May the horse be with you

ネコ エレクトゥス

第1話

 自分の愛馬や応援するスポーツ・チームと共に頂点を目指すことは人生における最高の喜びの一つではないだろうか。


 2010年、私は念願の馬主資格を取得することにした。といってもいきなり競走馬を丸ごと買うのではなく、会員制の共同馬主ではあるのだが。それでも若い頃からの競馬ファンであり、競馬ゲームなどにも親しんだ世代である私には十分な夢の実現である。頂点を目指す道が険しいのは覚悟するところではあるのだが、それ以上に今そのスタート・ラインに立てたことにとても興奮している。そういえば私が昔友人とともに初めて中山競馬場を訪れた時にも同じ興奮を味わったのであった。

 ちなみに私はその日「シグナルライト」という馬の馬券を買っていたのだが、その馬はレース途中で故障を発生し、予後不良になった。


 さて、さっそく馬主資格取得の手続きを済ませ大手馬主クラブに会員登録すると、100頭ほどの仔馬の写真入りのカタログが届いた。この中から自分の所有馬を選ぶのである(正確に言うと40口の募集なので40分の1の権利を買うのである)。どれを選べばいいのだろう。目移りする。しかしこう言っては何だがこの仔馬たちは毛色を除いてみんな同じに見える。いったい他の馬主の人たちは何を基準に馬を評価しているのだろうか。とにかく馬主一年生の私としてはいつまでも写真を眺めていても得るところがない。そこで写真の下に記されているコメントを読んでみることにした。

「この馬の雄大な馬格は早くも優れた競走馬としての風格を感じさせます。」

 ウドの大木という言葉もある。

「競走馬として優れた実績を残した両親の長所を十分に受け継いでいます。」

 短所は受け継がなかったのか?

「クラシックの大舞台で活躍している姿が今から目に浮かびます。」

 そう期待させて消えていった馬がどれほどいることか。ということでこのコメントもあまりあてにはできないらしい。では何を見て馬を選べばいいのだろうか。高い買い物なのだ。よく考えろ。何かヒントがあるはずだ。そう思ってカタログを見ていたのだった。

 すると同じ種馬の子供でも値段にばらつきがあるのに気が付いた。例えばディープインパクト産駒の牡馬だと下が4,400万円なのに上は10,000万円。シンボリクリスエス産駒の牡馬だと下が2,800万円で上が10,000万円。キングカメハメハ産駒の牡馬、下が2,200万円で上が5,000万円。この値段の開きはいったい何故生まれるのか。その仔馬に対する生産者側の主観的な評価であり、また仔馬の母馬の競争成績や繁殖牝馬としての実績に対する評価である。それなら生産者の評価に関しては分からないところもあるが、母馬に関してならこちらにも分かるところがあるのではないか。もし母馬の評価が値段に過剰に反映されていると思ったらその仔馬は避けた方がいいのではないか。別に母馬が走る訳ではないのだ。ということで比較対象の多い先程のディープインパクト、シンボリクリスエス、キングカメハメハの3頭の子供の中から持ち馬を選ぶことにする。

 さらに考えを進める。関東馬を選ぶか関西馬を選ぶか。西高東低のこの時代に合っては関西馬を選ぼう。関東入厩予定の産駒の多いキングカメハメハは除外される。牡馬を選ぶか雌馬を選ぶか。ディープインパクトの産駒の雌馬を例にとるなら下が2,600万円で上が7,000万円。雄と雌でこのくらいの値段差なら競争能力を考えれば牡馬を選んだ方が賢明に思われる。こうして関西入厩予定のディープインパクト、シンボリクリスエス産駒の牡馬8頭が最終的に残った。

 ではその8頭を1頭ずつ見ていくことにする。


 まずはディープインパクトの産駒から。

・ダイナズクラブの09(09は生年) 4,400万円(1口110万円)

 母は米国の活躍馬。だが10年近い繁殖生活で目立った活躍馬なし。却下。どうやらダイナスティーはないらしい。

・マンデラの09 10,000万円(1口250万円)

 母はドイツの活躍馬で、兄弟に欧州の活躍馬マンデュロ。だがそれ以外に特筆するところなし。この値段は高すぎる。ギャンブルといってもロシアン・ルーレットに近い。除外。

・ヒストリックスターの09 4,600万円(1口115万円)

 母は不出走だがその母親に競走馬としても繁殖馬としても優れた成績を残した名牝ベガ。ただ気になるのは母馬の不出走の原因が脚部不安を抱えていたベガと関係があるのではないのかという点。減点。

・ラヴアンドバブルズの09 4,400万円(1口110万円)

 母馬も子供もそれほどの成績を残している訳でもないのだが、血筋を遡ると活躍馬多数。この仔馬のいい点は強調すること待なければ批判するところもないところか。


 次にシンボリクリスエスの産駒。

・ローズバドの09 10,000万円(1口250万円)

 「薔薇一族」。この馬の血統がその馬近年の日本競馬を代表しているのではないかと思える豪華さである。しかし高い。薔薇の香りだけ楽しむことにしよう。

・ジェダイトの09 3,400万円(1口85万円)

 母親は日本のオープン・クラス。かなり遡れば大物がいるのだが近親は地味。それに値段が安ければ安いで何か問題があるのではないかと疑ってしまう。割引。

・レースパイロットの09 4,000万円(1口100万円)

 母の兄弟にキングカメハメハの名前が見える。それ以外に血統は寂しいのだがキングカメハメハの弟だと考えると値段はお手頃の方か。

・スカーレットレディーの09 8,000万円(1口200万円)

 この母親の子供だけでいったいいくら稼いだのか、というぐらいの産駒の活躍である。しかしそろそろ危ない。「緋色の時代」はいったいいつまで続くのか?


 結局ディープインパクト×ラヴアンドバブルズの仔馬と、シンボリクリスエス×レースパイロットの仔馬のいずれかを選ぶことにする。だがまた悩む。値段もそこまで違う訳でもないし、母馬の血統から考えても選び難い。では父馬は?

 ディープインパクトとシンボリクリスエスを同じ様に評価していいのか。シンボリクリスエスの子供にはすでに活躍馬が出ているが、種馬としてのディープインパクトは未知数である。競争成績でも確かにディープインパクトは三冠馬になり日本中を沸かせたが、シンボリクリスエスだって劣る訳でもない。その割にディープインパクト子供の値段は高い。それならシンボリクリスエスの子供を買った方がいいのではないか?いや買うべきだ。

 こうしてシンボリクリスエス×レースパイロットの仔馬と共に私は馬主生活をスタートさせることになった。


 「クロスミッション」と名付けられた私の愛馬はおじのキングカメハメハと同じ名伯楽のもとに預けられた。2歳時は体に弱いところがあって調教が進まず、3歳の春にやっとデビューを迎えることとなった。

 愛馬を応援するために関西まで足を伸ばす。我が子の運動会に駆け付ける気分。血統から来る期待もあってか一番人気。私の胸もドキドキする。単勝馬券をしこたま買い込む。もう勝った気でいる。レース後には世代屈指の実力馬としての評価を受けているだろう。そしていよいよ発走。そうだった、まだ走っていないのだった。だが勝利の瞬間は何度味わってもいい。

 スタートの出は普通。中団からレースを進める。最後の直線でのスピードの持続力を持ち味とした父親と同じレースぶり。もしかしたらこの馬は直線の長い東京競馬場が合っているんじゃないか。それならダービーが楽しみだ。そんなことを考えているとレースは最後の直線へ。

「行けっ!」

 大絶叫。しかし……、しかし、伸びない。顔面蒼白でしばらく声も出なかった。


 後日冷静になって考えるのであった。

「デビュー戦で一番人気に押された馬だ。すぐに勝ち上がるだろう。」

 だがこの時は「すぐ」というのが「永遠」を意味するとは知らなかった。


 一方私が最後まで迷った「ディープブリランテ」と名付けられたディープインパクト×ラヴアンドバブルズの仔馬はデビュー前から注目を集め、期待にたがわぬ走りを見せてクラシック候補に名乗りを上げ、クラシック初戦の皐月賞こそ3着に敗れたものの、岩田康成を背に見事78回日本ダービーを制したのであった。


 後悔の念は色々と尽きない。評価基準に雄馬と雌馬の値段差を考えれば牡馬の方が賢明だと判断したのだが、もし雌馬も選考の対象にいれていたなら候補に挙がっていたのではないかと思われる馬がいる。

・ドナブリーニの09 3,400万円(1口85万円)母は英国G1馬。

 後に「ジェンティルドンナ」と名付けられた彼女は牝馬三冠を制し、世界に羽ばたくことになる。


 

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