巫女姫シェール・4


 フィニエルは苛々と櫛を動かした。

 巫女姫シェールの髪は、エリザの美しい真直ぐな髪とは違い、癖がある。強く引いたら、ピンと小さな音を立て櫛の刃がこぼれた。

「あら? 嫌な感じ……」

 まったく嫌そうな感じでもなく、巫女姫は言った。

 嫌な顔をしてしまったのは、フィニエルのほうである。

「失礼を」

 かつて、この巫女姫のもとに、最高神官マサ・メルの髪を梳き、送ったこともあるフィニエルである。だが、その時だってこれほど嫌な気分にはならなかった。

 巫女姫を最高神官のもとに送り出すのも、仕え人の仕事ではあるのだが、今のサリサの状態を想像すると、気が重いのだ。

 けして彼女とサリサが結ばれることを、嫌だと思っているわけではない。そのような考えは、仕え人が持つべきではない。

 服の中に潜めた香り袋が、なぜかずしりと重たく感じる。

 この巫女姫の涼しげな顔が、フィニエルにはどうしても好きにはなれないのだ。とはいえ、仕え人なのでそのような感情を持つのは良くない。

 突然、巫女姫が声をあげた。

「あぁ、そういえば……」

 フィニエルの仏頂面は元々である。それゆえか、気持ちを知ってなのかわからないが、シェールはくすりと笑った。

「サリサ・メル様は、とてもマサ・メル様に似ていますわね?」

 その言葉を聞いたとたん、フィニエルはなぜか櫛を巫女姫の頭に突き立てたい衝動に駆られた。


 ――愛し方も同じかしら?


 そう言葉が繋がったように感じたのだった。

 マサ・メルは、行為の間に信頼ある仕え人を同席させていた。しかし、自らの仕え人であったフィニエルを同席させたことはない。

 だから、フィニエルは、マサ・メルが他の巫女姫をどのように愛したのかは知らない。サリサにいたっては、同席を禁じているので、当然知らない。

 髪を梳きおわった後、櫛をしまおうとして……フィニエルは、手の中で櫛が真二つに割れているのに気がついた。




 湯気があたりを真白にする。

 長すぎるほど長い最高神官の髪を洗い終えた仕え人は、その間もぴくりとも動かなかったサリサに声を掛けた。

「終わりました」

 しかし、声は返ってこない。

「サリサ・メル様?」

 湯船に浸かって目をつぶっている様子は、くつろいでいるようにも見える。が、仕え人は、やや香りの高い葉をもみつぶして、サリサの鼻先に手を伸ばした。

 うっすらと、サリサは目を明けた。

「どちらへ行かれてましたか?」

 サリサの気は、まだ完全に戻っていない。

「サリサ様」

 仕え人の声は、今までになく不安そうだ。最高神官への信頼で成り立っている彼には、最高神官の病がわかってしまうのかもしれない。

 ぼんやりとしながら、サリサは無駄とも思える嘘をついた。

「少しでも……休めるときは休む。それも、最高神官の務めです」


 本当は、意識を飛ばしていた。


 最高神官にとっても難しいムテの技に『光の目』というものがある。

 サリサは、力を途方もなく使ってしまうこの技を、つい無意識に行っていた。湯船に浸かって気を抜いたとたん、浴室の片隅にあった蝋燭の光に飲まれてしまい、気を飛ばしてしまったのだ。

 光に照らし出された場所。そこに、体から意識が分離してしまい、今、もしくは過去に遡って行ってしまう。自分が浴びていた光の記憶をたどってしまう。


 サリサは、髪を洗っているわずかな時間の間に、ムテの村々を三つも彷徨った。

 初めは三の村だ。そこで、サリサはエリザと再会した。

 巫女選びの儀式――その時の様子が手にとるように見える。

 かすかな光となって、サリサは自分とエリザの様子を祈り所の天井から見ていた。

 改めて見ると、エリザの動揺ぶりが手にとるようにわかって痛々しいほどだった。それに比べて、自分はなんと尊大な態度なんだろう? とも思った。

 その瞬間に、今度は一の村にいた。祈りの儀式を見つめる月の光と同調して、月に祈る二人を見つめていた。不思議な気分だった。

 だが、今現在、エリザはどこにいるのだろう? どこかの祈り所の地下にいることはわかっている。でも、具体的な場所は最高神官といえどもわからない。

 気がつくと、今度は二の村の小さな祈り所の前にいた。この村の祈り所が、ムテの霊山のふもとの中で一番小さかった。

 偶然に灯篭を下げた家族が、何か祈ることがあるのか、静々と祈り所に現れたのだ。その灯篭の光となって、サリサはその場にいた。

 祈り所の地下には光はない。祈りは届かない。

 ゆえに人々は余計に光を求めて祈るのだ。それが、より強い力になる。

 床に灯篭を置き、一心に祈る家族。

 しかし、サリサが求めているのは、その下で苦しんでいるかも知れないエリザの姿だ。

 床の石に煌々と降り注ぎながらも、サリサの祈りも願いも、冷たい石に遮られていた。


「サリサ様」


 その声と差し出された薬草の香りで、サリサは辛うじてここに戻ってくることができた。いや、戻りたくはなかったかもしれない。

 エリザのことを考え続けて、光に融けてしまえたら……。

 だが、別の巫女姫のもとに行くために、身を清めている、今この瞬間に戻ってきてしまった。

 日々消耗してゆく最高神官に、仕え人が気がつかないはずはない。彼の調合した薬湯はばかばかしいほどに成分が濃かった。

 最高神官への信頼が潰えたとき、彼は消えてしまうだろう。

 サリサは、覚悟を決めた。

 自分の務めは……個人的な感情は捨ててしまって、果たすべきものだ。

 ムテのためにも、彼らのためにも――

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