巫女姫シェール・6

 信じられなかった。

 どう見ても元気と明るさが服を着ているようなシェールが、心病んでいるとは思えない。

「人は見かけどおりとは限らないものよ。これでも毎晩、悪夢に泣かされているんだから」

 最高神官ですら悟ることができなかったとは。明るい声で、シェールは笑った。

「人生経験がなせるわざかもね。サリサも人を騙すなら、もっと上手くしたたかにやりなさいよ」


 二人は蝋燭を挟んで向かいあい、膝を抱えて座りながら言葉を交わしていた。かつて、マール・ヴェールの祠で、二人で語りあったときと同じように……。


「私、山を降りたときは、まさか、また巫女姫になろうなんて思っていなかったのよ。私は大きな声で『せいせいした!』と叫んで山を下ったんですもの。他の人は口にしないけれど、そう思っていることは確かよ。だって、誰も戻ってこないでしょ?」

 それは、サリサがよく知る本当のシェールの姿だった。気取りも何もあったものではない。

「それに、私ってマサ様に嫌われていたじゃない? たまたま私が二年周期の特異体質だったから、私を惜しんで祈り所に押し込んでくれたけれど、本当は二度と顔も見たくなかったと思うわ」

「まさか? おじいさまに限って……」

 シェールはくすくすと笑った。

「殿方の評価と女の評価って、本当に違うわよね。私はマサ様なんか大嫌いだったわ! あの方は傲慢でワガママで子供じみた男よ」

 サリサの目は丸くなってしまった。

 尊敬する前最高神官を散々に言われて、反論したいが言葉が出ない。

「憎むことでしか愛せないっていうか……あ、ごめんなさい」

 軽くなりすぎた口を、シェールは押さえた。

「……い、いいです。続けて……」

 サリサも、シェールの意見に思い当たるところがある。


 たとえば。フィニエルのことだ。


 シェールの話は先に進んだ。

「私は最高神官の子供を産み、育て、癒しの巫女として二の村で過ごし、そして結婚して幸せになったの。一生、夫と添い遂げようと思って……二人の子を産み、そして二人とも立派に独立してね」

 遠い目をしたシェールは、本当に幸せそうに見えた。

「じゃあ、なぜ?」

「夫が死んだからよ」

 それは、マサ・メルが没した時のことであった。

 その頃のムテは、これから訪れる時代におののいていた。絶望がムテの地を覆っていたのである。

「夫は、その恐怖に耐え切れなくなって死んだの」

 他の種族では考えられないことかもしれないが、ムテではよくあることなのだ。心話に長けた彼らは、不穏な空気を敏感に感じ取る。それに対抗する精神的な防御が薄い。

 マサ・メルが死んだ時、多くのムテ人が後追いして死んだ。

 シェールの夫も、その一人だった。

「夫が死んだらね、今度は私が心病になったの」

 シェールはふっと息をついた。蝋燭の炎がかすかに揺れた。


 ムテは、長い時を生きる長命な種族である。

 が、ゆえに共に伴侶と歩む時間も長い。それゆえに、失われた時の衝撃も大きく、心病になるものも多い。

 発病の仕方は色々だが、力の制御が利いていない比較的恥ずかしい病とされているせいで、研究がなされていない。せいぜい安息効果の高い湯にでも浸かるしか治療法がない。

「その人を……愛していたの?」

「ええ、死ぬほどにね」

 彼女が祈り所に篭ったのは、別に巫女姫になるためではなかった。

 夫の死に耐え切れなくなって、祈るためだったのである。

「いくらがんばろうとしても病はよくならず、私は悪夢に彷徨うようになり、自分の寿命を浪費し始めたの。悪夢が外に飛び出さない場所っていえば、祈り所の地下しかなかったのよ」

「死を考えた?」

「まさか!」

 シェールは笑った。

「死にたくはなかったから、どうにかしようと思ったんじゃない」

 そうしているうちに、巫女姫選考の話が持ち上がり、しかもその年はあまりに候補が少ないということで、村を上げて頼まれた。

 格好つけで候補者の頭数はそろえたものの、実質選ばれるものはいないかもしれない、という予測さえ囁かれていたのだ。

 シェールならば、既婚であったということを除けば、間違いなく選ばれる素養が備わっている。

 シェールは、巫女姫になるつもりはなかったのだという。たまたま祈り所に長く篭っていたので、村人達が既婚の不利を払拭するため、もっともらしい尾びれをつけたのだ。

「ほら、巫女姫候補が現れるっていうのは、かなり村としても名誉なことでしょう? 巫女姫としてのやる気を見せる格好の宣伝になっちゃったのよ」

 そこまで言って、シェールはまた笑う。

「でも、当時の私は心病だったから、必要以上に力を発していたの。だから、サリサが選んだ子ってどういう理由で選ばれたのか、すぐわかっちゃった」

 サリサは、ううぅ……と声を漏らすと、頭を抱え込んだ。

「バカねぇ、連れて逃げちゃえば良かったのに!」

「そ、そうは言いましても……」

「どうせ、まともな愛の告白もできなかったんじゃないの?」

 ああ、ご名答……と、サリサはますます頭を抱えた。


 昔の二人に戻って話は弾んだ。

 気分的に楽になった……とはいえ、サリサの心病は治らないし、使命もそのままだ。

 しかし、巫女姫はけろっとしていた。


「あら? 私はどうでもいいわよ? だって、かなりよくなったといっても治っていないから、山を降りてもしばらく祈り所に篭らなくちゃいけないし」

 シェールは、霊山の力を受けていれば寿命の浪費を防げるほどに回復しているという。つまり、彼女の生きる場所は、祈り所か霊山しかないのだ。

 祈り所の暗闇にいるよりは、霊山の明るい日差しの中で過ごすほうがいいに決まっている。だが、この地に住める女性は、選ばれた巫女姫だけなのだ。

 さすが、シェール。巫女制度さえも利用しようとするしたたかさである。

「それにね。たぶん、子供が産めたとしたら……もう一度、生きる目的を見つけられると思うのよ。恋をするほど元気じゃないけれど、巫女ならば子作りも仕事でしょ?」

 なんと、彼女にかかったら、子供も最高神官も生きる気力のために利用されてしまう。

「シェールって……強いよね。僕は……ダメだ」

 サリサはエリザを取り戻すまで心病かもしれない。いっそのこと、このままエリザと一緒に祈り所に篭りたい。

「サリサ、前の巫女姫は一の村の祈り所に降りたわよ」

「え?」

「私、心病で敏感になっているって言ったでしょ? 巫女姫が山下りしている様子を見ちゃったのよ」

 さすが、としか言いようがない。

「彼女を村に返さなかったこと、少し後悔しているようだけど、正解かもしれないわよ」

「なぜ?」

 シェールは声をひそめた。

 二人しかいない場所で奇妙なことであるが、それだけ繊細な話なのだろう。

「彼女の父親のことだけど、やっぱり心を病んでいるみたい。帰っていたら、世話が大変だったと思うわ」


 サリサは思い出した。

 祈りの儀式の時、エリザの村からも大勢の人たちが来た。でも、家族は誰も来なかった……と言って、エリザは寂しそうだったのだ。

 そういえば、エリザの母は長命であったけれど、旅立ったばかりだった。家族の者が心病になることは、充分にありえる。


「彼女の幸せを考えるならば、何が一番いいことか、よく考えて行動してね」

 まるで病とは思えないほどの明るさで、シェールはにやりと笑った。

「これでサリサと永久の別れになっても、私、怒らないから」

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