フィニエル戦記・2
子供を育てるための小屋を、なんとミキア――もう『様』をつける気にもなれない――は、巫女姫の母屋と最高神官の居所の間に立てると言い張った。
これは、巫女姫と最高神官の間に割って入ってやる! という、ミキアの根性である。通常、しおらしく隠遁するのが、子を産んだものというべきなのに。
それもこれも、シェールが巫女姫ふたりの面倒をみるとか何とか言って、身ごもった後も子を産んだ後も、ずうずうしく霊山に君臨したからである。
彼女を尊敬する若い巫女が、彼女に倣うのは当然かもしれない。
しかし、そのことに文句を言ってもサリサ様ときたら。
「ああ、いいんじゃないですか?」
などと言うから、さらに霊山に似合わない戦闘は続くのだ。
我々仕え人は、さすがに呆れていて、誰も何も口を出さない。触らぬ巫女姫に祟りなし……である。
が、元々気が合わなかった担当の仕え人同士は違った。
シェールが去った後は、リュシュがミキアの仕え人になっていたし、サラの仕え人といえば……あの唱和の者なのだ。
心なしか、二人の戦いに油を注いでいるような気がする。
普通、子供育て中の者と最高神官は会うことはない。ところが、サリサ様ときたら、リュシュのお菓子につられて子供とミキアと三人でピクニックになど行ったりするから、今度はサラがキリキリと怒り出す。
若気のいたりだろうか? サラは夜になんと最高神官の寝屋に忍んで来た。こっそり通った道は、唱和の者が教えたのだろう。
恥ずかしいとは思わないのだろうか? ムテの巫女姫に選ばれた身で、まるでリューマの娼婦みたいな真似をして。
もちろん、サリサ様の部屋に着く前に、途中で見つけて追い払ったが……。
嘆かわしいことである。
あれだけ厳しかった霊山の規則が、見るも無残に打ち砕かれている。
サリサ様は、そのことについて何にも言わないのだ。
考えてみれば……規則破りの王者である彼が、何も言えなくても当然なのだが。
ミキアは負けず嫌い。だが、性格はまだかわいいところがある。
でも、サラは、正直言って性格が悪いと思う。時に、彼女は末恐ろしい。ムテとは思えない執念深さを持っている。
祈りの力は強いけれど、癒しの力は皆無だ。将来、癒しの巫女の地位は与えたくはないほどに。
サラという名前は、エーデム族の悲劇の姫君の名前であり、地名にもなっている由緒ある名だ。元々は、古いムテの言葉で『清楚』という意味なのだが、絶対に親は名を間違った。
先日のミキアの子供が行方不明になった騒動も彼女の仕業だ。
ミキアが発狂寸前の大騒ぎだったので、これ以上大事にならないよう、皆でサラをかばった。
「すごいですね! もうこんなところまで、ハイハイできるようになって!」
と、リュシュは子供を褒めまくったが……。
なぜ、まだ寝返りも上手くうてない赤子がハイハイして戸棚の奥に隠れることができるのだ? ミキアでなくたって、そんな嘘は見抜く。
ミキアは子供を抱きしめながら、今度こんなことが起きたら……と、すごんでいた。
私は、つい指折り計算してしまう。
もしも、サラに早くにお子ができてもらうか、できないでもらわないと、エリザ様とサラは霊山で一緒になってしまう。
気の弱い優しいエリザ様のこと、彼女には敵わないだろう。
今日こそ、サリサ様にどうにかしてもらわなければ……。
私は、子供誘拐事件の顛末から何から、延々と話し続け、喉がからからになりながらも、最後はエリザ様の名を出して話を終えた。
「……エリザ様が戻ってきたときのことを考えると、不安です」
「大丈夫です。私がついていますから」
サリサ様は、女の争いなんて重視していないらしく、ニコニコ笑っている。
「あなた様がついているから、余計に危ないと思います」
女のやきもちの強さを、彼は全く理解していないのだ。
「ちゃんともっと守ってあげるから」
……ダメである。
サリサ様は、このように巫女姫たちと楽しく日々を過ごされても、実はエリザ様のことばかり考えているのだ。
その態度が、二人の女性をますます焦らせている。
『私じゃない誰かのことを、常に思っている』
と、サラもミキアも感じている。
そして、それがお互いに相手だと思っているから、余計に……。
「サリサ様は女泣かせだと思います」
そう言っても、彼はつらっとしたものだ。
「なぜ? 私は、もう絶対にエリザを泣かせない」
……やっぱりダメである。
サリサ様のたくらみはわかる。
彼は、エリザ様が過ごしやすい霊山の空気を作ろうとしているのだ。
エリザ様が戻ってきたら、恋人のように日々を過ごし、子を授かったとしても隔離することなく、子供が生まれてからも一緒に過ごせるよう……。せっせと前例を作っている。
そして、エリザ様が山を下った後も、彼女が不幸にならないか? と、そればかりを考えている。
だから、彼女の故郷にさえも、手を回しているのだ。
「それよりも頭がいたいのは、シェールのことなんだけど」
「あの女がどうかしたのですか?」
どうも、私は彼女が好きになれない。あの女呼ばわりに、サリサ様は一瞬顔をしかめたが、ちょっと苦笑して話を続けた。
「二の村に帰りたいって言い出して……」
サリサ様は、山下りしたシェールを故郷の二の村ではなく、エリザの故郷に送ったのだ。
見知らぬ土地に送られるのは通常泣いて嫌がるだろうことだが、彼女は喜んで向かったはずだった。
「根性がない女ですわ」
「いや……そうじゃなくて……」
彼女の手紙には、こう記されていた。
サリサ様。
この地で癒しの道に励むことは、私に新たな生きがいを見出すこととなりました。日々充実し、しかも人々に慕われて、私はとても幸せです。
でも、私は故郷である二の村に戻していただきたいと思います。
それは、私のためというよりも、エリザ様のためでございます。
私に対する信頼が深まるにつれて、人々はエリザ様の帰りを望まなくなってきております。
理由は、彼女の父親です。
彼は心病を患い、自己のことしか考えられない状態になっています。彼の息子夫婦の献身的な介護があり、どうにか留まってはおりますが、すっかり人の道から外れた行為を繰り返しています。
村の誰もが彼を毛嫌いし、エリザ様の経歴すらもいまや疎まれています。
エリザ様の父親は、彼女が戻ってきた時の恩恵をかさに、傲慢の限りを尽くしているからでございます。
私がここに留まり、エリザ様と入れ替えにでもなれば、彼女は私を追い出した者として、糾弾されるかもしれません。
私は、村の人々の信頼を糧にがんばっております。
でも、もしかしたら、その信頼が深まれば深まるほど、私はエリザ様を追い込んでしまうかもしれない。
そう思うと、恐ろしいのです。
「エリザ様にしてその父親。さすが、妄想血族ですわ」
私は手紙を読み終わってため息をついた。
「手紙にはこれしかないけれど……実際にシェールは、エリザの父親から身の危険を感じるほどの嫌がらせを受けているらしい」
さすがにシェールに同情する。
エリザの父は、シェールが来たからエリザが戻れず、エリザが戻れないから、村人たちから疎まれるようになった……と思い込んでいるらしい。
「そんな父親、どうにかなればいいのですわ」
「どんな父親だって、エリザには父だよ。あの人は、きっと悲しむとは思うけれど、父親と一緒に底まで落ちていく……。そんな気がする」
私もそうだと思う。思うのだが……。
エリザ様のことばかり心配している最高神官の態度にも、ちょっと問題を感じる。
たしかに、自分のことしか考えられなかった以前よりも、立派になったとは思う。エリザ様の将来を案じる姿には、嘘偽りなく彼女の幸せを願う気持ちが現れている。
だが……。
他の巫女姫の気持ちはどうなるのです? と、言いたい。
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