祈りの夜・10


 翌日、痛む足を引きずりながらも、あの老人に地下の墓所に連れて行ってもらった。

 とても気持ちが悪いところで、仲のよかった老婆が死んだときに入っただけのところだったが、思えばあれから頻繁に女は出てきた。ここに、彼女はいるはずだ。

「うんうん、確かなぁ……。火鉢の事故で死んだ娘っ子がいただよぉ。窒息死しちまっただ。換気さえ気をつけていればなぁ……」

 エリザは知っている。

 彼女は、たとえ換気がよくても死んだのだ。死ぬつもりで、布団を窓に詰め込んで、空気の流れを断ったのだから。

 死臭が漂う。

 抵抗するように、エリザは白い花を握り締めていた。棺がたくさん並んでいる。やはり、気持ちが悪い。


 ムテ人は死んだら灰になる。

 だが、事故死したり、病死したものはどうなるのか? やはり、多少の時間がかかることもあるが、骨となり灰となるのだ。

 死に至るような何かが起きた場合、ムテ人は無意識に自らの寿命を使ってそれを癒そうと試みる。たまにはそれで生き返るものもいるくらいだ。

 しかし、普通は寿命をすべて使い切って息絶えてしまうのだ。だから、死ぬとやはり骨になり、灰になる。


「ああ、この人だねぇ……」

 管理人が指し示した棺に、エリザは蝋燭の光を掲げてみた。

 女は銀色の髪を残したまま、ミイラ化していた。

 ガサガサになった指を胸元で絡め、横たわってる。眼球はなくなり、窪んでいた。頬はすっかり落ちていた。だが、どこかに青い顔の女の雰囲気が残っている。

 屍が怖くてたまらないはずのエリザだったが、なぜかこの女は怖くはなかった。

 お友だち……と言ってくれた。そう、おそらく仲間だったのだ。

 エリザと同じように最高神官の愛だけを信じて、この祈り所の闇に耐えていたのだから。そして、命を落とした。

 かわいそうに、生きようとする力が全く失われてしまったために、自分の寿命を使うこともなく死んでしまった。だから、彼女は悲しいこの姿を留めたまま、祈り所の地下に葬られてしまったのだ。


 あと何年待てば、この悲しみや憎しみは、灰となって消えてゆくのだろう?

 いつになれば、苦しみは終わるのだろう?


 一歩間違えれば、エリザもこうしてここに横たわったのかもしれない。

 エリザの場合は、最高神官の幻に揺り動かされて死ななかった。結局は、愛されていると思い込んでしまうほど、最高神官にはよくしてもらった。

 どうであれ、彼はエリザの尊敬する最高神官なのだ。彼に対する敬愛は変わらない。至らぬ身でともにムテのために奉仕できたことは、素晴らしいことだと思う。

 祈りの儀式で、最高神官と心まで一体になった……と感じたのは、思い違いだった。でも、マリを一緒に助けた事実は変わらない。そして、巡り巡って、今度はエリザがマリに助けられた。


 小さな繋がりが運命を変えた。

 小さな出会いが命運を分けた。

 誰もがひとりで生きているわけではないの――


「私、一緒にいかないけれど、一緒に生きてゆくつもりでがんばる。だから、安らかに眠って……」

 エリザは女の乾いた指に、持ってきた白い花を持たせてあげた。

 小さな骸に、かすかな微笑が浮かんだように見えたのは、気のせいかもしれない。

 だが、その日以降。

 女はエリザのもとを二度と訪れることはなかった。




=祈りの夜/終わり=

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