りを始めたんですね?」

「あぁ、一ヵ月後いったらよ、お菓子つくりの道具を一式持って、俺を待っていてくれたんだ」


 夫に死なれてしまい、故郷に生活基盤がまったくなくなっていたリリィは、より商売になる『椎の村』で大半を過ごすようになった。

 カシュは乗合馬車の仕事をしながらも、材料の小茶豆を調達をしたり、またお得意さんに菓子を宣伝したり、『祈りの儀式』などのように人が集まるときには出店を出すように勧めたりした。

 リリィは、材料を調達する乗合馬車の代金をきちっと払っていたので、忙しいわりには金持ちにはならなかった。彼女のためなら何でもしたかったのに、けじめはしっかりとつける女性だったのだ。

 それでも、カシュが負担した金額には当然及ばないことは、リリィも知っている。

「カシュさんにはお世話になってばかりで……」

 が、口癖であった。

 贅沢はまったくしない。だが、今までの生活があまりにもひどかったのだろう。まるで花が咲くように、リリィは美しくなっていった。

 肉が落ちこけていた頬がふっくらとしてきて、目に輝きが戻ってきた。白髪のように見えていた銀色の髪にも艶が戻り、笑顔も出るようになってきた。商売することで人と接し、明るくなったのかもしれない。

 カシュの胸の奥にも春が来て、まるで花が咲いたかのようだった。


「で……口づけしてしまったんですね?」

 カシュは真っ赤になり、いきなりテーブル越しにサリサの首を絞めた。

「だだだだだだ……誰に聞いたんだ!」

「リリィさんです」

 即答しなければ死んでいた。

 カシュは、あっという間にサリサの首から手を放し、くにゃくにゃと座り込んだ。

「ああ、俺はバカだ! 何であんなことをしちまったんだ!」

「好きだからでしょう?」

「う……」

 カシュは、もうグラスに酒を注がなかった。その代わり、瓶に直接口をつけた。

「リリィさんは、俺んちに春を持ってきてくれたんだ……。冬しかしらない俺んちによぉ」

 瓶はすぐに空になった。カシュの体が小さくなったように見える。

「だがな、俺はリューマ族なんだ。どんなにがんばっても、リューマはリューマだ。純血種族のムテにはなれねぇ……」

 それが、カシュを小さくする理由。消えることのない劣等感。

 これだけの逞しい肉体と優しい心、多くの仲間の信頼を得ているというのに。

「純血種族といいましても、個々には多少の混血が進んでいて、その血を伝えている者はわずかですよ。私でさえも、もはや古のムテ人まで血筋を遡る術はありませんし、リリィがそこまでこだわっているとも思えません」


 ムテ人が優れていたのは過去のことだ。今は最高神官でさえも血を守るための道具になっている。

 ムテにリューマ族を蔑視している人がいるのは確かだ。血に優位性があると信じている者も多い。だが、それは幻。そう思いでもしなければ、ムテは生き残れない弱い種族なのだから。

 ムテの弱さに犠牲になってきたリリィは、リューマ族の逞しさにに惹かれている。だから、女でありながら馬を扱えるように努力し、商売をはじめたのだ。その生き方は、ムテの女のものではない。


 リリィはカシュを尊敬しているのに。

 カシュはその事実を認められない。


「でもな、あの人は俺のばかげた行為を許してはくれたんだけれどな、忘れましょうって言ってくれたんだけどな、その後、どうもぎこちなくて……。やっぱり、俺がリューマ族で下衆なヤツで、しかも過去には泥棒もしたから、惚れられて迷惑しているんだ」

 それは違う。リリィはマリに気を使っているのだ。

 でもきっと。

 ここでサリサがリリィの気持ちを代弁したところで、うまくいくとは思えない。マリの気持ちはかたくなだし、リリィは恋よりも子供をとるだろう。

 それに、異種族結婚というものは本当に好き・嫌いだけの問題ではない。間違いなくカシュはリリィよりも早く死ぬ。

 これからの苦労を考えると、無責任に一緒になれば? なんて言えない。

 どちらの運命を選ぶかは、リリィとカシュが決めるべきことなのだ。


「まずは気持ちを伝えてみてはどうでしょう?」

「ななな……なんだってぇ!」

「どうせ駄目で元々でしょう? それなら、当たって砕けてみては?」

「バカ言え! そ、そ、そんなことしたら、リリィさんはきっと出て行っちまうよ!」

「そうかも知れませんけれど、このままでも時間の問題だと思います」

 リリィは覚悟を決めつつある。

 マリのためにここを離れるべきだと思っている。だらだらずるずる留まっているのは、カシュに対する気持ちに踏ん切りがつかないからなのだ。

「カシュさん、あなたはそうやって冬の中にいるのですか? いつも春を待ちわびるだけですか? 春の前には嵐が来ます。嵐を乗り越えようとは思わないのですか?」

 カシュはうーんと唸った。サリサは笑った。

「……これでお互いに説教合戦しましたね」


 もういい時間だ。戻らないと、リリィとマリが心配しているだろう。

 サリサは扉に手をかけようとして、一瞬躊躇した。

「あの、カシュさん?」

「な、なんだ?」

「私は、リリィのところに泊まってもいいものでしょうか? それともあなたに泊めていただいたほうがいいのでしょうか?」

 それは、宿に泊まるという意味だったのだが、サリサが妖しく微笑んだので、カシュはすっかり勘違いしたらしい。

 カシュは真っ赤になり、鉄砲玉のように扉に向かったかと思うと、がばりと扉を開けて叫んだ。

「おおおおおお、俺のところは、だだだだめだ!」

 その時、誰かが部屋に飛び込んできた。

 そして、そのままカシュの腕の中で崩れ落ちた。

「リ、リリィさん?」

 すでに外は雨が降っているらしい。

 リリィは濡れ鼠になっていた。でも、頬を伝わるのは涙かも知れない。

「マリが! マリがいなくなっちゃったの!」

 その瞬間、稲光が走った。

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