祈りの夜
祈りの夜・1
この日々を多くは語るまい。
年月の長さに鑑みれば、語ることはあまりにない。
語るべきことは、思い出したくもないことばかりで……。
祈り所は暗かった。
かつて、祈りの儀式の日にここで過ごしたことがあるとはいえ、何年も住むかと思えば、その陰湿さはますます重くのしかかる。
しかも、ひどく寒かった。
「あの……火鉢はないのですか?」
エリザは、恐る恐る話しかけた。
ムテでは異形である年老いた管理人が、体ごと向きを変えた。そうしなければ、首の動きが鈍い彼は、エリザを見ることが出来ないのである。
「火鉢は、ここには置けないね。換気が悪いから、過去に命を落としたものがいてね……」
確かに、この部屋の換気は悪そうだ。広間に通じる小さな窓が、はるか上部にぽつんとあるだけである。
名ばかりの窓。まるで煙突のようだ。外をのぞくためや、光を取り込むために付いているのではなく、間違いなく空気の入れ替えのためだけの穴である。
布団に包まって寒さに耐えるしかない。しかし、布団はやや湿っていて冷たく、気持ちが悪い。
仕方がなく、エリザは食事の時に布団を持ち出し、食堂の煮炊きの熱でそれを乾かし暖めて、再び部屋に持ち帰るしかなかった。
十年ぶりの祈り所幽閉の巫女らしい。布団は乾いたが、ややかび臭い。
それでも、その日はよっぽど疲れていたのであろう、エリザはあっという間に眠りに落ちた。
枕元に真っ青な顔をした女が立った。
首しかない! と思って驚いたが、実は真っ黒な服を着ていたため、闇に体が溶け込んでいただけだった。
あぁ、久しぶりにお友だちがきたわ……と、彼女が言ったので、エリザもコクリとうなずいた。
「あの、よろしく……」
そういうと、女はにやりと笑って消えた。
祈り所を管理している者たちは、皆、老いている。
ムテではありえない老いた姿を、一般の人々の前にさらすことはなく、常に暗い祈り所の中にある。時に外に出るときも、光を避けるようにして、漆黒のローブで体を包むのである。
その不気味な姿に馴れるのに、エリザはかなりの時間を要した。
悪い人たちではないけれど、話しかけても、ごほごほ……と咳き込むだけで話ができない者もいれば、口の動きが悪いのか、妙になまっている者もいる。自然と会話はしたくなくなる。
彼らよりも辛いのは、人々の祈りだった。祈り所で祈られることは、負のことが多い。
死に至る病を治して欲しい。死んだ子供を返して欲しい。失恋に心が張り裂けた……など。
それらの祈りの気だけが染み渡り、祈り所の地下をますますじめじめさせるのだ。
日差しを見ることを禁じられているのも、エリザには辛かった。
半地下にある祈り所の広間にも出ることは許されない。人との接触を避けて自らの貞操を守ることも、祈り所に篭る理由のひとつだからだ。
許された場所は限りなく狭い。
与えられた服は、どこかで見覚えがあるような気がする。闇に溶けるような漆黒の服だった。
エリザは、出来るだけ気分を明るく保つように努力した。
本を読んだり、日記を書いたり……。とはいっても、日記は妄想日記だった。なぜなら、ここには何もしたためることがなかったから。
おのずとエリザの日記は、霊山にいる最高神官に当てた手紙のような内容になった。
サリサ様、お元気でしょうか?
私は毎日、この祈り所で共にあった【祈りの儀式】のことを思い出す毎日です。
あの日、感じた一体感が、今、私の救いなのです。
あなたの愛を信じています。
だから、この日が長く続いたとしても平気。
思い出だけが、私の慰めです。
そう書いて、エリザは顔をしかめた。
本当に、思い出だけしか救いがなかった。
あれから、もう何年がたったのでしょうか?
そのようなはずはないですね。日がないので、徐々に一日の感覚が無くなっています。食事の回数を数えて、日々の勘定をしていましたが、最近は、何度食べたのかも数えられなくなってしまいました。
あなたに会いたい。会いたいです。
でも、まだ、寒い。まだ、春にもなっていないのですね。
そして、この冬をもう何度か、ここで過ごさなければならないのですね。
でも、大丈夫です。辛くなんてありません。
必ず、あなたの元へ戻れるのですから――
その夜、エリザは一心に祈るサリサの夢を見た。
彼は、最高神官などではなく、まるで一般人だった。祈り所に集まった人々の中に溶け込んでいて、特別な人などではない。
朝、起きてそれが夢だと知り、エリザは少しだけ涙ぐんだ。
――本当にそうだったらよかったのに……。
誰か、別に立派な方がいて、その人と替われればよかったのに。
わがままで勝手だと思うけれど、サリサと普通に出会えていれば……と思ってしまうのだ。
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