フィニエル戦記

フィニエル戦記・1


 私が思うに……サリサ様は優しすぎるのだ。

 優しいことは、とても良いことではある。良いことではあるが、時に優柔不断に思えることもある。

 たまにこう……びしっと絞めるところが必要だと思うのだが……。

 あまりの成り行きに心痛めて忠告しても、彼の返事はこうである。

「まぁ、いいんじゃないですか? 霊山にも活気が出てきて」

 この張り詰めた空気を、活気というのか? 男って本当にバカである。

「まぁまぁ、そう怖い顔しないで、フィニエル」

 私のどこが怖い顔をしているというのだ? これは地顔だ。


 元巫女姫ミキア。現在、子育て中で霊山にいる。

 現巫女姫サラ。現在、子作り中で霊山にいる。


 この二人、親分肌のシェールがいた頃は、まるで姉妹のように仲が良かった。だが、それは猫を被っていたのだ。

 サリサ様の寵愛がシェールにあると信じていたから、傷をなめあうように仲良くしていたのかもしれない。

 だが、昨年の秋にシェールが子供を連れて山下りしたとたん、事態は一変した。

 二人ともまだ若く、しかも、サリサ様に夢中ときている。

 巫女制度に恋愛感情は御法度……というマサ・メル様の考え方は、実に正しかった。今は、二人の恋愛競争で、まるで霊山が噴火しそうな有様なのだから。

 妊娠しなかったサラだが、二年周期という特異体質だったために巫女姫継続となった。そして、ミキアはこの春に女の子を産んだばかりである。

 冬にはミキアも子を連れて山を下ることになるとは思うが……それまで、二人の戦闘状態は続くのである。

 今までこのようなばかげたことが、霊山にあっただろうか? いいや、なかった。

 だいたい、マサ・メル様の時代だったら、このようなばかげた争いなど、たとえ四人の巫女姫が重なろうが、なかった。巫女姫同士が顔を合わせる機会さえなかったのだから。

 何のために身重の巫女姫に新しい家を与えるのか、これではわかったものではない。女同士の戦闘ではなく、子供が落ち着くまで安らかな場におくためだろうに。

 この状態ではただの無駄……どころか、害である。

 それにマサ・メル様は、甘ったるい言葉を吐いて、女に気を持たせるようなことなどなさらなかった。それが、サリサ様ときたら、あの笑顔でにこりと挨拶してしまうので、若い女はコロリと恋に落ちてしまう。

 それでも、かつてのように夜だけの逢瀬であれば、所詮は制度での関係だから……と思えるだろう。だが、霊山はものすごい勢いで軟弱化しているのだ。

 かつての霊山ならば、どちらがサリサ様に愛されているのか? なんて、巫女姫が愚かなことなど考える余地はなかったはずなのに。


 シェールが開放的な霊山にしましょう……なんて言いだし、推し進めてしまったのが悪い。

 サリサ様が霊山を変えたがっていたのはわかっていたが、なんせ、彼は小心者でせこい事しか考えない。せいぜい、我々の目を盗んでコソコソと……程度しか出来る度胸がすわっていない。

 そこに大胆不敵なシェールが来て、いろいろやるものだから、サリサ様もしめしめだったに違いない。すっかり乗ってしまった感がある。

 サリサ様とエリザ様の時は、やはり若輩者感が漂っていたのであろう、何をやるのも我々が阻止できた。中には、私がエリザ様に甘いのでは? と言い出す者もいたが、それは間違いである。時には、私もお二人の抑止力になったのでは? と、自負している。

 そう、我々仕え人は、霊山の伝統と規律を重んじ、すべては最高神官のために、心をひとつにし、歩んできたのだから。

 それを、あの女はとんでもなく破壊してくれた。サリサ様と結託して、ずいぶんと霊山を変えてしまったのだ。


 たとえば。朝食のとり方だ。

 今までは、母屋に赴いて食事など、最高神官にはなかった。

 食堂は、仕え人とか巫女姫とかが、ワイワイガヤガヤ食事するところであり、最高神官の気を乱してしまうからだ。

 マサ・メル様は、朝の祈りと昼の行の間の時間を大切にし、仕え人に食事を運ばせていた。精神を保つため、人と接するのを最低限にしていたのだ。

 それが長年続いたせいもあり、いつの間にか、最高神官は多くの者たちが集う食堂には出入りしてはいけないことになっていた。わずらわしきは寿命を使い果たすと、常にマサ・メル様はおっしゃったものだ。

 それが、あの女が「皆で食べたほうが元気が出る」などと、わけのわからないことを言い出し、変えてしまったのだ。

 けしてそのようなことを許さないはずの我々であるが、悪条件が重なってしまった。

 エリザ様が山を降りられてからのサリサ様の様子があまりにも異常だったので、我々仕え人たちにも焦りがあった。心病にでもなられたのでは? と思われるほどだった。

 それに、皮肉なことではあるが、かつてのエリザ様とサリサ様の仲睦ましい様子がこの悪変化に対応するクッションになっていた。我々も、どうもたるんでしまっていて、エリザ様がいなくなってどこか寂しく思っていたところだった。

 タイミングが悪すぎた。

 だから、すんなりとあの女の提案に乗ってしまったのだ。


 ニコニコと巫女姫たちと食事をしているサリサ様を見ていると、確かにマサ・メル様の言葉に間違いはなかったと思う。

 マサ・メル様の決め事が崩壊しつつある今、巫女制度存続も怪しまれるまことに由々しき事態である。

 毎朝、最高神官の体調を考えて用意する食事。それを運ぶ仕事がなくなってしまった。そして、この朝食の席に付き合わされるのが最高に嫌なのである。

 今や、最高神官は、暇さえあれば自由に巫女姫たちと会えるのだ。そして、朝は彼女たちと楽しいお食事である。私にとっては、ちっとも楽しくはないが。

 サリサ様は、笑顔の下でバリバリと燃えている女の戦いが見えないのだろうか? ほら、今など机の下でお互いの足を蹴っ飛ばしあっているというのに。

「ミキア様は、本当によく食べますこと。まるでバヴァバ赤竜のような食欲ですね」

「あら、これは私のためではなくってよ。サリサ様のお子のためですもの。お子のいないサラ様とは違いますわ」

 おほほほ……と笑いあっている二人を、ニコニコ笑顔で見守りながら、パンに蜂蜜をかけているなんて。

 本当は鈍感なのではないのだろうか? サリサ様は。

 ミキアの子供がぐずり出す。ムテの子供はあまり泣かないのだが、母親の気を察知したのだろう。よほど、この子のほうが敏感だ。

「あら? 何もないのに泣き出すなんて、少し頭が軽いのかしら?」

「いいえ、ムテの能力に長けているのですわ。きっと殺気を感じたのでしょうねぇ。どなたかの」

 おほほ……と笑っているが、二人の足元は戦闘状態である。

 こんな朝を毎日送っていて寿命を使い果たさないとしたら……サリサ様の神経は相当太いといえるだろう。

 だいたい、前の最高神官の仕え人が急に果てたのも、シェールのもたらした改革についていけなかったからなのだ。

 本当にあの女は、毒であった。


 ムテとは思えぬ下品な女の戦いを見ていると、エリザ様のしおらしさが懐かしい。

 今の巫女姫たちがいなくなって、エリザ様とサリサ様だけがいるとしたら……おそらく今ならば、もっとお二人は幸せであっただろう。

 エリザ様に、あのような辛い思いはさせなくてすんだだろう。

 スープを飲む湯気の向う。サリサ様とエリザ様が、楽しく食事をしている様子が目に浮かんでしまう。

 もしも、サリサ様が先にシェールを選び、その後にエリザ様を選んでいたとしたら……。

 いや、「もしも」なんて語っても意味のないことである。

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